白を基調とした制服は、ゲームかアニメの設定みたいにコテコテしてて、いつも着ててちょっと恥ずかしい。これが制服だなんてふざけた会社だと思う半面、みんなこれを着て仕事してるわけだし、と割り切って、白いズボンにベルトを締め、黒いブーツに足を突っ込む。
 上のTシャツをどれにしようかとクローゼットをあさっているとピピピとパソコンが着信を知らせた。放っとくと白蘭が自分で作詞作曲したマシュマロの歌が流れるため速攻で「繋げて」と指示。人口知能が搭載されているらしいタブレットが俺の指示に起動して画面を点灯させる。
 相手なんて決まってる。白蘭だ。賢いタブレットは俺が離れた場所にいることを声の距離から察知して、相手をホログラムで空間に投影する。浮かび上がった白蘭は半透明な姿でひらひらこっちに手を振った。
『おはよー』
「おはよ」
『ねーねー聞いて! もー最悪なんだ! 雪が酷くって飛行機飛ばないって言うんだよ! 今日帰れると思ったのにー!』
「天候の事情なら仕方ないだろ」
 朝から元気な奴だ。こっちは低血圧だから朝からそんなにテンション上げられない。
 白い蘭の花の刺繍がされてるTシャツを頭から被って袖を通し、上着を羽織る。「雪って、今どこだっけ?」『ロシア〜』「あー」納得して、次は今日練習する楽器選びだ。部屋の大半を埋め尽くしている世界各国の様々な楽器を前に、今日の気分を探る。
 太鼓みたいに騒々しいものでストレス発散したいわけじゃない。弦を弾く気分でもない。楽器の前を練り歩いて、ケースを開き、保管している楽器を見て歩き、目に留まったオカリナを取り上げる。
 うん。今日はこれにしよう。焼き物の音が聞きたい。
 白い上着を肩に引っかけ、オカリナの入ったケースをベッドに置く。『ねぇ、今起きたの?』「そうだけど」『ご飯食べた?』「あー…」そういや食べてない。ジュースは飲んだけど。ぷんすこ怒ったふうに見せるホログラムが『こら、ちゃんと食べなさい』と言うものの、説得力に欠ける。白蘭だって甘いものばっかり食べるくせに。
 返事しないと白蘭が鬱陶しいため、しっしと手を振って「食べるから。じゃ」『ちょっと待ってよ、飛行機飛ばなくて空港で退屈なんだよ。話し相手になってよぅ』「知らねぇよ。部下の人と話すれば。仕事とか」『ええー』「俺食堂行くから。そっちもちゃんとしたもの食べろよ」まだ抗議しようとするホログラムとの通話を強制終了させる。
 ふう、と一つ息を吐いて、まずは食堂へ。食べないことには途中で力尽きる。
 白蘭と違って普通食の俺はいたって普通の朝食セットを頼み、ベーグルサンドとスープとサラダを黙々と咀嚼。義務的に食事を終えたあとは、歯磨きをしに部屋に戻り、そういや顔も洗ってなかったと洗顔もすませる。
 鏡に映る自分は相変わらず赤い目をしていた。
「……魔力。ねぇ」
 今もまだしっくりこない現実に首を捻る。鏡の中の自分も同じように首を捻る。ぽたぽた雫を落とす濡れた黒髪をかき上げて、ふわふわのタオルに顔を埋めた。
 突拍子もない話だと思ったが、これが今の科学の結晶だとありえないものを次々目の前にされれば、俺だって疑いようがなくなる。白い龍が小さな箱から出てきたり、ちょっとV系の指輪から熱くない炎が漏れたり。白蘭の背中から翼が生えたり。目を疑うようなものばかり見てきたけど、全部本物だった。
 だから、俺の力も本物で。今は音楽を介してしか扱えないこの力も、もしかしたら、訓練すれば違う使い道がある、のかもしれない。
 違う使い道…。たとえば、なんだろう。すぐには思い浮かばないけど。もっといい使い方とかありそうだ。人に夢を見せる以外のまともな方法が。
 何でもできる可能性があるなら、なんだってできるかもしれない。そういうことを考えた方がいいのかもしれない。音楽に魔法がかかってしまうことを止めたいなら、他の何かに魔法をかけて、音楽を自由にするしかない。
(でも、何をしたら…)
