昨年末に日本を騒がせた爆弾テロ事件。
 最初は公園、次は老人ホーム。使われたのはどちらもC-4のプラスチック爆弾だった。
 あれから暇さえあれば警察として捜査したにもかかわらず、半年、ホシを上げられず、結果、今日また新たなテロを許してしまった。黒の組織での潜入捜査が忙しいとはいえ、それは言い訳にしかならない。失態だ。

「クソッ」

 煙を上げる国会議事堂を前に舌打ちと歯噛みを隠せずにいると、ポケットの携帯が震えた。風見かと思ったが、画面に表示されている番号は非通知だった。…このタイミングで非通知の着信、か。
 雨粒の跳ねた画面を指で払って耳に押し当て、通話を繋げる。

「もしもし」
『大変なことになったな』
「……あなたが僕に電話とはね…。ご用件はなんですか?」

 赤井秀一。
 呟く声には自然、力がこもった。
 僕と同じく『黒の組織』を追う人物であり、FBIの捜査官。
 だが、数年前、仲間の失敗で組織に居続けることが難しくなり逃亡。その後は組織に潜入しての調査は諦め、ニューヨークで活動していると風の噂で耳にしていたが…。
 自然と周囲に視線を走らせる。
 雨の夜を行く傘が一つ、二つ。誰も彼も煙を上げる国会議事堂に気を取られていて、僕らの会話など聞いていない。

『今回使われた爆弾はC-4だ。よくあるプラスチック爆弾だよ』
「そうでしょうね。それくらい言われずともわかりますよ」
『入手先はアメリカだ』

 アメリカ、と断定してみせる相手に眉を寄せる。
 C-4…プラスチック爆弾が開発されたのは確かにアメリカだ。
 だが、近年ではそれなりの設備さえあればどこだって製造できるものでもある。昨今では入手がしやすくなったことで自爆テロにも使われたりする始末。
 それでも入手先を断定してみせるのは、何か情報を掴んでいるから、か?
 僕が無言でいると、相手は勝手に言葉を重ねた。『まぁ、これはまだ確定ではないんだがね。有力な容疑者がいるのさ』「有力な容疑者…?」『君も知っている人物だよ、安室くん』その言葉に僕はますます眉根を寄せることになる。
 僕が知っている人物で、プラスチック爆弾を容易に扱える者など、警察関係者以外でそうはいない。

『だいぶ前の話にはなるが、忘れてしまったか? テロを未然に防いだあの事件だ』

 赤井の声に記憶を辿ってみるが、僕だって忙しい身だ。テロ未遂の事件だって何件も扱っている。そう言われてもすぐにどれと見当はつかない。
 苛立ちで革靴でアスファルトをコツコツと叩く。「時間が惜しい。ハッキリ言ってください」サイレンの音が聞こえ始めた。僕はそろそろ引き上げなくてはならない。
 雨の音に紛れるうまい声量で赤井は言う。

『もう五年以上前の話だ。
 主犯とされたのは、組織に爆弾を流す仕事も負っていた二人の日本人夫婦。
 各国様々な場所に爆弾を流していた二人は、テロという名の犯罪を助長させるに充分な脅威だった。
 ちょうど今日のような雨の夜に、警察は夫婦が爆弾の搬入作業をしている倉庫街に強制捜査のメスを入れる。
 だが、そのときに人質を取られた。睡眠薬で眠らされた一人の子供だ。
 人質を無事に助け出すため、これ以上の被害を防ぐため…俺も呼ばれている』
「…『ツガイ』……組織も一枚噛んでいた、あの事件ですか」

 赤井の言葉がなくとも、ツガイ、とだけ言われれば、すぐに思い出すことができたものを。
 大事になる前に未遂で防ぐことはできたが、爆弾のいくらかは組織に流れたあとだったし、あのままテロに発展していれば大惨事となっていた事件だ。
(そういえば、あの日も、雨だったな)
 雨の夜。止む気配のない雨粒がアスファルトを叩く音だけが響く夜。
 どこにでもいそうな日本人の若い夫婦が、睡眠薬で眠らせた子供を人質にし、胴体に巻き付けた爆弾とそれに繋がるスイッチを掲げながら警察を牽制していた。
 場所は古い倉庫街。
 そこにはプラスチック爆弾が大量にあり、雨であろうと爆発すれば倉庫街一体が吹き飛ぶ量。しかも相手は子供の人質を取っている。一歩間違えば警察もろとも大惨事、という状況だ。
 起爆スイッチに手をかけている人間を、スイッチを押させずに無力化することは難しい。たとえ心臓を撃ち抜いても、人は数秒くらいは行動できる。それでは起爆を防ぐことができるかは五分五分だ。
 起爆を許せば、人質の子供は確実に死ぬだろう。彼らを取り囲んでいる重装備の警察もタダではすまない。
 銃の腕が伴えば、人を無力化することは不可能ではない。だが、相手は二人。同時に無力化することはかなりの腕を要求される。
 ……あのとき、犯人と膠着状態に陥った警察はFBIに協力を求めた。凄腕のスナイパーでもいなければ、被害を出さずに事件を終わらせることができないと見たからだ。
 そうして現れたのが赤井秀一。ヤツはなぜか日本にいた。
 そして、さすが、とも言うべき迅速な銃さばきで、彼は二人の眉間を撃ち抜き制圧した。確実に死なせるため、脳幹を狙ったライフルでの狙撃だった。おかげでテロは未遂に防ぐことができ、事件はそれで終わった。
 後味が悪いのは、後日、人質となった子供が施設から抜け出し、行方不明となったことか。
 あの事件で僕は『バーボン』として立ち振る舞った。あくまで組織側の人間としてあの事件に関与した。警察としてじゃない。だからこそ、行方不明になった子供のことを表立って追えもしなかった。
(…まさか)
 確かに、あれから何年もたった。あれきりあの子供は消息不明のままだが、生きていれば、十代後半。こういったこともできる歳になっているかもしれないが…。
 いや。動機がない。あの子供がテロを起こす動機などないはずじゃないか。
 僕が何も言えずにいると、電話の向こうの相手は短く吐息したようだった。

