それは冬。十二月に入って肌寒いというか身を切るような寒さが朝と夜とで訪れるここで、私はまた目を覚ます。 起き上がってごしと目を擦った。吐き出せば息は白い。 今日は何日だっけとカレンダーに目をやって、十二月の十二日であるのを見つめる。 「……あ」 そこには赤丸がしてあって、『誕生日』とされていた。私の字じゃない。元帥の字で。 (そうだ。元帥が適当に私の誕生日決めたんだった) だから私はよいしょとベッドから起き上がる。ミスティーはまだ布団の中でぬくぬくしたいらしくもぞもぞ動いてるけど出てこない。 誕生日かぁ、と他人事みたいに思いながら誕生日の字に付け足された13という数字を見つめる。 13。私がここに来て三年経った。まだ死んでない。生きてる。 私はまだここにいて、息をしていた。 ぴょこんと布団から顔を出したミスティーが「ふぎゃあ」と鳴くから振り返って笑いかけた。たったか歩いていって手を伸ばす。 正確な歳なのかどうかは分からない。だけど多分まぁそれくらい、って認識。だからもしかしたらユウと同じなのかもしれないしリナリーと同じなのかもしれないし。どのみちそんなに変わらない。同年代、13くらい。それだけ。 「ミスティー、今日私の誕生日だよ」 「ぎあ」 「ミスティーの誕生日、そういえば決めてないね。ミスティーいくつ?」 分からないと首を振るミスティー。だから「そっか」とその頭を撫でた。それからぶるりと震えて上着のカーディガンを羽織って「朝ご飯行こっか」と笑いかける。私のフードにおさまったミスティーが「ぎゃう」と元気よく返事をするから私は笑って部屋を出た。 出たところで、なぜかユウと出くわした。 「お? ユウお早う」 「あ、ああ。お早う」 珍しくお早うなんて返事が返ってきた。だからぱちくりと目を瞬いて「朝ご飯これから?」と問いかければどことなく目が泳いでいる彼に「ああ」と返答されて、それに首を捻りつつも「じゃあ一緒に行こう」と笑いかけてその腕に腕を絡ませた。 いつもなら私が下に行くくらいにはご飯食べ終わってるのに珍しい寝坊かなとか思いながら、でも髪はいつもみたいに結ばれてるし格好もカーディガン着てるしとさらに首を捻る。さっきから彼は私と顔を合わせようとしない。 「どうかした?」 「…今日」 「今日?」 「誕生日。だろ」 ぼそぼそと言われて一つ瞬き。「うんそう」と返せば、「科学班がなんか準備してるらしい」と言われてまた一つぱちと瞬きした。 科学班と言えばリーバー班長のいる部署。それからコムイさんが出入りする場所。それにイノセンスの武器の加工や研究や色んなことをしてる忙しいところだ。 だから首を捻って「なんで?」と言えば「リナリーだろ」と返された。だからますますぱちくりと瞬きする。 でもそれで何となく納得がいった。きっとリナリーがコムイさんに頼んだのだろう。それでコムイさんがリーバーさんに頼んだのだろう。分かりやすい図式に苦笑いすればユウが息を吐いてからポケットに突っ込んでいた手を抜いて私に何かを突きつけた。それにぱちと瞬きする。 「何?」 「やる」 「…?」 だから差し出した掌にぼすと預けられたそれを見つめてから顔を上げた。つかつかさっさと歩き出してしまっているユウが「早く来いっ」と振り返らないまま私を呼ぶから慌てて追いついた。「ねぇこれ何?」「やるっつったろ」「言われたけど。これプレゼントってやつ?」だからそう訊いたら彼はますますそっぽを向いた。だから私は思わず笑う。 「ありがとう」 「…別に」 そっぽを向いたまま、彼ががしと私の手を掴んだ。乱暴に引っぱりながら「俺はお前を呼んでくるように言われただけだ。とっとと行くぞ」とこれまた乱暴にぐいぐい手を引っぱられる。だけどどう見ても照れ隠しだ。だから私はますます笑ってしまう。 そんな感じで、今日の一日は始まった。 「誕生日おめでとう!」 「ありがとうリナリー!」 ぶんぶん手を取り合ってなんだか流れで記念写真まで撮った。ユウは仏頂面だしミスティーもそんなユウに仏頂面を返していたけど、色んな人に囲まれて私はついつい笑ってしまった。写真を撮る日なんていうのが来るとは思ってなかっただけに今日のサプライズは私にとって結構嬉しいものだった。 