いったい、どれほどの罪があれば。
 いったい、どれほどの正義なら。
 人を殺すことを是とされるのだろうか。
 人種のるつぼアメリカで仕入れたドローンに、特別手をかけて仕入れたプラスチック爆弾を取り付け、配線などの最終チェックをしていると、スマホの画面が点灯した。視線を投げると、画面には就寝時間を知らせるメッセージが表示されている。右上の時刻は午前二時だった。
 わたしが唯一心を許せる相手、AIが、スマホ越しにわたしにメッセージをよこしてきたのだ。
 これもアメリカでわざわざ買い付けた非売品で、入手に苦労とお金をかけた分、その仕事ぶりは見事の一言だ。購入してからこっち、失敗はしっかりと学んで活かし、わたしについてを学び、今日は命じなくてもこんなふうに案じてきた。できる相棒だ。

「大丈夫よ。最終チェックだから。これが終わったら寝る」

 スマホに向かってそう声をかけると、画面には『了解しました』の文字が浮かぶ。
 声をかけずにメッセージにしたのは、わたしを驚かせないためだろう。今とても繊細な作業をしているから。
 わたしは改めてドローンと、設置したプラスチック爆弾を眺めた。
 暗闇でも飛行に困らない暗視カメラ。暗闇に紛れる黒い機体は、飛び出すと偏光迷彩が可能なスグレモノ。
 その腹にプラスチック爆弾を慎重にセッティングして、ミスがないことを確認して、詰めていた息を吐き出す。
 無理なく飛行できる重さのプラスチック爆弾を取り付けたけど、思ったより量が積めなかった。起爆のための電管も必要だったし、これで精一杯か。…あまり大きな花火は期待できそうにない。
 ずっと緊張しっぱなしだった体で肩を回す。少し、楽にしよう。
 強張りすぎた背中を伸ばしながら、冷たい飲み物を取りに行く。

「テレビ、つけて」
『はい』

 電子音声が答えて、部屋のテレビがパッと光を灯した。『テロ事件からこれで半年。政府は未だ犯人の特定にいたっていません』真夜中のニュース番組が、半年前だと言いながらわたしの花火を取り上げていた。公園の花火、老人ホームの花火。
 そうか。肌がきしむような冬の日は、もう半年も前の話になるのか。
 あの人に遭遇したのも半年前。
 料理も、下ごしらえをしなければ、おいしいものにはならない。わたしの花火も同じだ。しっかりとした準備をしなければ、美しい花火は上がらない。
 この半年、学業と両立させながら下準備をしてきた。もうすぐ花火を上げられるだろう。
 冷蔵庫からポカリのペットボトルを取り出してソファに戻る。
 テレビはCMに入っていた。およそ明るい話題じゃないのに『カードローンなら!』なんて、女性が笑顔で借金を勧めるCMをしている。
 ローンを笑顔で勧めているCMを見ていると、この前の進路相談を思い出した。
 さほど生徒に関心があるわけでもなさそうな眼鏡の男性教員は、当たり前のように進学の話をしてくる。わたしはそれに対して『お金がないから大学にはちょっと』というような返しをしたけど、教師のにこやかな返答はこうだった。

『奨学金があるじゃないか。社会人になってから返せばいいんだ。学業にしっかり励んで就職できれば大丈夫さ』

 ……日本の奨学金は、奨学金じゃない。ただの借金だ。それをまるでこのCMみたいにさも良いものであるかのように勧めている。
 にこやかに借金を勧めてくる教師に、内心呆れたものだ。
 そのときは曖昧に流しておいたけれど、テレビでも学校でもにこやかに借金を勧めるなんて、日本はどうかしている。

(はやく、)