『あの後、わかったことなんだがね。彼女は二人の子供だった』
「は?」
『正真正銘の子供だったんだよ。届け出がされていないから戸籍などはないようだが、あの二人と血が繋がった、子供だったんだ。FBIがこっそりと血液採取をしていたらしいから確かな情報だろう』
「……それは…」
『組織に関わるということがどういうことか、あの二人も理解していたんだろう。だからこそそうした。組織にもわからぬよう自分達の子供の存在を隠し通したんだ』

 思ってもいなかったことを言われ、思考が濁った。
 子供。睡眠薬で眠らされ、まるで人質のように扱われていたあの子供は、正真正銘の、自分たちの子供で。あの夫婦はそのことを役所に届け出ておらず。だからこそ、警察は二人に子供がいることを知らず、僕でさえ『人質』だと勘違いし、保護を優先して、黒の組織のバーボンとして、組織に関わった人間として露呈してしまったのだからと、犯人の射殺を許した…?
 目眩がして額に手を当てた。
 あの日と同じ、止まない雨が降っている。

『かなり人脈が広かったようだからな。闇医者にも困らなかったんだろう』

 赤井は陽の光に当たらず生まれ、育った子供についてそうぼやいた。
 正規の登録をされずに生まれ育った陰の子供が、親の仇を討つため、親と同じC4の爆弾を手に日本を暗躍する。
 復讐の二文字を掲げ、爆弾を手にこちらを睨みつける、もう子供ではなくなったろうあのときの子を想像するも、思考が追いつかなかった。

『俺も君も失敗したということだ。安室くん。
 ツガイ事件は芽吹き、新たな事件を花開かせてしまった』
「………、」

 クソ。言葉にはせずぼやいて、額に手を当てたまま空を仰ぐ。
 雨が振っている。あの日と同じような雨が。
 ……そりゃあ、恨んでいるさ。僕も赤井もあの子供にとっては『両親を殺した復讐相手』だ。
 僕は消えた子供を積極的に捜すでもなく、仕事に忙殺されてすぐにそのことを忘れた。赤井とて同じだろう。心のどこかに引っかかりを覚えながら、それを考えるような現実の時間がなくて、忘れることを良しとした。
 どちらかが。誰かがあの子に手を差し伸べていれば、こうはならなかったか。爆弾を手に暗い目をしている子にせずにすんだのか。
 サイレンの音を背中に聞きながら、あの日、泣いていた子供を思い出しながら、雨の道を歩いた。
 …子供は聡かった。だから『なぜ泣いているのか』を言わなかった。
 僕らは、子供が泣き喚くのは『人質になって怖い目に合ったからだ』と理解していた。
 だけど違った。賢い子供は、そのことを口にせず、だけど感情を堪えることができずに泣いた。『両親が死んだ』…警察に囲まれている状況を理解し、親が自分を助けようとしたという思いも理解して、だけど我慢ができずに泣いていたのだ。
 きっとそのとき泣きながら誓ったはずだ。自分にとって唯一の光を奪った、僕らへ、復讐を。
 子供にそれ以外を与えることができなかった時点で、僕らは犯罪の芽が育つことを許してしまったも同然だ。犯罪を育てたも同然だ。
 一人、保護施設を抜け出し、あの子はどう生きたのか。定かではないが、人一倍賢く、強い子に成長しただろう。そして人一倍、闇も抱えている。
 あるいは、僕らへの復讐よりも、両親が目指していた危険な思考…日本の革命という名の報復を実行して事件を起こしている可能性もあるが…。

「どのみち、合わせる顔がないな」

 自嘲気味に笑ってタクシーを拾い、白いビニール傘をたたんで乗り込む。
 運転手に行き先を告げて座席に背中を預けて深く座ったとき、ポケットの携帯が再び震えた。…メールだ。添付ファイルがある。
 差出人はやはり不明で、適当なアルファベットの羅列だったが、タイミング的に赤井か、と思いながらメールを開く。
 そこには顔写真があった。金髪碧眼の少女が証明写真を撮るとき独特の無表情でこちらを睨んでいる。
 短い説明文によると、これが現在の彼女として確認された一番新しい写真らしい。今年の始めにアメリカ行きの飛行機に乗る乗客として提示されたパスポートの写真、か。赤井によれば、このときにC-4を仕入れに行っていたのではないかともなっている。
 …彼女はきっと、次の事件も起こすだろう。
 人のいない公園、入居者で満員だった老人ホーム。夜間で人が少なかったとはいえ国会議事堂すら狙った。次は一体どこを狙ってくるか。
 メール文の写真を眺めたままぼんやりしていると、もう一つの携帯が鳴った。黒の組織バーボンとして持っている携帯だ。
 ああ、忙しい。
 一つ吐息して、思考を切り替える。濁りきった思考を切り捨て、バーボンとしての顔を作る。
 気持ちを切り替えろ。
 二人の子供が生きていたなら、組織にそのことが知られているのかどうか、今回の連続爆破事件に組織は関係があるのかどうか、調べ直す必要もある。やることは山ほどあるぞ。思考を止めている暇はない。
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