出逢ったあの日からの、
なんてことない眩い時間について

 震えている私に紅茶を持ってきてくれたのはランテだった。その間ずっと私の隣にいてくれたのはダンテだった。
 カチャン、と置かれた上等なカップに入った琥珀色の液体に、ミルクと、角砂糖が一つ入れられた。
「あったまるよ。はい」
 いつもの笑顔で紅茶を勧めてくれたランテに、私はぎこちなくしか笑うことができず、震える手でカップを受け取った。
 盗賊団を片付けたという報告書を書くのに、私の証言が必要らしい。そのために私は今お城にいて、応接間のふかっとしたソファに座っている。
 少し、落ち着いてきたけど。でも、まだ全然、震えが止まらない。情けないなぁ私。
 震える手で紅茶を口に含む。おいしかった。でも、まだ寒かった。何かに毒されてしまったみたいに震えが止まらない。そんな私をランテが心配そうに見ている。
「大丈夫? 今日はもう無理そうなら、家まで送るよ。また後日でも俺達は大丈夫だから」
「う、ううん。大丈夫。話せる」
 紅茶を飲んでカップをそっとテーブルに置いた。きゅっと拳を握って、報告書のためにペンを握ったランテの代わりに、ダンテの手を握った。首を傾けるダンテはいたっていつも通りで、人を斬っても、死んだのを見ても、顔色一つ変えない、いつものダンテのままだった。
 私の膝にはオニキスがある。ダンテが死体になった男から取り返してくれたものだ。
 あとで、しっかりきれいに、磨かないと。そう思いながら、私は目を閉じて、報告書を書くランテのために話し始めた。
 私はお昼過ぎからずっと花園にいた。今ある花の把握のため、図鑑と虫眼鏡を持って花と睨めっこする、そんな時間を夕方辺りまで過ごした。
 以前、時間を気にしていたにも関わらず帰りが遅くなってしまった経験もあって、私は早めに花園を出て家へと戻った。そして、部屋で図鑑や虫眼鏡を片付けているときに、いつも持ち歩いてるオニキスがポケットに入ってないことに気がついた。
 そのとき母は夕食の準備をしていた。
 私はオニキスを落としてきてしまったという事実に焦ったけれど、母に言っても外出許可なんて出るはずもないと知っていたから、大人しく夕食を一緒に食べた。母が片付けを終えてお風呂に入り、私にも入るよう言って自室に戻ったのを見計らってランプを持ってこっそり家を出た。
 ダンテにもらったオニキスだ。捜さなくちゃ。だってあれは、ランテ曰く超レアで、私の宝物だもの。
 花園への道を辿り、しっかり地面を見ながら歩いていると、鍵をかけたはずの花園の入口が開いていることに気付いた。
 おかしいな。鍵をかけ忘れたのだろうか。
 まだオニキスを発見できずにいた私は花園の中に足を踏み入れ、どうせ捜すために開けたのだから、と、花園の鍵が開いていたことに深い疑問を持たなかった。
 …馬鹿みたいだ。鍵をかけるようにと心がけている場所が開いていたということは。私と母以外がそこを開けたのだとすれば。それは、よからぬ侵入者であることなど、すぐに分かったろうに。あのときの私は、ダンテにもらったオニキスを見つけたいという一心で他事が見えていなかったのだ。
 ランプを持った私のことなど、遠くにいてもよく分かったろう。
 オニキスを捜して地面ばかりを見て進んでいた私は、角を曲がったところで誰かに取り押さえられ、縄で縛られ、悲鳴を上げたら猿轡を噛まされ、ナイフで脅された。騒げばスパンだ、と。
 捜していたオニキスは、私を引きずって歩く男が上機嫌に投げてはキャッチを繰り返していて。それは私のものなのに、という憤りと、この人達はなんなのだろうという恐怖で固まった心で、街の外へと引きずられていった。

「今日は大収穫だなぁ。見ろよこのオニキス。なかなかの大きさで上物だぜ。それなりの値で取引できる」
「ワインと肉の丸焼きで久々に豪勢な食事といくか?」
「今日はそれ以上に豪勢なオマケがあるぜ?」
「オレはそれがいっちばんの楽しみだよ」

