肌を撫でる風に冷たさと痛さがなくなった。降り注ぐ陽光は日中なら暑いと感じるくらいの熱を持つ。見渡す限りの草花はそれぞれ思い思いの花を咲かせて色彩豊かに世界を彩る。
 春が来たのだ。
 見渡す限りに芽吹いた緑の萌黄色に目を細め、ミルフィオーレ本部の屋上へ続くガラス扉を押し開ける。
 ぬるいと感じる風と、花の香り。
 ビルの屋上一面を映画に出てくるような風景に整えたのは僕だ。あちこちから希少な草花を集め、育てるのが大変な木を集め、ま、ズルなんだけど、僕の力でそのほとんどを一番見頃になるまで時間を進めた。おかげで本来なら開花の季節が違う花が隣合っても満開の花を咲かせている、なんて奇跡が実現している。
 種も仕掛けもある奇跡の庭に一本道として敷き詰めた煉瓦の歩道を、一定間隔で設けた白いアーチをくぐる形で進み、やがて左右に道が分かれる。
 ブーツの底でゆっくりと煉瓦の道を蹴りつつ、視線をあちこちに向けて人捜しをする。目の前は噴水広場だ。備えつけたベンチには誰もいない。いつもならこの辺りにいるはずなんだけど…。
やーい」
 手をメガホンにして呼びかけてみたけど、返事はなかった。
 もっと奥だろうか、とゆるりと歩き出し、白いジャケットを脱いだ。脇に抱えてポケットに手を突っ込む。
 陽射しがすっかり暑いと感じるようになった。春だな。やっと冬が終わった。別に冬が嫌いってわけではないけど、長く続いてほしい季節でもない。冷たい風はやっぱり寒いし、身体も凍えるしね。
 噴水広場を抜けて、再び白いアーチをくぐって一本道の煉瓦道を進むと、行き止まりだ。風にさわさわと揺れる芝生があるだけの場所。どうしようかと思って結局そのままにしてある、まだ何もない場所。そこに彼はいた。寝転がっている。

「はぁい」
 投げやりな返事にひらひらと振られる手。これだけ陽射しの降り注ぐ場所にいるから僕と同じく上着を脱いでいる、Tシャツ一枚の腕はしなやかだ。スポーツを趣味にするでもない、鍛えているわけでもない、傷だってない、きれいな腕。
 さくさく草を踏みつけていくと、彼は眩しそうに僕を見上げた。東洋人らしい癖のない黒髪に、白いウサギみたいな赤い目。彼のコンプレックスらしいけど、僕は好きだ。遠くにいても目を見ればすぐに君だと分かるし、何より、きれいだ。繊細なガラス細工が生きているみたいで。
 膝に手をついて上からじっとその瞳を覗き込んでいると、根負けしたが目を逸らした。日本人はアイコンタクトが苦手らしい。
「で、何?」
「用事とかはないんだけどさ」
「あっそ。相変わらず自由だなぁ白蘭は」
「強いて言うならー、の顔を見に来たんだ」
「はいはい」
 投げやりに振られる手は僕が軽く冗談で絡んでいるとでも思っているんだろう。それでいいから、僕もそれ以上は言わない。の隣に腰を下ろし、束の間の休み時間を同じ場所で過ごす。
 それだけで僕はしあわせさ。そう思ってないと、正直、やってられない。
 彼の隣に転がっているケースを指して「弾いてよ」と言えば、は渋々ケースに手を伸ばした。「楽器に陽射しは…」とかブツブツ言いながらもヴァイオリンを取り出す。僕が作らせた真っ白なヴァイオリン。ボディにはパフィオペディルムが刻まれている。「じゃあ持ってこなきゃいいのに」ツッコむと、不機嫌そうに眉根を寄せた。「仕方ないだろ。練習できる場所が他にない」それも僕がセッティングしたことだとは知らないんだろう。君の部屋を防音室にしなかったのは、君が部屋にこもって音楽に夢中になるのを防ぐためなんだから。
 肩に白いヴァイオリンを乗せ、顎でボディを挟むようにして、一呼吸。弓を弦に当て、最初の一音が春の花の香りの空気を震わせる。
 瞬間、雨の景色を見た。
 本降りの雨だ。雨の中で泣くように音色が鳴いている。それを奏でる彼の目を閉じた横顔も泣いている。
 は音楽家だ。色んな楽器を弾く。ポピュラーなところからいくとピアノ、マイナーなものならハングドラムとか、とにかく色々。とくにヴァイオリンが好き。だから贈った。真っ白なヴァイオリンに当初は呆れた顔をしていたけど、楽器を粗末にできない彼は、僕のヴァイオリンもちゃんと管理しているようだ。
