目の前には貴族らしく肌触りも質もいいシャツとスーツを着た嫡男が一人、その地位に関わらず無造作にスコーンをつまんであむとかぶりついた。その様子を眺めてからアフタヌーンティーのセットに視線を移し、手を伸ばしてから、手元でひらひらしている袖が邪魔なことに気付いて少しだけまくり上げた。
 スーツ姿の彼に対し、僕はフリフリでヒラヒラのレースがたっぷり使われたワンピースにボレロを羽織った格好だ。
 男である僕がなぜ女装しているのか? 答えは簡単だ。僕が彼の所有物で、色子だから。けれど、男であることを周囲に感づかれないための、これは苦肉の策なのだ。
 プラチナブロンドの髪とアイスブルーの瞳を持つ自分というのはどうやらかなり整った顔をしているようで、こうして女の格好をしていると普通にスルーされるので、それでいいはずが、未だ内心は複雑なままである。
「少し風があるな。寒くない?」
「…大丈夫」
 あたたかい紅茶に口をつけてほっとする。大丈夫と返したけど、少し、空気が肌に冷たかったのも事実だ。
 僕は色が白く身体が弱い。彼に拾われなければ間違いなく自分で自分の面倒を見切れず街のゴミ捨て場に転がっていただろう。彼に拾われ生かされて、これでもう数年がたつ。
 ちらりと視線を上げるとよく晴れていた。昨日あれだけ降っていたくせに。おかげで音が誤魔化せると彼に抱かれたわけだけど。
 昨晩のことを思い出しそうになってアフタヌーンティーを味わうことに意識を傾ける。
 おいしい、とさくさくのスコーンを平らげた僕はケーキに手をつけた。日替わりの一口ケーキは今日は苺のショートケーキとチョコのブラウニーで、どちらにしようかな、でブラウニーを選ぶ。彼はそんな僕をサンドイッチを頬張りながら眺めていた。どこか満足そうに、頬を緩めた馬鹿な顔をしながら。
 貴族の嫡男が男色なんて聞いて呆れる話だろう。
 いや、それだけじゃない。このご時世それは罪でしかないのだ。糾弾の的になる。だから僕はこんな格好をして人前では可能な限り喋らず、口を開くときも裏声だけで、それでこれまでやってきたのだ。
 我ながら上手くやってきたと思う。仕種や動作が女らしくなるよう勉強して心がけたこともそうだし、貴族の一人息子の愛を賜るにふさわしい色子であれるよう、頑張ってきた。

 ……それでも、所詮色子は色子。
 彼とのこの時間も、いつかは崩れ去る砂の城だ。

「知ってるかアラウディ。郊外のクロスフォード寮」
 彼の思考というのはいつもどこか飛び抜けていて、今日も唐突にそんなことを口にした。ブラウニーを食べ終えた僕は少し考えた。郊外の、クロスフォード寮。何かで有名な学校だったような気がする。音楽だったかな。僕はあまり教養がないから、頭に浮かんだ答えに自信がないのだけど。
 テーブルに手をついて立ち上がった彼が「あげるよ。どーぞ」とショートケーキを僕の皿に移した。「え、」「食べたいんだろ。あげる」別に、食べたくは、と口ごもる僕に構わず席を離れた彼がふいにしゃがみ込む。何してるんだと窺えば、足元の緑の絨毯、三つ葉をしげしげと眺めていた。特に珍しいものでもないだろうに…相変わらず貴族らしい自由人だ。
(…なんなんだ。僕に太れってことか? 細すぎるって? 確かに、昨日もそう言われたけどさ)
 白い皿にちょこんとのっているケーキを睨みつけ、結局フォークを手にする。
 甘いものは贅沢品なのだ。僕のような貧民生まれには目で見ることはできても決して味わうことのできるものではなかった。それをこうも惜しみなく並べられる。彼はそれを僕にあげると言う。この落差はきっと一生埋まらない。僕なら絶対に残さない。食べられるものは食べる。そんな貧乏性がケーキを完食させた。やっぱり、おいしいものはおいしいし。
