ボクの幼馴染が難病に侵されている、と知ったのは6つのときだった。
 それまでボクは彼女のことを身体の弱い女の子としか認識していなかった。幼いながらのその認識も間違ったものではなかったのだけど、それよりももっと状況は深刻だった、ということを知った。
 物心ついた頃から走ることができず、ただ歩くだけでも休憩を挟んで少しずつしか前に進めなかった彼女が、ついに車椅子での移動を余儀なくされたのだ。彼女は少し調子が悪いのだと何でもないことのように笑っていたけれど、幼いボクも、この事態はさすがに普通ではないということを悟り、親に問い詰めてみた。そして、幼馴染が長すぎてよく分からない病名の病に侵されていると知った。
 比較的裕福な家庭、中の上と表現できる環境に生まれたボクとだったけど、世に蔓延る不平等という鎖から逃れることはできなかった。
 断ち切りたいその鎖は鋼鉄よりも頑丈であり、無慈悲なほどに硬く、冷たい温度でもって、幼馴染の弱い身体をがんじがらめのぐるぐる巻きにしていた。
 たとえ全財産を投げ打ったとしても我が子が回復する見込みがないと医師に聞かされ、彼女の両親はそれはもう絶望に打ちひしがれていた。
 ボクにはそれが腹立たしかった。
 彼女の病について苦い診断しかしない医師ももちろん腹立たしかった。まるで希望がないみたいな沈鬱そうな表情でそう言う医師も気に入らなかったが、その医師に言われるままを受け止めて絶望している彼女の両親が気に食わなかった。
 本当に辛いのは誰か。本当に泣きたいのは誰か。本当に叫びたいのは誰か。分かっていない。本当に分かってない。誰よりも何よりもこの世界に対して恨み言を言いたいのは彼女であって、彼女の両親ではない。

?」

 大人の説得は大人に任せ、ボクは彼女の部屋に顔を出した。彼女は車椅子に座ったままぽけっとしていたけど、ボクが来たことに気付くといつものように笑って「グレイ」とボクを呼ぶ。チャールズなんてありきたりな自分の名前を嫌っているボクのことをちゃんと分かっている彼女はボクをそう呼ぶ。その彼女の部屋に入り、しっかりとドアを閉じる。間違っても下の階でみっともなく泣いている大人の声が聞こえたりしないように。
 彼女はいつもと同じだった。運動というものが得意でない彼女が得意とするボードゲームやカードゲームの類が並んだ棚を細い指で指して「今日は何する?」と首を傾げる。
 勝手に絶望して勝手に泣いて勝手に叫ぶ彼女の両親にボクは憤りを憶えていた。だからボクはそれらに対抗していつもみたいに彼女に笑いかける。「じゃ、今日はこれをしない?」後ろ手に抱えていたジェンガの入った箱を見せると、ぱっと表情を輝かせた彼女が「わぁ、それ何?」とジェンガに興味津々になってくれたので、ボクの狙いは当たりだ。
 チェス、囲碁、トランプゲーム、将棋、オセロ、UNO、エトセトラ。一通りのボードゲームとカードゲームを知っているには新しい遊びが必要だろうと、最近色々と探していたのだ。
 ジェンガの箱を開けて、中の積み木みたいなパーツをばらばらとテーブルに出して「まず、これでタワーを作る。そこからゲームスタート。交代で一つずつパーツを抜いて、一番上に積み上げる、っていうのを繰り返すんだ。そうしてくとどうなるか分かる?」「抜いて、詰んでいくんだから…最後には、バランスを崩して倒れたりする、よね?」「そう。だから上手に抜いて、上手に積み上げるんだ。それで、先に倒した方が負け」今までみたいにいくつかルールがあるわけでもない簡単な遊びだ。でも、彼女はそういうゲームはまだしたことがなかった。だからこそ新鮮味もある。
 の様子はいつもと変わらない。ただ、家の中でさえ車椅子で生活するようになってしまった彼女は、小さな身体に不釣合いな無骨な車椅子に座って、僕がジェンガのタワーを組み上げるのを見つめている。

「ねぇグレイ」
「何?」

 何か言いかけた彼女は一度口を噤んだ。階下を気にするようにドアに向けられた視線で、彼女が何を言いたいのかはだいたい分かった。そしてそれが腹立たしかった。
 がもっと馬鹿な子ならよかったのに。そうしたら君は自分のことより両親のことを気遣うできた子供ではなかったろうに。そのために笑顔しか浮かべない子ではなかったろうに。
 本当に泣きたいのも本当に辛いのも本当に叫びたいのも本当に絶望したいのも、君であって、君の両親ではない。

「ボクさ」
「うん」
のおとーさんとおかーさん、嫌いだ」

 ぼそっとそう言ってジェンガのタワーを組み上げ続けるボクに、彼女は曖昧な笑みを浮かべる。
 自分の両親を嫌いだと言われてそうだねと肯定する子供はいないだろう。反抗期という年齢に達していたならまだしも、ボクらはまだ6歳だ。けれどボクも彼女も自分が早熟な子供であることを理解していたし、実際そうであったから、そんな話さえできたし、不自然ではなかった。ボクは自分が彼女の両親を嫌う理由が分かっていたし、聡い彼女も、ボクの理由に気がついていたから。
 ことん、と最後のブロックパーツを置いて、タワーから手を離す。じゃんけんで勝った彼女が後攻を選び、ボクは先攻になった。ボクもジェンガは初めてだったので、物は試しで上の方のブロックの真ん中のを選び、指で少し押してからそっと抜き取って、そのパーツを一番上の端に置いた。
 彼女はボクより二つ下の段の端のパーツを選び、そっと抜いて、静かに一番の上の端に置いた。
 そうしてバランスゲームは続き、結局、最初は彼女がタワーを倒してしまったのでボクの勝ちになった。
 崩れて倒れたパーツを集め、今度は彼女がジェンガのタワーを組み上げる。その間にぽつりと「ねぇグレイ」とこぼす声に、箱に入っていた説明書を斜め読みしていたボクは「んー」と生返事。

「わたし、不出来ね」
「…何が?」
「いろいろと」
「別に、不出来じゃないでしょ。上出来でしょ」
「こんな身体で?」

 おどけたように肩を竦めて車椅子を叩く彼女は笑っている。両親が泣くから、自分まで泣けないって、笑ってばかりいる。本当に泣きたいのは君の方なのに。
 握り潰してしまいそうになった説明書を手離す。「、泣きたいだろ」「どうして? わたしが病気だってやつ? 別に、泣きたくはないよ」「嘘だ」「嘘じゃないよ。それに、ほら」階下から泣き喚くような大人の声がタイミング悪く聞こえてきて、はやっぱり笑う。「わたしが泣く分は、パパとママが泣いてる」と笑う。
「それにね、不思議と涙は出ないの。…わたし、もうね。無理なんだよ」
 そうやって笑う君が痛い。痛くて痛くてたまらない。
 まるでもう全てに諦めてるみたいに、君がそこで笑っている。
 机を踏み越えた拍子に組みかけのジェンガが倒れた。気にもかけないで車椅子の前に立って、君のことを抱き締める。他の女の子より小さくて、弱くて、誰かの手がないと生きていけない君のことを抱き締める。
 たとえ君の両親が君のことを諦めてしまっても、ボクだけは絶対、諦めたりしない。
 幼い心に強い焔を宿してそう思った。そう誓った。
 もう泣くこともできないという君は、目を閉じて、ボクの肩に額を押しつけていた。涙の欠片も見せることなく、ただそうであるように、諦めた意識で、息を重ねていた。