最高の人間を、というのが僕の父の口癖だった。
 人間というのは多面性のある生き物だ。一体どの分野での『最高』なのか、父は肝心なところを明確にしないままに死んだ。『最高』を極めるためにエベレストに登山に臨んで、そこで凶弾に倒れたらしい。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけど死に方まで馬鹿な人だった。ついでに言えば、そんな父を殺すためだけにエベレストに先回りして登り潜んでいたという輩も馬鹿だ。息子の僕から言っても、あの父にそんな価値はない。ただの変人だ。最後まで最高を目指し、最高のために死んだ、馬鹿な人だ。
 そんな父は『最高の人間を』の口癖の通り、本妻以外にも大勢愛人がおり、自分の血を受け継いだ最高の人間の誕生を願って毎夜違う相手と寝ていたらしい。そのため僕には血の繋がりはあるが面識のない異母兄弟姉妹が腐るほどいる。何でも、父はたくさんの子供の中から自分が認めた最高の人間に跡を継がせるつもりだったらしい。
 父の計画はその死によって半ば強制的に頓挫した。
 雲雀を継ぐのは本妻の一人息子である僕に決定し、家を任され、父がやっていた仕事を嫌々ながら引き継いだ。
 正直に言えば僕には関係ないで終わらせたかったことだけど、そうもいかない事情が一つだけあったのだ。

 まだ幼いとき、一度だけ、異母兄弟に会ったことがある。
 僕と同じ黒髪で、赤い目をしていた。血よりもずっと澄んだ赤で、夕暮れどきだったことも手伝って、僕には彼の瞳がキラキラと輝く宝物に見えた。
 彼の母親は馬鹿な女だった。子供を連れて雲雀の本家を訪れ、愛人であるという立場も忘れて、本妻、母に抗議しにきたのだ。『私の子があの人の正当な子供』と馬鹿なことを言いにわざわざ雲雀家までやってきた。母は賢い女だったから相手にもしていなかったけど、大人の汚い世界を見せるわけにはいかないと思ったのだろう、子供の僕らは別室に移された。
 女同士の陰険な争いごとから解放されて、ほっとしたのも束の間だ。
 目の前には知らない子供が一人。真っ赤な目で僕を見ている。
 大人に囲まれて育ってきた僕には、同じくらいの歳の子供というのにどう接すればいいのかが分からなかった。
「…その目、何?」
「え?」
「赤い」
 沈黙に耐えかね、気になったことで話題になりそうなことを指摘すると、彼はさっと顔を俯けた。ばちっと顔に手を当てて目を覆う。…どうやら触れてはいけないことだったらしい。
 これまでの彼を観察した感じ、年齢相応のただの子供だ。自分の欠点を指摘されて憤るわけではなく傷つくタイプの子供。
 仕方ないなぁと吐息して「きれいだよ」と言うと、相手はちらりと赤い目で僕を窺った。「きれいだ」同じことを繰り返すと、彼はおずおずと顔を上げて、赤い目を隠していた手をどけた。「へんないろじゃない?」「きれいだよ。あめ玉みたい」「そうかな」「うん」機嫌をよくしたらしい彼が得意げに胸を張るので、子供だな、と呆れつつ視線を外へと逃がす。開けたままの障子戸の外では彼の瞳よりも濁った色の夕焼けが空を焼いていた。
 向こうの方が騒がしい。どうやらお引き取り願う段階まで来たようだ。
 僕が思うに、あの女に罪はないし、生まれてしまった子供の彼にも罪はない。罪があるとすればくだらないことを求め他人を利用する父であり、それ以外にはない。
「あ」
 ぱっと立ち上がった彼が畳の上を走って黒塗りの机に取りついた。そんなところに何かあったろうかと四つん這いで寄っていくと、大して練習もしていない竹の縦笛が一つ転がっていた。それをじっと、穴が開くくらいにじっと、赤い目が見ている。
「…あげようか?」
「えっ」
 ぱっと僕を振り返る彼の目が夕陽の光を受けてキラキラ輝いていた。
 外からは大人の歩幅の足音。もう時間がない。「あげるよ。僕には音楽の才能はないようだから。君にあげる」縦笛をつまんで突き出すと、彼は嬉しそうに受け取った。「だいじにするね」と笑う顔を眺めていると愛人の女がやってきて「、帰るわよ」と語気荒く我が子を呼び、きっと僕を睨めつけた。そういう目には慣れていたので流し目で応じ、バイバイと手を振るというらしい彼にバイバイと手を振り返し、別れた。
