時代はもう二十一世紀。海外との交流を重要なものであると考える一応先進国の一員日本。海外との学生交流=留学生の文字でそれなりに有名な私の大学には二ヶ月に一人は新しい留学生というのがやってくる。題目は一応日本文化を学びに、だそうだ。
 私は特にそういうものは重要だと思ってないので留学には興味なし。っていうかお金かかりすぎるしね。そう思うと留学とかお金のかかることを海外はよくまぁぽんぽんと。講義室の長机に頬杖をついたまま私はそんなことを思って吐息した。
 さてそれは置いておくとして、今回はどんな人がやってくるんだろうか。特に興味はないけどまぁ美男美女であったら目の保養になるのでそうであればいいなぁと想像。
「はいでは留学生ー入って自己紹介ー」
「チャールズ・グレイです。イギリスから来ました、どうぞヨロシク」
(…お)
 ありきたりな自己紹介で名前とどの国から来たのかを名乗ったのは、多分美男に入る感じの子だった。興味がなかったところからちょっと気持ちが湧き立つ。なんか髪が銀色に見えるけどなかなかいい線いってる。あれ染めてるのかなぁ。それに服装、一つ時代が昔の外国で言う上流貴族ですって感じの品のある佇まいをしてる。持ってる鞄もすごく皮でできてますって感じ。品がいいけどよすぎない感じを受けるのは髪型のせいかな。うん、つまりいい感じ。好印象。
 じっと観察していたらぱちと目が合った。さっと視線を逸らす。
 いかんいかん、見た目で人を判断しちゃ駄目だ私。でも見目麗しい人は目に入れても痛くないから本当保養。たとえ毒舌家でも日本語がものすごく下手だったとしても許してしまうだろう。そういう魔力というか魅力があるのだ、見目麗しいっていうのは。
「センセー、ボクあそこに座ります」
 見目麗しい留学生のそれなりに流暢な日本語の声がした。曖昧な先生の返事の声と足音。
 顔を逸らしたままどこに座るんだろ、できれば私よりも前の方で後頭部でいいから留学生を眺めていたいなぁと悶々している私のすぐそばでこつと足音がする。そっぽを向いて頬杖をついていた私はちょっと期待で胸が膨らむ。そばかな、そばならいいな。目の保養目の保養。
 私の前私の前。私の前に来い! 呪文みたいにぶつぶつ心の中だけで繰り返していたら、こつんと足音が止まった。「そこ、通してくれる?」と声が降ってきてぱちと一つ瞬く。視線を上げると上質そうな皮の鞄に上流貴族ですって格好をした留学生くんがいるではないか。はっとしてがばと立ち上がって飛び退いたのは多分反射に近かった。私の座っていた席は長机の端っこ。隣は埋まっていなかった。そこに留学生くんがどさと鞄を置いて座り込んで足を組む。
(た、確かに近ければいいなぁ目の保養目の保養とか思ってたけど、ま、まさか隣?)
 ちらりとこっちを一瞥した目と「座ったら」という声にまたはっとして、ちょっと目立っているところからすごすご席に座り直す。
 留学生くんに興味津々の分かりやすいひそひそ会話とかが展開されている教室の中、筆箱からペンをあさるふりでそこについてる鏡でそろりと留学生くんを窺ってみた。鞄からばさばさ教科書とかノートを取り出してる彼はやっぱり見目麗しいまま、私の隣で平然とした顔をしていた。
 留学生らしくない留学生くん。堂々としてるし日本語は流暢だし、英語はもちろん文句のつけようもなく上手。ついでにフランス語なんてものもできる。私にはさっぱりな領域。
 そんな彼の名前はチャールズ・グレイ。グレイって言えばアッサムダージリンに並ぶ紅茶で有名な名前だ。チャールズっていうのは名前としては海外ではありきたりだろうか。日本人は相手のことをまず苗字で呼ぶようにするけど、外人さんの場合は親しみ(?)を込めて名前で呼ぶことの方が多い。なのでそのマニュアルに則って彼のことをチャールズくんと言ってみた私だけど、本人はあまり名前が好きじゃないらしくグレイって呼んでと返された。淀みない日本語で。
