僕と同じようなプラチナブロンドの長い髪を風に揺らして、は洗濯物を干していた。僕はそれを自室のベランダから頬杖をついて眺めていた。
 いつもの風景、いつもの景色。いつもああやって陽の光を浴びているせいだろう。彼女からはいつも太陽のかおりがする。
(…らしくない怪我だ。馬鹿みたいだな)
 シャツの下に覗く白い包帯に自分をなじってみたけれど現実は変わらない。考え事のしすぎで生まれた隙を突かれ、結果、完全に攻撃を避けきれず剣の先が僕を掠った。浅かったけど久しぶりに痛みを感じた。鮮明だったその痛みもすぐに頭を埋める考え事に流され過去のものになり、僕の頭を今もなお埋めているのは、視界に捉え続けている彼女のこと。
 おいしい料理が作れて家事を懸命にこなす。僕がしないことを彼女がする。僕には彼女が必要だった。
 偶然だった。ジョットと合同の仕事でお弁当なんてものを持っていったのは。僕がつついているお弁当に興味を持ったジョットが彼女の存在を問うてきて、仕方ないからぽつぽつ彼女のことを説明してやったら、ジョットがさらに興味を持ってしまった。お前が認めている女性なんだろう、ぜひ会いたい、会わせてくれなんて何度頼まれたことか。顔を合わせる度にそんなことを言われるから、本当に仕方なくその頼みを容認して、せめて自分のいないところで会えばいいと仕事で家をあける日を指定した。そばにいたらきっと何か口を挟むことになると分かっていた。ジョットは変な奴じゃないからと二人にしても大丈夫だ、なんて驕った僕が馬鹿だった。大丈夫だなんて思っておきながら仕事中彼女のことが気になって仕方なくて怪我をした。自業自得のどうしようもない、愚かしい理由で。
 あれからまだジョットに会ってない。なんとなく、会いたくない。次に会ったら決定的なことを告げられそうでいやだ。僕はそれを避けている。
 このままがいいんだ。曖昧なままがいいんだ。このままの距離が永遠に続いてくれればそれがいいんだ。のご飯を食べられて、彼女の待つ家に帰れれば、僕はそれだけで。
 求めることを憶えてしまったら、僕はもう自分を抑えきれなくなってしまう。だから。
「アラウディー、今日のご飯は何がいい?」
 洗濯物を干し終わった彼女が手をメガホンにして僕にそう訊いてくる。僕と同じ色の、僕よりも大きい瞳がこっちを見ている。
 血が繋がっているように僕らは髪と瞳の色がよく似ていた。それが理由で僕はあの子を拾った。血は、繋がっていないと思う。
 少し考えて「じゃあピザ。魚介がいい」「え、ピザ? 分かった、今から準備しなくちゃっ」洗濯籠を抱えて慌てたように家に入っていく姿を見送ってから目を閉じる。春の風が前髪を揺らして鬱陶しい。そろそろ切ろうかな、と考えてから部屋に戻る。怪我をしてる間は無理をしたらいけないと彼女がうるさいから、今日は何をしようかな。
 適当な本を持ってリビングに行くと、彼女はピザの生地を作っているところだった。
「…ねぇ」
「うん? あ、ねぇ具は何がいいんだっけ。魚介だから、貝とかいかとかえびとか魚かな」
「適当でいいけど。
 呼んでも、ピザの生地作りに集中している彼女は僕を見ない。「なぁにアラウディ」と返事をくれるだけ。とさとソファに本を落としてキッチンに行って彼女の後ろに立った。少しだけ迷ったけれど考えを実行に移した。腕を伸ばして彼女の腰を緩く抱き寄せると、胸の傷が少しだけ痛むのが分かる。ふわりと香るのは太陽のにおい。同じ色の髪でも僕からはきっと血生臭いかおりしかしないだろう。びっくりしたように彼女の手から落ちた生地がまな板に載った。
「ねぇ」
「う、うん、何アラウディ」
