タバコを吸いに外へ出ると、向かいからやってくる二人組がいた。アラウディとだ。どっちも中性的なもんだから連れ立って歩いてくるのがやたらと目立つ。
 くわえタバコにライターで火をつけ、息を吸って、煙を吐き出す。これがないと仕事にならん。
「Gは、一日に何本タバコを吸うんですか」
 そのまま事務所に用で素通りするかと思えば、オレの横で立ち止まったぼやっとした顔がこっちを見上げてそう訊いてきた。「あ? 何本でもいいだろ」「あまり吸うと、身体によくないですよ」「じゃー将来お前は吸うなよ。金かかるしな」「…どうして吸うんですか? タバコ」追い払ったつもりだがまだ食いついてくる。おい、アラウディがオレを睨んでるだろうが。とっとと行けよ。
 ふー、と紫煙を空に向けて吐き出す。
 なんで、ねぇ。もうきっかけなんてものは忘れちまったな。
「お前はなんで絵を描くんだ?」
「…それは、」
「一緒の理由だよ。おら、とっとと行け」
 言いかけた細い背中をどんと掌で押して事務所の中にやる。はまだ何か言いたそうにしていたが、Dとアラウディのぶつかり合いに意識をそっちに向けたようだ。
 全く、何を考えてるのか、アラウディ以上に分かりにくいガキだ。まだ無邪気にはしゃいでるクソガキの方が可愛げがある。
 一本吸い終わったところで、そういや何しに来たんだあいつら、とガラス扉の向こうに顔を向ける。Dとアラウディが睨み合ってるところを見るにまたのことなんだろうが。
 首をツッコむとめんどくさいんだよなぁ。が、放っておいても解決しないだろうしな…。
 はぁー、と深く息を吐き出してガラス扉を押し開けると、マシンガンの撃ち合いのごとく言葉の撃ち合いが耳を貫いた。
「何度も言ってますがこれ以上は費用が出ません。だいたい、始終あなたと一緒なんですから、彼に携帯なんていらないでしょう」
「僕が仕事で留守にしてる間はいるだろ。家に待たせてるんだから」
「それならあなたの家に家電を引きなさい」
「そんな悠長なことしていられないって言ってる」
「じゃああなたの携帯を貸せばいいじゃないですか。それで誰かの携帯を借りてかけるか公衆電話でも使えばいい。いくら何でも自分の番号を憶えていないってことはないでしょう? ほら、工夫のしようがいくらでもある」
 最初から取り合う気のないDにぎりっと固く拳を握ったアラウディが見えて、おっとまずいなと間に入ろうとして、「アラウディ」と呼ぶ声。
 ぼやっとした顔のがソファで足を揺らしつつ「俺ならいい子で待ってるから大丈夫です」と空気を読んだことを言う。そうこられるとアラウディの勢いもやり場がなくなり、消沈した。握られていた拳が解ける。「だけど」「帰りましょう。俺、絵が描きたい」「…分かったよ」はぁ、と溜息を吐いたアラウディがあっさりDから離れ、ぴょんとソファを立ったを連れて事務所を出て行く。
 Dとオレは揃って息を吐いた。Dは全くどうしようもないとアラウディに呆れた溜息を。オレはアラウディが拳を収めたことに対しての安堵の息を。
「全く、困ったものですよ」
 やれやれと首を振ってパソコンを弄り始めたDに、釘は刺しておく。「お前もな。そうアラウディに食いつくな。あいつがキレたらお前のことなんて簡単に殺るぞ」「私は間違ったことは言っていません」「理屈の問題じゃねぇ。もともとあいつは」言いかけて、やめる。アラウディがもともと理屈も理由も必要ない暴力を振るうだけの人間だったと言ったらDの当たりはさらにキツくなるだけだろう。今でさえお互い睨み合ってるんだ。これ以上うるさくなられたら迷惑だ。
 Dは頭が固い。仕事はこなす、締め切りは守る、情報は厳守する、頼んだことはきっちりやる、と通常なら歓迎すべき徹底ぶりなんだが、いかんせん融通がきかない。ルールを破ることを極端に嫌う。これでもう少し柔軟性が出れば文句なしなんだが、人間、そう上手くはできてないらしい。
「Dとアラウディは相変わらずか」
 戻ったオレに向けて苦笑いするジョットに「何とかならないもんかね」とぼやいて返す。防音対策は施してあるが、それでも表のやりとりは事務所内まで聞こえていたらしい。
 仕事ができる分、自分の言い分が正しいと信じて疑わない二人には、間を取る、って発想がない。おかげで二人がぶつかると誰かが間に入らないとならないから手間がかかる。
 ガチャン、と椅子に腰かけ足を組んでさっさと仕事を再開させる。