 グレイは本当に日本語や日本文化を勉強しにやってきた留学生なんだろうか。そんな疑問を抱きつつ、なぜか彼が私の隣にいるわけである。
 気まずい。雰囲気が沈黙がというより、主に周りの視線が。
「ぐ、グレイくん、授業は?」
「何受けるかまだ決めてないんだよねー。だから見学してから決めようかと思って。センセーの許可なら取ってあるからさ」
「…だからって私についてこずとも……」
「いいじゃん。減るもんでないでしょ」
「はぁ…」
 淀みない日本語ですらすら会話してみせるグレイ。ちらりと周りに視線を向けてみたけど、羨望や嫉妬や様々なものを感じた。大学に入って友達作りよりも勉強を優先している私に寄ってくるような人もなく、助け舟のようなものは何もないまま講義室に先生がやってきて授業開始のチャイムが鳴る。なるべく机の端っこに席を取る私の隣でグレイが足を組んで持ってきた教科書を眺めていた。頬杖をついてどうでもよさそうな顔でまさしく斜め読み。現代社会の授業なんて私でもつまらないと思うのに、留学生にとっては難しい専門用語が飛び交う難易度の高い内容じゃないだろうか。
 ノートを取り出して教科書をめくってそれでも気合いを入れてやるしかないと割り切った私。筆箱からシャーペンを取り出す。今更人の視線なんて気にしてられないっての。かちかちシャーペンをノックして気分を入れ替え、ようとしたところでぬっと伸びた手が私の手からシャーペンを奪った。絹ごしの肌触りなんじゃないだろうかと思う白い袖口とその手が誰のものかは言うまでもない。
「ちょ、」
「ペン何も持ってこなかったんだった。貸して」
「…どうぞー」
 悪びれもなくさらりとそう言ったグレイに閉口気味になる私。ゴーマイウェイだ。そこは外人らしい。偏見かもしれないけど。
 仕方なく予備のシャーペンを取り出してかちかちとノック。前置きなくさっそく授業に入っている先生の話についていくべく教科書に視線を落とす。この先生は重要なところは二回強調して説明するからテストの傾向が分かりやすくて助かる。そこを押さえていればだいぶ点が取れるから。
 必死に先生の言葉を追いかけて教科書の文字を追いかける私。その私の隣で相変わらず頬杖をついたまま教科書斜め読みの格好のままのグレイ。
「つまんなくない? この授業」
 ぼそっとしたぼやき声。返事をしないでかりかり教科書にメモを入れていたら肘で小突かれた。「いたっ」「無視しないでくれる?」「って、私に言ってたの」「君以外知り合いいないよ」「私とだって今日知り合ったばっかりでしょ」「まぁね」ひそひそ声を出す私と違ってグレイは普通に喋るからしーしーと唇に指を当てて一生懸命アピールした。ちらちら先生の方を窺う私に彼が呆れたような顔をする。適当にかちかちシャーペンをノックしながら「で、つまんないんだけど」…ゴーマイウェイめ。ぷいとそっぽを向いて「じゃあ他の授業聞きに行ったらどうですか」と返すと、彼が顔を顰めた。その考えはなかったらしい。
 一応これは授業、私語は厳禁とは言わずとも好ましくない。なので私はそこから口を真一文字にして教科書と先生と黒板とに視線を動かし手を動かしノートを取る時間に戻る。完全に興味が失せてしまったのか、隣のグレイは頬杖をついたまま教科書斜め読みの格好でかちかち無意味にシャーペンをノックし続けていた。
「…どこまでついてくる気?」
「べっつにー。ボクの自由でしょ」
「はぁ…」
 そしてお昼休みに入った。当然の如くグレイは私についてきた。お昼ご飯を学食ですませるために廊下を歩く私に彼がついて並ぶ。頭の後ろで手を組んで、特に珍しそうにするでもなく普通に隣を歩いている姿が逆に違和感を感じる。本当何しに日本の大学来たんだこいつ。
「ワフウって、ここにあるの?」
「はい?」
「ワ・フ・ウ。日本の和の心ってヤツ」
「さぁ…。私あんまり知らないかも。そういうの興味あるならさ、そういうサークルとか顔出せばいいと思うけど」
「サークルねぇ」
