出逢ったあの日からの、
なんてことない眩い時間について

 が賊にさらわれたあの事件から、だいぶ月日が過ぎた。
 男の片隅にもおけない野郎共から殴る蹴るの暴行を加えられた彼女だったけど、俺達とは変わらず接してくれている。むしろ、前より頼りにされてる気がして、俺としては少し誇らしい。守らなくちゃ、って気にもなる。
 まぁ、実際彼女を助けたのは俺じゃなくて俺の騎士団とダンテなわけなんだけど。俺は指示しただけだし。
 それが、ちょっと悔しい。のかな。
 俺もダンテみたいに強かったら、彼女の危機に駆けつけて、颯爽と救い出すことができたかもしれないのに。

 …ダンテ、といえば。ここ最近、いい意味でダンテが変わってきた。
 というのも、俺を挟まなくてもとぽつぽつ話をするようになったからだ。
 あのダンテが、としみじみ思う部分もあれば、違う俺が思っている。ダンテに笑いかける彼女の笑顔を見て、その顔はずっと俺だけに向けていて、なんて、勝手なことを。

「そういえば、明日は御前試合じゃないっけ。二人は練習しなくていいの?」
 はて、と首を傾げた彼女にあははーと誤魔化して笑う俺に、ダンテはいつも通りの無表情。
 御前試合。騎士団の行事の一つで、まぁお祭りみたいなものだ。最初の頃はもう少し形式的な形をしていたのだろうけど、今ではただのお祭り。技術を磨いても披露するところがなければ普段の稽古だってやりがいがない、という兵士の不満を晴らすような大会へと成り下がっている。
 それが悪いことばかりだとは思わないけど。俺は実力がないから出ないし、ダンテは手加減ができないから出れないし。騎士団長だから号令とか色々やることがあるとはいえ、ぶっちゃけた話、俺達にはあんまり関係ないお祭りだったりする。
「俺は出ないんだ。ダンテも出ない」
「どうして? ランテは、よく分かんないけど、ダンテは強いんでしょう?」
 首を傾げる彼女が俺からダンテに視線を移す。…よく分かんないで片付けられた俺ちょっとかわいそう。
 ダンテは表情なしに彼女を見て「加減ができない」とぼそっと言った。一応自分の口から説明らしいものを言った。それだけでもダンテは変わった。そこは嬉しい。んだけど、それだけじゃあちょっと言葉不足かな。
 ますます首を傾げる彼女に笑って「去年のね、模擬戦。本番直前の練習試合ね。それでダンテ全く手加減できなくて、十人ちょっとくらい死傷者出しちゃってさ。だからダンテは毎年不参加の決まり」「…そうなの?」彼女がそろりとダンテを見上げる。ダンテは浅く頷いて俺の言葉を肯定した。
 祭りの盛り上がる声が、戦場に飛び交う怒声や罵声に聞こえ。剣を握って相手と対峙しているという状況が今を戦場だと錯覚させ。そして、血のにおいが、ダンテの思考を奪う。
 今はふつーのダンテがその辺の道花を摘んでちぎってぽいと口に入れた。あっという顔をした彼女が「こらダンテ、そういうの駄目だってば! 花とか草の中にはね、毒持ってるのもあるんだよ?」とダンテのことを怒る。ダンテはそれにめんどくさいって顔をして咀嚼してた花を茂みの中に吐き出した。こら、汚いっつうの。
 …で、俺は今年も御前試合には出ないんだけど。ダンテの分まで騎士団長としての仕事ってやつはしないとならないわけで。悲しいかな、露店だけを歩き回るってこともできなかったりする。
 道花を諦めたダンテが道草をちぎったのを見て、が息を吐いてポケットに手を入れた。出てきたのは飴玉だ。一般的な包装紙の普通の飴玉。
「最後の一つなんだけど、ダンテにあげる。だから道草食べるのはやめなさい」
