白いドレスのまま白い靴を履いて、手を引かれるままに歩く。のんびりした速度で歩く白蘭は並盛町に入った。道行く人が私の格好を見て不思議そうな顔をしたり誰かと囁き合ったりするのを視界に入れながら、さっきから考えていた。どうすればいいのかを。
 白蘭の指にはマーレリングがある。リングでの戦いがどういうものなのか私は詳しくないけれど、雲雀さんと対峙したあのときの白蘭の強さは圧倒的だった。今度もきっと同じだ。そして今度は止められない。止める術が、見つからない。
 あのときは私が来れば彼を見逃してくれると言った。そうするしかなかった。白蘭の手を取らなければ雲雀さんが死んでいた。選択肢なんてなかった。私は彼に死んでほしくなんてなかった。
 今だって同じだ。死んでほしくない。生きてほしい。生き残ってほしい。だけどそれにはどうしたらいいのだろう。
「お。あっちも気付いたみたいだね」
 のんびりした声に顔を上げる。憶えのある黒服のリーゼントの人達に、逃げてほしいと思った。それを言う暇なく白蘭が右手を掲げた。リングを中心に光が溢れる。そして。
 そして。その眩しさに少し目を閉じて、開けたとき。さっきまでそこにあった並盛町は、きれいになくなっていた。そこにいたはずの人は誰もいなくなっていた。まるで爆弾でも落とされたように、みんな消えてしまった。
「あ……」
 あの人が、愛して、守った、町が。
「スッキリスッキリ。きれーな新地になったじゃないか」
 白蘭は笑っている。ぐっと握られている手を剥がそうとしたけれど、力で敵うはずもなかった。「今頃どこへ行こうってのさ。見てごらん、きれいになくなったんだよ?」にこりと笑顔を向けてくる白蘭の顔を睨みつける。涙が滲んできていた。
(雲雀さん。雲雀さん、雲雀さん、雲雀さん。雲雀さん…っ)
 瓦礫の中に視線を彷徨わせて探してみる。捜してみる。誰もいない。形も残っていない。
 誰も、何も、なくなってしまった。それが頭に沁み込んで、がくんと膝が折れた。
 誰も。何も。なくなってしまった。慣れ親しんだ場所が、よく知っている場所が、こんな簡単に、こんなに脆く崩れてしまった。
 ぽろぽろと涙がこぼれて落ちる。「あーあ、せっかくのドレスが汚れちゃったね。まぁいいんだけど」涙を拭おうと伸びた手を払いのける。きょとんとした顔の白蘭を睨みつけて、震える足を叱咤して立ち上がる。
 諦めたくなかった。彼はきっと最後まであがくはずだ。私だってそうしたい。

「その手、離してくれる」

 半分は強がりだったのだろう。だから聞こえた声に耳を疑った。嘘、この惨状で本当に生きて、と縋るように振り返った。
 スーツ姿の彼がそこにいた。愛用のトンファーとハリネズミのロールを従えて、そこに立っていた。「雲雀さ、」足を踏み出しかけて、強く手を引かれてそれ以上は前に進めない。
「やだよ。はもう僕のものだしね」
「…随分ふざけたことを言ってるね。それは僕の所有物だ。誰に譲渡した憶えもない。返してもらうよ」
 トンファーを構える彼と、リングをした手を掲げる白蘭と、何もできない私。二人がぶつかり合うのを見ていることしかできない自分が無力すぎて泣きたくなった。
 あのときと同じで、白蘭と彼の差は埋まらず、戦いは一方的だった。
 彼の足を白い光が掠る。白蘭は笑っている。私を片腕で拘束して動く必要がないとばかりにリングで彼を圧倒した。
「弱いねぇ雲雀恭弥! ボンゴレリングが残ってたらもう少しいい勝負ができたんだろうけど、そんな三流のリングじゃあ話にならないよ!」
 ドッ、と溢れた光が彼の腕を貫いた。血の赤い色が舞う。「やめて」と震える声で訴えても白蘭はただ笑って攻撃を繰り返すだけ。「ほらどうしたの、これでもかなり手加減してるんだよ?」大きな光の塊にロールが飛び出して防御して、相殺するために攻撃を受け続け、光と一緒に弾けて消えた。
 は、と息をこぼした彼はあっという間にボロボロになって、その指からパリンとまた一つリングが砕け散った。
「やめて、お願い。お願い白蘭」
 お願い、と乞うと、笑みを深くした白蘭が言う。「残念だけどこればっかりは変更できないなぁ。じゃないと君は僕を見ないだろう?」悪魔のような微笑みと一緒に掲げた右手のリングが光る。ジャキとトンファーを構えた彼が舌打ちを漏らしたとき、その変化は唐突に訪れた。
 びくんと大きく白蘭の身体が跳ねたかと思うと、私を拘束していた手の力が緩んだのだ。今しかないと思った。思い切り振り払って駆け出す。長いドレスもヒールのある靴も走りにくかった。手を伸ばす。トンファーを落とした彼の腕の中に飛び込んで、抱き止められて、「」と呼ばれて、「雲雀さん」と滲む声で呼び返して、ああ今なら死んでもいい、なんて思って。
「あ…? なんだこれ。なんだ、これッ」
 聞こえた声にそろりと振り返る。白蘭の様子が変だった。さっきまで普通だったのに、何かがおかしい。
