休日。個人的に気に入ってる味のレストランで一番のお気に入りのランチを食べていると、お喋りに花が咲いていた隣のテーブルが一際騒がしくなった。 「ねぇ見て」 「お人形が歩いてるみたいね…」 「素敵。ねぇ、声かけてみる?」 お人形が歩いてる、という表現に何か引っかかるものを憶えてブチっとチキンの肉を噛み千切りつつ顔を向けて、わぁ、となった。憶えのありすぎる顔立ちが二人、昼時で混み合うレストランで席を探している。 さっと顔を背けてもそもそ一人ランチを続けてたんだけど、「あ」と声がして、人が寄ってくる気配。「やっぱりコザァートだ」名前まで当てられてしまった。はは、と笑いながら逃げるのを諦めて向き直ると、やっぱりだった。 「やぁ。こんにちわ」 「こんにちわ。他のテーブルいっぱいで…同席してもいいですか?」 ここで駄目と言えようものなら最初から逃げたりしない。「どうぞ」と諦めた顔で席を勧めたオレに彼はくすりと笑って「アラウディー」と人混みに苛ついてる顔のアラウディを呼んで手を振った。 別に、休みの日くらい仕事のことを忘れたいとか、仕事仲間の顔も見たくないとか、そういう露骨なあれではなくて。休みの日くらい好きなものを好きなだけ食べる、くらいしか休日にすることもないんだけど。でも、会うなら別の誰かの方がまだよかったなぁと思ってしまうのも事実なわけで。 アラウディはのことになるととにかくうるさい。細かい。そしてこだわる。できるなら彼の逆鱗に触れるようなことは避けたいわけだ。 しかし、会ってしまったものは仕方がない。運がなかったと諦めよう。 隣のテーブルが君達二人のことで盛り上がっているのが気に障るのか、アラウディの眉間の皺がさっきから深くなってく一方だ。 「俺、これがいいです。ミルフィーユ」 「…お昼だよ。ご飯を食べて」 「あんまりお腹空いてなくて。ミルフィーユなら食べたいかなって」 駄目ですか? と小首を傾げた姿にアラウディが溜息を吐いた。「夜は食べてよ? 約束してくれるならお昼はこれでもいい」はーい、と返事したに仕方なさそうにウェイターを呼び寄せるアラウディ。 「今日はどこへ行ってたの?」 訊ねると、が膝に置いてる紙袋をごそごそしていかにも美術書ですという感じの分厚い本を取り出した。「買ってもらいました」と嬉しそうにページをめくる姿にオレも知らず笑っている。基本的にぼうっとしてる子だから、普通の子と変わらないような姿を見ると、なんか安心する。 気のせいではなくこっちを睨んでるアラウディには気付かないフリ、をしていると、美術書を置いて紙袋をごそごそしたが小さな箱を取り出した。「それは?」ぱか、と蓋を開けた手が中から小さな置物を取り出す。…えー、月、な気がするけど芸術方面に詳しいわけじゃないし、自信がない。 「アラウディの髪の色にそっくりでしょう」 月を指す指の通り、言われてみれば、アラウディの髪色と月の色はよく似ていた。「だから買ってもらったんです」と笑うに顔を背けたアラウディがテーブルに頬杖をついて明後日の方に視線を逃がしている。 薄々、思ってはいたけど。アラウディ、に弱いな、本当に。日がたつごとに彼に頭が上がらない感じになってないだろうか。 「午後はエッフェル塔に行くんです。コザァート、お休みなら、一緒に行きますか?」 首を傾げてのとんでもないお誘いにぶんぶん首を横に振って、「いや、実はこれから仕事なんだ。急に呼ばれちゃって…」逃げるための口実にとっさに嘘をつく。そうですか、と淡白にこぼした彼はそれ以上気にすることもなく美術書と置物を紙袋にしまった。ミルフィーユが運ばれてきたのだ。 さっさとチキンを平らげて伝票を持って席を立つ。「じゃあこれで。アラウディ、気をつけてね」「…分かってる」「の体調も」デパートで人混みに頭痛を起こしたことを指摘すると、じろり、と僕を睨んで「分かってる」と低い声で繰り返された。