 二流くらいの腕はあるだろう彼が音を奏で出すと、音に魅せられて、色んなものが顔を出す。
 その音には魅力という言葉では納得できないような、魔力とでもいうべきものがあった。
 同じ楽器同じ環境で同じ曲を演奏させてもこうはならない。だからこうなる。最初の一音が聴覚をすり抜けた頃には誰もが音に酔っている。の奏でる音に、その音が形作る世界に、物語に、泡沫の夢を見る。
 手放しで賞賛の雨が注ぐような完璧な演奏じゃあない。客観的に冷静に、自分を遠くに置いて耳をすまし、やっとそう思える。自分を御すだけの精神力のある人間でなければその魔法に気付かない。単純に彼の演奏が『素晴らしい』と思い、彼を『一流の演奏家』と思い込む。
 その魔法を解き明かそうと思い、小さな会場をスタンディングオベーションで沸き上がらせたをミルフィオーレに迎え入れた。
 口実は簡単だった。彼は自分でも理解している。音楽を愛しているからこそ、自分の音楽は何かがおかしいということに気付いている。目指している領域には到達していない腕なのに、実際に自分の演奏を見聞きした人間は皆一様に自分を褒める。羽振りよくお金さえくれる。そのことに違和感を感じている。
 僕がその魔法を解いてあげると言ったら、簡単にミルフィオーレの制服を着てくれた。以来、彼は本部で寝泊まりする生活を送っている。
 僕自身彼の魔力、言い換えれば能力に関心があったからこその待遇。
 魔力がどーのこーのなんて説明めんどくさいから部下のみんなには『いやーの音が気に入っちゃってさ〜』の一言と、自己紹介代わりに一曲ステージで演奏してもらったら、みんな理解してくれた。彼の魔法にかかったのだ。そのうち魔法に疑問を感じたのは極少数。みんな彼が『素晴らしい音楽』を奏でる『一流の演奏家』で、だから僕が惚れ込んだのだと思っている。
 別に、そのままでもいいと思う。
 でも、自分の魔法に一番わだかまりを感じているのが彼自身だ。心の底から音楽を愛している。それなのに腕に見合った演奏ができない。自分の本当の音を聴いてくれない。それが魔法の力によるただの甘い夢だと知っている。だから、どんなに周りが素晴らしいと称賛しようが、の笑顔は曇っている。
 その雲を晴らすためには、彼は傷つかないとならない。今まで手に入れてきた名声も、地位も、ファンも、全部捨てなければならない。
 それでも、心から音楽を愛している彼は、全部捨ててでも本当の音楽をやりたいのだと言う。人をしあわせな気持ちにさせる魔法でもいらないのだと言う。
 尾を引く最後の一音が途切れると、雨は止んだ。魔法が解けたのだ。雨に濡れていた横顔はもうなかった。春の陽射しに眩しそうに目を細くする彼がいるだけだ。
「今のは?」
「Il fratello」
「きょうだい。にしてはなんていうか、哀しい感じだね」
 陽射しを避けてさっさとケースにヴァイオリンを収納した彼は肩を竦めただけだった。「新曲?」「ん」「じゃ、今夜演奏してよ」「は? どこで。なんで」「一応僕は君の腕を見込んで買ったってことになってるからねー、月に一度くらい新曲披露会とかないとさぁ、不自然でしょ?」んね、と満面の笑みを向けると彼の顔は逆に曇った。「白蘭。俺は…」「はいはいはーい。全部言わなくても分かってます。僕だけはちゃんと君のホントの音を聞いてるよ。ダイジョーブ。僕に向けて演奏するつもりでいればいいんだよ」携帯でぺぺぺとメールを打って『今夜21時ジャストに広間での新曲披露会をやるから、正チャンセッティングとか告知ヨロシク』送信したらすぐに抗議のTELがかかってきた。さすが正チャン、仕事も話も早いことで。
 テレビ電話を繋げると、携帯画面いっぱいに正チャンの顔のアップが映った。近いって。
『白蘭さぁん!!』
「そんなに大声出さなくても聞こえてるよー」
『なんですか今のメール! 披露会ってさんオッケーしたんですか!?』
