つかまえた君がひかりだった

 が仕事をクビにされた。そして、結婚しろと強制までさせられた。
 大人というのはどうしてこう間接的に手を下すという鬱陶しいことをするのか。俺とランテを従わせたいなら己の力を使えと思う。
 人質あるいは物質を取り脅すなど、子供だからこそ通じた手段だ。俺もランテもお互い以外に大事なものなど持ち合わせていない。取り上げられて困るものなど持っていない。ランテはもう身体の弱い子供ではないし、俺がそのためにこの国に従わなければいけない理由だってない。
 唯一、ランテの弱点とも言えるを攫われかけたが、先に捕まえてしまえばこちらのものだ。
 もうあんな国にいる理由がない。ノイエ・トラリッドの異名を使えばどこだって行ける。
 今、俺達は仕事というやつを全てボイコットし、街の外に出ている。捕まることを承知の旅だ。実際街を出るとき門番を蹴倒してきたし、俺達が城下街から外へ出たことなど知れ渡っているだろう。
 陽が昇って沈むまで街から離れたが、今のところ追手らしいものはない。
 ランテ曰く、俺達がどれくらい本気かということを示すために、この旅は必要なんだそうだ。
 俺は、別に、このままこの国から逃げればいいと思うのだが。ランテの方が俺よりずっと頭がいいんだから、任せよう。俺は力でランテとを守る。それでいいんだ。
「あーっ、いいなこの自由な感じ! 城から離れてくたびれるまで歩いたのなんていつぶりだろー」
 ランテはいつもの調子で笑っていた。は歩き疲れた顔で「元気だね、男の子って…私、疲れた」と苦笑いしている。「女の子の旅初日としてはちょっとキツかったかな。ごめんね」と手を合わせて謝ったランテが辺りを見回す。俺が適当な岩場のある場所を指すと頷いた。今夜はそこで野宿だ。
 を座らせたランテは火の用意をし始めた。薪集めだ。手伝おうとして制される。「いいよ、俺がやる。ダンテは休憩がてらのこと見ててよ」と言われ、不承不承頷いて、今にも寝そうなのところへ行った。疲れた顔で俺を見上げた彼女の隣に黙って腰を下ろし胡座をかく。
 膝を抱えて座り込んでいるは眠そうに膝頭に頬を預けた。
 さわさわと小さな風が吹く。獣の臭いはしない。だからといって油断はできないが。
 ランテが手際よくその辺の枝を集めているのを眺めていると、「ダンテ」と小さな声に呼ばれた。視線だけやると、がランテを見ていた。眩しいものでも見るみたいに目を細めている。
 もう陽は暮れかけている。草木で遮られた斜陽が眩しいというわけでもないだろうに。
「ランテの、言葉。どこまで本気なのかな」
 分かる? と俺に向けて首を傾げるの髪が揺れた。何となく、捕まえたくなって手を伸ばす。昔から変わらない細い髪は俺やランテと違って癖がない。
 髪を捕まえて握った俺にがますます首を傾げた。何してるの、と言いたそうな顔だ。…そんなの俺が訊きたい。俺は何をしてるんだろう。
 ぱっと手を離し、に言われたことを改めて考える。
 ランテの言葉。…あれか。好きだとか、愛だとかいう。結婚するなら俺としてって言ったあれか。
 ぷいと顔を背け、腹も減ったので鞄からパンを取り出してかじりつくと、答えない俺に、答えはないようだと理解した彼女が目を閉じた。疲れた顔で膝頭に頬を預けたまま、時間だけが流れる。
 この話題で俺はなぜか苛つく。それがなぜかは分からないが、ランテがに言ったことを考えようとすると苛々してしまう。たった一人の弟になぜ苛つくのかは分からない。今までこんなことは一度もなかった…と思う。

 俺達の関係性がどことなく崩れ始めたのは、この国に来て、と出会ってからだ。それは自覚している。
 ランテはを気に入っている。それも知っている。
 俺は、ランテが気に入ったものなら、あいつが素直になれるものなら、なんだってよかった。あいつが欲しいものがあるなら何でもやる気でいた。それがでも同じように手を離し、ランテの手に押しつける、はずだった。
