シャイニング事務所は今とても忙しい。嬉しやありがたやの悲鳴を上げたいくらいには。
 事務所が発表した『うたの☆プリンスさまっ♪』という様々な乙女にヒットしそうなイケメンを集めた贅沢なグループは、音楽の媒体から始まり、CM、ラジオ、テレビドラマ、最近は映画の話まで、多岐に渡って世間に進出している。
 つまり、彼らをサポートするスタッフは、『超』がつくほど忙しい。
 スケジュールが詰まっていると一睡もする時間がなくて倒れる人もいる。倒れて初めてまとまった時間がもらえる、なんてことも珍しくはない。
 そんな忙しい空気の中、私がしていることはといえば、わりと地味だ。機材を持ってあちこち動き回るわけでもなく、パソコンに向かって休まずキーボードを打つわけでもなく、電話の応対で受話器を取ったり上げたりするわけでもない。
 今は、メジャーを持ってストライプのシャツ一枚の美風藍のサイズの計測に神経を尖らせているところだ。
「美風は何色が好き?」
 15歳のくせにちっともサイズが変わらないな、と思いつつ計測した部分をメモする。成長期の男子のくせに。ま、もう178もあるんだからこれ以上大きくならなくてもいい気はするけど。
 メジャーを巻きつけられることになど慣れっこという様子でされるがままでいた美風が薄く目を開けた。空の色というよりは水の色、と感じる瞳が私を見下ろす。
「なんでそんなこと訊くのさ」
「次の衣装! 舞台挨拶に出ることになったでしょ? 忘れた?」
「馬鹿にしないでくれる。憶えてるよ。そう訊くってことは君がまたボクの衣装作るわけか…」
 ふう、と息を吐く178センチに頬がちょっと痙攣した。しかしここで笑顔を崩したら負けだと思って引きつったままでも笑顔を保ってさっさとメジャーを巻きつけサイズを測り、全部変わってない、とメモをまとめてかわいくない15歳のそばを離れた。
(私だってね? どうせ衣装作るなら美風みたいな年下で生意気で毒舌家で猫かぶりの君より他の誰かがよかったよ。その方がまだやる気が出たよ。だけどせっかくもらったお仕事蹴れるわけがないでしょ?)
 広いテーブルにファイルを広げ、今まであたためておいたデザイン画を順番にめくっていく。そっくりそのまま使うことはできないけど、細部を変更して今回の衣装にすることは可能だ。というかぶっちゃけるとデザインを起こす時間すらないスケジュールなのでそれでいくしかない。本当は仕事に手を抜く真似はしたくないのだけど、時間が押している今回は仕方がない。
 たとえ私の担当が美風で、彼がかわいくない子供だとしても、仕事に手は抜かない。一人前になってもらった担当制の仕事だ。彼はトップアイドルでプロだ。私だって一人前になった。彼の立ち位置を思うなら、たとえ美風がどんな子だろうと手を抜くなんてできるはずがない。
 舞台衣装とは言っても、美風がゲストとして呼ばれる形で軽く挨拶、軽く一曲歌う、彼にとってはそれだけの簡単な仕事。美風にはそんなこと日常茶飯事。私のように重大に捉える必要性すらないのだろうが、私はそうはいかないのだ。
 美風が呼ばれる舞台の台本に目を通して頭の中で衣装と内容を照らし合わせていると、ぎ、とテーブルが僅かに軋んだ。視線を持ち上げるといつの間にか私の横に美風が立っていた。机に片手をついて覗き込むようにして私が描いたデザイン画を眺めている。相手が年上だろうが仕事で猫かぶらないとならない相手以外にはズケズケ遠慮ない物言いをする美風を睨むようにして『文句あるなら来いや』と見ていると、水の色をした瞳がスライドしてぱちっと目が合った。
 ……認めたくはないのだけど、やっぱり、イケメンは得をしていると思う。いろいろと。決して顔で人が決まるとは言いたくないし思いたくないのだけど。生きる上でのツールの一つとして使える、生まれ持った武器の一つだろう。だから口は悪いし遠慮もしない猫かぶりだと分かってる相手でも長く目が合っていれば私の視線はちょっと泳いじゃったりするわけである。
「で、色だっけ」
「希望があると助かるんだけど」
「希望、ね。ちょっと出てちょっと歌うだけなんだから、スーツとかですませたいんだけどな」
「それはダメ!」