 早く、腐った愛でただれたその実を、くり抜いて、打ち捨てて、新しい中身にしなくちゃ。外の皮だけまだ使えるのなら、その部分は甘んじてあげる。本当は全部ぶち壊してしまいたいけれど、わたしにそこまでの力がないのも事実。だから、できることを、できるだけして、腐った愛の実はゴミ箱に捨ててやるのだ。絶対に。
 握りしめたペットボトルがぱきと音を立てた。
 一瞬暗くなったテレビ画面には、自分でも無表情だと思う顔が映っていた。
 梅雨も終わろうかというその日、小雨が振る夜の中、傘をさし、もう片手でスマホの画面を見ながら歩いた。イマドキそういう人はたくさんいるから、わたしがスマホの画面を凝視するようにして歩いても誰も気に留めない。
 ああ、でも、また、雨か。
 そろそろこの憂鬱な季節も終わるけれど、雨は嫌いだ。降り続く雨はもっと嫌い。
 嫌いな天気の中でも、わたしには歩く理由がある。
 手にしているスマホの画面には、ドローンからの映像。
 電波の受信距離の関係で、家にいながらの操作が難しかった。ドローンと距離が開けばそれだけタイムラグも生じる。なるべく正確性を保持したいわたしは、ドローンを追うようにして傘をさして歩いていた。
 ドローンの偏光迷彩はうまくいっている。さすが、アメリカでわざわざ買い付けてきただけある。
 夜、そして小雨の今日。ドローンの偏光迷彩した機体に気づく人間なんていないだろう。梅雨の夜の雨。好き好んで出歩く人も、普通の夜よりは少ない。
 わたしは無表情にその場所に立った。
 つまらない政治、つまらない人間、つまらない採決ばかりが繰り返される、国会議事堂が見える場所。
 議事堂まで目と鼻の先である国会議事堂前駅に入ったわたしは、傘をたたみ、スマホに指を滑らせながらドトールに入った。

「ハニーカフェオレを一つ、Mサイズで」
「かしこまりました。350円でございます」

 最近、また値上げされたらしい。この間はもう少し安かった気がする。
 ピッタリの料金を支払い、カップのあたたかいカフェオレ片手に、背後が壁になり、監視カメラ等に手元を映されない席に陣取る。
 特別感慨もなくドローンが捉えている映像を眺める。…警備が手薄だ。ホワイトハウスと比べたらびっくりするくらいに。
 自由を奪いお金を奪い、気力も資金もない、まるで奴隷のような日本の若者が反逆を翻すなんて露ほど思ってもいない警戒のなさ。
 この国の平和は国民の疲弊からもたらされている。
 そういうのはもう、まっぴらごめんだ。
 悲しいのなら泣くべきだし、理不尽なことには怒るべきだ。されるがままうなだれるのではなく、嘆くのではなく、前を見据えて拳を上げて声を張り上げるべきなのだ。
 わたしが、その先陣を切る。
 心の中でさようならを唱えながら、ドローンを国会議事堂の参議院本会議場、つまらない採決が繰り返される悪の壇上めがけて突っ込ませる。
 タイミングが大事だ。可能な限りドローンを建物に肉薄させ、電管で起爆させる。
 スマホに表示されるドローンからの映像を凝視しながら、画面に指を滑らせてメッセージを打ち込む。

『カウント』
『カウント開始。5、4』

 わたしの優秀なAIはカウントを開始した。『3、2、1』ゼロ、と表示が出た瞬間、地面が揺れた。バリン、とどこかで窓ガラスが割れる音もした。手にしているマグカップのカフェオレが揺れる。
 不安、を表情で表しながら、映像が途切れたスマホを通常画面に戻す。ラインをしてました、という画面に。「おい、この揺れ…! まさかまたテロ!?」「うっそまじ? ちょっと外出てみようよ」「おい、危ないって」興味津々、という顔で外に出ていく人もいれば、飲み物を手にしたまま固まって動けない人もいる。
 わたしはなるべくこの場で浮かない、不安と緊張の混じった顔をしつつも、カフェオレを口にした。もったいないから飲んでいってしまおう。
 ドトール店舗の窓ガラスは割れていなかったものの、店員が設備を見回っている。今いるお客さん一人一人に声をかけて怪我がないかの確認もしている。…よくできた店員だ。あの人も、バイトなんだろうけど。