 水車小屋に辿り着いた一行は四人で、縛られたままの私は壁際に放り投げられた。背中を煉瓦の壁に打ちつけて痛かったけど、泣かない。泣いて、たまるか。こんな人達に。
 そこへ、五人目が慌てた様子でやって来て、「まずいぞ。騎士団に動きがあったらしい」「何?」という声のやり取りが頭上を飛び交う。
 騎士団と聞いて、ダンテとランテを思い浮かべた。二人が助けに来てくれるのだ、と思ったら凍りかけていた心に熱が灯る。
 しっかりしなきゃ。しっかりしなきゃ。できること、考えなきゃ。
 手は縛られてるし声も出せない。足は動くけど、バランスが取れないから走るのだってまともにできないだろう。それなら私に何ができるだろう? 一体何ができるだろう。ぐるぐる思考する頭で「おい立てっ!」と髪を掴まれて顔を上げさせられ、私は、抵抗すると決めた。
 ここで時間を稼げばランテとダンテがきっと来てくれるはずだ。それまでここにこの人達をなるべく縛りつける。保身を取ればこの人達は私を捨てて逃げていくかもしれないけど、それならそれで私の身の安全が確保される。
 ばきっ、と頬を殴られたけど、立ち上がらずに蹲ったまま、私は地べたにいた。「このクソアマ」と罵られようが蹴られようが、絶対に顔を上げなかった。
 鳩尾にブーツが刺さったときにはさすがに咳き込んで、満足に咳もできない猿轡の口でくぐもった息をこぼした。

「おい、んなことしてる場合かよ。ずらかろうぜ」
「待てよ。このアマ犯してもいないのに捨ててくのかよ」
「お前なぁ、状況考えろ! 騎士団が来るんだぞ? 逃げる以外ねぇだろうが!」