 少し冷えるな、と膝にかけていたブランケットを肩に羽織る。それでもまだ腕をさすりたくなる寒さが残っていた。「…全寮制の、音楽の学校だっけ?」「そーそー」立ち上がった彼がこっちに戻ってきて、僕の前に摘んだ三つ葉を差し出す。三つ葉、かと思ったら四つ葉のそれに軽くキスした彼は「はい、お前に」と微笑んで僕の髪に四つ葉を挿した。
 恥ずかしい奴め。そんなことを思いながら顔を背けて、意味もなく視線を彷徨わせる。
 緑の絨毯と手入れの行き届いた庭。そして緑の芝。その向こうにあるのはどことなく無機質な感じのする、とっつきにくさのある大きな屋敷。この場合城と称した方が似合っている建物だ。
 ソーンベリー・カッスル。現在は彼の父親が治めている石の外観の城は、いつ見ても少し空寒く、冷えた色で緑の芝に取り囲まれて佇んでいた。そこから少し離れた花畑のある庭に僕らはいる。…足元一面三つ葉だらけだっていうのに、この中でよく四つ葉なんか見つけたものだ。
「それが何。、音楽に興味なんてあったっけ」
「いや。男子だけの学校だろ。だから、そういうウワサ話を風の便りでね」
 ふうんとこぼしてちらりと視線を投げる。何か深い意味でもあるのかと思ったら特に何もなかったらしく、またしゃがみ込んだと思ったら「二つめ〜」と嬉しそうに四つ葉にキスして僕の髪に挿し、三つめ、四つめ、と三つ葉の畑から四つ葉を見つけ出していく。
 そんな彼を眺めながら腕をさする。寒い。
 足元に意識を集中させていると思っていた彼があっとこぼしてすっくと立ち上がり、物のいいジャケットを脱いで僕に被せた。四つ葉を探しながらも僕のことを気にしていたらしい。「ごめん、冷えた?」と心配そうにこちらを覗き込む顔から逃げるように明後日の方を向く。「大丈夫」「寒いならもう戻ろうか」「別に、いい」大丈夫だと言ってるのに城に戻る道を辿る彼に、背中を押す掌に、僕に合わせてゆっくりとした歩調で歩く姿に、馬鹿だな、と思う。
 なんだよ、さっきの。思わせぶりなことを言ったかと思ったらいつもどおりだし。昨日シたんだから今日もって言われたら僕の身体が死んじゃうとこだけど、求められることは、嫌いではないのに。
 彼に連れられて使用人の勝手口から中へと入り、石の螺旋階段をぐるぐると上がっていく。
 隠された小部屋。そこが僕の部屋であり、彼が無理を通して用意させた部屋でもある。
 目につくのはフリフリヒラヒラしたものでいっぱいになっているクローゼットと、天蓋付きと決められている立派なベッド。まぁ、どちらも女物らしく柄や彩飾が小洒落ているものだけど。
「あったかいお茶もらってくるよ。待ってて」
「それくらい僕が、」
 ベッドに座らされ、むっと眉根を寄せて立ち上がろうとして足が言うことをきかなかった。僕が思っているより身体にきている。寒さが堪えたか。あとは、昨日のがやっぱり。唇を噛む僕にやんわり微笑んだ彼が「いーよ、俺がしたいからするんだ。待ってなさい」と笑って部屋を出て行った。パタンと扉が閉まり、螺旋階段を下りる足音が響いて鼓膜を震わせる。
 くそ、と自分を毒づいてベッドに倒れた。足が今頃痺れてきた。外でお茶をして少し冷たい風に当たっただけでこれか。病弱な自分というやつを恨みたくもなる。せめてもう少しでも動けていれば、彼の従者みたいなことだってできたかもしれないのに。
 くそ、とこぼして目を閉じる。

 彼の世話を焼くどころか世話を焼かれる自分が大嫌いだった。
 ふがいない、情けないなんて言葉では到底この心は表せない。
 自分が憎い。この弱い身体が憎い。

「アラウディ?」
 聞こえた声に、ぱち、と目を開ける。どことなく痺れを感じる手をついて起き上がれば銀のトレイを持った彼がいた。「大丈夫か」「…大丈夫」ぎ、とベッドに座り直す。簡易のテーブルを持ってきた彼がその上にトレイを置き、それから僕の手を取った。「嘘つけ。震えてる」と手の甲に唇を寄せる姿に頬が少し熱くなる。