 はい、とカメラを向けると、ケースを脇に置いたが微妙な顔をしつつも頷いた。それで出鼻を挫かれたのか、正チャンからさっきまでの勢いがなくなる。『あの、嫌なら嫌だ! って強く言わないと。白蘭さん平気で人に物事押しつけますから』「失礼だなー」『ほんとのことでしょう』ホントに失礼だなーと笑いながら流して、ブチッと通話を切った。はすっかり諦めた顔だ。
「ま、そんなこと今更だ」
「うわー、もしっつれいだなー」
「入江も大変だ。白蘭みたいな自由奔放な人間の補佐なんて、ほんっとに大変だろうな」
「もー失礼。失礼。僕だって傷つくんですけどー」
「本当のことだろ」
 僕が笑う。が溜息を吐く。日常はだいたいそんなふうに回っていて、大きな進展もなければ、大きな後退もしない。
 世界というのはだいたいそんなものだ。そう、こんなものだ。どんな場所でもどんな日々でも慣れてしまえばそれがいつものことになる。いつの間にか慣れたことに親しみが湧く。親しさが続くことを無意識に望んでいる。
 君が自ら壊すと言ったその親しみは、ヴェールを纏い、まだ光の中にある。
 はぁ、と息を吐いた彼が立ち上がった。ケースを抱えて「じゃあさ、代わりに一個俺のお願い叶えてよ」と言う彼に首を捻る。「いいけど。何?」あまり物欲のない彼には珍しい申し出だ。あれこれ想像していると、彼は今自分のいる場所を指して、「ここに屋根のある休憩所を作ろう。長時間座っても大丈夫なベンチもほしい」「…それ、ここを本格的な練習場所にするってこと?」まぁそんなことだろうとは思ってたので、諦め半分に確認すると、当たり前だろ、と彼は笑った。
 その顔を見上げていると、本当に音楽が好きなんだなぁ、音楽馬鹿なんだなぁ、と思う。
 音楽なんて、僕にはBGM程度。なくたって全然支障はない。生きていける。でも、君にとってはそうじゃない。君から音楽を取り上げたら何も残らない。廃人になる。ツテもなしに楽器手に日本から飛び出してくるような馬鹿な人だから、その部屋から楽器がなくなったら、本当に死んでしまうだろう。事故で手の指が欠けるなんてことがあれば楽器を弾けない自分に絶望してこの屋上からダイブしそう。
 がそうならないように。彼が生きていけるように。僕ができることはそう多くはない。
「しょーがないなぁ」
 仕方なく了承すると、サンキューとひらひら手を振った彼はヴァイオリンのケースを持って煉瓦の道を越え、噴水の向こうの道へと消えた。
 今から楽器の調整だろう。たとえみんなが魔法に浮かされると分かっていても、人前での演奏に手を抜いたりする人じゃないから。
 その魔法が、みんなをしあわせにするのに。感動さえさせるのに。それはきっと人のためになる優しい嘘なのに、それでも彼は嫌だと言う。
「もったいない」
 そんな彼に、僕はいつもそう思うのだ。
 彼の魔法には条件がある。
 の奏でる音が『生』で『直』に耳に届かなければ魔法は発動しない。その音がスピーカーや映像の類を介したらアウト。それは彼の望む本来の音となる。
 そのことがはっきりしたのは、彼の演奏を望む声の多さに負けて、CDでも作ろうかという話になったときだった。音源として聞いた音に魔法の力がなかった。そう、あくまで彼の奏でる『生』の音を聴かなくては魔法は発動しないのだ。
 二流の腕前のヴァイオリンの音が名曲を奏でている。ただそれだけの音源に、レコーディングに立ち会った人間が首を捻っていた。直に聴けばあれだけ感動する音が録音した途端にその魅力がなくなってしまったのだ。その反応も当然だろう。
 映像としてカメラで記録してみたけど同じだった。ありふれた音、ありふれた奏者。ときどき弦を確認するように薄く覗く目がウサギみたいに赤いだけで、音に特徴らしいものはない。
 が、一度人前で演奏させれば拍手喝采。止まない歓声。魔法にかかって浮かれはしゃぐ人間の称賛の声にぎこちない笑顔で手を振って応えるを眺めつつ、マシュマロを口に放り込んだ。僕と同じく彼の魔法に気付いている正チャンは冷静な顔で眼鏡のブリッジを指で押し上げる。手元には色々な数値を現在進行形で記録し続けているノートパソコンが一台。
「白蘭さんはどう思います? これ」
「うーん。不思議だよねぇ。マーレリングと同じくらい不思議だ」
「そうですね。やっぱりそっち系の何かって考えた方がいいんですかね」