(…こんなはずじゃなかった)
 あいつの望みを叶えられず、それどころか拒みたいとすら思うなんて、俺はどうかしている。
 を預けることがなんだ。あいつとランテが結婚するなら悪い話じゃない。ランテはのことを気に入ってるし、大事にするだろうし、だってあいつの結婚の言葉に悪い顔はしていなかった。俺とランテが離れることなんてないだろうから、結婚したって、は変わらず俺のそばにもい続けることになる。そうだろう。結婚てものがなくたって俺達の関係は変わらないじゃないか。
 それが、どうしてこんなに俺が苛つく理由になるんだ。

 パンを口に押し込み咀嚼する。パサついていた。口の渇きを満たすためにボトルの水を飲んで、一服ついた頃、ランテが戻ってきた。手順を踏まれた火の赤が視界を刺す。…赤い色は嫌いだが、今回は仕方がない。
? そんな格好で寝ると明日すっごい身体痛いと思うよ」
「ん…」
 ぺちぺち頬を叩いたランテにがぼやっとした顔を上げた。「あれ、わたし、ねてた…?」「うん。ほら、適当に腹ごしらえして。寝るならそれから」「うん…」ぼやっとした顔のままが鞄からチーズを出した。もく、と眠そうな顔でかじり始める。うつらうつらと今にも寝そうになりながらもくもくと口を動かしている姿は、見ていて危なっかしいと、自然と腕を伸ばしてを支えていた。
「食べるなら食べろ。寝るなら寝ろ」
「うん…ねる…」
 そうこぼしたが俺の腕に頼って寄りかかってくるので、その手から転がりそうなチーズをつまんで代わりに食べておいた。うまい。「こらダンテ」とランテが呆れた顔をしたが、チーズはすでに俺の喉を通過してしまった。もう戻せない。
 チーズうまい、と指についた粉も舐めていて気付いた。が近い。
 …野宿なんて、昔の俺達からしたらどうということでもなかったが。あれから十年だ。ベッドで眠ることで慣れた身体は地面の硬さを拒んでいた。寝ようと思えばどこだって寝られるだろうが、やはりやわらかい場所の方が寝やすい。俺でもそう思うわけだから、はよほど寝づらいはずだと、俺なりに気を利かせて寄りかかってくるを抱き込むと、火に枝を放り込みつつパンをかじっていたランテがぶっと吹き出した。パンがもったいない。
「ちょ、おま、さりげなく何してんの」
「? 何がだ」
「いや、だからその腕…」
 腕。離すと倒れそうなを抱いているだけだ。この方が地面よりやわらかくてあたたかいだろうと思ったが、違ったろうか。
 首を捻って「これでは駄目か」と言う俺にランテは複雑そうに眉根を寄せてまたパンをかじり始める。「いや、駄目とかじゃないけどね…ほら、俺ね、一応に盛大なる告白をしたわけでしょう? その辺もうちょっと気遣ってくれてもいんじゃない?」「……お前が抱くか?」すっかり寝ているを顎でしゃくる。ランテは少し考えるようにの寝顔を見つめて、真顔で首を横に振った。「起こしちゃ悪いでしょ」と。
 …告白というのは、好きだとか、愛だとか言ったアレのことだろう。結婚するなら俺と、と言ったアレのこと。
 ……ああ、また胸がムカついてきた。なんでだ。なんで俺がランテに苛々しないとならないんだ。
 俺が黙って火を睨んでいると、パンを食べ終えたランテが水を一口飲んで、言った。「ダンテ、苛立ってるねぇ」とあくまで笑顔で。分かっていてなぜ笑うんだ、と睨んでもランテは笑っているだけで何も言わない。
 頭の悪い俺には自分が苛立つ理由さえ分からないが、お前は知ってるはずだ。知っていて気付いていないフリをしている。
 なんでだ。
 昔はこうじゃなかった。俺はランテでランテは俺だ、と思うくらいお互い同じだった。ランテの痛みは俺の痛みで俺の痛みはランテの痛み。ランテが嬉しければ俺も嬉しいし、ランテが笑えるなら俺は笑えなくたってよかった。