 父の愛人についての話は家ではしてはいけないことになっている。父の愛人とその子供というのもそもそもいないもののように扱われるから、たった一度家を訪れてきた愛人とその子供のことなど、誰に訊けるわけもなかった。

 僕はあれから一度も彼を見ていない。
 子供の自分にもできうる限りの方法で捜してみたけれど、見つからなかった。
 分かっていることと言えば、彼の特徴的な赤い目と、という名前だけ。
 父が死んで、雲雀家を継いで、成人し、大人になって、色々なところに手が届くようになった。それでも彼は見つけられなかった。他人と群れる行為は嫌いだったけど、彼を捜すため、海外を不自由なく出入りするため、ボンゴレというマフィアと手を組んだ。捜索の手を海外にまで広げて、特徴的だろう赤目の彼を捜し続けた。
 別に、捜して言いたいことがあるわけでもない。
 ただ、あの赤い目を、もう一度見たい。…この行動に理由があるとすれば、恐らく、それだけだ。
 ボンゴレでも手練だっていう六道って男とその弟子に彼の捜索を任せたら、ボロクソになって帰ってきた。「ねぇ、やる気ある?」あまりに無様だったのでいっそここで殺してやろうかとトンファーを構えると、まぁ待ちなさい、と手を掲げた六道が何かを放って寄越す。ばし、と片手で掴んで、掴んだものに目を見開いた。
 雲雀の家紋が入った縦笛。長年使い込んだのか、竹に寿命が来て割れているけど、間違いない。あのとき彼にあげたものだ。ということは、やっとが見つかったんだ。少なくとも情報を掴んで帰ってきた。
 げほ、と咳き込んだカエル頭が「でもーなんですかあの人ー。幻術使いってわけでもなさそうですけど、これ、見たことも受けたこともない力ですよ」ぷっと血の塊を吐き出すカエルに眉を潜める。汚い。
が…何? いたんだろう? 連れて帰ってきたわけ」
「連れ帰ってきたのかという問いには、ノーという答えになります。彼がどうかしたのか、という問いには…少し時間がかかりますね」
 ますます眉間に皺を刻む僕に、傷の手当てをしようと寄ってきた人間の一人に「ティータイムの用意を」と命じた六道は、今ここでさっさと話す気はないようだ。全く忌々しい。こんなふざけた師弟からしか話が聞けないなんて。
 どかっとソファに腰を下ろし、足を組んで、苛々と革靴の先でタイルの床を叩く。
 手持ち無沙汰なのと、苛立ちを和らげるため、の痕跡を示す縦笛を指で遊んだ。
 音楽になんて興味のない僕が始めて三日で飽きたものは、寿命を迎えるまで彼のもとで役目を果たした。本望だろう。僕のもとにあったらずっと埃を被ったままで割れていた。やっぱりあげて正解だった。僕にとっても、彼にとっても、この笛にとっても。
 試しに歌口に唇を当ててみる。どうやるっけ、こうだっけ、と息を吹き込んでみたけど、割れているから、掠れた音が出るだけで、音階にはならなかった。
 十年。二十年。もっと彼のもとにあったかもしれない笛を腿に転がし、ぼうっと眺めていると、紅茶の香りがした。視線を上げるとテーブルに急いでティーセットが用意されている最中だった。マイペースな幻術使い師弟はそれぞれスコーンとサンドイッチをつまみつつ手当てを受けている。
 僕が睨めつけていると、サンドイッチを一つ食べ終えた六道がやれやれと息を吐いた。そういうのムカつく。いつか咬み殺すから憶えてろ。
「では、始めましょうか。まずは君の言う彼はこの彼で間違いないですかね」
 ぶわっと紫の霧が立ち込め、ぎゅっと濃縮され、人の形を作る。僕が知っている子供の彼ではなく、僕と同じく大人になった彼を。
 彼はミルフィオーレの制服を着ていた。
 赤い目。こっちを睨むような顔をしているのは、六道がとそういう対峙の仕方をしたためだろう。
「合ってる」
 ぼそっとぼやく僕に、六道は一つ頷いた。
「まぁ、見て分かるとおりですが、彼は現在白蘭率いるミルフィオーレの一員として本部に在籍しているようです。バレない範囲からの観察でしたが、白蘭と親しいようですね」
「それ以前の経歴もざっとですが調べましたー。
 、今年で25歳になる典型的な日本人です。外見的な特徴として赤い瞳をしています。