 ばん、とテーブルを叩くと、まだファイリング前の積んでいた紙束がぐらぐら危うい感じで揺れた。慌てて手を伸ばす私よりも先に紙束を押さえた美風が呆れたように息を吐いて「っていうか、テーブルの上少しは片付けたら? 前来たときもこんなだったよ」と衣装の参考生地やデザイン画が散らばってお世辞にもきれいとは言いがたい部屋を指す。「悪うございましたね。このお仕事片付いたら部屋もきれいにします」とぶっきらぼうに返して、美風が倒壊を防いだ紙束をせっせと先にファイリング。
 その間、彼は私が座っていた席でじっとデザイン画を眺めていた。
 私がデザインして仕上げたものを美風が着ることになるのは確かなんだけど。線画だけだろうが自分の描いたものを凝視されるのはやっぱり気持ちが落ち着かない。
「…収録時間とかいい?」
 念のため確認する私に、彼はこっちを一瞥もせず「君じゃないんだ、そんなヘマはしない」とかわいくない言葉をさらっと返してくる。
 全く全然かわいくない野郎だと引きつる頬を意識して抑え、倒壊しそうだった参考資料や用紙をまとめて棚に突っ込む。「ほら退いて。おねーさんは仕事あるの」と席を占領したままの美風を肘で突いた。肩を竦めた彼が立ち上がって、ようやく出て行くのかと思ったら、違った。彼は腕組みしてクリーム色の壁に背中を預けて目を閉じて、ここからは動かないよ、という意思表示をしてみせる。
(……ああ、そうか。今日はとくに外がうるさいから、ちらかった私の部屋でも外よりはマシって思ってる系か)
 一人納得して、少しだけ片付いたテーブルの上で改めて真っ白なデザイン用紙を前にペンを握る。とりあえず詰めていこう。
「…………が、似合うと思う色でいいんじゃないの」
 ぼそっとした声がそう言ったことを最初はスルーした。遅れて顔を向ければ、美風はさっきと変わらない。今喋ったのは本当に彼か? と思うほどに微動だにしない。
「今の美風?」
「ボク以外にこの部屋に話し相手がいるの?」
「いません。そう、私が決めていいのね。分かった」
 丸投げされるのが一番困るんだけど、それが私の仕事でもあるのだ。自分の感覚に頼るしかない。
 …今美風をつぶさに観察していたら、何かヒントが浮かぶかもしれない。なんて思いながら、ストライプのシャツにカーディガン、ワイン色のパンツというシンプルな格好の彼をじっと見つめる。
(来い、来いインスピレーションよ。神よ降りてこい! 降臨せよ!)
 胸中で祈祷を始めた私に、ああ、とぼやいた美風が顔を上げた。水の色をした瞳が呆れたように細くなる。
「常識の範囲内でね。この間みたいなスパンコールで金色だったらゴミ箱に捨てるから」
「あっ、あれは仕方ないじゃない! 私だってダサすぎると思ったのよ? でも社長が『遠目に見ても分かるような派手なデザインのもの』って言うから、担当の人達と話し合ってああなったの! 多数決だったの! 私だって不本意だったわよあれは…!」
 汚点、とも言えるようなスパンコールぎらぎらの金色のスーツを思い出して拳を握って力説する私に、美風はふぅんと感心のなさそうな声をこぼして壁から背中を離した。「じゃあ行くよ」と歩き出す彼に「ああ、頑張って」とひらひら手を振って見送る。これからレコーディングなのかインタビューなのか知らないけど、メディアにも取り上げられるようになって忙しいうたプリの一員が多忙なことに変わりはない。
 冷たい、と思って目を開けて、絶望した。
 窓なんてない建物の内側の部屋は煌々と蛍光灯の電気がつけっぱなしだ。これをすごく眩しいと感じて視界を庇って腕をかざし、再び訪れた絶望の波に唸った。
「うわ…うわああああ」
 一人頭を抱えてぽかぽか殴った。むしろぼかすか殴った。
 ただでさえ時間がないのに、徹夜二日目で早くもダウンしていた。ばっちりエナジードリンク決めてコーヒーがぶがぶ飲みながらミシンを使ってたはずなのに。どうして寝てるの。なんで寝てるの。むしろミシンに頭をぶつけて起きるべきところで…。
「ん…?」
 少し冷静さを取り戻した頭が眠気を訴えてくるが、努めて無視して、重い身体を起こすと、ソファだった。
 私はテーブルに向かってミシンを連打で衣装製作に臨んでいたはずである。それなのにソファに…眠気と闘って意識を落としただけならまだしも、しっかり毛布まで被って、ソファで寝ていた……?