 ベッドに置いたオカリナセットのケースを持ち、ミルフィオーレ本部の屋上へ行く。曇天の空を見上げてからガラス扉を押し開けると、湿っぽい風が吹き込んだ。一雨きそうだ。白蘭に別荘ミニサイズを作ってもらったからあそこに行けば心配ないけど。
 風が強くて花弁が煉瓦道に貼りつていた。花道。そうと呼べなくもない花弁の散らばった道を歩き、白いアーチをくぐり抜けて、噴水広場に出る。強風のためか噴水は止まっていた。広場を通り越し、白いアーチをくぐって一番奥へ。そこに小さな別荘風の建物がある。
 鍵を押し込んで木製の扉を解錠し、木のテーブルにオカリナの入ったケースをそっと置いた。テーブルに常備されているキャンドルにライターで火をつけてないよりはマシな光源を作る。
 窓がガタガタと不穏な音を立てている。強化ガラスだから銃弾だってへっちゃらだよ、とか何とか、白蘭は笑ってたっけ。
「ふう」
 適当なソファでいいのに、この小さな秘密基地には不似合いな白いふかふかのソファに身体を埋め、ケースを引っぱり寄せ、鍵を外して蓋を開ける。手探りで取り出した青いオカリナを眺め、歌口に唇を当てる。
 観客のいない一人の舞台。俺以外誰にも届かない素直な音。
 音楽が、好きだった。
 だから一人でも海外へ飛び出した。親の反対を押し切った。楽器片手にとにかく音楽の本場を目指した。音楽の中で生きたかった。音楽の一部になりたかった。
 そこに他の感情の一切は必要なかったし、いらなかった。
 ウィーンという音楽の都は、俺にとって天国だった。
 路上ミュージシャンを白い目で見る人なんていない。みんなあたたかい。言葉が通じなくても俺には音楽があった。
 ヴァイオリン片手に演奏を始めればあっという間に人垣ができた。演奏を終えれば、ヴァイオリンのケースにはたくさんの投げ銭で、一週間は暮らしていけるだろう金が稼げた。アンコールを受けて、こんなにたくさんもらったならあと一曲くらい、とついついおまけすればするほど、ケースの中は金でいっぱいになっていった。
 最初は自分の音楽が人の心に届いたのだと俺も感動していたし、これを繰り返せば当分はやり過ごせると、アテもなしに飛び出してきた自分の道が見えたことに安心していて、気付かなかった。
 やがて路上ミュージシャンとしての俺の名が口コミで広がり、小さなカフェやライヴに招待されるようになった。喜んで行った。そこでも拍手喝采で人から称賛を得た。金も得た。繰り返すことでそこそこの地位も得た。
 着の身着のままのビジネスホテル暮らしがアパート暮らしになり、治安の悪い安いアパートからオートロックでインターホンのあるそれなりのアパート暮らしへ。
 日々を重ね、自分の音楽が人の間に広まるほどに、はっきりしてきたものがある。
 みんなが聴いてるのは俺の音じゃない。

「まるで魔法だね」

 あるとき、全身白っぽい格好をした奴がひょいひょい軽い足取りでやってきて、俺を覗き込んでそう言った。「赤い目がきれい」と付け足されて顔を逸らす。
 この目は俺にとってはあまり好ましいものじゃない。人には特徴的に憶えてもらうためのパフォーマンスだとか言ってあるけど、この目は本物だ。カラコンでもないし病気や事故の後遺症でもない。いつからか、こうなっていた。
「ねぇ、僕がその魔法、解いてあげようか」
「は?」
 顔を顰めた俺に、相手はにっこり満面の笑みだ。どこか空々しい微笑み。白い頭の相手を睨むように見据えて考え……まぁいいかという結論に至った。
 俺自身ではどうしようもないというのは分かっている。みんなが聴いて熱狂するのは俺の音楽であってそうじゃない。上手く説明できないけど、魔法、って言葉を借りるなら、俺の音楽を通じて聴く人は魔法にかかるのだ。俺の音楽がかける魔法。魔法の効果が強いから俺の本当の音はどこかへ消えている。みんなが称賛するのは俺の音楽じゃない。『魔法』のかかった俺の音楽なのだ。
「解いてくれ。その魔法ってやつを」