 日本の高校を中退、その後バイトでお金を貯めて、親元を出ています。楽器をお供にそのまま海外へ。音楽の都ウィーンで路上ミュージシャンとして活動し、白蘭に会うまでは小さなカフェや舞台で演奏したりして生計を立てていたようです。
 話を聞いた感じ、それなりにファンがいるようですよ。ミルフィオーレに入ってから彼の路上ライヴがなくなったので、心配したり嘆いたりって人がたくさんいました」
 メモ帳を見つつカエル頭はそう言って新しいスコーンにかぶりついた。
 情報網に関しては、そういうことに慣れている裏社会の組織の一員らしい。
 そうか。音楽。僕の縦笛に興味を示したのは、物珍しさからだけじゃなかったんだ。音楽に本気だった。だから一人でもウィーンまで出て行った。…どおりで見つからないわけだ。そんなに早く海外に出て行ったなんて、思わなかった。
 琥珀色の液体がポットからカップへ注がれる。
 熱い液体を飲み下して目頭の熱さを誤魔化した。
 幻術でできたが崩れて崩壊し、紫の霧に戻る。
「なんで、よりによって白蘭のところに」
「それなんですよ。路上ミュージシャンを飼うような物好きということなのかと思ったんですが、今日のことで分かりましたよ。
 彼には何か力がある。匣でもなく、僕らが知り得ている死ぬ気の炎による能力でもない何かが」
 確信した口調でそう語る六道を睨めつけ、そう思わせてしまうような赤い目を思い出す。
 紅茶をすすったカエル頭が首を捻った。「gravity、って一言でですね、ミー達ぺしゃんこになったんですよ」「…は?」「ゲームの技のようでしたね。呪文詠唱で敵を攻撃できる遠距離魔法です」「それが何。…がgravityって言ったら君達がそのままぺしゃんこになったって言いたいの?」そんな馬鹿な、と鼻で笑う僕に二人は笑わなかった。不可解なものを目の当たりにした、そのことについて真剣に頭を巡らせている顔だ。
「お師匠どう思いました?」
「はてさて…炎の気配は感じませんでしたし、ミルフィオーレが誇る未知の科学技術、という可能性もありますが…」
「あのパソコン以外に周囲に熱源なんてありませんでしたけどー」
「そうですねぇ。見落としている点があるのでしょうか…」
 ぶつくさ言ってる二人にバンとテーブルを叩くとポットを持って待機していたスーツの人間が飛び上がった。六道の目が僕を捉える。片方だけ赤い目は、嫌でもを思い起こさせる。
「とりあえずそういうことです。彼は現在ミルフィオーレトップの白蘭のそばにいる。それが現実です」
「…………そう」
 紅茶を飲み下し、ソファを立つ。「雲雀くん」背中にかかった声に足を止めると「無茶はしないように」と余計な小言を言われた。涼しい顔でカップを傾けている六道を肩越しに睨んでからあてがわれている部屋に向かう。
(ミルフィオーレ。よりによってそんなところにいるなんて)
 ミルフィオーレとは、ボンゴレと敵対している新興マフィアで、かなりの勢力を持っている。本部がウィーンにあり、イタリアにあるボンゴレとは直接関わることはなく、巨大な組織と注視するだけですまされていたが、近年、裏で匣その他の手配をしているらしいという情報が判明。危険因子として監視体制を強化していた。
 トップは白蘭という白髪の若い男。出身や国籍など細かいことは不明な胡散臭い奴だが、カリスマ性があり、大勢の人間を従えている。未来が読めているかのような革新的な行動を取ることでも知られ、最近では表のIT企業としての顔も売れ始めているところだ。
(会って話したいことがあるわけでもない。厄介な場所にいる、一度会っただけの人間に、言いたいこともない)
 それでも会いたい。あの赤い目の持ち主と。
 部屋に戻り、あるだけのリング所持数を確認し、私的なことなのでボンゴレのリングは外してテーブルに置いた。あるだけの匣を数え、スーツのポケットと上着の内側に配置し、長年愛用してきたトンファーのぐあいを確かめる。
 このためにボンゴレと手を組んだ。このためにここまで来た。並盛を出て海外なんてうるさく煩わしい場所へ。
 見つけたい人は見つかった。あとは、この手でその手を掴むだけだ。