 何かおかしくはないか、と眉間に皺を刻んだところで、ガチャ、と部屋の扉が開いた。ノックもない。たとえスタッフの部屋といえどノックは礼儀である。にも関わらずノックなしで『作業中!』のでかでかしたプレートをぶら下げたドアを開ける相手なんて、私が知っている中で該当者は一人だけ。
「起きたの」
「…美風」
 やはりというか、私の予感は的中した。
 美風はジーンズとTシャツにパーカーというラフな格好で伊達メガネをしていた。悔しいので似合っているとは決して言わない。そしてその彼の手にはなぜかプラスチックのトレイがあって、その上には食器がある。
 それを見て思い出した。私、今日まだまともなものを食べてない。
 食事をする時間すら惜しいとカロリーメイトをかじってコーヒーとエナジードリンクを飲んだだけ。ちょっと調子が悪いなと思ったら気休めで常備している野菜ジュースを飲んだ、くらい。明らかなこの不健康っぷり。そのせいか、眠気を追い払ったと思ったら目眩がしてきた。寝不足の目に部屋の白い蛍光灯が厳しいのかもしれない。
 ドアを閉めた美風がソファに寄ってきて私にトレイを突き出した。ガチャ、と食器がぶつかって音を立てる。
「あげる」
「はい?」
「だから、あげる。二度も言わせないで」
 押しつけられたトレイを受け取って膝の上に置く。適当な食事ですませていた私の胃でも受けつけそうなチーズミートドリアだ。おいしそうである。
 美風が『食べろ』と無言の圧力でもって見下ろしてくるので、とりあえずスプーンを握った。
 まずは胃に入れよう。このままでは仕事もままならない。エネルギーは摂取せねば。
 黙々とドリアを口に運ぶ私に、僅かに息を吐いた美風が腕組みした。
「危ないからやめてよね、意識飛びそうなのにミシンとか」
「うっ」
 危うく咳き込むところを回避、コップの水をがぶ飲みして、何とか落ち着く。「な、なんで知って」「誰が寝そうな君をソファへ運んで風邪引かないようにって気を遣って毛布かけたと思ってるの?」一息に言われてさらに口ごもる私。
「み、美風が…?」
「そうだよ。昨日からずっとこもって作業してることなんて知ってる。ろくに食事も摂ってないって他のスタッフから聞いたし。で、様子を見に来たら案の定だったよ」
 あなた馬鹿でしょうと冷ややかな表情で見下ろしてくる美風にうぐぐと唸る私。な、何も言い返せない。もう少し我が身を顧みることができたんじゃないかと言われたらそのとおりなのだ。今回はスケジュールが詰まっていたからなるべく早く仕上げようと気持ちが急いていたから…まぁ、言い訳なんだけど。
 ドリアを平らげ、水を流し込み、頭を垂れる。「ごめんなさい。以後気をつけます」と言う私に「そうしてよね」と息を吐いた美風。帰るのかと思ったら、ミシンや布地、糸でちらかるテーブルに視線を投げた。「で? ちゃんと間に合うように完成するんだろうね?」「もちろん! 今から作業するっ」はい預かって、とトレイを押しつけ立ち上がった私はだいぶ元気になっていた。食べ物の力は偉大である。
(次はこのエネルギーで仕事をやっつける!)
 ずんずんテーブルに向かって勢いよく席についてミシンの状態を確認。作業の進行状況を確認。ようし、行くぞ。
 と、作業に取り掛かろうとして、ドアの開閉音がしないことが気になってちらりと視線をやると、私がさっきまで寝ていた場所に美風が座っていた。空になった食器を退屈そうに見下ろしている。…帰らないのか。なんで。私は仕事は一人でする派で人がいると集中できないんだけどな。
「帰らないの?」
 確認した私に、吐息した彼が部屋の時計を指した。「五時だよ。今日は七時に集合することになってる。今から帰ったところで時間の無駄でしかない」「じゃあさ、ほら、休憩室に行くとか。それ返してくるとか」「…何? ボクを追い出したいわけ?」顰められた表情に、美風もそんな顔するんだな、とぼんやり思う。
「いや、私一人じゃないと作業に集中できない人間なの」
「だから、ボクが邪魔なんだろ」
「邪魔って…」
 別に邪魔ってわけでは。いや、まぁ、結局はそういう話になるんだろうけど。
 ふん、とそっぽを向いた美風がトレイ片手に勢いよく立ち上がった。「迷惑だから食事と仮眠くらいちゃんとして」と機嫌を損ねた声で私に釘を刺して部屋を出て行く。
 バン、と閉まった扉に片目を瞑って、子供だなぁ、と少しだけ笑う。 
 さてさて。それでは、お仕事、始めますか。