 俺は、俺の本当の音を、聴いてほしい。それが称賛されるようなきれいなものでなくても。その辺に溢れている音でも。俺の、音を。
 やっと飛行機が飛んだんだーと帰ってくるなりぶうたれてじゃれてくる白蘭を肘で押しやりつつ、今日のキッシュがおいしくて三切れ目を平らげる俺。「おばちゃんもう一個」空っぽになった皿を突き出すと食堂のおばちゃんは『ほどほどにしなよ』的なニュアンスのフランス語でぼやきつつ四切れ目をくれた。単語を拾った感じ、このおいしいキッシュはバターが変わったらしい。海外は乳製品が美味い。
 黙々とキッシュを食べる俺に白蘭がつまらなそうに唇を尖らせた。
 …まるで子供だな。ガキがそのまま大きくなった感じ。普段の態度も、してることも。こんな子供が『ミルフィオーレ』という会社のトップだなんてな。世の中ふざけてる。
 隣でふてくされてる白蘭を眺めて、キッシュを口の中に放り込み、咀嚼、飲み込む。うまい。
「なぁ」
「ん?」
「考えたんだけど。俺の音楽を介して力が外に流れてる現状なら…違うものを介して力が外へ行くようにすれば、いいんじゃないのか」
「まーね。そりゃ、そうできるなら話は早いよ」
「考えたんだ。たとえば」
 キッシュを切り分けていたフォークを掴んで、振り上げ、自分の手の甲向けて振り下ろして…突き刺さる前に白蘭の手が俺の手首を掴んで止めていた。いつもゆるゆるへらへらしてるくせに、俺の手を掴む力は強い。思わずフォークが手から落ちるくらいには。
 いつもへらへらしてる顔が怖いくらいに無だった。
「たとえば、傷を負って、治すとか?」
「…そういうこともできるのかもって」
「できなかったらどうするのさ。大事な手だろう。指の一本でも欠けたら君は楽器を演奏できなくなるんだよ。分かってるの」
「……そうだな。悪い。軽率、だった」
 認めて謝ると、白蘭はようやく俺の手を離した。…痕がついてる。
 これくらいして自分を追い詰めないと俺の音は自由にならないんだって、俺なりに思い切ってやったんだけどな。
 無表情からいつものへらっとした顔になった白蘭が言う。
「それにね、仮に誰かの治療を試みるっていうのもダメだ。認めない」
「は? なんで」
「たとえばだよ? 僕の部下が大怪我をしました、君が治しました。医者で治すより早くってしかも完璧。時間もお金も医者よりかからない。そうなれば医者よりも君を頼るようになる。そんな話が公になれば、人はみんな君を頼る。医者より早くて安くて楽ちんな、たった一人の君をね」
「…それがなんだよ。ダメなのか」
「ダメに決まってる」
「なんで」
 白蘭は呆れた顔をしてグラスを手に取った。中には水が入っている。「じゃ、このコップが君だとしよう。水が君の魔力ね」「ん」「人を治すごとに力は減っていく。運動すれば体力を使うのと同じ原理。物を買うにはお金がいるだろ? これも同じ。何かを成すには何かが減っていく。人を治療して、君の魔力が減っていく」傾けられたグラスから水がこぼれてテーブルを濡らしていく。「そんなことフツーの人達は知らない。治療を望む人は増える一方。君は身一つで色んなことができるけど」ついにコップが逆さになり、バチャ、とテーブルに水が落ちた。逆さのコップには当然何も残っていない。僅かな水滴が今もポタポタとテーブルに落ちる程度。
「物事には限界がある」
 そう断言した白蘭に視線を移す。普段からへらへらしてるわりに、真面目なこと考えてる奴なんだな。知らなかった。
 俺が人助けみたいなことを始めたら食い物にされると言ってるわけだ、こいつは。…それを心配してる。
「じゃ、善いことは無理だな」
 掴まれた手をぷらぷらと揺らしながらぼやくと、白蘭はきょとんとした顔で俺を見てきた。「なんで?」「今の理屈でいったら無理だろ」「じゃ、悪いことする?」「…できなくはないだろうけどなぁ。だったら音楽で魔法かけてる方がマシだよ」それじゃ今までと何も変わりがないってことになるわけだが。