「そーだねぇ。でもさ正チャン、の指にはキーになる指輪なんてない。身体もね、念のため自分の目で確認したんだけど、フツーだったよ。すごく不可思議な痣があるーとか特徴的な部位があるーとかじゃない。MRIとか試せる技法全部で調べたんだけどねー、ヒットがない」
「…一つツッコんでいいですか白蘭さん」
「はぁいどうぞ」
「彼のこと好きなんでしょう」
 ぼそっとした声で核心を突いてくる正チャンにへらっとした笑顔を向けて、席を立つ。スポットライトがと、今立ち上がった僕を照らす。最後は僕が軽く挨拶してこの披露会はおしまいだ。
『では、ミルフィオーレの花形に、乾杯!』
 シャンパンのグラスを掲げると、感動の興奮から醒めないみんなはノリよくグラスを掲げた。横目で確認すると、正チャンはシャンパングラスを受け取らずに断ってパソコンの画面に眼鏡を光らせている。は受け取って口をつけたけど、その表情は想像したとおりに曇っていた。

 人に夢を見せる。魅せる。それはそれで素敵なことじゃないかと僕は思う。
 君が思い描けば、一緒に見られる。光の射す瞬間を。その時間だけは閉じ込めることだってできる。逃さないで自分のものにできる。
 誰かを傷つけるよりも誰かをしあわせにする比率が圧倒的に勝る魔法。
 種も仕掛けもあったっていいじゃないか。マジックは種と仕掛けを明かしたらつまらないものになる。何も知らないから楽しめる。同じだ。君の魔法はもっと人を幸福にするものだ。種と仕掛けを明かしてしまったら、終わってしまう。
 君にしあわせをもらった人がたくさんいる。
 君に幸福をもらった人がたくさんいる。
 君に感動をもらった人がたくさんいる。
 いいじゃないか。少しの嘘が混じったって。少しの錯覚があったって。君が弾かなければその奇跡さえ生まれないんだ。その魔法を含めてそれは君の演奏なんだ。

「……白蘭…?」
 魔法の力で真っ白な翼を生やした君は、訝しげに赤い目を細くして僕を見上げた。いつもへらへら笑顔を浮かべていることが多いからか、無表情の僕に違和感を感じているらしい。
 アコーディオンの蛇腹を押し開く手が止まると、音も止まる。それで白い翼も羽を散らして消えていった。
「魔法の理由が分かったって言ったら、どうする?」
「知りたい」
「…知らない方がしあわせだよ?」
「それは俺が決めることだ」
「…そーだね。うん」
 最初に約束したのは僕だ。じゃあ、果たすべき、かな。
 赤い目を覗き込む。彼の身体に特徴があるとしたらこの目だ。だから調べた。時間がかかったけど、正チャンとも最終的にこの論で落ち着いた。
「その赤い目はいつからだって言ってたっけ?」
「これ?」
 自分の目を指した彼が首を捻る。それが何か関係あるのかって顔だ。
 コンプレックスだと言うこの目について深くは訊いてこなかった。
「大きな病気の後遺症というわけでもないし、大きな怪我の名残というわけでもない。でよかったよね」
「ああ。いつからって言われると……気がついたら、かな。鏡で見た自分の目が真っ赤だった。ウサギみたいに」
「その頃から音楽が好きになったんじゃない?」
「え?」
 不思議そうな顔をじっと見つめる。「そう、だっけな」とぼやく彼の赤い目。真っ赤な目。彼は最初からこの色の瞳を持って生まれたわけではないというのは調べればすぐに分かった。この赤目になってからいくつもの病院の診察を受けた記録が残っている。視覚的にも感覚的にも異常はなし、理由は分からないが突然変異を起こしたのだという結論で切り上げられたこの目は。
「昔の、エジプト辺りの魔術師なんかはね、魔力を体内から逃がさないように、自分の目を縫い付けるんだ。それでより自分の力を強固にしようとする」
 そう、つまり、この赤い目は、本当に魔法を使うことができるのだということ。きっとそうしようと思えば色々な超常現象を操ることができるだろう。誰の手も借りず、道具が一つもなくても、その身があれば、願えば、魔法を起こせる。
