わたしとグレイの18歳の夏。仕事先のハワイ滞在中に、第四次世界大戦が勃発した。それは前触れなしの突然の戦争で、わたしもグレイもとにかく驚いて、次いで、情報収集のためにお互いできる限りのことをした。何がきっかけだったのか、どの国が参戦していてどういった大義名分を掲げているのか、主力武器は何か、どこが危険でどこが安全か、分かる限りのことを頭に叩き込んだ。
 軍からはすぐに帰還するよう命令があった。
 わたしは軍開発の『新薬』に適応した貴重な人材なんだとかで、普段から縛られがちなのだけど、今は自国の防衛のためにわたしという戦力を駈り出したいのだろう。戦争が起こったのなら、他国からのバッシングを避けるためにひた隠しにしていたわたしという人造兵器を出さざるを得ない。上の人はそんなことを考えたのだと思う。
 グレイは、軍の帰還要請にいい顔をしなかった。当然だ。戦争をしている国に戻るということはわたしは人造兵器として戦うのだということであり、人を殺すのであり、血を浴びるのであり、傷を負うのだから。
 今まで死ぬほどの傷を負ったことはない。あんなに弱かった身体が今はもうこんなにも強い。銃弾を弾き飛ばしたり砲弾を受け止めたり、剣撃だけでもビルを真っ二つにできるわたしは、立派な兵器だった。

「グレイ」
「…分かってるけどさ。ボクは、が怪我するの見たいわけじゃない」
「それも、分かってるよ。ちゃんと分かってる。…でも戻らなきゃ。薬、あと一週間分しかないでしょ」

 グレイが管理してるわたしの投薬のことを指摘すると、彼はうぐと悔しそうに口を噤んだ。本当に悔しそうに唇を噛み締めていた。
 わたしの身体はあくまで『新薬』の投与を続けることでこんな超人みたいに色んなことができるようになっているのであって、決して弱いあのわたしはいなかったことにはならない。薬が切れたときどうなるのか、わたしは知らないし、分からない。でもいい想像はできない。『新薬』のおかげで今のわたしがあるのなら、薬がなくなれば、今のわたしはなくなると思った方がきっと現実的だ。
 この薬は人を選び、化け物にもするし、超人にもするのだという。
 その薬に選ばれたわたしは、選ばれている限り、戦い続けなければならない。
 物を壊すのも者を壊すのも特別感慨はなくて、仕事だと割り切って全てをやる。ことが力仕事の雑用や要人殺人から世界大戦へと幅を広げようと、わたしがすべきことは同じだ。赤い色を浴びて立つこと、それだけ。
 グレイが隣に立つようになってから。手を握って隣で笑ってくれるようになってからは。わたしのために家も家族も全部捨てた彼のために、仕事の失敗がないよう、彼に迷惑がいかないよう、この時間が続くようにと願いながら生きてきた。
 グレイはわたしに生きてほしくて、笑ってほしくて、何でもしてくれる。捨てられるもの全部を捨ててわたしの隣にいることを選んだ。だからわたしも、彼に生きてほしくて、笑ってほしくて、そのためだったら何でもしようと思えたのだ。
 だから大丈夫なんだよ。たとえ相手が世界大戦だろうが、わたしはやっていける。やれるよ。

「帰ろう?」

 わたしが微笑んでちょんと額に唇を寄せると、グレイは私を抱き締めた。「ごめん」と言うくぐもった声に緩く頭を振る。
 あなたが謝ることなんて一つもない。
 わたしの命は軍のもの。そうあのときサインをした。あれが有効な限り、わたしに『新薬』というものがついて回る限り、わたしは軍が言うがままに動かなくてはならない。それはもう仕方がないことだ。
 それに、グレイ。あなたは目をつけられている。わたしが心を寄せていることに上の人は警戒心を抱いている。あなたもそれを知っているだろうけど。
 わたしたちはどうやっても自由には動けない。この先も一生自由にはならない。
 わたしは死ぬまで軍の所有物で、『新薬』の被験者で、実験台で、禁忌の人造兵器であり続ける。
 あなたはそんなわたしのそばに死ぬまで一緒にいて、わたしが死んでしまったらあとを追うという。
 …あなたは馬鹿な人だ。わたしにとてもまっすぐで、すごく、馬鹿な人だ。
 ごめん、と謝る彼は変わらずわたしを抱き締めていた。強く強く。でもわたしは彼にこうされることが不快ではない。どちらかというと心地いい。身体がそう感じるから、わたしは彼に対して普通の人と同じような態度でいられる。
 こうしてわたしが生きているのはあなたが提案した話がきっかけであり原因でもある、と理解している。だからこそ、謝って、泣きそうになっているけど、でも、泣かないのだ。
 こんなに一途にわたしを想ってくれているあなたが愛おしい。とっても愚かしくて、でも、愛おしい。
 そっと彼の背中を抱く。壊してしまわないように、ただ、抱き締める。
 この生がいつまで続くのかはわたしにも彼にも分からない。気紛れだという『新薬』があるいはわたしを見放したとき、わたしは超人から化け物へと変わるのかもしれない。
 それでもいいとあなたは言った。どちらにせよボクは君と終わることを選ぶから、と。馬鹿みたいなことをまっすぐな眼差しで口にして。そういった言葉を、彼は今まで一度も撤回したことはない。
 本当にわたしに馬鹿なんだね、と、笑ってしまう。
 嬉しくて、なんだか悲しくて、ただ一途にわたしだけ想っているあなたが眩しくて、笑ってしまう。
 …ほら。わたしの手はこんなにも赤いのに。そんなわたしの手でもいいって、わたしの手がいいって同じ赤に手を染めるあなたは、本当に、馬鹿だね。本当に。
 大きな穴がたくさん穿たれた戦場の真っ只中でわたしは笑う。なんだか嬉しくて、悲しくて。
 きっとどこかでグレイが見ているだろう。戦場に立つわたしのことを見守っているだろう。自分の仕事をこなしながら、わたしのことをずっと気にかけているのだろう。
 わたしは軍に自分とグレイの命を人質にされているようなものだ。自分のものはまだいいけど、グレイに何かあったらわたしが困る。生きている意味がなくなってしまうもの。だから、この任務も、失敗のないように上手にやらないとね。
 頭の中では、彼と何度もプレイしたチェスの手順のように、これからのことがすっと筋を通して浮かび上がってくる。
 相手がどの国だろうと、どんな戦艦だろうと、どんな戦闘機だろうと、わたしはこの任務をやり遂げよう。
 そうしてボロボロになったわたしをグレイが抱き止めてくれる。どんなに血まみれでもどんなに傷だらけでも、腕がもげていようと足が曲がっていようと、彼は絶対にわたしを受け入れる。その腕に抱かれることでわたしは安心して眠りにつける。
 このまま目が覚めませんように、なんて不謹慎なことを考えて、眠って。そして目が覚めて。まだ生きている自分が少し残念になって。でも、あなたがわたしを覗き込んで、と呼んで、よかったと泣きそうな顔で笑ってくれるなら。手を握ってくれるなら。細長い指で頬を撫でてくれるなら。こんな生でも、まだ生きていてもいいかなぁ、なんて思うのです。