 知っても知らなくても、あまり変わりがないな。結局俺の魔法っていうのは、使い道のない、人を化かすだけの。虚しい力。
「………が、条件…?」
「ええ。…あの雲……が…」
 人の話し声で気持ちのいい眠りが途切れた。うぐ、と伸びをしてソファで微妙な格好で寝ていたところから起き上がる。何時、と首を捻って確認すると、一面ガラス張りというプライバシーを考慮しない造りの外に面した壁は暗かった。夜になっていたらしい。
 昨日は確か新曲のためにずっとテーブルで五線譜に向かってペンを走らせてて…眠くなってきたから寝て……何時とか気にしてなかったからなぁ。
 素足で床を踏んで、ぺたぺた歩いていって半分閉まっていたカーテンをしゃーっと引いて全面閉ざす。
 こきっと肩を鳴らして、飯を食べるか、とベッドから落ちていた白い上着を肩に引っかけ、外へ。行こうとして、まだ外に誰かがいることに気付いた。わざわざ人の部屋の前で話をしなくてもいいのに…。
 早く行かないかな。急にビーフシチューのこってりしたやつが食べたくなったんだ。牛の塊がでんってしてるようなやつ。ここじゃ用意がないだろうから外食へ行きたいんだけどな。
「珍しいですね。彼が仕事をするとは」
「そうですねー。赤目を捜してるとか言ってましたけどぉ、一体どういうことなんですかねぇ。お師匠知ってますー?」
「赤目、ですか」
(……それって俺のこと?)
 ぺた、と壁に背中をくっつけて耳をすます。「お師匠の片目も赤いですよねー」「彼が僕を捜すわけがないでしょう」「ですよねー。じゃ、赤目って誰のことですかねー?」男が二人、俺の話をしている…って、考えすぎか。赤目なんてカラコン入れれば誰だってなれるし。白蘭なんて死んだ魚みたいな目してるし。俺じゃないって。気にしすぎ。
 ポケットにカードがあることを確認。さービーフシチューだと手を伸ばしてドアに触れようとして、パン、と弾かれた。静電気の強いものに触れたようにびりっと痺れた手を反射で押さえる。
 え、なんだこれ。
「おや。お目覚めのようだ」
 こつ、とドアの向こうで足音。この流れで突っ立っているほど俺も阿呆ではないので、手を押さえつつじりっと後退る。
 指紋認証、あるいは暗証番号を入力して解錠できる最新式の扉が音もなく開く。開けてないのに。番号は定期的に変えてるし、白蘭しか知らない。掃除の人が入るときは俺が開けて入ってもらって、出て行くまでずっと部屋にいるんだ。外に漏れるはずがない。それなのに扉の外に見憶えのない人間が立っている。あいつが解錠した。
 黒い制服を纏っている姿は、白い制服が常のここでは浮いていた。
 特徴として、相手は髪が長い。左右の目の色が違う。クフフって変な笑い方をする。その後ろから顔を出したのはカエル、じゃなくて、カエルの被り物? を被った、これも特徴的な黒服の少年が一人。「お、赤目ですね。じゃー彼ですかね?」「でしょうね」「捕縛しますか」「ええ」しかも物騒なことを言ってる。
 おいどうなってるミルフィオーレ。ここに誘拐犯がいるぞ。設備は万全じゃなかったのか白蘭の馬鹿野郎。
「起動!」
 声を飛ばすと、タブレットがヴンと音を立てた。「ホログラム。どこでもいい、飛ばせるとこにできるだけ飛ばせ!」ぱっと起動を始めるタブレットに、二人組が匣を取り出す。白蘭が持ってるやつだ。ということは、中には何かが入っている。俺はそれに対向する手段がない。
(…いや)
 対抗、できるかはやってみないと分からない、けど。力ならある。
 すぐに誰かが飛んで助けに来てくれることは期待できない。白蘭の背中に翼が生えようが白い龍に跨って駆けつけようが、ノータイムってわけにはいかない。自分の身は自分で。それは海外に出るときに強く思ったことじゃないか。
(どうすればいい? 強く願えばいいのか? 祈ればいいのか? ゲームみたいに呪文でも唱えれば形になる? えーいもうっ!)
