18歳以上でなければ22時以降の番組には出られないんだとかで、生出演の番組のため待機していた控室から申し訳なさそうに追い返された。カミュと蘭丸と嶺二はクリアしている条件をボクだけが満たしていない。出るのは普通の番組なんだけど、世の中そういうことに厳しいらしい。
 もともとぎりぎりの時間設定だったけど、年末で前の番組から時間が押していたらしいからしょうがない。こればっかりは。
 そういえばボクの設定は15歳だったな、なんて今更思い、ふっと息を吐いてポケットに手を突っ込んで歩き出す。変装のためにパーカーのフードを深く被り、夜なのにサングラスをかけ、裏口からそっとテレビ局を出た。
 別に仕事がしたいわけじゃないけど、仕事をするために足を運んだ場所から追い返されたらいい気分にはならない。この番組のためにボクの衣装係が徹夜して仕上げた衣装も出番なしとなってしまったし。あんなにこだわってカメラのアップにも耐えられるようにって襟元とかボタンとか細部に神経を尖らせていたのに、全て水の泡だ。
 細い通りをいくつかすぎると大通りに通じ、車も人も交通量が増す。行き交う人をサングラス越しに眺めて、パーカーのフードに手をやって顔を隠しつつ、年末なのに人が多いな、と思う。
 こんなに寒いのだから毛皮を持たない人間はあたたかい家でぬくぬくしていればそれでやり過ごせる夜なのに、何がしたくてわざわざ外に出て行くのだろう。
 それにしても、時間が空いてしまった。本来ならそれなりに拘束される予定でいたのに。
 ポケットから携帯を引っぱり出して時刻を確認すれば、22時12分39秒。
「……………」
 はぁ、と息を吐き出せば、車のライトに吐息が照らされ白く濁ってすぐ消える。
 仕方なく、ボクはアドレス帳から彼女の名前を表示させた。メールが面倒で電話をかけて、声でボクが美風藍だと気付かれる可能性もゼロではない、と気付いて細い路地に入る。彼女は3コールで出た。『はぁい美風ぇ』「……もしかして飲んでる?」『仕事納めだもぉん、わたしだって飲みますぅ』電話越しのへらへら笑った声にこめかみに手をやる。別に、引きつってないはずだけど、そんなふうに感じるのはなぜだろう。
『ん? あれ? 美風はぁ生出演でしょ? 出番でしょ? テレビつけてるんだけどいないね?』
「いないよ。22時以降は18歳未満は出れないって追い返された」
『ええーっ!』
 電話越しにうるさい声に携帯を耳から離す。『あたしの衣装はぁ!? あんなに頑張って襟元とかぁ、ボタンとかぁ。あたしの、衣装…』へらへら笑っていた声が涙ぐんでいる。言うまでもなく酔ってるなこれは。だいたい番組が始まってるならボクが出ないって説明は最初にされてるはずだし、それを聞いてないってことは、相当駄目になっているってことだ。
 ひきつっている気がするこめかみを指で解しつつ「今どこ」と訊けば、『うちぃ』と情けない声が自宅にいると言う。ここから彼女の家までそう遠くはない。走っていけば5分だ。
『美風ぇ美風ぇ、あたしの、あたしの、衣装ぅ』
「わかったわかったよ。今から行ってあげるからちょっとだけ待ってて」
 わあわあ泣いている声に負けないよう携帯に声を張り上げてプチッと通話を切り、もうめんどくさい、とフードを外してサングラスを内ポケットに突っ込んで、ブーツの足でアスファルトを蹴って路地を飛び出す。
 人の間を縫うように走りながら、足を前に送る度に、ボクはどうして今走っているんだろうと考える。
(まぁ、あれだよ。仕事がなくなって暇だし、暇だから連絡したボクの衣装係が泥酔みたいだから仕方なく駆けつけている的な)
 まるで誰かに言い訳しているみたいだ。贔屓はしない、と思っていた頃の自分に対しての言い訳みたいにも思える。
 流れた時間の分だけ抱いた親しさ。それがボクを動かしているのだ、と思う。
 どこにでもありそうなありふれたアパートから近所迷惑になりそうな泣き声が聞こえている。聞き覚えのある声が喚いているのは聞いてていい気分にはならない。