 ジョットは、仕事をしつつ、何か考えてるようだ。いつもよりスピードが遅い。考え事しながら仕事ができるんだから器用な奴だ。
「なぁG」
「なんだ」
「アラウディは恋をしたんだろうか?」
 思わずぶっと吹き出した。あまりにアラウディに似合わない言葉だった。あいつがそういう浮ついたことをする奴とは思えない。「過去にってことか。あったらビックリだよ」「いや、今、だよ」「ああ? 相手がいねぇだろ」何を言ってるんだジョットはと顔を顰めると、たまに不思議ちゃんになる我らがリーダーは「恋だろうなぁ…応援すべきか…いや、しかし」と独り言をブツブツ。…一体誰のことを言ってんのか。
(だいたい、そんな暇ないだろ。の世話兼護衛で四六時中一緒にいるんだ。他人が入り込む隙が、)
 ここまで考え、他人の色恋に興味のないオレでも気付いた。
 …確かに、あのガキを連れてきてからのあいつは、変わったが。それはあのガキに対してだけであって。ああ、だから『恋』か。
 仮にそうだとして、だからなんだって話にもなる。
 現状例の二つの事件の鍵っぽいのはあいつなんだ。余計な思い入れをして護ってくれんなら都合がいい。めでたく難事件が解決したあとはさよーならだが、そのあと関係を続けようが続けまいが仕事に影響しなきゃどうでもいいしなぁ。
「なぁG、その場合オレはどうすべきだろうか。上司として諌めるべきか? 友人として応援すべきか?」
「さぁなぁ。そもそも相手があいつのことどう思ってんのか分かんねぇだろ。何考えてんのか掴みかねるガキだし」
「好いてるよ」
 言い切るジョットは仕事をしつつ「アラウディがいるときはだいたいあいつのことを見てる」…それだけで好いてると判断するのもどうなんだとは思ったが、ジョットの観察眼は侮れない。職業としてのそれというよりは、そういう素質があいつにはあるらしい。
 ふぅん、と無難に流してオレも仕事にとりかかる。タブレットを起動させ昨日処理した事件について、必要事項を記入し、空白の欄を埋めていく。
 そこからしばらくはお互い無言でタブレット相手に仕事をしていたが、ふいにジョットが立ち上がって「よし、今日は飲みに行くぞ!」と勝手に取り決めた。「はぁっ?」思わず席を立つが、リーダーとして決定事項を出した奴は絶対に意見を取り下げない。「アラウディに電話してくる」と止める間もなく事務所を抜け出す上司に、はあぁ、と大きく溜息を吐いてガチャンと椅子に崩れるの図が完成した。
 アラウディといいDといいジョットといい、本当、個性的なのが揃いすぎだろ。
 ジョットが急遽取り決めた飲み会だったが、を連れたアラウディは指定した時刻の五分前にやってきた。
 カラン、とベルが鳴り、不機嫌そうな顔のアラウディと、いつものぼやっとした顔のが入店する。
「まぁそんな顔をするなアラウディ。の歓迎会も兼ねてるんだ。今日はオレが奢るし、お前もたまには付き合え」
「………彼はお酒は駄目だよ。未成年なんだから」
「分かってる分かってる」
 ほら来い来いとジョットに手招きされ、カウンターの席によじ登る。さすがに画材セットのようなものは持っていない。「急ですね」「急に思いついたからな」胸を張るジョットにふふふとおかしそうに笑って「ジョットって面白いです」と言うあいつの隣を陣取ったアラウディは機嫌が悪そうだ。…まさかあいつを取られてるとか思ってるんだろうか。ジョットの言うように恋をしてるんだとしたらありえない話じゃないが、その場合、この飲み会はめんどくさいことにしかならない気がする…。
 そう予感しつつもオレが参加したのはジョットの奢りだからだ。そうじゃなきゃ来ない。
 あとは、お目付け役な。Dとコザァートは酒に弱いし、ジョットは酔うと調子に乗るし。誰かが見てないとあとが怖い。
 ぐび、とウイスキーを傾けるオレの横では、今日は外回りの仕事に出ていたコザァートがいて、ひたすら食ってる。見た目のわりに大食らいなのだこいつは。今日は菓子パンくらいしか口にしてないとかでさっきから食べてばかりいる。
 一番端の席にDがいて、ワインを傾けながら携帯を眺めている。恋人と連絡でもしてるんだろう。
は何にする?」
「じゃあ、ブラッドオレンジで」
「アラウディはどうする?」
「生ビール」
「よし」
 すでに飲み食いが始まっている飲み会ではあるが、二人にも飲み物が行き渡り、「では乾杯といこうか!」とグラスを掲げたジョットにそれぞれ思うようにグラスを掲げ、乾杯する。