 僕らが行き過ぎた科学という魔法で匣を扱うのと同じだ。この世には不思議なことなんていくつでもある。死ぬ気の炎とか、それで力を発揮するリングとか、説明し難いものを土台に成り立っているものだっていくつもある。そのうちの一つが彼の目だ。代々の血族でも何でもない場所に魔力持ちの人間が生まれる確立は限りなくゼロに近い。神に祝福された、あるいは、悪魔に魅入られた。そう表現できる存在はぽかんとした顔で自分の目元に指を滑らせた。
「目が…原因ってことか」
「違うよ。僕はその道の専門家じゃないから、はっきりしたことは言えないけど…君の瞳は生まれたときは普通だった。それが突然その赤になった。つまり、魔力の顕現化だと思う。体内じゃ収まりきらないくらい溢れてた力が君の瞳を変えたんだ。溢れた力が君に楽器を持たせた。何かしらの方法で外へ流さないと、君という器が破裂してしまうから」
 君にとっては非現実的な言葉の羅列。
 僕らが出した解に君は引きつった顔で笑った。「なぁ、別にさ、無理に原因突き止めろとか言わないって。そんな話信じろって方が…」そう言うだろうと思ってたので、ポケットから匣をつまみ出す。「これ、何に見える?」「は? あー、…オルゴール?」「ブブー。見てて」匣のくぼみにマーレリングを押し込むと、カチ、と音がして白龍が飛び出してくる。ふわっと浮かんで僕にまとわりつく白龍を指して「これ、現代の科学技術の結晶なんだ」と説明したところで彼の耳には届いていない。音楽以外にはあまり関心を向けない彼が子供の顔でガタンと席を立つ。目がキラキラしてる。
「ど、ドラゴン」
「あのー? これはね、生き物みたいに見えるけど実際はそうじゃ…」
「ドラゴンってほんとにいたんだ。俺一回触ってみたくて…」
 気配を察知した白龍が迷惑そうな顔で僕から離れた。じりじり距離を詰めてくるを睨んでいる。
 はぁ。もう、話が折れちゃったなぁ。触らせたら落ち着くかなぁ。
「白龍ー」
 命じると、白龍は嫌そうな顔をしつつも仕方なくに寄っていった。ぱぁっと顔を輝かせたが白龍の頭を撫でる。「おお、ゴツゴツ。鱗」感動しているらしい。ぺたぺたあちこち触って、最終的に腕に抱く形で満足そうに落ち着いたので、ものすごく迷惑そうな顔をしている白龍には我慢するようにと命じた。
 話を戻そう。
「で、それはね、科学技術の結晶なの。は初めて見ただろうけど、今の時代にはそういうものだってあるんだ。だから、に魔力があって、その力が音楽を通して発揮されてるんだと仮定しても、僕らにはそう不思議な話ではないんだよ」
 再び難しい顔に戻った彼は白龍を指で撫でている。感触を確かめているようだ。「…これが、科学技術の結晶?」「そ」「まぁ、それが本当なら、確かに、俺に魔力っていうのがあったとしても不思議じゃ…ないか」渋々ではあるが納得してくれたようだ。よかった。
「で、問題はここから。君が望んでいた『魔法を解く』ことなんだけど、現状では難しい。君の力が瞳に出るまで顕現した理由はさっき仮定したとおりだとする。無理に封じ込めたとして、君に悪影響が出る可能性も否定できない。この手の知り合いってあんまりいないからさ、今からそーいう人達探すとして、コンタクト取るのにそれなりに時間がかかると思う」
「……………」
「君から力がなくなったとして、音楽を、好きじゃなくなるかもしれないってことも挙げられる」
 それでも君は、と続ける僕にが手をかざした。ストップ、と。
 彼にとってはあまりに突拍子もない話だったのだろう。「えっとさ…ちょっと、待ってくれ。呑み込む時間がほしい」僕はもちろんと笑って白龍を匣に戻した。消えた白龍には空っぽになった腕を見つめて、その軽さに耐えかねたように楽器を抱えた。さっきまで練習していたアコーディオンだ。
 彼が本当に魔力持ちだとしたら、こんなにいい戦力はいない。道具もいらない。装備もいらない。その身一つがあれば、その身さえ養えば、立派な戦士になる。
(だけど)
 音楽を愛して止まない。その愛が危ぶまれている今、逃げ道のように、僕のそばで戦うことを選ばせたくはなかった。
 そばにいてくれると言うのなら、ちゃんと選んでほしかった。妥協じゃなく、惰性じゃなく、きちんと見てほしかった。その赤い目で、僕を。