正直な話をすると、ソレが運ばれてきたとき、嫌な予感しかしなかった。
 真っ黒に焦げた何か。生き物の焼ける臭いを漂わせる黒焦げの何か。
 ヒューヒューと掠れた息を繰り返していることが奇跡的な、まだ息をしている死にかけソレを、生かせと、オール・フォー・ワンと名乗るスーツの男は言う。
 氏子先生はといえば、『心の同志』だというオール・フォー・ワンの言うことを二つ返事でホイホイと聞いた。集中治療室に真っ黒なソレを運び込み、焼け落ちた体の修復のためにガチャガチャと機械を弄り始める。

「これ、、手伝わんか」
「ええ………」

 正直に嫌な声と顰めた面で返すと氏子先生がぱんと手を合わせて拝んできた。「の? この通りじゃ。ワシを助けると思って。時間との勝負じゃ。ワシだけでは手が足らん。金はちゃんと出すから。な?」「…………」とりあえず先生が用意したいんだろう機材の準備を手伝いながら、白衣の袖をまくる。
 先生は俺の個性を認めて活かす場所をくれた人で、端的に言うと、恩がある。
 だけどな。これはな。そんなことを思いながら、まだ息をしている真っ黒いものを見下ろす。焼けて胎児のように縮こまった体を。
 まぁ、恩師の頼みだ。仕方ない。すっごく嫌だけど、仕事をしよう。

「欠損部分は再生組織で補う、でいいですね」
「うむ」
「顎の方が焼け落ちてますが、それは」
「すぐに代わりが来る。問題ない」
「……正直、そこまでしたとして、生きられるとは思いませんが」

 先生が機械を使って作業をしていく傍らで、新しく張り替えられた皮膚に顔を寄せて舐め上げる。機械に生成された組織はいつもマズい。それでも焼け焦げた体の皮膚としての定着を促す。皮膚にそういう催眠をかける。それを続けていくことで意志も意識もないものを騙し、俺はこいつの体の皮膚だったな、という感じに定着させる。
 そんなことを、何時間。いや、何十時間と不眠不休で繰り返し………全部終わって、ただ真っ黒で死にかけの炭だった人間が、なんとか人の形を保った。

「えほ」

 水分だけは摂ってたけど、唾液の分泌のしすぎでカラカラの口内に水を流し込み、今はまだ酸素ボンベありでしか息をできない子供を見下ろす。
 とりあえず作った皮膚は定着したし、届いた顎はくっつけた。歪で不安定な状態ではあるが生きてはいる。「で、誰なんです? コレは」一仕事終えた先生は椅子の上で寝ることに決めたのか、毛布を被り始めた。「轟燈矢じゃ」「轟……ああ」どこかで聞いたなと思って頭の中を探って思い出す。轟といえば、ヒーローエンデヴァーの息子じゃないか。
 それがなぜこんなことになったのか不明だけど、オール・フォー・ワンはこの事態に『利用価値がある』と判断したってことか。
 別に、今更だけど。先生もオール・フォー・ワンも、本当にろくでもないことしかしないなぁ。
 改めてそんなことを感じながら白衣を脱いで「じゃあ俺も寝ます。お疲れ様でした」もう寝に入っている先生に声を投げてから仮眠室目指してスリッパを鳴らして歩く。
 ずっと地下の暗い部屋で施術していたから気付かなかったけど、今は朝らしい。「お早うございます先生」「ああ、お早うございます」すれ違った看護師に挨拶を返して仮眠室の扉に『使用中』の札を下げて扉を開け、鍵をかけて、ベッドがいくつか並んでいるだけのそこにぼふっと寝転ぶ。
 俺と轟燈矢はそうやって出会った。真っ黒焦げの、死んでておかしくない人間が、施術の結果奇跡的に生きた。そういう出会い方をした。
 ただし、その意識が覚めるのには三年かかった。
 当たり前だ。死んでておかしくなかった、むしろ死んでいた方が楽だった、そんな状態から無理矢理生かしたのだ。内臓や器官を含めてすべてを再生させるのには、俺の個性を使ってもそれだけの時間がかかった。
 その三年、俺は病院勤務ではなく、轟燈矢の治療のために孤児院で子供相手の先生をすることになって、これが結構面倒くさかった。ませた子供っていうのは大人の俺にでも直球でくるから、女の子ってのは面倒くさい。

「先生はどうしておねむりくんのこと舐めるの?」
「…前にも言ったよね。それが治療方法だからだよ」
「個性?」
「そう」

 なくなった顎は他者の物で補った。この辺りが今もとくに不安定で、顔の形も歪。ここは毎日舐めて定着を促してるけど、なかなか安定しない。
 治療はなるべく夜中、子供が寝ている時間帯にしていたけど、見られていたらしく、もじもじいじらしく上目遣いでこっちを見上げる子供に「じゃあせんせ、あたしのことも舐めて?」なんて言われる始末だ。思わず溜息だって吐きたくなる。「君は怪我をしてないだろう。これは治療なんだ。病気の子にしかしないよ」寝なさい、とその子を大部屋の寝室まで連れて行って扉を閉め、はぁ、と息を吐く。
 そんな日々を三年過ごして目覚めた轟燈矢は、自力で起きて、自力で動いた。
 その日、孤児院の職員という肩書きを保つために仕方なく子供に勉強を教えていた俺は、起き出して喋った轟燈矢に軽く驚いたものだ。
 治療を施し続けてきたし、先生の頼みで生かすようにと言われていた。その通りに仕事をしてきた。だけどまさか本当に生きて、目を覚ますとは。
 けれど、その後はうまくはいかなかった。オール・フォー・ワンや氏子先生が望んだようにはならなかった。
 轟燈矢はオール・フォー・ワンの傘下に入ることを強く拒絶し、目覚めて早々だっていうのに自力で炎を放って孤児院に火をつけ騒ぎの間に脱走した。
 交渉は決裂した。轟燈矢は父親に執着していた。他の誰かの教えを乞う気はなかった。
 その時点で、俺の長年の治療も無駄になった。
 先生とオール・フォー・ワンは、取り込めないとわかった轟燈矢を放置すると決めた。継ぎ接ぎだらけの不安定な体で、俺が治療を続けてやっと形になっているんだ。治療がなければ一ヶ月ももたずどこかで野垂れ死ぬだろうと結論付けた。

