「コン」

 目の前の、狸? みたいに全体的にぽんぽこしてる、一見すればかわいいかもしれない見た目をした悪魔(ただし腹に当たる部分にある口が開いたらえげつなかった)を、バクン、と大口を開けた狐が喰らいちぎってふっと消えた。
 コンと呼べば出てくる狐の悪魔を呼ぶ代償に髪が数センチ短くなった。おかげで首の後ろで結んでたところが解けてしまった。ギリギリ肩にかかる、でも結べはしない、そんな中途半端な長さ。おまけに。

「コンんお前お残し……」

 ビグンビグン跳ねてる狸っぽい悪魔の腹からバチャバチャと小さな狸がたくさん出てくる。細胞分裂みたいに残った部位が小さくなって狸みたいな動物になって逃げ延びようとしている。
 これは俺のせいというより、お残しして消えていったコンのせいだ。絶対そう。

「はぁー」

 大きく息を吐いて背中に背負っている弓を外して爪を一枚、思いっきり剥がす。当然痛いけど我慢。
 悪魔っていうのは基本的に人間の一部を捧げることで動く。代償がいるのだ。
 何せ、本来は交わらない者同士、一時的な協力関係を築いているだけ。俺だって高い給料って報酬がなきゃ公安のデビハンなんてやってないのと同じだ。
 コンは俺の面が好きだとかでわりかし軽い代償(皮膚とか髪とか)で動いてくれるけど、決まったもんしか受け付けないものだって当然存在する。
 で、この弓に宿ってるとかいう落ち武者の首だけみたいな奴は爪が好きらしい。おかげでせっかく生え揃ったのにまた痛いよ。なんでも沁みるししばらくこの指でなんもできない。
 剥げてなくなった親指の爪が手のひらから消える代わりに、構えた弓に矢がつがえられる。血が滴ってる、いかにも呪われていそうな矢が。
 逃げ惑う小さくなった無数の悪魔に向けて、ギリギリと引き絞った血だらけの矢の先を見据える。

「成敗」

 パン、とつがえた矢を放てば、それは相手と同じく分裂した血の弾丸となって空中で飛散、全てを射抜いて殺した。
 はい、任務完了。今度は取りこぼしなし。
 弓を背中に戻して、いてぇ、と爪のなくなった手をプラプラさせながら本部に戻ると、ばったり、早川と遭遇した。「お。疲れ」「お疲れ」それで首を捻った同期が俺の手を掴んで顔を顰めた。さっそく爪ないことがバレた……。

「また弓使ったのか」
「分裂して逃げようとするもんだから、仕方なく……」
「ハァ? 一飲みにさせろよ。狐の使い方下手くそなんじゃないか」
「うるせー」

 べち、とその手を払えば、むっと眉間に皺を寄せられた。そうしててもわりとイケメンなのが腹立つなぁコイツ。
 ちょっとお残しして消えていった狐だってそこまでは考えてなかったかもしれないし。まぁ、舐められてるのかもしれない。どっちもありうる。
 そういう早川も狐の悪魔と契約している。俺と同じく面が好み判定を受けてるらしく、髪か皮膚の提供ですんでる。その意味でも同期でありお仲間だ。
 そんで、なんか色々複雑な仲でもある。
 任務の報告だろう、すれ違うときに「今日からウチな」とぼそっと言われて、返り血だろうか、香るにおいに、目の前が少し揺れる。
 ……俺が弓を使って爪が消えると、早川はその間だけ俺と共同生活をする。
 なんでか? 早川曰く、『爪ねぇ間は面倒看てやる』だそうだ。
 まぁ、実際問題、水沁みる、何握るにしても痛い、その手をなるべく使いたくないっていうのが弓を使ったあとの俺の手の状態になるわけで。まぁまぁに不便になるわけで。そこを助けてくれるっていうんなら俺にはありがたいわけですが。

(うーん)

 別に、我慢できないほどに困るってわけでもなし。自炊を諦めて外食か弁当に徹して洗い物という水仕事を排除し、風呂とか洗顔とか歯磨きとかは、気をつけるってことしかできないけど。すんげぇ困る、助けてほしい、ってなるわけじゃないのにな。
 じゃあ行かなけりゃいいだろと思うかもしれないがそうも行かない。だって早川、俺が行かないと俺んち来るもん。突してくるもん。そんで開けるまで帰らないというしつこさだ。
 だからどのみち同じになる。俺が早川んちに行くか、早川が俺んちに居座るか。どっちかになる。
 俺はどっちでもいいんだけど。確か前のときは早川がこっち来たから、じゃあ次は逆かな、って感じ。
 で、早川を待ってると、姫野センパイがやって来た。相変わらずキレイだしいい人だし胸おっきい。「ありゃ、くん、また爪なくしちゃったの?」「はぁ。まぁ」「痛そ〜」はは、と笑って、右目のないその人に付き合って一本吸うために喫煙ルームに入る。
 早川が吸うもんだから、なんか俺も吸うようになっちゃって。いつの間にか姫野センパイも入れて三人で煙草吸うことが出会ったときの癖みたいになりつつある。
 最初は早川のを味見してみたんだけどさ。そのときはもー煙たくて苦くてさ。こんなもの好きで吸うとか意味わからんって思ってたんだけど、早川んち行くと自然と煙草の香りがするしさぁ。そんでなんか慣れちゃって。いつの間にか俺も一本とかもらうようになっちゃって。で、自分で買っちゃうようになったんだよなぁ。