 話題にしたわりにはそんなに和風に感心があるようにも見えなかった。首を捻りつつ食堂に顔を出す。だだっ広い空間と券売機、カウンター。お昼ご飯を食べる人でがやがや賑わっているいつも通りの光景に、鞄から財布を取り出してからちらりと隣を窺ってみる。グレイは完全なる手ぶら。財布持って、ないのかこいつ。
 まぁここは。先輩としてというか、この大学にいる一人の学生として、留学生にいい顔をしておこう。義務的にそんなことを考えて「グレイくん何食べる?」と訊いてみる。彼は券売機を前に顔を顰めて「読めない」と言うから、そこは外人っぽいんだなぁと思いつつ「じゃあ何系が食べたい?」と質問し直す。彼が「ワフウ」と言うから肩を竦めて券売機に千円札を入れた。はいはい和風和風。
 が、和風、と一口に言われてもこれまた困った。完全に和風だと言えるものなんてきつねうどんとかその辺しか。カツ丼とかも一応和風に入るのかな。あとはこの肉じゃが天ぷら定食とかその辺? うーん。
「並んでるけど。後ろ」
「むぅ」
 グレイの指摘に券売機を前に唸っていた私はとりあえずきつねうどん大盛りとカツ丼大盛りの券を購入した。グレイがどのくらい食べるのか謎だったからとりあえず大盛りで一人前ずつ。残したら食べてくれるだろうか。微妙かも。しまったな、一つは並にすべきだったか。今更遅いけど。
 券をカウンターで控えの番号に引き換えて空いてる席を探す。いくらだだっ広いとはいえお昼時、さすがに学生や先生で食堂は埋まりつつある。
「カウンターでもいい?」
「どこでもいいよ」
「じゃあここで」
 あまり利用しないカウンター席の、クッション性の薄そうな椅子に腰掛ける。控えの番号が印刷されてる紙をひらひらさせた彼が「ご飯は?」と催促するから券を示して「呼ばれたら取りに行くの。今作ってるから」「ふーん」券売機を利用するってことがなかったのか、彼は薄い反応しかしなかった。べったりテーブルに頬をつけて「お腹空いたー」と言うからはぁと吐息する。当たり前の顔で奢ってもらってるとはどういう料簡だこの野郎。
「ああ、お金。財布忘れてきちゃった」
「いいけど…。スリとかされないようにね。日本だってないわけじゃないから、貴重品は持ち歩いた方がいいと思う」
「ほーい」
 適当な返事だった。ぷらぷら適当に手を振られてむっとしつつ財布を鞄にしまう。
 なんだかな。憎めないなグレイって。っていうか日本語流暢だなほんとに。思いっきり銀髪だからちょっと目立ってるけど。服装も相まってこの場所には不釣合いっていうか、どこか別荘とか豪邸にいてくれた方がもっとしっくりくる。グレイはそういう感じだった。
「あのーぅ」
 そこで声がかかる。振り返ると、ちょっときゃぴきゃぴしてる子達が私というよりグレイに話しかけていた。「今日留学生って紹介されてた、チャールズくんだよね?」二人組みの片方、茶髪をくるくるカールさせている子が和気藹々とそう話しかける。んだけど肝心のグレイは気のない顔をしていた。もう片方の茶髪をゆるふわカールにしてる子が「私たち同じクラスだよ。ほら、せっかくだから構内案内とかするよ? 昼休みだし時間あるし」「うんうん」「ねぇどうかな。英語も基本くらいなら分かるよ、ねっ」そんな二人に対してグレイの反応はと言えば、さらっとした営業スマイル的なもので超英語での返答。ぺらぺらぺらぺらと右から左に突き抜けていく英語に思わず仰け反る私。さすがの二人組みもこれにはたじろいだ。「あれ、日本語話せてなかったっけ?」「挨拶だけ暗記してきたとか…?」ひそひそ声を交わしてちらりと私に寄せられる視線。そこでアナウンスで『141番から145番までの方、カウンターまでお越しください』と呼ばれてこれ幸いとそっちに逃げる。グレイの手から142の番号が印刷された紙を抜き取って自分の分と一緒にたったかカウンターへ持っていった。
 そろりと窺ってみると、二人組みはまだ頑張っているようだった。対してグレイはさらっとした営業スマイルで超英語をぺらぺら喋っているだけで会話は多分噛み合ってない。