「…………」

 俺は、火の消化に必死になっている職員を横目に轟燈矢を追うことにした。
 どこへ向かうかはさっきまでのオール・フォー・ワンとの会話を聞いていれば想像がついた。
 轟家。執着している父親がいる家。
 道場となっているそこでは父親にとって『最高傑作』である轟焦凍が、まるで家庭内暴力のような個性特訓を課されていた。
 扉の隙間からその光景を燈矢は呆然と眺めていた。「変わってない」ぼそっとした声に、横に並んだ俺が視線を投げると、その顔は泣いているように歪んでいた。涙腺が焼けてしまった燈矢はもう泣くことができない。それでも、その表情の歪みようは、泣いているように感じられた。
 ふらふらとその場を離れた彼を追えば、廊下の先に部屋があって、仏壇があった。そこにあるのは三年前、丸焦げになる前の轟燈矢の遺影。
 どこにでもいる子供だったのだ。父親がああで、彼の個性がこうでなければ。
 燈矢はじっとその遺影と仏壇を眺め、やがて、自分の写真に向かって両手を合わせる。

「轟燈矢は死んだ。この家は、俺を過去にした」
「……そうだな」

 自分の遺影に向かって手を合わせる。そこで、彼の中での轟燈矢も死んだ。
 俺は仏壇に手を合わせる気にはなれなかったけど、家を飛び出した彼を追った。「あんまり走ると皮膚にヒビ入るぞ」「うるさいな。なんでついてくるんだ、あんた。監視か?」煩わしそうにこっちを見る目は昏く淀んでいて、憎しみや怨みで満ちていた。
 その目を見て、なんてかわいそうな子供なんだろう、と思った。
 孤児院勤務になって、轟燈矢の治療をしてる間、時間だけはあった。だから患者のことを調べた。先生が生かせと言い、オール・フォー・ワンが利用しようと考える人間がどんなものか、興味本位で調べた。
 調べて、やっぱり、かわいそうな子供だと思った。
 親の期待に応えようと頑張り続けた子供。個性は父親の望んだものではなかったが、父親以上の火力があった。それなのに体にはその耐性がついていなかった。
 やがて生まれた轟焦凍という父親が望んだ個性持ちに、余計に見向きもされなくなった燈矢は、がむしゃらに自分を追い込み、青い炎を出せるまでになり……ついにその火力を自分で制御できなくなって、燃えて、黒焦げになって、死にかけた。それが三年前黒焦げになっていた理由。

「俺、指示されてたからお前を生かしてたんだけどさ。これからは勝手にお前のことを生かすことにする」
「は? どういう、」

 そこで、がくん、と燈矢の足が折れた。無理に走り込んだせいで膝の皮膚にヒビが入って血が出ていた。「いつ…ッ」傷を押さえようとする手を握って退けて、顔を寄せて血ごと傷を舐め上げる。「おい、」「治療。治すから見てろ」裂傷のようになっている膝の皮膚をたっぷりの唾液で舐め、血はやっぱりマズいな、と思いながら、一分。俺が顔を上げれば、膝にあった裂傷は消えていた。燈矢はそれをぽかんとした顔で見ていた。

「表面を治しただけだから走るな。また割れる」
「……それ、個性?」
「そ。これでお前のこと治してたんだよ。継ぎ接ぎした皮膚の定着を促したり、色々」

 目覚めたばかりなのに施設から脱走し、炎も使い、轟家の現状を知って打ちのめされて………疲れた、そういう顔をしている子供に自分のカーディガンを着せて抱き上げる。食ってないせいで軽い。俺でも持ち上げられる。

「とりあえず、今日は休もう。これ以上動くのはお前の体によくない」
「…………」

 裂傷のなくなった膝を撫でながら、燈矢が俺を見上げてくる。さっきより少しだけ濁り以外のものが混ざった瞳。

「なんで、俺なんかの、味方、すんの」

 父親に見放され。エンデヴァーの息子という立場を利用しようと考えたオール・フォー・ワンにも先生にも見放され。まるで世界から見放されたような子供は、昏い瞳でこっちを見ている。
 その問いに対する答えなら簡単だ。

「かわいそうだろ。一人くらい、お前の味方もいないと」

 まだ子供で、子供が背負うには酷なものばかりを積み上げられて、挙句に燃えて、自分の仏壇に手を合わせる。そうして自分は死んだと認める。それは子供が負うにはあまりに酷な現実だ。
 俺は自分がまともな人間だとは思ってないけど、少なくとも、先生やオール・フォー・ワンほどじゃない。

(こんなにかわいそうな子供、俺は他には知らない。だから力になってやる。助けてやる。そうしないと死んじゃうしな)

 もう泣くこともできない子供は俺の胸に顔を押しつけてぎゅうっと両腕を回してきた。それが答えだった。