 ここまでしておきながら、僕は特別話す言葉を持っていないことに気付いた。こつんと彼女の頭に顎を乗せて自分の頭の中をさらってみて、一つ話すべきことを見つけた。「……ああ、うん。パーティ」「え?」「ボンゴレが大きくなってきたからパーティをするんだって。お祝いだとか言ってた」「へ、へぇ。よかった、ね?」「僕はどちらでもいいんだけど、幹部は絶対参加なんだ。だから僕は行かないといけない」「う、うん」「だから」そこまで言ってから口を噤む。
 だから、なんだろう。だからまた留守にすると言いたいのか。それとももっと別の何かを言いたいのか。たまたま頭の中に残っていた言葉を口にしたのは間違っていた。何か言わなくちゃなんて僕らしくなかった。
 ちらりとこっちを見上げた水色の瞳が「じゃあ、私はお留守番だね」そう言って少し寂しそうに笑う。それが僕の心のどこかを動かし、決定打になった。
「連れてくよ」
「…え? え、え? 連れてくって、私を?」
「うん」
「で、でも私ドレスとか持ってないし、パーティで踊るダンスなんて知らないしっ」
 腕の中で慌てる彼女に「ドレスは買ってあげる。ダンスも教えてあげる」と言うと彼女が困った顔をした。「あ、アラウディ」「僕と一曲踊ってくれればあとは壁の花でいいよ。料理とか食べてればそれでいい。ねぇ、僕のために来てくれるでしょう」耳元で囁くと彼女は顔を真っ赤にしてこくこく頷いた。それに満足して緩く抱き寄せていた身体を離してソファの方に戻る。落とした本を拾い上げて開いていたページを見ると、ちょうど挿絵のある部分で、野原に一輪の花が咲いていた。
 僕にとっての彼女はこういうイメージだった。僕という世界の中に咲いた、唯一色のある、たった一つの花だった。
「アラウディ、ピザ焼けたよー」
 本を斜め読みして過ごした午後。彼女の声に呼ばれてソファから起き上がると、オーブンから漂っていたいいにおいのとおり、おいしそうなピザがテーブルに運ばれたところだった。魚介の注文のとおり貝といかと魚の切り身が載っている。さっそく切り分けてつまんで食べてみた。熱い。おいしい。
 窺うような瞳に「おいしい」と言うとぱっと笑顔が返ってきた。「よかった、上手くできた」とにこにこしてピザを切り分ける姿に目を細める。ドレスはどんな色がいいんだろう。何色が似合うかな。髪はどうしよう。じっと見つめて考えていると、ピザを頬張った彼女と目が合った。首を傾げる姿に口の中のピザを飲み込んでから希望を聞いておくことにする。
「ドレス。何色がいい?」
「え。えっと、何色が似合うと思う?」
「……。白」
 ぼそっと言ったら彼女は目を丸くした。「白? 似合うかな」「じゃあ陽だまり色」「何それ」くすくす笑った彼女がピザを食べる。貝の殻をボールに落として「アラウディはいつものスーツ?」「うん。面倒だから」「じゃあ私も簡単なものでいいよ。アラウディと一曲踊ればいいんでしょう?」ことりと首を傾げる彼女に視線を逃がして「そうだけど」とぼやいてピザをつまんだ。家のハーブがよく効いてる。
(ああ、ドレスを買うなら靴だっているか。面倒くさい)
 ふうと息を吐いてワイングラスを傾けた。
 ここまできてやっぱりやめたなんて言えない。は『社交ダンスの基本』なんて題された本まで読んでるし、僕が先に投げ出すわけには。面倒だけど僕から言い出したんだから。
 ことんとグラスを置いて「練習してみる?」と手を差し出す。彼女がきょとんとした顔で「え?」「ダンスだよ」「あ、えっと、お願いします」ぺこりと頭を下げた彼女がそろりと差し出した手を取る。…まずはその緊張しきった顔から駄目だって言わないといけないかな。

 昼間動いていなかった分、僕はとただひたすらダンスを踊った。彼女が躓く部分から何度も何度も繰り返し、飽きるくらいに同じことをした。
 一生懸命ステップを踏む彼女を見ていると、面倒だと強く思っていたパーティに行くのもそんなに悪い気はしなかった。