何よりも仕事を率先する人というのはかっこよくて素敵だ。ちょっと人を顧みないくらい仕事をしてるなんてとても素敵。かっこいい。できるなら自分が同じくらい仕事のできる女であればいいと思ったのだけど、私はお世辞にも仕事ができる女ではなかった。がっかりするくらい平凡な私にできることは、掃除とか料理とか。誰でもできるようなことだった。
「アラウディ、今日のご飯は?」
「いらない。遠出するから三日くらいは留守にするよ」
 いつものように仕事のコートを羽織った彼を玄関口で見送るとき、いつもの言葉をかけたらいつもと違った言葉を返された。「三日…」彼の言葉をオウム返しに口にしてから、確認するようにこっちを見ている水色の瞳にはっとしてこくこく頷いて「わ、分かった」とどうにか笑顔を浮かべる。にこにこ無理矢理な笑顔を浮かべた私に彼は瞳を細めた。絶対分かってる。バレてる、この笑顔の無理矢理さが。でも彼はそのことについて何も言わずに「じゃあね」といつものように淡白な挨拶を残して行ってしまった。
 ばたん、とドアが閉まる。途端に笑顔が崩れた。ふるふると震える手で拳を握って、こんなとき仕事のできる女だったならと私は自分を呪う。
 もし拳銃とかばりばりに使いこなせて体術とか会得してたら、こんなとき、彼についていけたかもしれないのに。平凡なありふれた女である私にできるのは、家事や炊事。このお屋敷をきれいにすることと、彼においしいご飯を作ってあげることと、洗濯物をちゃんときれいにすることとか、お風呂の準備とか、そんなことだけ。
 しょんぼりしながら今日は何をしようとぼんやり思って玄関に背を向けたとき、ばたんとドアの開く音がして心臓がどきんと跳ねた。慌てて振り返るとさっき出て行ったアラウディがいて、「言い忘れ。今日ジョットが来るって」「え?」「ジョット。分かるでしょ」「えっと、自警団のリーダーでしょう? アラウディがこの間言ってた人」「そう。世話してやってね」「わ、分かった」こくこく頷いた私をじっと見ていた彼が一つ吐息して「変な男じゃないから大丈夫だよ。じゃあね」「あ、アラウディっ」「…何」ドアを閉めようとしていた彼がこっちを一瞥する。さっき言い忘れた言葉を思い出した私はどうにか笑ってこう言う。「行ってらっしゃい、気をつけて」と。目を閉じた彼が浅く頷いて、それを最後にその姿はドアの向こうに消えた。
 今度こそ脱力して、私は廊下に座り込む。
 言われたことを整理しなくちゃ。しっかりしなくちゃ。アラウディに任されたんだから、できない私はせめてできるところでしっかりしなくちゃ。

 今日はジョットって人が来る。確か、偉い人だ。アラウディが認めたくらいの男の人なんだからきっとすごい人なんだろう。自警団のリーダーだから偉い人って認識で間違ってはいないはず。
 でも、どんな人なんだろうか。それに今日来るって一体何時くらいなんだろう。
 できるだけ時間をかけて屋敷の掃除をしてきれいにした。来客があるのだからとリビングやキッチンをきれいにして、料理はどうしようかと悩む。今ある食材を睨みつけて、庭園にある野菜やハーブを少し調達して材料を足した。お肉がない。買ってこないといけないけど留守にしてる間にジョットが来てしまっては困る。どうしよう。
 晩餐のメニューについて頭を悩ませていたとき、こんこんとノックの音が聞こえて顔を上げた。音のした方に目を向けて一つ瞬く。窓ガラスの向こうに知らない男の人がいる。金色の髪と同じ色の瞳。アラウディと同じくらいかっこいい人だ。
 開けてくれないか、と窓の鍵を示されて少し迷った。この人が誰だか分からないからだ。でもその手にはめている特徴的なグローブに気付いて、そっと手を伸ばしてかちんと鍵を外し、窓を開けた。室内に滑り込むように窓を乗り越えてきたその人は「すまない、玄関から来るべきだったな。初めまして」と私に握手を求めてくる。とりあえず握手を交わして、私は胸の疑問を解決させるために「あの」と口を開く。
「あの、アラウディが今日はジョットが来るんだって言ってました。あなたがジョット、ですか?」
「そうだよ。アラウディから君の話は聞いている。今日はオレがわがままを言ったんだ。ようやくまかり通ったけどね」
「…?」
 手を離したジョットが手袋を外した。「仕事が終わったところだったから…アラウディはもう出たのかな」「あ、はい。ついさっき」「そうか。すまない」「、いえ」本当に申し訳ないって顔でジョットが謝るからあわあわ手を振って首も一緒に横に振る私。