くんさぁ」
「はい」
「アキくんのことどー思う?」
「どう……?」

 質問の意図を理解しかねて首を捻った俺に、煙草の煙を吐き出したセンパイが笑う。意味深〜。
 とりあえず、早川で思い浮かべること。『世話好きな同期』『同じ狐使い』というのを挙げるとなんでか苦笑いされた。「あー。なるほどなるほど」「?」その微妙な表情に首を捻った俺に、のし、と頭に重み。腕のせんな重い。「おかえり」「ん」報告が終わったんだろう、早川も煙草を取り出して一服し始める。
 並んで煙草を吸う俺たちに、センパイがにまにましている。
 なんなんだその顔。いや、かわいいんだけどさぁ。なんかとても含みがあるよねセンパイ。

「二人ともさぁ」
「はい」
「はぁい」
「死なないでね」

 センパイの口癖のような言葉に、俺たちが返す言葉はもう決まっている。「「死にませんよ」」二人してハモった声を返すと、センパイはとても満足そうに笑うのだった。
 姫野先輩余計なこと言ってないだろうな、と睨みを利かせつつ、右の親指の爪をなくしたを俺んちに連れて帰った。「ただいまーじゃないお邪魔しまーす」の中で勝手知ったる家になりつつあるのだろう、最初に出てきたのがただいまな辺りに唇の端を緩めて、すぐに引きしめる。
 そんで、もうの部屋になりつつある場所へ当然の如く入っていく背中を見送り、自分も着替えるために部屋に戻る。
 簡素。一言で言ってそれで終わる部屋でスウェット上下に着替えて煙草片手にベランダに出ると、同じくスウェット上下のが煙草片手にやってきた。なんか涙目だ。「どうした」「爪ないとこ服で擦った。いてぇ」阿呆だな。そういうとこ馬鹿でかわいいと思うけど。
 火をつけた煙草を咥えて突き出すと、ライターで火をつけるのも痛いかもしれないと思った相手が素直に咥えた煙草を近づけてきて、顔が触れ合うか触れ合わないかという位置で俺の煙草から自分の煙草へと火をつける。
 広くはないベランダで男二人、同じ銘柄の煙草を吸う。
 それだけの時間が大切だと思い始めたのはいつだったか。
 理由をこじつけてコイツをウチに呼ぶようになったのも、いつだったか。

「そろそろさぁ、俺らにも後輩とか、できるんかなぁ」
「はぁ? なんだそれ」
「ほら。入ってもう二年? とかになるじゃん。で、春は新入社員の時期だ。デビハンで二年生き残るってまぁまぁじゃん? そろそろ後輩できないかなーって」
「ああ。お前んとこは確か、」

 そこで言葉が切れた。
 の指導をしていた先輩は一ヶ月前に殉職した。そこからまだ再編もされなくて、コイツは今一人で仕事をしている。
 言っていいものかどうかと誤魔化して煙草の煙を吸い込めば、ふぅ、と紫煙を吐いたが欄干に頬杖をつく。「俺も頼れる先輩か、後輩ちゃんがほしい。かわいい子希望」言っておきながらさして期待もしていなさそうな顔だった。「まぁエンジェルもかわいいんだけどね」「……男だろ」「そー。あんなにかわいいのにね〜」なんでかなーとかぼやいた相手がまた煙を吐き出す。
 エンジェルっていうのは公安に所属してる悪魔だ。取り扱いに難点というか注意を払わなきゃならないが、見た目は白い翼と頭の上の輪がなければ限りなく人間に近い。
 最近はその見た目が天使な悪魔(言ってて混乱する。天使なのに悪魔とか)と組まされることがあるとかで、曰く、かわいいんだそうだ。所詮悪魔だってのに。
 考えるとイライラしてきて、二本目の煙草を取り出す。「ん? なんかあった?」たいてい一本吸ったら中に入る俺が二本目を取り出したことで首を捻った相手に、誰のせいだと思ってんだ、と睨みやる。