そんなこと言われるまでもないと言外に言ってる。忘れてないならそれでいいんだけどさ。 さよなら、と振られた手に小さく手を振り返してそそくさと席を離れる。 やっぱりアラウディに睨まれるのって怖いな。きれいな顔してるけど、仕事で相手を叩きのめすときの彼って本当に怖いんだよな。今のその片鱗が見えてたよ。ほんと、のことになるといつもより短気になって困る。 ということを仕事の休憩時間、雑談ついでにジョットに話すと「そうかぁ」となぜか満足そうに頷かれた。…ん? 「コザァート。オレは思ったんだ」 「え。うん、何を?」 「確かに壁は多い。性別のこと、年齢のこと…だが困難を超えてこその愛とよく言うではないか」 「え? えっとーなんの話?」 ジョットについていけないオレに眉間をもみ解してるG。「おいジョット…」「と、オレは思うんだが。Gはどうだ?」「……犯罪だな。とりあえず犯罪だ。誰が誰と恋愛しようが自由だと思うがあの年齢差は犯罪だ。容姿もアウト」「厳しいなぁ」…ん?「えっとーごめん、それって…とアラウディのことで合ってる?」二人の話をしていたのに二人でない話になっていた、ということはなく、頷いて返される。 (え。愛? ジョットは愛って言った…?) もやもやっと昨日のとアラウディを思い出す。 二人で美術館に行って、レストランでランチを食べて、そのあとはまた二人でエッフェル塔に。っていうかよく考えたらは今アラウディのマンションで一緒に生活してるわけで。寝ても起きても四六時中一緒なわけで。 確かにアラウディはに甘い顔をするというか事実甘い。彼にせがまれると断れない感じもある。 もわもわっと浮かび上がった映像を慌てて振り払った。いやいやそれはないない。犯罪。それは確かに犯罪。 いや、そんなまさか、と思いつつ休憩時間を終え、仕事再開。そのアラウディが事務所内に顔を出した。いたっていつも通りの顔で「ねぇ、僕がこっちにいる間誰かを見ててほしいんだけど」と言う彼に「じゃあオレが」と挙手。 勝手に想像したこととはいえ、ジョットもGもなんだかそれっぽいこと言うし。気になるから、ちょっとに訊いてみようかな。 アラウディと入れ替わって外に行くと、受付前のソファで美術書をめくっているがいた。今日は髪の片側をアップにしてピンで止めている。「やぁ」声をかけると顔を上げてオレを見上げて「コザァート」「ん?」「喉が渇いたのですが」相変わらずぼやっとした表情に「じゃ、ちょっと自販機まで行こうか。事務所にはジュース置いてなくて」浅く頷いた彼が美術書を抱えたまま立ち上がる。 ガラス扉を押し開けて外に出て、通りの自販機のある場所まで歩きながら、話を切り出してみる。 「さ」 「はい」 「アラウディとずっと一緒にいて窮屈じゃない? ほら、アラウディって怖いとか思うこと、ない?」 首を傾げた彼は「ないですよ」とオレの言葉をあっさり一蹴した。おお、迷いがない。オレなら恐くて下手なことできないけどな。 ふふ、と笑みをこぼした彼は美術書を抱えながら「そうですね、確かに、俺以外には怖い顔してますね。俺には甘いですけど」しっかり把握してるし。小悪魔だなぁこの子。「っていい性格してるね。強かっていうか」苦笑いしたオレにふふふと笑って唇に人差し指を当てる。「そうでないと、この歳で絵描きなんてしてませんし、できませんよ」と。 自販機でジュースを買う。オレはコーラではミックスフルーツ。 「コザァートは」 「ん?」 「負い目を感じていますか」 それは、さっきまでの会話からは飛び出すはずのない言葉だった。 足を止めたオレに構わずはちびちびジュースを飲みながら歩き続ける。「何が?」冷静に返したはずだけど、冷静すぎて、逆に感情の一切が入らない声になってしまった。そんな声でも彼は怖がらない。