 並盛をこんなにして、彼をこんなに傷つけて、私に無理を強いた相手なのに、私はあの人のことを心の底から憎むことはできなかった。
 だって似ている。白蘭は雲雀さんに少しだけどこかが似ている。そんな人が頭を抱えるようにして呻いてざしゃと膝をついた。明らかに様子がおかしい。
「何あれ」
「わ、分かりません。……白蘭?」
 迷った末に声をかけると、ぎこちなく私を見た白蘭は泣きそうな顔をしていた。ぶるぶると震える腕をこっちへ伸ばして「こんなこと、あるわけが…この僕が……そんな、わけ、が」私には分からないことを呟いて白蘭が地面に倒れ込んだ。様子が変だ。思わず雲雀さんの腕を抜け出してしまう。
 ぱしと手首を取られて、「行く必要ないだろ」という声と一緒に引き戻された。後ろから抱き締められて動けなくなる。
 でも何か、変だ。演技をしないといけないような場面じゃない。力の差は圧倒的だった。
 彼はどうして苦しそうにしているんだろう? どうして泣きそうな顔で私へ手を伸ばしているのだろう? どうして。
…」
 掠れた声で名前を呼ばれる。動けない私はどうすることもできなかった。
「ほん、とう、に。愛して、た。よ」
 答えを。口にする前に、白蘭の腕は落ちて、その瞳から光がなくなった。
「…え? 白蘭?」
 呼びかけても、彼はもう動かなかった。
 手で口を押さえる。さっきまで確かにそこで雲雀さんを傷つけ私を追い詰めていた人が、どうしてか死んでいた。
「……死んでるね」
 ぽつりとこぼした雲雀さんにぎこちなく頷く。私を抱き締める腕の力が緩んだ。足を引きずりながら倒れている白蘭のところに歩いて行く彼に、続けなかった。足が震えていた。これだけのことをした人なのに、ひどい人だと思っていたのに、いざ死んでしまったら。私は。
 脈を確認した彼が無表情に白蘭を見下ろした。「訳の分からない奴だった」とこぼした声に、本当に死んでいるんだ、と思った。
 がくりと膝が折れた。
 白いドレスをこんなに汚して、色んなものを捧げられたのに、私は結局一度も白蘭という人を見ようとはしなかった。
 私も、ひどい人間だったろうか。溢れてきた涙に掌で顔を覆う。
 足を引きずる足音と一緒に、雲雀さんが戻ってきた。「」と呼ばれて顔を上げる。膝をついた彼の血で汚れた手が私の涙を拭う。不器用な指先と少しだけ戸惑いが混じった無表情が懐かしいのに、今は涙が止まらない。
 怖い夢を見たんです。いつかにそう言って彼に泣きついた。そのときと同じように彼に泣きついた。同じように、彼は私を抱き止めた。不器用な手が私の頭を撫でる。懐かしい。ひどく懐かしい感触に、涙はさらに溢れて、止まることを知らなかった。
 この世界を支配していた人は、そうやって死んだ。
 指導者をなくしたミルフィオーレファミリーは分裂した。お互いにいがみ合う組織を潰すのは、ボンゴレと同盟ファミリーが力を合わせれば敵う現実だった。
 私は、不機嫌顔の雲雀さんに無理を言って、白蘭のお墓を作ってもらった。そのときの彼の機嫌の悪さと言ったらもうなかった。どんなに話しかけても一週間無言を貫かれた。そのくせそばを離れようとすると睨まれたり腕を引っぱられたりして離れることも許されず、無言で食事を一緒に食べたり無言で飛行機に押し込まれたりして、色々と大変だった。
「…なんて言ってるとまた雲雀さんが怒りそう。今日はここまでね、白蘭」
 白い色のお墓を一つ撫でる。誰のお墓か分からないように名前とかは刻まれていない、ただの墓碑だ。彼はこの下に眠っている。
 しゃがんでいたところから膝を伸ばして立ち上がる。ちょっと伸びをしてから「また来るね」と残してお墓をあとにする。
 ざわりと風が吹いて、またね、と言われた気がして振り返った。
 白い墓碑があるだけで、誰もいない。声が聞こえたような気がしたんだけど…幻聴、かな。
 首を傾げていると「」と呼ばれて顔を戻す。車で待ってると言ってたのに、彼はそこにいた。苛々してるように組んだ腕を指でとんとん叩いている。「早くして。予定詰まってるんだ」「はぁい」駆け出して手を伸ばせば、腕を解いた彼が私を抱き止めた。「子供じゃないんだから」と呆れたような息をこぼして、彼は私の頭を撫でてくれる。いつかには不器用だった手も、今はそんなこと忘れたというように器用に私の頭を撫でていた。
「雲雀さん」
「…何」
「いいえ。何でもないです」
 やわらかく頭を撫でていた手が離れた。私を抱いていた腕の力が緩んで、「行くよ」と言われる。顔を上げて自分の足で地面をしっかりと踏む。彼の隣を歩き出して、少しだけ白い墓碑を振り返る。
 私はあなたのことをちゃんと見れないままだった。
 だから代わりに誓おう。あなたのことを、私はずっと忘れないと。
 そんなものは自己満足の贖罪だと、あなたは笑うのかもしれないけど。