「お客様、お怪我はありませんか?」
「大丈夫です。…何かあったんですか?」

 わたしの声に応えるように、店内のテレビ映像がドラマからパッと切り替わり、『緊急ニュースをお伝えします』と生真面目な表情のニュースキャスターが出てきた。「あ、ニュースやるみたいですね」店員の意識もそちらに向いたようだ。
 わたしはちびちびとカフェオレを飲みながら、今日の花火の成果を確認した。
 わたしが仕入れたプラスチック爆弾、それを運ぶドローンは、わたしの目論見通り、国会議事堂を砕いた。
 ただし、木っ端微塵に、とはいかなかった。ドローンに搭載しても無理なく飛べるだけの重さのプラスチック爆弾しかセットすることはできなかったし。
 わたしは不安げな表情を顔に固定したままカフェオレを飲み干し、カップを置いた。ニュースを食い入るように見ている店員さんに「あの、電車って、動いてますか?」と尋ねる。まぁ動いていないだろうけど。店員さんは慌てた顔で「確認しますねっ」とカウンターに飛んでいって受話器を手に取った。
 真面目だなぁ。偉いなぁ。バイトだろうにこんなときでもきびきびと働く人を見てそう思う。
 やがて飛ぶように戻ってきた店員さんは、申し訳無さそうな顔で「電車は安全確認のため止まっているそうです。すみません…」と謝るから、わたしは笑ってしまった。あなたが謝る必要は、少しもないのに。
 情報をもらったことに対するお礼を伝えて、カップを返却口に置き、店を出る。
 仕方ない。雨の中歩いて帰るよりないだろう。
 駅構内は大画面のテレビのニュースを見る人で混み合っていた。興奮した様子の人もいれば、不安そうにテレビを見上げている人もいるし、電話しながら早足で現場に向かう人もいる。

「おい、またテロだろ、これ」
「警察無能だね…。半年前のテロの犯人だって捕まえられてないでしょ? これ、きっと同じ犯人だよね」
「でもさぁ、日本は『銃刀法違反』とかある平和な国だ。これ、国外犯のテロじゃないかなぁ。日本人じゃまず無理っしょ」
「爆弾とか、無理だろうね」
「…でもさぁ。ちょっとスッキリしたわ。毎度クソみたいな内容垂れ流すだけの国会を爆破とか、犯人やるじゃん」
「ちょっと、そういうのよくないって。気持ちはわかるけどさー」

 わたしは大画面で煙を上げて炎上する国会議事堂を眺めた。…気持ちは凪いでいた。
 少しは、やった、と思えるかと思ったけど。少しも嬉しくない。こんなものじゃ生ぬるいとさえ思っている。もっと大きくて派手な花火をあげたい。そのためにはまたしっかりと準備をしないと。
 次はどんな花火をあげようか。考えを巡らせながら駅から出て、傘を広げる。外は相変わらずの雨だ。
 しとしとと降り続く雨を眺めながら歩いていると、目の前に一つ、白い傘が咲いていた。その下にはグレーのスーツ姿。日本の梅雨のじっとりとした暑さの中、ネクタイまでしている。
 そういう職業だろうな、ご苦労さまなことだ、と思いながら白い傘の人物の横をすり抜ける。

「あなたが僕に電話とはね…。ご用件はなんですか?」

 その、声に。忘れもしない声に一瞬だけ足が止まった。
 そう。そうだよね。国会議事堂を爆破したんだもの。あなたが出てくるよね。
 安室、透。
 わたしは振り向きもせず、はっきりと足を止めることもなく、すれ違うまま、彼の横をすり抜けた。
 この腐った国を愛するあなた。この腐った国が愛しいというあなた。
 ねぇ、今、どんな気持ち?
 愛してる国の中心を呆気なく爆破されて、今、どんな気持ち?
 悔しい? 悲しい? それとも、怒りに震えている?
 雨だから、傘で顔が隠れて助かった。
 俯いて歩くわたしの顔は、自然と笑んでいた。
花火