 食ってばかりいたコザァートがごくごくとビールジョッキを一気飲みした。どん、と空になったジョッキを置くと、ようやく一息吐いたらしく「あー生き返った」と満面の笑みだ。「よく食うよなお前は…」横で食べるのを見ているだけで満腹になっているオレに拳を握って「食べることが趣味だからさ」と力説するコザァート。ああ、だからお前いつも金がないのか。食い物は上を求め出したらキリがないからな。そういうオレも毎月のタバコ代で余裕がある方じゃないが。
「ちょっと聞いてくださいよ!」
 大人しくワイン飲んでると思ったら唐突に声を上げたDがバンとカウンターを叩く。「おい、他にも客がいるんだから静かにしろよ」ツッコむオレに携帯を突き出して「美しいと思いませんか!?」と恋人とのツーショットの待ち受けを見せてくる。焦点を女に合わせて「はぁ、そうだな」一応肯定。オレは趣味じゃないが美人は美人だ。それがどうした、と眉根を寄せるオレに「こんなに美しいというのに、明日はエステに行くって言うんですよ!? これ以上美しくなられたら私はどうすれば…!」…ああ、酔ってるな。もう酔ってんのかよ。弱いなほんと。
 げっそりするオレにははと空笑いするコザァートは酒は控えめだ。ビールジョッキ一杯でやめると決めてたのかあとはミネラルウォーターのみ。以前酔って潰れて吐いて二日酔いしたあの流れをまだ憶えてるらしい。
 ちらり、と人形二人組を確認する。「大丈夫かD、もう酔ってるのか」とカウンターを離れたジョットの向こうでがビールのジョッキを眺めていた。どうやら興味があるらしい。
「ビールっておいしいですか?」
「普通」
「舐めてみても」
「駄目だよ未成年」
「ちょっとだけなら」
「駄目」
「大人の味なんでしょう?」
「苦いだけだってば」
 じいっと見上げられてしまいには折れたアラウディが「一口だよ」とジョッキを渡すと、ちょっとだけ傾けて中身を舐めたがふぅんとぼやいてごくりと大きく喉を鳴らした。残り少なかったが止める間もなく飲み干して、苦い、を顔で表しながらフライドポテトをつまむ。
「苦いですね」
「…ちょっとって言ったよね?」
「ちょっとじゃないですか。三口くらいだし」
 しれっとした顔で「おじさん、俺あれがほしいです。今日のおすすめの貝焼き」と黒板の手書きメニューを指してちゃっかり注文。ちゃっかり受注した店主のおっさんは「はいよ!」とさっそく調理の準備にかかる。
(…恋、ねぇ)
 頬杖をついて二人を観察する。ウイスキーを傾け、チーズをつまみつつ。
 基本人につるまないアラウディが嫌そうな顔をせず相手をしているは、気付いた顔で俺と視線を合わせると、しー、と唇に人差し指を当てて笑った。
 何が、と眉根を寄せたオレの前で、一瞬、本当に一瞬だが、掠めるようにしてあいつはアラウディにキスをした。
 他の誰の目にも入らなかったのか、店の喧騒は何も変わらないし、Dが喚く声も、ジョットとコザァートが聞き役に回ってる声も、何も変わらない。だが確かに唇が触れ合う瞬間があったと分かるのは、あまり表情を変えることのないアラウディの顔がほんのり赤くなっていたからだ。酒のせいだと言われればそうだなと頷くその程度ではあったが、ついさっきまで普通の顔をしていたあいつを知っているオレにはそうじゃないと分かる。
「ねぇ」
 とん、とテーブルに手をついて身を寄せるにアラウディが引いた。警戒している。「何」「俺、もうちょっとだけ飲みたいです。お酒」「駄目だって言ってる」「じゃあもう一回しますよ」な、と絶句するアラウディにくすくす笑う。何もかもが計算済みだ。
「ねぇ、あと一口だけ。今度は本当に一口だけですから」
 アラウディ、とねだるあいつの言ったもう一回するがなんのことなのか。それに対して視線を泳がせ逃げているアラウディのらしくなさすぎる行動が何を意味するのか。もう疑うまでもなかった。
 ジョットの観察眼は一種の能力だ。直感、とでも言うべきか。
(マジかよ…)
 他人の色恋にどうこうケチつけるつもりはないし、相手が女だろうが男だろうが好きにしろとは思うが。アラウディ、その年齢差はさすがに犯罪くさいぞ。いくつ違いだよお前ら。それから、お前がアラウディを誘惑しようがどうだっていいけどな、人前ではよしとけ。なまじ中性的な分目のやり場に困る。