 迷っている時間はなかった。昔熱中してたRPGのゲームを思い浮かべ、匣に指輪を押しつける二人に掌を向ける。
(重力よ。形のない君がここに顕現し、全てを押し潰すことを願う。汝が発動せしwordは、)
「gravity」
 効果は、充分なくらいにあった。
 最初にべこんと二人の立つ床がへこんだ。バランスを崩した二人を上から黒い球体が押し潰した。紫電を散らしながら重力場を変化させてその場所だけを過重力状態にしていく。
 ビシ、ベキ、と硬いものを軋ませる音が断続的に響く。
 …あれ? これ、やりすぎ、か?
!? 何してんのっ』
 ガガガ、とノイズ混じりの声に「白蘭ん」と自分でも情けないと思う声で縋ると、立体ホログラムで浮かび上がった白蘭が現状を把握した。『とにかくそこ出て』「どーやって」『壁に穴でも開けて。ほら早く!』「うう…」未だ紫電を散らす黒いボールから視線を背け、外の声が聞こえるくらいなんだ、この壁はそう厚いもんじゃない、と自分に言い聞かせて、肩から体当たりすると呆気なく崩れた。…今のも魔法、だったらいい。
 黒い球体がまだgravityを展開していたので、びっと指差して「もういい、楽器に傷がつく!」と一声怒鳴れば、魔法はなかったことになった。なかったことになったけど、確かに存在したという証に、へこんだ床に人が二人倒れている。
 飛ぶように走って行くと向こうから飛んでくる白蘭を見つけた。「白蘭ん」こっちで頼れる相手なんて白蘭くらいしかいない俺は、空飛ぶあいつにしがみついた。空を飛んでることに疑問は感じなかったくらい、頭はだいぶ混乱していた。

 突然現れた誘拐犯二人組、力を使えた現実、願えばできないことはないかもしれない、ということ。
 今まで嘘でも人を幸福にする魔法を使っていた俺には、何かを傷つけ破壊することになった現実は、予想より胸にくるものだった。
 善いことはいい。誰も傷つかないから。
 悪いことは辛い。何より、誰もが傷つくから。

 混乱している俺の背中を抱いてぽんぽんと叩く白蘭は無表情だった。その横を白い制服姿の誰かがすり抜ける。はっと我に返って「あ、あいつら、匣を」「知ってるよ」「え?」「ボンゴレだ」「ぼんごれ…?」なんだっけ、それ。パスタ? いやここでパスタの名前が出るわけないって。白蘭の顔ふざけてないし、真剣そのものだし。だからパスタのボンゴレのことを言ってるんじゃないと思う。
「白蘭様、いません!」
「目標ロスト!」
「痕跡でいい、捜して。相手は躯チャンと一番弟子だからね、気を抜かずに」
 部下に指示を出した白蘭がとんと床に踵をつけ、やっといつものへらっとした笑顔を浮かべた。その軽い笑顔に今は安心する。「とりあえず、落ち着くためのティータイムにしよう。ダイジョーブ、何かあっても僕が守ってあげるよ」さらっとそんなことを言って背中を押す手に一歩二歩と歩き出し、肩越しに振り返る。
 壁に開いた穴。へこんだ床。さっきまで倒れていたけど、消えた二人。きっと匣の不可思議な力で俺の力から上手く逃れたんだろう。そう思いたい。
 ぶるり、とおかしなふうに震えた手でぐっと拳を握る。
 …音楽が好きだ。演奏するのが好きだ。
 不純物が混じっている自分の音をきれいな音にしたいと白蘭のもとに来たのに、事態は、さらにややこしい方向へ転がっていく。