 ち、と舌打ちしてアパートの3階の角部屋を睨みつけ、誰も見ていないことを確認してから跳んだ。2階のベランダの手すりを蹴飛ばして3階の手すりを掴んでひょいとベランダに侵入し、鍵もかかってない不用心な窓を開け放つ。
 光を放つテレビではボクが出演するはずだった番組がやっていて、カミュと蘭丸と嶺二が順番にインタビューを受けている。そのテレビを前に子供みたいに泣いているのはボクの衣装係であるだ。「」呼べば、被っていた毛布を放り上げて「わぁん美風ぇ」とみっともなく泣いた顔でボクに縋りついてくる。
 ほら、やっぱり。ボクが窓から入ってきたことにもなんの疑問も感じてないんだ。相当酔ってる。
 テレビの前に転がってるビールの缶は2本、カクテルの缶が1本、チューハイが1本。おまけにワインの瓶が開けられている。さすがに飲み過ぎだ。
 片手で窓を閉めて片手で彼女の背をあやす。相変わらずの猫背のと撫で肩。ぽん、ぽん、と一定リズムに背中を叩いて落ち着けと促しつつ、彼女が放り投げた毛布を掴む。飲酒して体温が上がってるのかもしれないけどフリース一枚じゃ風邪を引く。
「あ、あたしの、衣装はぁ?」
「控室にあるよ。今日は着れなかったけど、今度着るから」
「本当? ほんと?」
「本当」
「あたし、クビじゃない?」
「…なんでそうなるかな」
 どう思考が飛躍したらそういうことになるのか、と呆れるボクに構わず細い指がテレビを指す。お酒のせいか細かく震えている。「あ、あたしの衣装が、だめで、ダメって言われたとか、ない?」…なるほど。そういうふうに考えたのか。その思考力に呆れると同時に感心もする。ほんの少しだけだけど。
「ないよ。そんなんじゃない。最初に言ったろう、年齢制限にボクが引っかかっただけなんだよ。それだけ」
 放っておけばいつまでもテレビを気にする彼女を毛布でくるんでベッドに連行し、床に転がっているリモコンでテレビを消した。途端に灯りがなくなる部屋の中で目を凝らす。ほどなくして視界が暗闇に慣れ、毛布の中から顔を覗かせた彼女を見つける。
 真っ赤に腫らした目はウサギみたいで、セミロングの髪がちょうどウサギの長い耳みたいに見えて、なんだか、ボクが知っているとは違う生き物みたいに見える。ただの錯覚、だけど。
「わざわざ、きてくれたの」
「…そうだけど。悪い?」
 暖房の入ってない部屋が気になってベッドの上のリモコンでエアコンのスイッチを入れた。そんなボクをぼんやりした顔で見上げる彼女の目元には涙が光っている。

「みかぜぇ」
「何」
「ねむいの」
「寝たらいいよ」
「でも、としこしの、おまいりしたいの」
「…今日はもういいでしょ。明日起きたら行けばいい」
「ひとりで?」
「……じゃあボクも行ってあげるから。だから、今日はもう寝て」

 ほら、眠って、と赤い目に掌で蓋をする。
 1分もしないうちに彼女の意識は落ちた。
 はぁ、と息を吐いてそっと手を外す。掌は涙で濡れていた。眺めて、なんとなく舐めてみるとしょっぱかった。塩水みたいだ。
 毛布を被っただけでは風邪を引くので布団を被せ、念のためエアコンで部屋をあたためることを選択。床に転がっている缶を片付けてやり、散らかっている酒のつまみを冷蔵庫に放り込み、なんとなくテレビをつけた。光々とした灯りに目を細めて視界を小さくし、音量も下げて、ボクを欠いたまま進行している音楽番組を眺める。番組を、というよりは、カミュ達の今日の服装をチェックする。
(衣装。衣装ね)
 彼女が命を注いでいると言っても過言ではないもの。
 いくら眺めても、どうしてそんなに一生懸命になれるのか分からない。
 どれだけ考えても、思ってみても、解らない。
「ねぇ。君が一生懸命になるものに対して、ボクは全然一生懸命になれないし、君が興味を向けるものに、ボクは興味が湧かないんだ。どうしてかな。解りたいと思うのに、ちっとも解れないんだ。なんでかな」
 触れれば確かに感触があって、ボクの前で彼女は眠っている。平和そうな顔ですぴすぴと安眠中だ。
 確かにここにいる。目の前に在る。それなのにボクと君の心はこんなにも遠いんだね。少しも解り合えないまま、なんだね。
 そういえば、美風は15歳だったね
 だから何?
