結局オレにできたことは大したことじゃなかった。もともと二人は好き合っていたのだ。お互い崩れない関係を築いていたのだから簡単に割り込めるはずもなかった。オレにできたのは曖昧なまま過ごしてきた二人を向き合わせること、それくらいだ。
 パーティーの中央でもう三曲目になるワルツを踊っているアラウディとを見ていると、横から「あいつ自分達しかいないとでも思ってんのか」と毒づく声に苦笑いした。
「そう言うなG。滅多に見れないぞ、あんなに社交場に留まるアラウディなんて」
「ヤロー見ても面白くねぇ」
「ならを見ていればいい。きれいじゃないか、とても」
 膝丈の白いスカートが回転するとふわりと揺れて視線を誘う。プラチナブロンドの長い髪を結い上げた姿は素直にきれいだった。できるなら一曲お相手願いたいところだが、きっとアラウディはよしとしないだろう。だからオレはここから眺めているだけで十分。
 こっちを一瞥したGが「いいのか。気にしてたろう」ぼそりとこっちを気にかける言葉を口にする。オレはそれに苦笑いしか返せない。
 いいのかと言われても、よくないと言ったところでどうにもなるまい。
 彼女に気があるのは確かだ。アラウディが羨ましいと言ったのも本気だ。また来てもいいと言われて嬉しいと思ったのも本当。
 あれが一夜限りの夜の出来事でも、彼女と過ごせた時間は一生忘れない。できるならこれからもあんな時間が増えてくれればオレはとても幸せだろう。でもそれは彼女の幸せに繋がらない。彼女の幸せを築けるのはオレじゃない。だからオレはもう舞台から降りるべきだ。道化の出番はここまで。あとは彼ら二人で築くべき未来。
 危うげな足取りで足を躓かせた彼女をアラウディが抱き止めた。呆れた顔をしたアラウディに彼女が困ったように笑ってワルツを再開する。その笑顔に目を細めた。
 これがきっと最後。だからわがままを言わせてほしい。
 オレに、君との想い出を。
 無駄に豪奢な椅子から立ち上がるとマントが揺れた。Gの一瞥を受けたが止められはしなかった。三曲目を踊り終えたとアラウディがよく似た髪を揺らしてよく似た色の瞳を見つめ合っている。少しだけ心が痛い。やはりオレは彼女のことを好いていたようだ。
 そう、好いていた。今はもう大丈夫。彼女がああやって笑うのはオレにではないから。それがちゃんと分かったから、思い知ったから、多分、大丈夫。

「、ジョット」
 アラウディがむっと顔を顰めたのが見えたけれど今は見なかったことにしておく。にこりと微笑んで「オレとも一曲お願いできないだろうか」と言うと彼女は少し困ったような顔をした。けれどするりとアラウディの手を離してオレのところに来てくれる。それが嬉しくて仕方なかった。たとえ一時の夢でも、彼女がオレを見てくれるのが嬉しかった。
 膝をついて彼女の手に取り口付けを施す。一瞬だけ止まったように思えた音楽は何事もなかったように再開された。流れるように立ち上がって彼女のもう片手を取り、足を踏み出す。二人で踊る。彼女は三曲全てワルツだった。きっとまだワルツしか踊れないのだろう。だからオレが踊るのもワルツだ。
「ジョット。あの、私は」
 どこか硬い表情で口を開かれ、その先の言葉を想像したオレは「今は言わないでくれ。夢を見ていたい」と彼女に囁いた。驚いた顔をした彼女が仕方ないなってふうに笑う。そんな顔でさえ愛しかった。愛しいと思ったことに、それに気付いてしまった自分にどうしようもないなと思う。
 夢はすぐ醒めた。終わりに一礼し合ったところでつかつかこっちに歩いてきたアラウディが彼女の手を引っぱって足早に会場を去っていく。慌てたようについていく彼女がオレを振り返って「またねジョット!」と手を振ってくれた。オレはそれに手を振り返すことはしずにただ笑ってとアラウディを見送った。
 隣に立ったGが「踊るだけ踊って本当に帰りやがった。相変わらずなヤローだ」とアラウディを罵ったけれど、オレはそれに笑うだけ。

 きっともう会わないだろう。会えないだろう。この愛を忘れるためにも、オレはオレのすべきことを優先しなくては。
 ジョットが無駄に馴れ馴れしいからさっさと会場をあとにして黒塗りの車に乗り込む。一曲踊って帰るつもりが三曲くらい踊ってしまった。ヒールで踊るのが難しいと彼女がもう一回とせがむからだ。それに付き合った僕も僕だけど。
 隣では疲れた顔で「足が痛い」と漏らす彼女がいる。「ヒールは慣れないと駄目だね」「そう」「うん、そう。踵もつま先も痛い」「脱いだら」「ええ…うーん」どうせ家に着くまで時間があった。細い足首に手をかけて靴を脱がせた。もう片方も同じように。
「アラウディ、」
「いいよ。着くまで脱いでれば」
「うー、うん」
 結局彼女は頷いた。僕の手から大事そうに靴を受け取ると、なぜか眉尻を下げる。それで言うことは「傷が…」なんて言葉。どうやらさっそく傷がついたらしい。まぁあれだけ踊ってたんだから当然だ。それに白だし、仕方がない。
 十分と少しで家に着いた。うとうとしていた彼女がはっとした顔をする。先に車を降りて「」と呼ぶと、靴を履こうとしていた彼女が手を止めた。「おいで」「え?」「早く」困惑気味の彼女がドアのところまで来たから座席から抱き上げた。びっくりして声も出ない彼女から視線を移して運転手を一瞥し「ご苦労さま」と言い置いて背中を向ける。つかつか歩き出すとやがて扉の閉まる音がして、車は去っていった。
「あ、あの、アラウディ、」
「鍵。外して」
「あ、うん」
 鞄から鍵を取り出した彼女がドアの施錠を外した。ついでに開けてくれたので扉の隙間に靴を突っ込んで引き開け中に入る。背中の向こうでばたんと扉が閉じた音がした。廊下に上がっても下ろさないでいると彼女の困った顔はますます拍車をかけていた。
 今の自分がどれだけ魅力的なのかってことを、彼女は自覚していないらしい。
「ねぇ」
 顔を近づけ囁いて耳を甘く噛んだ。びくりと震えた彼女がとても新鮮だった。今までこういうことは一つもなかったから僕も少し緊張してる。でもそれ以上に昂っている。君を好きだと認めたときから独占したくてたまらなくなっている。白いドレスをこの手で剥ぎ取ってしまいたいと思っている。
 自室のドアの前に立って指先でノブを回した。蹴り開けてベッドに行って彼女を下ろすと、真っ赤な顔をしていた。多分今までで一番赤い顔だ。
 ばたんとドアを閉めてネクタイを緩める。スーツの上着を脱いでソファに放った。ベッドの上から動かない彼女の頬に掌を滑らせる。泣いているのとはまた違う潤んだ瞳に見つめられると頭のどこかの理性って部分が崩壊した。
「今日のご飯。がいい」
 答えを聞かずに彼女と一緒にベッドに倒れ込む。二人分の体重にスプリングが軋んだ悲鳴を上げた。
 今日は香水のかおりのするプラチナブロンドの髪が黒いシーツの上に散らばった。同じ色の瞳に見つめられてももう迷わない。噛みつくように口付けて唇を奪う。触れる吐息がこんなにも近くこんなにも熱い。

 あとはもう、君に堕ちるだけだ。この心ごと、身体ごと、魂も全て。