 彼女にそう言われてダンテが道草を手離し、彼女の掌から飴玉を摘んで包装紙を取り、飴をポイと口に放り込む。舐めるんじゃなくばりぼりと噛み砕いたダンテに彼女は呆れたように笑った。
 …いいなぁ。俺だって王室御用達の飴の袋より、彼女からもらう何の変哲もない飴が欲しいよ。くそうダンテめ。そんな怨めしいことを思った自分にはっとしてぶんぶん首を振った。そんな俺をが不思議そうに見ている。
「あーえっと、じゃあはどうするの? 御前試合見に来るの? 俺とダンテ不参加だけど」
 何とか話題転換しようと試みると、彼女はすぐに乗ってくれた。緩く頭を振って微笑する。
「んーん。お母さんが駄目っていうから、私は御前試合は見たことがないの。ランテとダンテが出るならこっそり見に行こうかなとは思ってたけど…二人とも出ないなら、今年も見ないかな」
「おかーさん? どうしてダメって?」
 俺が首を捻ると、彼女は視線を俯けた。少し小さな声で「ほら、私のお父さんも兵士で殉職したって話、したでしょう?」「あ、うん」ダンテは初耳だろうけど、特に興味もないのか無表情に聞き流していた。彼女は諦めたような顔で笑って「だからね、御前試合とかも見ない人なんだ。そういう戦ってる場面は見たくないんだって。お父さんがそれで死んだことを思い出すから。私が見に行きたいって言えばいつも駄目って」…ふむ。そういうものなのかな、と首を傾げる俺に彼女も首を傾けた。さらりとした髪が風にさらわれて揺れる。
 それだと、きっと退屈だろう。
 家にいれば結局花屋を手伝うことになり、街がお祭り空気で浮かれ騒ぐ中、彼女はいつも通り花屋でエプロンをつけて汚れても構わない服で花のことばかりしている。せっかくのお祭りも関係なしに。
 ……そこから、彼女を引き離すには。賊の一件からさらに彼女に対して色々と厳しくなった母親から離れさせる手はないだろうか。せめてお祭りの日くらいいつもと違う空気で、少し息苦しい日常を忘れてほしいのに。
「じゃあさ」
 目に入った城でピーンと思いついた俺は、彼女ににこっと笑顔を向ける。
「御前試合の日、ダンテのこと見ててよ」
「え?」
「ほら、ダンテは自宅待機だろ。でも俺は仕事なわけ。がダンテのこと見ててくれるなら、俺は安心して仕事に取り組めるかなーって」
 半分本気、半分冗談。自宅待機ぐらいダンテだってできるだろうけど、どうせ暇なら、といればいい。だってお祭りの日くらい花屋はお休みするべきだ。二つを結びつけた俺をダンテが睨んできたけどへらっと笑って返しておく。急な提案すぎると彼女が却下するならそれでもいいし。
 彼女は少し考えたあと、「いいよ」と頷いた。わりとあっさりした決断だった。「えっ、いいのっ?」と驚く俺に彼女がきょとんとした顔で「ランテから言い出したのに、そんなにびっくりする?」と訊かれてあははと笑う。
 それはそうなんだけど。あれ、じゃあ俺はなんでこんなに慌ててるんだ。彼女が祭りの日一日くらい自由にしたっていいって思ったところから始まったことなのに。
 そこについでだとばかりにダンテを入れたことが間違い、だったのか。
「そういうことだから、御前試合の日はお城の中案内とかしてね。ダンテ」
 彼女が笑う。ダンテに笑いかける。
 俺を睨んでいたダンテの視線が逸れて彼女を捉え、「無理だ」とすっぱり一言で切った。ぷーと頬を膨らませた彼女があ、かわいいとか思った俺、自重。
 なんでかどーんと気分の落ちた俺を覗き込んだ彼女が「安心してランテ。ダンテのことは私が見てるから、しっかり仕事してきてね」と笑う。その笑顔がぐさっと心に刺さった。悪気も何もない純粋な言葉だけに、鋭く尖って、その笑顔と一緒に俺の心を貫いた。