 や、15歳とか多感なお年頃でしょ。アイドルって規制事項多いし、大変じゃない?
 …だから何が? ルールは守るものでしょ。赤信号では止まると同じだよ。そのためのルールだ
 もー、そういうことじゃなくてさ。美風だって恋とかするでしょ
 ……恋?
 こ・い
 ……………
 あ、何その呆れた顔。そりゃあ美風は普段からキャーキャー言われて追いかけられる側だからアレだけどさぁ、追いかける側に立ってみなよ? 辛いよきっと。ルールの一本線が邪魔して先へ進めない、追いかけたくても追いかけることもできない、なんてね
 恋なんてしないし。どうでもいい
 そう言う人に限って恋するもんなんだよー

 型に沿って生地を裁断しながらの言葉は投げやりで、ボクもそのときは投げやりに返してカフェオレをすすっていた。
 あまりにも暇だったから彼女の仕事部屋にあった適当な小説を手にとってみたけど、恋愛もので、ボクには少しも共感できない表現ばかり。追い打ちとばかりに彼女の口からそんな言葉を聞けば、ボクだって不機嫌にもなる。
 自分には分からないことばかりを並べ立てられて少しも理解できない。
 解らない。解りたくても。
 その状況は、布切れやボタン、皮の端切れを前に目を輝かせる君に抱く気持ちによく似ていて。どうしてこんなものに一生懸命になれるのかなと思うときによく似ていて。でも、そう訊いたことはない。もしも『どうして』なんて訊こうものなら、解り合えない圧倒的な距離を知ってしまうと思ったから。
 ボクは、逃げたのだ。解らないことを解りたくなくて。
 むに、と頬をつまむ。ちゃんと掴める。温度がある。弾力もある。ボクの前でという人間が眠っている。
(恋って何? 好きって何? 愛してるって何?)
 少しも理解できない君を眺めてそう考えているボクは、君になんの感情を抱いているのだろう?
 自分の心すら把握できていない、こんなボクが、人の心を理解できるはずもない。結局はそんなところに落ち着いて、長い長い思考の果てに、ボクはようやくベッドから離れた。カーテンの隙間からは明け始めた空が覗いている。
 玄関から出て行ったら部屋のドアが開いたままになってしまう。それじゃあ不用心すぎる。…仕方ない、また窓から行こうか。ドアが開いてるよりはマシだろう。
 カラカラカラと窓を開け、ベランダに出てカーテンを引く。眠っているを横目に窓を閉め、人目がないのを確かめてからベランダの手すりを越えて3階分の距離を落下した。
 たん、と軽い着地のできる自分の身体を見下ろす。
 ボクは機械。人間じゃない。だから人じゃできないこともできる。だから人にできることができない。
 ボクは、恋なんてできない。
 ボクは、何かを好きになれない。誰かを愛することもない。だってそれが、
(機械。だから)

あなたの幸せを
祝ってあげられる
ボクなら よかった