 自警団のリーダーだって聞いてたから、もっと屈強そうな人をイメージしていた私にとって、アラウディと同じくらいきれいな顔立ちをしている細身のその人はリーダーとは映らなかった。あまりそういうことに向いている人じゃないのかもしれないなんて思ってしまったほどだ。それを胸の奥にしまい込んで開けっ放しだった窓を閉じる。
 急に二人きりの空間になって、いつもアラウディとしか一緒にいない私は正直今の状態に戸惑っていた。
 ジョットが珍しいとばかりに室内を見回して「ああ、あいつらしいな。無駄な装飾はない」とこぼす声を聞く。明るい金髪と同じ色の瞳がこっちを振り返って「」と私を呼ぶ。立ち尽くしていた私ははっとして「あ、お茶、の準備を」「いや、いい。オレと話をしよう」「話…?」首を傾げる私に彼はきれいに微笑んでみせる。こんなふうに笑いかけられたら私だってぽやっとしてしまう、そんな笑顔を向けてくれる。
 人を惹きつける笑顔を持つ人なんだ、と理解した。きっとこの人も仕事ができるかっこいい人なんだろう。何しろ自警団のリーダーだ。あのアラウディが嫌そうな顔をしつつも人の傘下に入ることを了承したんだから、ジョットはきっとすごい人なんだろう。
 そんな人と話す機会を得られるのだから、私は幸運だ。平凡な女だけど、かっこいい彼らが見られる位置にいられるだけでも世界に感謝しなくては。
「ジョットー、お風呂の用意が…?」
 バスタブにお湯を入れてリビングに戻ったとき、ジョットはソファの背もたれに深く沈み込んで眠っていた。そうしていると彼は子供のようで知らず口元が緩んでしまう。
 きっと疲れてたんだろう。私と話通しだったのもあるし、仕事が終わってから来てくれたというのも大きい。まだ寝かせておいてあげよう。
 半日たって、彼と話をするうちに私達はすっかり打ち解けた。ジョットはいい人だった。自警団のリーダーがこんなにいい人で街のことを考えているんだから、きっとみんなよくなるんだ。そんなことを信じてしまうほどジョットは街とそこに住む人々のことを思ってくれていた。
 寝室から毛布を取ってきてそっと被せると、ふわり、と金の髪が揺れる。さらさらの髪を指で撫でてから晩餐の後片付けをするべくテーブルをきれいにした。起こさないようになるべく物音を立てずにお皿を洗う。
(アラウディ、大丈夫かな…)
 意外と食事にうるさい彼のプラチナブロンドの髪と水色の瞳を思い浮かべる。今日は魚がいいとか牛肉がいいとか鳥がいいとか、パンだけでいいとかスープがほしいとか、彼の気分に合わせて私は料理をする。それに慣れてしまってるせいだろうか。これがいいと言われないと、自分から今日はこれにしようと決められない。晩餐が野菜たっぷりスープと特製ディップを添えたパンっていうのはやっぱりさみしかったろうか。でも材料が限られてたし、お肉も魚も切らしてたからしょうがない、よね。
 家事を終えてふうと一息。
 さすがにお風呂が冷めてしまうからジョットに入ってもらわないと。夜着は、来客用のパジャマくらいしかない。一応用意したけどあれでいいかな。
 リビングに戻るとジョットはまだ眠っていた。そろりと手を伸ばしてさらさらの髪を撫でる。いいなぁ、さらさらだ。
「ジョット。ジョット起きて」
「…、」
 薄目を開けたジョットが何度か瞬きしてから私を見つめた。「ジョット、お風呂入れたんだけど。入ってくれないと冷めちゃう」「ああ…すまない。寝ていたのかオレ」「うん。お風呂入ったら眠った方がいいよ。部屋は用意してあるから」申し訳ないって顔をするジョットに私は笑う。そんな疲れてるならさっぱりしたらすぐに眠った方がいいだろう。疲れるってことはしっかり働いてる、仕事をしてるってことだ。それはすごいことなんだよジョット。
 どことなくふらふらしてるジョットをお風呂まで案内する。「ジョット大丈夫? ふらふらしてるよ」「眠い…」「まだ寝ちゃダメ。お風呂に入ってください」「ああ…眠い」…ジョットはきっと低血圧で朝は弱い人だ。眠そうに目をこするジョットを脱衣所に通して「寝巻きはこれ。脱いだものはこっちの紙袋に、」説明してる間にぱさと布の落ちる音がした。ぎょっとする。眠そうな顔でもうワイシャツを脱いだジョットがベルトに手をかけたので慌てて脱衣所を出た。ばたんとドアを閉めて、どきどきしている胸を押さえてびっくりしたと深呼吸。まだどきどきしてる。