「マキマさんはなんて言ってるんだ」
「あー。うーんなんか、再編、色々もめててうまくまとまってないんだ、って。その間は一人で頑張ってね、って」
「……そうか」

 あの人がそう言うなら、そうなんだろう。のバディだった先輩はさんざんな死に方をしたらしいし、それで遺族とか上とか色々うるさいのかもしれないな。マキマさんとしてはさっさと再編したいだろうに。あの人も大変だな。
 二本目の煙草に火をつけた俺を眺めていたが吸い終わった煙草を灰皿に押しつけて火を消した。「早川さぁ」「ん」「今もマキマさんのこと好きなん?」その言葉に。深い意味はあるのか、ないのか。
 そうだ、と思っていた人のことを思い浮かべる。
 今も好意のようなものはあると思う。思うが……。
 言葉の代わりに、欄干にもたれかかっているの黒髪を指で梳いた。ふぅ、と煙を吐き出してかけてやっても、最初の頃のように咳き込むことはしない。
 そんなことにも慣れたんだろう、相手はよくわからない顔で笑うだけだ。

「死ぬなよ早川」
「死なねぇ。お前こそ死ぬなよ」
「俺は平気です。あげるのはせいぜい皮膚と髪と爪だし。
 お前の方こそ、あの呪いの剣? 刀? いい加減手離せよ。寿命縮むんだろあれ」
「お前が俺と付き合うなら考える」
「えー……」

 いつものやり取りで、いつものように閉口したが口をひん曲げる。なんだそれ、って顔で。
 なんてことないいつものやり取りだ。冗談交じりの、同期にだからこそ言えること。
 いつからこういう仲になったんだか。そんなことを考えながら、今日は俺の部屋でセックスした。
 に爪がない間だけ耽る行為。爪がない間満足に抜けないだろって始まった、不毛な行為。
 ベッドに寝転がったの上に俺が跨って動くという、ただそれだけの行為。
 抜くんなら手だけで充分だし、なんなら片手でだって困りはしないだろう。それでも理由をつけて俺がスるように仕向けたし、どうせヤるんなら俺も気持ちよくしろとこんなことまでするようになった。

「ふー、」

 ずっぷりと根本まで埋まった、性器の入ってる腹を押さえてさする。ぱらぱらと顔にかかる髪が邪魔で耳にかけると視線を感じた。「なんだよ」「いや。アキさ」この時間だけお互いのことを名前で呼ぶと決めている相手は首を捻った。狐に食われたんだろう、肩にかかるくらいになった黒髪が揺れる。

「ひょっとしてなんだけど」
「ん」
「俺のこと、わりと好きだったりする?」
「…………はぁー」

 深い息を吐いてから、ぬちぬちと俺の中に入ってるものを刺激するように腰を動かす。「ちょ、とま、話。途中」「お前こそ。こんな勃起させやがって、俺のこと好きなのか」「はぁ? なんで疑問符に疑問符で返すの……それズルい」「うるせぇ」お前が悪いだろ。付き合えって言ってる奴に『自分のことが好きなのか』なんて確認するやつがあるか。
 好きじゃなかったらしないだろ。ケツに男のもん入れるとか、そのためにどんだけ俺が自分の開発したと思ってんだ。そんなこと好きな奴相手じゃなきゃしないだろ。そんなこともわかんないのかお前は。
 だったら意地でも言ってやらねぇと心に決めながら、視界に入った刀に目を眇める。
 ………あれを使うのをやめたら。コイツも少しは本気で俺のこと考えるだろうか。
 けど癪だからな。俺からは言ってやらねぇ。お前が自分で気付くまで、カースはそのままだし、俺もこのままだ。

(だから、さっさと気付けよ。このクソ馬鹿激にぶ野郎。姫野先輩はとっくに気付いてるってのに、なんでお前はそうなんだ)

 俺も。なんで。お前みたいなのを好きになってんだ。マキマさんが好きだったはずなのになんで。
 歯噛みしながら、声を殺しながら、ひたすら腰を動かす。肉同士を打ち付ける。ばぢゅ、ばぢゅ、と艶めかしい音で鼓膜を刺激しながら気持ちいい場所を硬い先端で抉っていると、がし、と腰を掴まれた。「あっ?」パン、と思いきり体を打ち付けられて体がのけぞる。強い。気持ちい。ビリビリ、する。
 爪のめくれてる指にも力を入れたんだろう、痛いって顔で涙目でこっちを睨みつけながら「もー、いっつもそうだ。アキずるい」「ぅ、るせ」ずっぷり奥まで入って膨らんでいる腹を押さえる。
 こんだけ硬くしといて俺のこと犯してるくせに、未だに認めない。お前の方がズルいだろ。

「さっさと、認めろ。じゃなきゃカース使い続ける」
「新手の脅し……」
「うるせぇ」