急にボンゴレ主催のパーティーに行くことに決まって、私は一生懸命ダンスの練習した。おかげで足がもつれて転ぶことはなくなったし、ちょっと躓く部分もあるけど、だいたい大丈夫になった。暇があればダンスのステップの確認をして一人踊る私にアラウディはちょっと呆れた顔をしていたっけ。
 ドレスや靴はお店に行ってわざわざ仕立ててもらった。彼も私もぴんとくるデザインが置いてなかったから、サイズを測ってもらってデザインも決めて。
 ぴったりサイズの膝丈の白いドレスを着て、白いヒールの靴を履いて、お化粧もして、髪もきれいにまとめた人がそこに立っている。鏡の中の自分をじっと見つめて「信じられない」とこぼしたらしゃっとカーテンが開けられてびくっと振り返った。いいって言ってないのに試着室のカーテンを開けたアラウディが私を見て満足そうに口元を緩める。
「似合ってる」
「そ、そうかな。ありがとう。…でも勝手にカーテン開けちゃ駄目だよ」
 ちょっとむくれると「忘れてた」とぼやいた彼が欠伸を漏らした。眠そうな顔で「じゃあ行こうか」と歩き出すからこつりとヒールで一歩踏み出す。普段履かない靴はやっぱり歩きにくい。
「ね、ねぇ待って、転びそう」
 こつ、と気持ちゆっくり歩いている私に気付いて彼が足を止めた。「そんなに歩きにくい?」「普段履かないから、こんな靴」「…そうだったね」スーツ姿の彼はいつもどおりだった。お店の勘定をすませて待たせていた車に乗り込む彼に、エスコートのようなものは期待できなそうだ。
 それに、そこまでしてくれなくたって、私はこんなきらきらしたドレスを着られただけで幸せなのだ。それもアラウディの隣にいられる。パーティーなんて贅沢な行事に参加できる。これはとても幸運なことだ。
 車が会場に向かっている間、私はわくわくが止まらなかった。
「ねぇねぇ、他にも幹部の人達が来るんでしょう? ジョットも来る?」
「…来るよ。彼はリーダーなんだから、いないとおかしいだろ」
「そうね、そうだった。じゃあ他には誰が来る?」
「知らない。行けばいるんだから、それでいいじゃない」
「……アラウディ、怒ってるの?」
 機嫌の悪そうな声にそろりと隣を窺う。腕を組んで目を閉じている彼は「別に」と言っただけで、怒っていないとは言わなかった。人が大勢いるところに行くのは彼の本意ではないんだろう。幹部は絶対参加で強請だって言ってた。それなら本当は行きたくないが本音かもしれない。
 しゅんと小さくなって「ごめんなさい」と言うと彼の水色の瞳がこっちを見た。「は、謝らなくていい」「でも」「僕が言い出したんだ。…だから、僕が。ごめん」彼の謝る言葉を初めて聞いた私はきょとんとしてしまった。ぷいとそっぽを向いた彼はそれきり黙ってしまったけど、それは居心地の悪い沈黙ではなかった。だから私は安心して座席の背もたれに背中を預けて目を閉じる。
 会場はたくさんの人で賑わっていて、アラウディは顔パスで招待券を求められずに入場した。その隣を一生懸命歩きながら私はあっちへこっちへ視線をやる。色んな人がいていいにおいがする。きっともう料理が並んでるんだろう。近寄ってきたボーイがワインの入ったグラスを差し出してきたけれど彼はそれを断った。さっさと会場を横切って一番奥、建物のある方へと向かう。
 きょろきょろしている私に呆れた顔をして「そんなに珍しい?」「うん、すごいね。人がたくさん」感嘆の息を漏らす私に彼はまた呆れたようだ。「足元気をつけて」と言われて視線を前に戻すと階段だった。踵のヒールを引っかけないように注意しながら手を引かれて階段を上がると、扉の脇に控えていた人が両開きのドアを押し開ける。
 手を引かれて中に入ると、見知った顔の人を見つけた。一度会っただけだったけど憶えている。金色の髪と瞳が眩しい人。
「アラウディ、来たか。それにも」
 席を立ったジョットが笑顔で手を差し出すから握手かと思って手を伸ばすと、跪いた彼が私の手の甲に口付けを施した。「とてもきれいだよ」と微笑まれて顔が熱くなる。「そ、そ、うかな」「ああ。アラウディ、いい見立てだ。さすがだな」ジョットに顔を向けられてもアラウディはうんともすんとも言わずに私の手を引っぱって歩き出した。慌ててついていく私にジョットが困った顔をしている。
「ちょ、ちょっとアラウディ、」
「パーティには着たんだから文句言わないでよ。僕は一曲踊ったら帰る」
「そう言うな。せっかく来たんだ、ゆっくりしていってくれ」
