骨がきしむような錯覚を覚える、とても冷えた冬の夜のことだ。
 わたしは一人、コートを着込んだ人で溢れる街を歩いていた。
 こんなに寒くても女子高生らしくスカートの丈と生足にこだわって、風邪を引く一歩手前みたいに体はきしんでいるのに、わたしの足取りは妙に軽い。
 その軽い足取りで、駅に行く。駅前のスタバが空いていたのでカプチーノのホットをテイクアウトして、あたたかい飲み物で骨のきしみを慰めながら、また歩く。
 シン、と冷え込んだ今夜は、きっと雪が降るだろう。
 マフラーをしっかりと首に巻き付け、カプチーノをすすりながら、公園に行く。
 夜の公園は当然のように人気がない。駅から近くてもそれは変わらない。一人、二人、数えるほどの浮浪者がダンボールと新聞にくるまってうずくまっているくらい。
 理想は誰もいないことだったけど、仕方がない。日本は狭い国だ。小さな島国に人が溢れている。東京はとくにそう。だから、仕方がない。
 わたしは手袋をした手で空にしたスタバのカップにお手製のスイッチを入れた。カラン、と小さな音がする。そのまま容器をゴミ箱に放り込み、少しも動かない浮浪者の動向を横目に確認しながら公園をあとにする。
 駅まで調子を乱さずに歩き、改札を通ろうと定期を取り出して、
 ドオン、という爆発音を聞いた。
 知らず身構えていたわたしはその揺れにたたらを踏むだけですんだ。「なんだ今の…」「地震?」「見ろよ、あそこ! 煙が上がってるぞ!」「ウソ、爆発ってこと?」駅前の人混みにはあっという間に情報が伝播していく。面白いくらいに。
 わたしは唇が歪むのを堪え、顰め面で公園を一瞥する。

(思ったよりも、小さな花火)

 想像していたより小さな爆発だった。…次はもっと大きなものにしなくちゃ。あの人に届くように。
 爆発の影響で電車は止まり、駅はあっという間に人で溢れ返った。
 冬の夜空に救急車なのかパトカーなのかのサイレンが響き渡り、そのうちに上空から現場を捉えようとヘリの音まで聞こえてきて、その騒がしさに、わたしはひっそりと溜息を吐いた。
 結局、それから一時間待っても電車が動かなかったので、多くの人がそうしたように、わたしも歩いて自宅まで帰った。

「ただいま」
『おかえりなさい、

 電子声がわたしの帰宅を歓迎する。特別嬉しくもない。
 玄関に置いた端末に人差し指を添えると、パッ、と電気が灯った。エアコンが息を吹き返したのように作動を始める。『食事ですか? 入浴ですか?』「お風呂」『了解しました』答えたわたしに電子声のAIはお風呂を入れ始めた。
 アメリカで買い付けたこのAIは日本では非売品で、入手するのに苦労した品だ。世界で百とない生産品のうちの一つを少し改造し、日本語を喋るようにして、こうしてわたしの世話をさせている。
 帰り道、降り出した雪を払いもせずにいたら、制服はすっかり濡れてしまっていた。明日着ようと思ったら乾かさないと。
 すっかり濡れたカーディガンと制服をハンガーにかけて、ドライヤーで気持ち水気を飛ばす。そのうちに『お風呂に入れます』とAIが報告してきたから、あたたかい湯煎に浸かって冷えた体をあたためた。
 ゆっくりと入浴して、すっかりあたたまった体をバスタオルでくるんでリビングへ。
 なんとなくテレビをつけると、どの番組も臨時ニュースをやっていた。話題はもちろん、さっきの爆発についてだ。

『この爆発がテロではないかという指摘に対して、政府は依然「調査中」としコメントを避けています』
「…そう」

 リポーターの言葉にぼやいて返し、ぼす、とソファに勢いよく座り込んだ。こういうときのために買っておいたホテルにあるような小さな冷蔵庫からポカリスエットを取り出してボトルを呷る。お風呂上がりの水分補給は大切だ。
 明日は学校だったな、と思うと、それなりに憂鬱で、唇が歪む。
 学校に意義は感じない。表面上の繕った友人にも興味はない。
 わたしが興味があるのはただ一人だけ。
 ニュース番組を眺めながらリビングで眠り、『おはようございます、。起床の時間です』という電子声で意識が覚醒した。カーテンの隙間から射し込む朝陽に目を細めつつ、のそり、と起き上がって毛布を払う。
 けだるいけれど、女子高生として、学校へは行かなくてはならない。
 コーンフレークとハムと目玉焼きを胃に押し込み、野菜ジュースを飲みながらまたニュース番組を眺め、時間になったら家を出て学校へ行き、指定された業務のように学生生活を送る。
 わたしはその間、ずっと、仮面を貼りつけて過ごしている。
 一人が気楽だ。誰にも気を遣わなくていい。だけどそれじゃあ学生は成り立たない。たとえ仮面を被ってでも、学校という檻の中で円滑に行動するため、わたしはわたしを演じなくては。

「ね、ニュース見た? 渋谷の駅前近くの公園で爆発だって」
「見た見た。テロかな?」
「うーん、どうだろう? テロにしてはおとなしいっていうか、被害が少ないって気もするな〜」
「なるほど? もっとおっきな爆発じゃないとテロじゃないっていうわけね」
「や、そういうことじゃないけどね? ほら、海外のテロとかってさ、バスとか電車とか、被害が大きいじゃん? それと比べたら〜って話」