年齢に似合わない落ち着きさでもってオレを振り返る。 「あなたが一番、あの中で普通の人だから。あそこにいるのは秀でた人達ばかりで、普通でしかない人間には、まるで自分が出来損ないのように感じる、辛い場所ではないかと思って」 「そうかな。できる人間に囲まれてるってことだろ。切磋琢磨して自分を磨ける、そういう場所じゃないか」 そう返したオレを見つめた視線が外れる。「そう思ってるならいいんです」何もかもを見透かしたようなことをぼやいてジュースをちびちび飲みながら歩く細い背中。 オレはそう思ってやってきた。直感が働く天才、仕事に隙のない天才、身体能力がずば抜けた天才、同時に複数の仕事を処理する天才。天才に囲まれて凡人でしかないオレがいる。切磋琢磨。昔はそう思っていた。だけどちっとも近づかない天才の背中は遠くなっていくばかりだ。何をしてもオレは所詮は凡人。追いつけるはずがないし、届くはずがない。土台の高さが違いすぎたんだ、と。 こつ、とブーツを鳴らしてくるりとこっちを振り返ったが、消えそうな笑顔を浮かべていた。透明すぎて空気にすらこぼれていきそうな微笑みを。 「逃げてもいいと思います。でも、コザァートには逃げないでほしい。辛いかもしれないけど、あの場所にいてあげてほしい。あそこにいるのは、普通とは違う人達です。そういう人達は普通の人の感覚が分からない。普通であるあなたがいないと、破綻してしまう」 「…そうかな」 「そうですよ。みんなが暴走したとき、普通の意見を言って当たり前のことに気付かせるのは、あなたの役目です」 自信を持ってください、と笑う彼は、消えそうだった。そのまますうっと空気に溶けてしまいそうだった。 思えば、この子にはあまり自分というものがない。まるで希薄だ。普段のぼやっとした顔だってそうだ。まるでこの現実に実感が持てていないみたいに彼の感情は薄っぺらで、いつもワンテンポ反応が遅くて、本当に好きなもの以外には観察するみたいな視線を向けている。 君が自信を持ってとオレに言うのなら、オレも君に言わないといけないだろう。 だいたいのものにぼやっとした表情を向けている君のことを思っている、アラウディのことを。 「アラウディは、君といるときだけ生きている。君も、自信を持ってくれ。アラウディは気紛れで君に触れてるわけじゃないんだ」 不思議そうな顔をした彼が首を傾げた。「そうでしょうか」「そうだよ。オレは初めて見たよ? あんなに他人と一緒にいるアラウディも、誰かのことを心配するアラウディも」そうでしょうか、とこぼした彼がジュースの缶を振る。なくなってしまったらしい。 もう一本買おうか、と言うといいえと首を振られた。喉の渇きは満たされたらしい。 視線を俯けぼうっとした顔で「そうかなぁ」とこぼす彼の隣に並び、細い背中を押して歩き始める。 「アラウディのことは嫌いかい?」 「いえ。好きと嫌いで言うなら、好き、だと思います」 「そりゃよかった」 うん。そりゃあ犯罪だってGの意見は最もなんだけど。オレはそのことよりも、彼と離れたあとのアラウディの方が心配だ。それこそ何かが破綻してしまう気がする。を失うようなことがあってはならない気がする。 これは仕事だ。仕事の一環。だから事務所への出入りを許されているし、アラウディが面倒を見ている。難事件が解決する糸口となるかもしれない参考人だから今ここに彼はいる。 事件が解決したら。あるいは、彼の費用の工面ができなくなれば。彼はムランに戻ることになるのだ。 (そうなったら、アラウディは、どうするつもりだろう) すっかり二人でワンセットという光景に見慣れてしまったオレは、アラウディの隣に並ぶの姿を消すことができなかった。美術書を片手に熱心に読書を進める彼を眺める、いつもより少しだけ表情を緩めたアラウディを、消すことができなかった。 |