 細く見えたけど。やっぱり男の人なんだな。そんなことを思ってからぶんぶん首を振ってぎくしゃくな動きでリビングに戻った。もう一回深呼吸してから明日の朝のメニューを考える。食パンと野菜、それにディップを使ってサンドイッチなんてどうだろう。卵ならまだあるし、ゆで卵にしてスライスして入れようか。うん、そうしよう。

 十分、二十分。時計をちらちら確認している私は少し不安になってきた。まさかとは思うけどお風呂で寝てしまってるんじゃないだろうかジョット。なんかすごく眠そうだったし、不安だ。
 仕方なく料理本を閉じてお風呂場に行く。こんこんと脱衣所のドアをノックしたけどしーんとしていた。着替えではないらしい。ということは、まだお風呂の中だ。
「ジョット入るよ」
 きい、と控えめにドアを開けた。やっぱりいない。そろそろとお風呂場の曇りガラスのドアのそばに行って「ジョット?」と声をかける。と、ちゃぽんとお湯の揺れる音がした。…まさか本当に寝てたんだろうか。ふやけちゃうぞジョット。
「寝ちゃ駄目だよジョット」
「ああ……出る。すごく眠い」
 ざば、と躊躇いもせずバスタブから立ち上がる姿が曇りガラス越しに見えて慌てて脱衣所の外へ飛び出した。どきどきしてる胸を押さえてなんであんなナチュラルにこっちがどきっとすることをしてくるんだろう、なんて思う。
 どきどきする胸を押さえつつ待っていると、着替えたジョットが出てきた。髪は濡れっぱなしだしパジャマのボタンははまってるのとはまってないのでばらばらになってるし、すごく眠そうな顔だった。髪はせめてもう少し拭いてほしいところだけど、立ったまま寝てしまいそうなジョットに酷なことは言えまい。
「こっち」
 先だって歩くと、ジョットがふらふらしているのが気になって仕方ないのでやっぱり並んだ。細い背中に手を添えて「ほらジョットしっかり。もう寝れるからね」「すまない…オレ、眠いのには弱くて」「うん、そういう顔してる」階段を一緒に上って来客用の部屋のドアを開ける。気持ち掃除はしたし換気もしたから大丈夫だろう。
 シーツを取り替えたベッドにジョットがぼふっと倒れ込んで、それきり動かなくなる。
 まさか、眠ったんだろうか。あんなダイブの仕方で顔痛くないかな。タオルを手に私はちょっと立ち尽くして、せめて髪をもう少し拭こうと倒れたジョットの隣に座り込んだ。ぎい、とベッドのスプリングが鳴る。
「…
 くぐもった声で呼ばれて「うん」と返して、起きてたのかと少しびっくりした。「ジョット、もう少し髪拭くね。風邪引いちゃうよ」「ああ…」ぺったりしてる髪をわしゃわしゃとタオルで拭う。ジョットはされるがまま動かない。
「アラウディが羨ましい…」
「え? どうして?」
「オレも、こんなふうに暮らしてみたい」
 ぽつりとそうこぼしたジョットがごろんと寝返りを打った。金色の髪が流れてシーツの上に散らばる。眠気とはまた別の何かで瞳を細めているジョットはさみしそうだった。実力も外見も十分備わっている彼にも足りないと感じるものはあるのだ。私に足りないと感じるものがあるように。
 手を伸ばしてジョットの髪を拭く。「誰か雇ってみるとか」「うーん…オレがこうやって過ごせる時間なんて少ないからな。そのために人を雇うというのも何か、違う気がする」「そっか…」「贅沢な考えなんだろうな。今日こうやって過ごせただけでも感謝しなくては」ジョットはそう言ってさみしそうに微笑む。さみしい瞳を見つめて「贅沢じゃないよ」と言ってもジョットは笑うだけだった。
「…ジョットが、来れるときに来てくれれば。私のとこでよかったら、大丈夫だよ。アラウディもきっといいって言ってくれるよ」
 あんまりにさみしそうなジョットにそう言ってみたら、彼はきょとんとしたあとにきらきらと表情を輝かせた。ベッドに手をついてずいと私に顔を寄せると「本当か? また来てもいいのか?」「う、うん大丈夫」思わず背中を反らせてジョットから距離を取る私。ち、近いよジョット。
 ほっとしたようにぼふんとベッドに倒れ込んだジョットが「それを聞いて安心した…」ゆるゆる目を閉じて、そうして眠ってしまった。固まっていた私はそろりと手を伸ばしてジョットの髪を撫でる。まだ濡れてるけどしょうがない。身体が冷えちゃうといけないからここまでにしよう。
 ジョットの身体を四苦八苦しつつ九十度動かしてちゃんとベッドに寝かせ、布団を被せて、頭の下に枕を入れてふうと一息。
 窓の外に目を向けると月があって、私は控えめな月の光にプラチナブロンドの髪をしたアラウディのことを思い出す。
(これでよかったよね? アラウディ)
 さみしそうな顔をしてる人にまた来てもいいよって言うくらい、大丈夫だよね。