あなたを愛せない現実

 ふわぁ、と欠伸を漏らしつつ登城すると、見知った姿を見つけた。
 城の門をくぐったら目につくようど真ん中に置いてある大きな花瓶。毎朝あの花を取り替えるために、城下町から女の子がやって来る。
 女の子って言っても、年齢的には女性って表現をした方が正しいのだろうけど。なんていうか、雰囲気が女の子なんだ。俺にとっては。
「おはよー」
「あ、」
 片手を挙げて挨拶すると、俺に気付いた彼女がぱっと顔を上げる。花屋の娘っぽいふんわりした笑顔で「おはようランテ」と言われて「おはよー」と二度目になる挨拶を返してへらっと笑う。
 彼女は城下町で一番大きい花屋の一人娘で、名前は。今年で24歳になる、いつまでも少女みたいなふわっとした雰囲気を持つ娘だ。
 花瓶の仕事の方は終わったのか、彼女の手が脇に置いてある籠からいくつか花を選ぶ。そばに行って「今日もあるー?」としゃがみ込むと「もちろん、ちゃんと用意してるよ」と彼女は笑い、ポニーテールをしてる俺の髪ゴムに選んだ花を挿し込んだ。
 彼女は毎朝城の花を変えに来る。ついでに、飾り気がないと寂しいからさ、と言った俺の言葉を受けて、花瓶に使う以外の花も持ってきて、こうしてサービスしてくれる。ま、鏡を見ないと今日はどんな花を挿してくれたのか分からないわけだけど。それでも「はい。今日もよく似合うね」と笑った彼女の笑顔プライスレス、ってことでもうどんな花でもよしとしようと思うわけである。
 その彼女が籠から別の花を選り分け始めた。その手元を眺めてからカツンと響いた靴音に視線を投げれば、今日も無表情で無関心を貫くダンテがいた。俺の双子の兄。我が兄ながら、今日も今日とで相変わらずか。
 一瞬だけ止めた足も、俺と目が合ったことですぐに次が踏み出され、カツカツと歩き去っていく。
「あ、待っ、ダンテっ」
 花を選り分けて慌ててあとを追いかける彼女の背中を眺めて、止まらないダンテに追いついた彼女が一生懸命ダンテに話しかけているのを見て、ふうと一息。
 あんまりにも一生懸命な彼女に足を止めたをダンテが、何をどう思ったのかは分からない。ここからでは背中しか見えないし。
 最も、顔が見えたとして、あいつは感情を表に出すほど表情を動かすことの方が少ない。だから俺でもきっと分からない。立ち止まったダンテの髪に花を挿す彼女の顔しか分からない。
 …あんなに嬉しそうにしてさ。俺にも同じことをしたのに、その表情の差といったら。もうヤんなっちゃうくらい眩しいったら。
(……果たして、ノイエ・トラリッドは恋をするのでしょーか?)
 彼女が花を挿し終えると、ダンテはまた歩き出して、さっさと行ってしまった。その背中を見ていた彼女が気付いたようにこっちに戻ってくる。俺はその間、籠の中に残った花を適当に弄んでいた。
「これ全部お持ち帰り?」
「え? うん、そうだね」
「じゃー俺もらってもいい? あ、代金は払うよ。これ一枚でもいい?」
 金貨を出すと彼女は慌てた様子でぱたぱたと手を振った。「そんな、銅貨でいいよ。金貨の価値ないよ、余り物の花なんだし」と律儀に正論を言うから、ふっと息をこぼして笑う。
 そういう健気なところ好きだよ。もっと図々しくなった方が、生きるのには適してると思うけどね。
 俺の金貨を渡したい気持ちと彼女の銅貨でいいという気持ちを汲み取って、仕方なく、間である銀貨を一枚取り出す。
「毎日タダで花もらってるお礼も含めて」
 花の香りのする手を取って、忠誠を誓う騎士みたいに唇を寄せてキスをして、その手に銀貨を握らせた。
 彼女はそんな俺に笑う。困ったな、とはにかんだ顔で「ありがとうランテ」と笑う。
 それで、その顔がようやく、さっきダンテに向けた顔と同じくらいの眩しさになる。
(ダンテが何もしなくても、そこにいるだけで、君はそうやって笑うのに。俺にはそうやって笑ってはくれないよね)
 その現実が少し寂しい。
 だけど、兄思いである弟は、彼女にそれ以上手を出さないのである。うん、俺偉い。すごいぞ偉い。
 …長年の想い人なのに、本当、偉いよね。俺。
 まぁ、実はそろそろ限界だってのも、分かってはいるんだけど。ね。
「ん? ランテ、その花籠は?」
 朝の定例会議にやって来た陛下に一番に目をつけられた花籠を、ささっと自分の席の下に押しやった。「いや、ちょっと部屋に飾ろうかなって思って買ったんですよ」と笑顔で応じれば陛下は「ふーん?」と首を捻ったあと、特に疑問も持たなかったのか「じゃあ今日の議題を始めるか」と会議を開始した。
 ちらっとダンテを窺ってみたけど、いたっていつも通りの無表情無頓着無関心ぶりを貫いていた。
 エンジェルからも特にお咎めもなかったので、会議が終わったらそそくさと花籠を持って自室へダッシュした。間違っても、そんなもの持ち歩いていたら廊下が汚れるとか言われて取り上げられるのを阻止するためだ。
 は、と息を切らせて部屋に戻って、余り物でしかない花達を自分なりに花瓶に飾りつけてみる。
 これが思うようにいかなくて、毎朝、城の入口を飾る花瓶の花を活けるのことをすごいなぁと思った。
 何気なくそつなくこなしてるように見えて、彼女の頭の中では綿密に花瓶と花の計算がされているのだ。それを毎日毎日、飽きることなく繰り返す。
 城への花の仕事なのだから、お金はそれなりにもらってるはずだけど。きっとそれでも足りないくらいの心遣いのはずだ。花は生きている。種から花にするまでの世話だってある。それを考えると、今日銀貨あげてよかったなぁ。
 一人思いに耽っていると、「ランテ団長〜」と俺を探し回る部下の声が聞こえてきた。「ああはいはい、今行くよー」と声を上げて花瓶をテーブルに置く。
 俺が活けた花なんかでは、帰ってくるまでちゃんと咲いてそこにあってくれるか分からない。
 今度時間ができたらに活け方とか教えてもらおうかなぁ、と思いながら部屋を出て。本日も騎士団長らしくないへらっとした顔で、面倒くさい仕事をこなす俺なのでした。