 ごふ、と咳き込んだ私の髪を掴んで無理矢理顔を上げさせた男の表情が歪んでいた。「俺は納得できないね」と言葉を吐くこの人が、ダンテやランテと同じ男の人だなんて、思いたくなかった。
 それから口論になった人達の行動がバラバラになって、まとまりがなくなり、最後まで立とうとしない私にナイフを突きつけて「殺されたくなきゃ言うこと聞きな」と言ったその人に「おい、今殺したら人質の意味がないだろ!」と別の人が襟首を掴めば、また口論になり。
 そうこうしているうちに、私の時間稼ぎは成功した。
 ダンテとランテが来てくれた。騎士団が助けに来てくれた。
 …あとは知っての通りの結末だ。
 ランテが命じて四人が弓矢によって射られ、私にナイフを突きつけていた人はダンテによって斬られた。ダンテは私のオニキスを取り返してくれた。ダンテにもらったものなのに、私がなくしたものなのに、ダンテが捜して取り返してくれた。
「…お前。馬鹿か」
 話し終えたら、ダンテが一番にそう言った。え、とこぼした私をダンテが睨んでいる。珍しく表情を浮かべて、険しい顔で。多分、怒っていた。
「あんなもの捜して夜の道を歩くなんて、お前は馬鹿だ」
「だ、だって…私にとっては、大事なもので、」
「なくしたって言えばまた買った」
「そういうんじゃないよ。同じオニキスだったら何でもいいってわけじゃないんだからっ。あのとき、ダンテに、初めてもらったから、意味が…っ」
 言ってて泣けてきた。ダンテが私にくれた、ダンテが取り返してくれた石を、ダンテが否定しなくたって。いいのに。
 私がぽろぽろ涙をこぼすと、険しい表情をしていたダンテの視線が惑った。はいはいと割って入ったランテが「はいほら女の子泣かせない。ダンテ、そういうときにいう言葉は?」「…なんで俺が」「お前が泣かせたからだよ」う、と口をつぐんだダンテがじろりと私を睨む。私は負けじとその目を睨み返す。
 悪かった、と本当に小さな声をこぼして、ダンテはソファを軋ませて立ち上がると、応接間を出て行った。
 袖で目を擦る。なんか無理矢理言わせたみたいで、ちっとも、謝ってもらった感じがしない。
 はぁと息を吐いたランテが私の隣に座り直した。ダンテが出ていったドアに視線を投げて「まぁ、あいつの言いたいことが分からないわけじゃないけど」とこぼして私の頭に軽いチョップを食らわせる。
「う。何?」
「あのねぇ。男ならまだしも、は女の子だよ? 女の子が一人で夜道を歩いてたらどれだけ危険か分からないの?」
「だ、だって…オニキス、捜してて……」
「すぐに見つかるだろうって?」
「う、ん」
 頷けば、はぁと息を吐いたランテが羽ペンを手離した。もう一回私の頭にチョップしたあと、ぎゅっと私を抱き締めてくる。その体温の近いことにどきどきと胸が鳴った。
 同じ、男の人、なんだろうけど。ランテやダンテは違う。今日みたいな、最低なことする人達と同じなんかじゃない。
「盗賊団が出たって聞いて、またかぁって思った。人質取ったって聞いて、それはめんどくさいなぁって思った。それで、その人質がだって分かって…正直動揺した」
「…ランテ?」
「騎士団長の面なんて投げ出すとこだったよ」
 心配したんだ、と囁かれて、私はいつかの母さんを思い出した。花園に花を摘みに行って帰りの遅くなった私を、母さん、心配したんだっけ。帰ったら抱き締めてくれたんだっけ。そのときと今が、似てるな。
 そっと手を伸ばしてランテの髪を撫でた。「ごめんなさい」と言うとランテは「ホントだよ」と笑って、「夜に一人で出歩くなんて、しないこと」と言った。私は大人しく「うん」とこぼしてランテの髪を撫で続けた。
「それから。相手が刃物持ってるのに、あんまり歯向かうのはよくない。時間稼ぎって考えたことは否定しないよ。でも、下手したら殺されてたかもしれないだろ」
「うん。ごめんなさい」
「ホントに。心臓引っくり返ったんだよ?」
「うん。…ごめんね」
 …心配したんだ、とこぼして私のことを抱き締めるランテの方が。私よりもずっと震えているような、そんな気がした。
 ランテに案内されて、そろりとダンテの部屋の扉の前に行って、コンコンとノックした。しーんと静まり返った部屋に「あの、ダンテ、私だけど」とこぼせば、少しの物音のあとにバンと扉が開け放たれた。
 …ランテの言ってた通り、下がっててよかった。扉と激突するところだった。
 眠そうな顔で私を見たダンテに「今日のことは、ごめんなさい。ちゃんと反省してます」ぺこっと頭を下げてもダンテは何も言わない。そろりと顔を上げて、「それから。助けてくれて、ありがとう」と言えば、彼はそっぽを向いて腕組みした。
「……怪我は」
「え?」
「怪我は」
 ぼそぼそした声は、殴られたり蹴られたりしたことを言ってるらしい。「痛いけど、大丈夫。そのうち治るよ」と笑えば、ダンテはむすっとした顔をして扉のノブを掴み、バンと閉めて、多分、寝てしまった。
 ランテが苦笑いして「ま、あいつが起こされてふつーに喋ったことが奇跡だね」とこぼす声を聞いて私は首を傾げた。そんな私に微笑んだ彼が「さ、随分遅くなった。家まで送るよ」と私の背中を押して歩き出す。
 取り返してもらったオニキスを眺めながら、私はランテに送られて家へと帰った。
 家では母さんが待っていて、私の頬を軽く叩いたあとに抱き締めてくれた。
 また心配をかけてしまった、と思いながら、小さく手を振ったランテに小さく手を振り返し、そのまま彼を見送った。

 次の日から、私は夕方には家に帰ること、夜は出歩かないこと、という厳命が出された。母さんとランテから。
 ダンテはいつもの無表情で何も言ってくれなかったけど、二人と違う意見があるとも思えない。なので、私は三人からの厳命ということで、それ以降、夕方までには家に戻り、夜は極力出歩かない、という日々を続けている。