 どかりとソファに腰かけた彼。ジョットの言葉をちっとも取り合わない。水色の双眸で私を見ると「座ったら」なんて言うから恐る恐る隣に腰かけた。間違いなく彼の機嫌は降下している。でもどうして? どうしてここに来てさらに機嫌が悪くなるんだろう。
 そんなアラウディにジョットは困った顔をしていたけど、奥から赤い髪をした男の人が出てきて一言二言交わすと「じゃあオレは挨拶に行ってくるよ。」「、はい」呼ばれて顔を上げるとジョットがやわらかく笑って「またあとで」と言うからこくんと頷く。「行ってらっしゃい」と手を振ると手を振り返された。嬉しそうな顔だった。少年みたいに無邪気な顔だ。
 アラウディと二人だけになった部屋はがらんどうとしていて何もない。
 そろりと隣を窺う。手を組んで足を組んで目を閉じている彼は何も言わない。
 外からの雑音が聞こえなくなったあたり、きっとジョットが挨拶をしているんだろう。ぼんやりそんなことを思いながらさっきのジョットの顔を思い浮かべた。またあとでって、本当だろうか。アラウディがすぐ帰るなら私も一緒に帰るのに。
「…これでも僕の方がいいって言えるの」
「え?」
「気付いてるんだろ」
 ぼそりとした声に首を傾げる。なんのことを言ってるのか分からない私に彼が目を開けた。水色の瞳が私を映しているのが見える。
「あいつは君に気がある」
「……え?」
 彼の言葉に、私は何度も瞬きした。現実を確かめるように。化粧をしてるから頬をつねるわけにもいかず、ただ瞬きを繰り返してアラウディの顔を見つめる。整った顔はやっぱりきれいで、かっこよくて、見惚れてしまう。
 あいつっていうのは、話の流れ的に、さっきまでここにいたジョットのことだろう。「え? え、ジョット、が、私に?」「…気付いてなかったのか」慌てる私に呆れた顔をした彼がソファを軋ませて立ち上がった。その後姿が急に遠くなった気がして私も慌てて立ち上がる。ヒールの靴に慣れてくれない足が少し痛い。
「アラウディ、私は」
 言いかけて、何を言うべきなんだろうと思う。同じプラチナブロンドの髪と水色の瞳を持つ、ぱっと見たら兄妹みたいな私が、彼に何を言うべきなんだろう。
 兄妹みたいにやってきたつもりでいる。それがきっと自然な形だったから。血は繋がっていないと思うけど、これだけ似ている見た目なら間違える人は多い。だからアラウディはお兄ちゃんで私は妹。それが自然な形だった。仕事のできるかっこいいお兄ちゃんに拾われた私は彼が誇らしかった。彼のためならなんだってできた。家事も炊事も頑張れた。頑張る彼がいたから私も頑張れたのだ。
 だから、私は。
「…ねぇ。もしさ、僕らの血が繋がっているとして」
 言葉をなくした私の代わりに彼がそう口にした。まるで私の心の中を読んだかのようなタイミングだった。
 どきんどきんと心臓が痛む。ぎゅっとドレスの裾を握って強く目を閉じる。
 私達はきっとこのまま兄妹のようにいるべきなのだ。あるべきなのだ。だから、私は、言ってはいけない。壊してはいけない。この距離を。ジョットよりもずっとずうっと、比べるまでもなくあなたのことが好きなんだって、言ってはいけない。
 言ってはいけない。それがこれからのためだから。未来のためだから。そうやって目も口もぎゅっと噤んだままでいると、抱き締められた。強く強く。驚いて目を見開くとスーツの胸元があって、僅かに消毒液のにおいがした。それだけで分かる。私を抱き締めているのはアラウディなのだ。
「それでも。僕は、君を、誰にも渡したくない」
「、」
「ジョットのせいだよ。あいつが君に絡むからいけないんだ」
 拗ねたような声にそろりと顔を上げる。アラウディが珍しくぶつぶつ独り言を言っている。「だいたいさらっとああいうことができるのがおかしい。僕はこんなに努力しないと行動できないのに、ジョットときたら…」ぶつぶつ一人で続ける彼をじっと見つめていると目が合った。ぴたりと言葉を止めて「何」と訊かれて「あ、の」こわごわ、恐る恐る、私は訊ねてみる。
「アラウディ、私のこと、好き…?」
「……好きだよ」
 本当にぼそりとした呟きでそう返された。私は何度も瞬きをしてからそろりと手を伸ばして彼の背中を抱き返してみる。思っていたより広い背中は男の人のものだった。きれいな顔をしてても彼は男の人なのだ。お兄ちゃんじゃなくて、一人の男の人なんだ。
 ゆるゆる目を閉じて私は吐息する。
 ジョットには悪いけれど、私の気持ちはもう決まっている。きっと、この人に出会った瞬間から。もうずうっと前から。