 …墓穴を掘るってこういうこと言うんだ。
 うがああと一人ベッドに転がって悶絶していると、バンと部屋の扉がノックなしで開けられた。一応騎士団長である俺の部屋をこんなふうに開けるのはダンテしかありえないので、転がっていた俺はぴたっと止まって部屋の入り口に視線を投げた。
 気に入らないって顔でむっつりしているダンテが「余計な世話だった」と今日の俺を非難する。「うん、俺も今すごく後悔してる」と漏らすとダンテは息を吐いた。呆れたように。
 花屋の日常で埋まる彼女の気分転換になればいいと持ち出したはずの話が。自分で言い出した話が。こんなに深く、俺を抉ろうとは。思ってなかったんだ。
 ごろんと転がって起き上がり、ぎゅうぎゅうと抱いていた枕を手離す。
「お前のことが心配だっていうのはホントだよ。お祭りの日くらいが花屋の手伝い休めないかなーって思って言ってみただけ、だった。…ダンテだって一人で部屋にこもってても全然面白くもないだろ?」
「…がいたって同じだ」
 ぼそっとした声にむっと眉尻を吊り上げる。
 お前今さりげなく気に食わないこと言ったな。贅沢だぞ。
「俺はと一緒にいたいよ。代われるなら代わってほしいくらいだ。俺は一日と一緒にいられたらすんごい嬉し、」
 勢いのまま口にしかけた言葉にはっとして声が止まる。そんな俺をダンテは無表情に眺めている。
 …危ない。あることないこと、っていうかあること全部をぽろっと口にするところだった。危な。
 思い出したようにあははーと笑って誤魔化す俺に、ダンテは訝しげに首を傾げた。
 …ダンテはノイエ・トラリッドだから。きっとあいつの中には好きとか嫌いとかなくて、恋とか愛とかもなくて。あるのは、戦場で戦うだけの自分と、飯のことと、俺のことと、少しくらいはのこともあるのかな。
 あいつに言ったって分からない。俺はのこと好きなんだ、とバラしたとしても、好きってなんだ、とか訊かれるのが関の山。
(……好きなんだ…)
 もふ、と枕に顔を埋めて、今日の彼女を思い出す。
 ああくそダンテが恨めしい。俺だって仕事サボって一日中と一緒にいたいよ。そばにいたいよ。君のそばにいたいよ。
「ランテ」
「何ぃ」
「…代わるか?」
 ぼそっとした声に視線を上げれば、ダンテが苦い顔で腕を組んで明後日の方向を見ていた。
 は、と短く笑って俺はぱたぱた手を振る。「むーり無理、ダンテが俺と代わるとか無理。俺もお前と代わるとか無理。いいよ、大丈夫だよ。ちゃんと仕事する。お前はと、まぁなんかしてなさい。お城案内してって言ってたし、できればそうしてあげなよ」立ち上がってダンテの背中を押して部屋から出した。「ランテ」と言い募るダンテを追い出して「じゃあ俺明日朝早いから! おやすみ!」と残してバタンと扉を閉じる。
 ずり、と扉に背中を預けてずるずると座り込む。
 まさかダンテに気を遣わせるとは。今の俺ってそんなにヘコんでるのかな。墓穴掘っただけなのに。
 ダンテに言葉で切って捨てられて、頬を膨らませた、かわいかったな。
「………好きなんだよ。
 ぽつりとこぼして胡坐をかき、はぁー、と深く息を吐く。
 とりあえず。明日の御前試合は、騎士団長として、失敗のないようにしないと。
 明日の役目だけ考えて今日はもう眠ろう。彼女のことを気にして、たった一人の兄弟のことを恨めしく思ってしまった自分なんて忘れよう。そうしよう。
 彼女を好きだと思うこの気持ちも。胸の奥の、奥の方にしまい込んで、蓋をして、鍵をかけて、忘れてしまえ。