(あれ、多分わざとだよね。っていうかわざとだろ。私といるときあんなに流暢に日本語喋ってたじゃん)
 大盛りのきつねうどんとカツ丼のお盆を手に席に戻るかどうか迷う私。あの女の子二人、諦めてくれないだろうか。ご飯食べたいぞ私。っていうか片手に持ち続けてるのが辛い。
(…お)
 一生懸命だった二人組みも、英語でぶっ通し続けるグレイにさすがに諦めたようだ。作り笑いでそそくさ手を振って「またねチャールズくん」「もうちょっと日本語慣れるといいね」当たり障りない言葉を残して行ってしまった。二人組みが去ったテーブルにがちゃんとお盆を置いて手をぷらぷらさせる。大盛り重い。
「あーウザかった」
 それで、ふうと息を吐いたグレイがそんなことをぼやくから私の方が溜息を吐きたくなった。
 やっぱりわざとか。っていうかうざいって意味ちゃんと分かってるんだろうか。いいけど。
 もうさっきの二人組みには意識の欠片も置いてないんだろうグレイがぱっと表情を変えて「ご飯! ボクどっち?」「どっちでもいいよ。こっちがきつねうどんでこっちがカツ丼。好きな方どうぞ」「じゃーワフウっぽいウドンー」お盆を引き寄せた彼が視線をきょろつかせるから、箸入れから箸を取り出した。「ちなみに箸は使えるの?」「…多分」微妙に不器用な感じで箸をつまんだ彼。私も箸を合わせていただきますをしてからカツ丼に手をつけた。量が。残しそう。
 ぱくぱくご飯とカツとを口に入れて食べている私と、隣で箸と格闘しつつうどんをつまんで食べる彼。ちょっと気になって鞄を探してみれば、大きめのハンカチを見つけた。「ちょっとこっち向いて」「ん?」ちゅるちゅるうどんをすすった彼のシャツの襟元にハンカチの先っぽを入れてナプキンっぽくしてみる。これなら多少マシのはず。
 首を捻った彼に「汁が飛ぶでしょ。汚れちゃうよ、着てるもの高そうなのに」「別にいいのに。っていうか箸使いづらい」「慣れてください。日本は主流箸だよ」「ええー」ぶうたれる彼がまたうどんをすする。私も箸を手にしてカツ丼を食べるのを再開。
 なんだって、普段観察するだけで傍観する側の私が、こんなかいがいしく見目麗しい留学生の世話をせねばならんのか。
「あ」
 そこで気になっていることを思い出した。「ねぇグレイくん」「んー?」「その髪って染めてるの?」何気に引っかかっていたことである。彼がこっくり頷いて「そー。悪い?」「や、目立つけど、個人の好きでいいんじゃ…なんで染めたの? しかも銀色」「あんまりいないでしょ、この色に染めるヤツ」「そうだね」「ホントは金髪なんだけど、ありふれてて嫌いなんだよね」…どうやら理由はそれらしい。個性的なものを好む外人らしい、のだろうか。
 ぱく、とご飯を食べつつ鞄から常備しているふりかけを取り出すとグレイがきょとんとした顔をした。「何それ」「ふりかけ」「それいつも持ち歩いてるの?」「…学食はご飯多めなの。これくらい持ってないと、白飯だけ食べ続けるっていうのはね」言いつつしゃかしゃかふりかけをかける。カツを先に平らげてしまうとすごく残念などんぶりだけが残るので、私は均等に食べる派だけど、それでも大盛りのせいもあってご飯が残り始めている。白飯の味方ふりかけ、これで乗り切るのだ私。
「髪で言えばさぁ」
「んん?」
「その黒い髪気に入った」
「んむ?」
 口にご飯が入っていたからちゃんと喋れずにむぐつく。グレイの手が伸びてパーマも何もかけてない私の黒髪をつまんだ。「いいじゃん、日本人って感じ。茶色よりずっといい」意地悪く笑ってみせる彼にごくんと口の中のご飯を飲み込む。
 ひょっとしなくてもあれか。さっきの女の子達が茶髪だったからグレイはあんな反応だったのだろうか?
 …まぁいいや。それは置いておくとして。
「残したらさぁ、食べてくれる? これ」
 ぴっと箸でカツ丼を示すと、グレイが「歓迎」と笑う。

 見目麗しい留学生くんは、そうやって鮮やかに私の日常に割り込んできたわけである。

のようなもの
(いやいやまさか。まさか、まさかねぇ)