 自然に、そういうことをするのは、やめてほしい。
 君はそんなでもこの城を継ぐ人間なんだから。本当ならいい加減色子の僕なんて見切りをつけて女を抱くべきなんだ。君の父親はそればかりだというのに、それに抗うように、君は女を遠ざけて、男の僕を。
(…あ、)
 ふと髪を気にすると、彼が僕にとくれた四つ葉が全てベッドに落ちていた。しまったな、気にしていなかった。四つ葉だったのに。
 僕の視線を辿った彼が唇の端で笑った。「また今度あげるよ」と。
 目が合って、逸らせなくて、瞼を閉じることもできなくて、逃げられなかった間に唇に唇を寄せられてキスをしていた。
 いつまでもこんなのは駄目だ、と思うのに。君はちゃんと女を抱いて子供を作って、貴族の血を絶やさないようにしないといけない人なのに、と頭では分かっていながら、彼の腕に抱かれたまま、抗わない。これではいけないと思いながらも僕はこれを望んでいる。こんなに弱い身体で役立たずでしかない僕にやわらかく笑いかける人を望んでいる。この人が他の誰かにキスをして抱き締めるなら、僕に向けるのと同じ笑顔を向けて笑うのなら、僕の身体はその光景にバラバラに砕かれて二度と機能しなくなるだろう。だから、こんなの駄目だと思いながらも言い出せない。唇が痺れてくるくらいキスしながらも抗えない。
 ちゅ、と唇を尖らせて顔を離した彼をぼんやり眺める。どこか心配そうに眉尻を下げた顔。なんか、情けない顔だ。
 …そうか、僕の体調を気遣っているのかと遅れて気がつく。
 そっと指で手の甲を撫でる馬鹿みたいな気遣いが胸に刺さった。
 ああ、もっと激しくめちゃくちゃにしてくれたらどんなに。どんなに溺れられるか。そうできたらどんなに楽になれるか。そうであれたら快楽だけを求めて貪る人間に成り下がることだってできたのに、僕らはそれになれない。獣にはなれない。僕の身体が弱くて融通がきかないから。彼に良識と優しさがあって無理強いをする人ではないから。二つが合わさって今キスだけで身体を離すことを決めたのだ。ポットからカップに紅茶を注ぎ、僕の口元に運ぶことを選ぶのだ。
 なんて、馬鹿みたいな、人なんだろう。
「ちょっと冷めたかな。ぬるい?」
 一口すすってから「大丈夫」と言うと、彼は器用にもう片手で自分の口にカップを運んだ。ずず、とすすって「んー、リラックス効果ってことでカモミールなんだけど、どう?」「さぁ。よく分からない」「だよなぁ。普通のでよかったかなー。ハーブ系ってあんまり得意じゃなくて…これでも香りキツくない方なんだけどな」苦い顔でカップを置いた彼に小さく笑う。僕は、好きでも嫌いでもない。紅茶なんて上品なもの、ここに来るまで口にしたこともなかったし。甘いものも。着るものだって、女物だけど、いい生地だし。毎日着替えができるし。お風呂だって入れる。食事はもちろん、彼に目をかけられている僕の願いは使用人によってだいたい叶えられる。
 優しく抱いてくれる人の腕の中で目を閉じて、城の姿を想像する。ソーンベリー・カッスル。その石の城が砂の城となって脆く崩れ去る姿を想像して胸がざわついて苦しくなった。
 いずれ、そうなる。
 分かっている。僕は色子でしかない。彼の愛は性欲でしかないのかもしれない。とっかえひっかえ女を抱く父親に嫌気が差して男を抱くことを選んだのかもしれない。それでもいずれこの城を継ぎ、世継ぎのことを考え、結局女を抱いて子供を作る。そのとき僕はどうなっているだろう。
 薄く目を開ける。彼の肩に頭をもたれたまま、動けなかった。しっかりと僕を支えるその手を離したくなかった。…それが僕の本音だった。