 冗談交じりに笑ってこんなことが言い合える日本は平和だ。
 下着が見えるよ、と思う短い丈のスカートで街をブラついても、路地裏に入っても、問答無用で犯されることがない。この国は平和だ。
 わたしは、その平和を、ぶち壊したい。
 あの人が『愛している』と言った国を、ぶち壊したい。
 行き過ぎた少子高齢化の負担が若い世代にこれでもかというくらいにのしかかった結果、社会に出た多くの若者が死んだ目でまるで奴隷のように働くしかないこの国の、どこを愛せるというんだ。どこを愛してるというんだ。
 行き過ぎた高齢化社会はすでに坂道を転がり始めている。
 あと生きても十年。そんな世代の老人は、あとのことなど考えず、この社会で生きなければならない若者のことなど考えず、めちゃくちゃにするだけして死んでいく。
 あの人は、それをわかっているのか。ちゃんとその現実を見ているのか。
 この国に必要なのは、革命だ。愛して擁護することじゃない。

(あなたがやらないなら、わたしが殺してあげる。殺される前に、殺してあげるから)

 学生業務を終え、昨日同様冷え込んだその日の夜。
 わたしは通学鞄を片手に、もう片手でスマホをいじりながら、巨大とも言える敷地を持つ老人ホームに面した道路を歩いていた。
 昨日の寒さに堪えたわたしは今日はクリーム色のコートを着込み、老人ホームを横目に観察した。
 見回りの警備員も、巡回の看護師も、予定通りだ。狂いはない。
 準備にそれなりの時間を費やした。あとは適切なタイミングで、適切にボタンを押せばいい。焦らず、順番に。
 スタバのソイラテのホットをすすりながら、手袋をしてもかじかむ指でスマホを操作する。
 『Ready?』と表示されている画面にはメールを送信するような気軽さで爆破スイッチが『YES』『NO』で点滅している。
 交差点の赤信号で止まったわたしは、唇を歪めて笑って、『YES』のボタンを押した。
 1つ目。爆発が起きる。二つ目。さっきよりも大きな爆発が起きる。三つ目。四つ目。
 時間をかけて配置してきた爆弾の威力は調整前とあってやはり小さい。それでも複数箇所で骨組みを吹き飛ばすような爆発が重なれば、地震に耐えられるよう設計されている日本の頑丈な建築物も揺らぐ。
 揺れに転んだふうを装って怪我をしてみせながら、わたしは最後の『YES』のボタンを押した。
 ドオン、と最後に大きめの爆発が起こり、骨組みを破壊された建物が自重に耐えきれず倒壊していく。
 わたしは頭を腕で覆って防御しながら、こわい、という顔をしながら、スマホの画面からサラサラと起爆スイッチが解けていくのを眺めている。
 AIが証拠を隠滅してくれるのを確認して、わたしはわざと携帯を落とした。カバーもしていない、少し古いタイプの携帯は、コンクリートの舗装路面と激突して画面がひび割れた。さらに、わたしがその上に膝をついて踏みつけ、頑丈でない筐体に負担をかけたことで、筐体は歪み、パキン、と音を立てる。
 自然な動作でその携帯を拾い上げたわたしは、ああ、やっちゃった、という顔で溜息を吐く。
 すべては、計画通りだった。

「君っ、大丈夫か!」
「…、」

 乗りつけた白い車から、あなたが飛び出してくるまでは。
 早い。予定よりも。もう一つくらい大きな花火を上げないと、あなたには届かないと思っていた。
 安室透、と名乗っているその人は、褐色の肌と金糸の髪と青い瞳で、どこか日本人離れした容姿をしていた。わたしの肩を掴んで「ここは危険だ。離れるんだ」と言うその人に、わたしはぎこちなく頷く。
 まさか、もうわたしのことを嗅ぎつけたのだろうか。そう心配したのも束の間のことで、わたしを三十メートル先のコンビニまで連れて行くと「じきに警察と救急が駆けつける。ここにいて怪我をみてもらうんだ。いいね」そう言い残すと、すぐにもと来た道を戻っていった。
 …ああ。そうか。何も知らないで、わたしを被害者の女子高生の一人として助けたんだ。それだけ、だ。
 ほぅ、と白い息を吐き出して、知らず緊張していた肩の力を抜いた。
 ……あの様子だと、あの人は何も憶えていないに違いない。それはそうだ。あの頃のわたしはまだ十歳になったばかりで、面影なんてもう残っていないだろう。
 あなたは、この国の平和のために見殺しにしたわたしの両親のことなど、きっと憶えていない。
 腐ったこの国を変えようとしていた両親とその仲間をテロリストとして断罪した彼の正義。愛国心。愛のためなら人を殺せるあの人の冷たい瞳。
 あなたは愛する国を守るためなら手段を選ばなかった。
 だから、わたしも、あなたの愛をぶち殺すために、手段は選ばない。

(これは、あなたの愛への革命)

 大事にされ続けて腐ってしまった愛に包まれたこの国には、新しい愛が必要だ。
 この国を愛していると言ったあなたの目を醒まさせるには、刺激的な愛が必要だ。
 わたしがそれを与える。与えてみせる。
 救急車とサイレンの音が鳴り響く、煙で満たされていく夜空を見上げて、わたしはひっそりと白い溜息を吐いた。
その公開処刑