 ランテはが欲しいと言う。自分のものにしたいと言う。それが結婚だと。
 ランテがを気に入っているのは知ってる。俺よりずっと彼女を気にかけていたことも知ってる。
 分かっている。それなのに、俺は、どうしてこんなに強くを抱いたままでいるんだろう。
「ダンテ」
「…なんだ」
「いいんだよ。俺とを天秤にかけなくたっていいんだ。俺はお前の弟だし、お前は俺がいないと全然駄目だし。俺もお前がいないと駄目だしさ。俺達はこの先も欠けることはない。…だからさ、自分の欲しいもの、俺に遠慮しなくていいんだよ」
 ランテが眩しいものを見るみたいに目を細めて俺を見ている。さっきのみたいに。
 俺は首を捻った。「……欲しいもの?」そんなもの俺にはないはずだ。俺はお前がいればそれで完結する存在だ。
「俺以外で、お前にとって大事なもの。そして、俺にとってもすごく大事なもの。腕の中にあるだろ」
 腕の中、と言われて視線を落とす。が寝ている。それだけだ。それ以外にない。
 …が、俺にとって大事? どうしてそういうことになるのか分からない。
 ランテは俺に苦笑いを向けて「まぁ、そういう顔するだろうと思ってたよ。でもさ、間違いない。弟の俺が言うんだから」と宣言する。俺がを気に入っている、と言い切る。
「…俺は、のことなんてどうでもいい」
「はいそれウソー。お前はどうでもいいと思ってる相手を抱き締めたりしないよ」
「……支えていないと、倒れるから、仕方なく抱いてるだけだ」
「はいはい。じゃあこう訊こうか。俺とが結婚して、お前はそれでいいの?」
 ぴく、と肩が揺れた。
 …結婚。
 ランテ曰く、結婚とは、が誰かのものになることを言う。この場合、がランテのものになることを言う。
 ランテの隣にが立つ。の隣にランテが立つ。
 ランテは嬉しそうだ。心から笑っている。
 俺はそれを見ている。眺めている。
 …想像の中の俺は、どうして拳を握っているんだろうか。
 だって笑っている。俺達に向ける笑顔は変わらない。ダンテ、と俺を呼ぶ声も変わらない。
 きっと何も変わらない。が誰かに取られるという可能性がなくなるのだ、むしろ今より安定するはずだ。ランテはを得てしあわせになる。ランテはを大切にする。だから二人ともしあわせになる。きっと、そうだ。
 それなら俺もしあわせになる。きっとそうだ。
 ……そうであったらいいと、なぜ願っているのか。
 そうであると、なぜ言い切れないのか。
 ランテのしあわせが俺のしあわせじゃないかもしれない、なんて、どうして思うのか。
 答えを探しての寝顔を見つめた。そこに答えがあるような気がしていた。
 ノイエ・トラリッドと畏れられる俺に普通に接してきた花屋の娘。最悪な出会い方をしても俺を嫌うことのなかった女。
 十年付き合って、その声と笑顔にダンテと呼ばれることに慣れた俺。
 が誰かのものになると考えただけで苛立つ。その声が誰かのことを親しげに呼ぶのが嫌だ。ダンテと俺に向ける笑顔が誰かに独占されるのが許せない。そんな未来も現実も許せない。
 ちりちりと背筋を焦がすものが言う。
 誰かのものになるくらいなら、俺のものになればいいのに。
「、」
 はっとして顔を上げる。ランテは少し寂しそうに微笑んでいた。そのくせ嬉しそうだった。「答え、出たろ」と言う声は少し悲しそうだった。そのくせ祝福していた。
 何も言葉を返せなくて、唇を噛み締め、眠ったままのを抱き締める。
 生きている人の温度がする。
 そうか。…そうだったのか。
(俺は、のことが、欲しかったのか。誰にもやりたくなかったのか)
 そう思えば全てに納得できる。俺がを気にする理由も、彼女の結婚の話に苛立つ理由も、ランテとのしあわせを祝えない自分も、全部説明できる。

 お前の隣に立つのは、俺でありたいのだ。