コムイさんががしと私の手を掴んで「くんには感謝してるんだよー、これからもリナリーのよき友人であってね」ぶんぶん握手されてがくがくしながら「はいぃ」と返事をしたり。リーバー班長にミスティーを貸してもらえないかと頭を下げられて丁重に断ったり。そのうちジェリーさん特製なんだろうケーキが運ばれてきて科学班の大きな机の上に置かれてでんと鎮座たりして。 それで、流れ流されて蝋燭を吹き消して、拍手が沸き起こって「誕生日おめでとう!」の大合唱を受けて。そこまでいってから私はようやくこの場の異変に気付いた。 あの人が。クロス元帥がいないことに。 むぐ、とケーキが喉に詰まってごほごほと咳き込んだ。リナリーが慌てて私の背中をさすって紅茶のカップを差し出してくれるからそれに口をつけてごくんと飲み込んで、けほと一つ咳き込んでから顔を上げる。滲む視界をぐいと擦ってその赤い髪を探すも、やっぱりいない。 「リナリー」 「うん? 大丈夫?」 「うん。あのねリナリー、クロス元帥は?」 そこでリナリーがぎくって感じに固まった。だから視線を上げる。いつの間にかコムイさんの姿が消えていた。だからケーキのお皿を置いて席を立つ。がつがつと大きく切り分けられたケーキを平らげているミスティーが見える。赤い色はそれくらい。 あの人が。いない。 「ユウ」 「あ?」 「元帥は?」 その意味はユウにはすぐ伝わったらしい。甘いものを好まない彼は一人湯飲みでお茶をすすっていたけど、私の言葉に僅かに視線を逸らした。それが答えだった。 だから悪い予感がして。だからそのパーティが大袈裟すぎる意味にも何となく気付いてしまって。 だから走った。「あっ、!」とリナリーの止める声を振り切って浮かれ騒ぐその場所から飛び出す。だけどぱしと誰かの手が私の手を握ったから振り返ったらユウがいて、「やめとけ。これがあの元帥が望んでたことだ」と言われて何となく、視界が、じんわりして。 「元帥はどこ?」 「知るか」 「嘘。知ってるくせに」 だからその手を振り払って階段に向かった。私を追いかけてくる足音が「おぃっ」と私を呼ぶ。だけど私は階段を下った。悪い予感がした。とてもとても嫌な予感が。 ここ最近千年伯爵は忙しなくアクマを製造している。世界各地では戦争。イノセンス争奪戦だけでなく普通に人間同士の間でも戦争が起きている。そしてそれが悲劇を生む。まさしく伯爵にとってはこんないい時代なんてないだろう。戦争が起これば人が死に、それが悲しみと悲劇を生むのだから。 だから。私は元帥のぼやいたその言葉を憶えていた。近々デカいのが入るかもしれないなと。いつものようにワイングラスを傾けている元帥を見上げて私はデカいのですかと呟いて返した。 首からさげている元帥と同じようなロザリオが、重い。 だからざしゃとブーツの底でブレーキをかけながら地下からの出入り口である水路へと辿り着く。は、と息を切らせた先には求めていた赤い髪の持ち主。 「元帥っ!」 だから叫ぶ。今にも船に乗り込もうとしていたあの人が私を振り返った。それから呆れたような息を吐いて「おぃコムイ、隠せって言ったろう」「ボクだってこれでも努力したんですよ。くんが感付いちゃったんでしょう」交わされる言葉に構わず走ってぼふとその身体にアタックして抱きついた。馴染んだ煙草のにおいがする。触れるロザリオが冷たいのも分かる。 「何ですか、なんで秘密で行こうとするんですか。任務なら正門から堂々と行けばいいじゃないですか、なんで私に黙ってこんな」 「デカいのが来そうだと言ったろう。当たったんだよ予感が。めんどくさいことにな」 帽子を被ってその上にティムを乗っけて元帥が言う。私の頭をがしがしと撫でて「まぁ心配するな。お前はお前で生き残るよう努力しろよ」と言われて顔を上げる。仮面に半分隠れた顔。もう見慣れたその顔にじんわりと涙が溜まる。 「ほれ」 どんと押されて突き放されて、たたらを踏んで。それでぼすと受け止められて振り返ればユウがいた。息を切らせた彼に「お前な」と言われて「だって」と返す。 あの大袈裟なまでのパーティはつまり、これを避けるためのものだったのだ。 「元帥」 「よせ」 船に乗り込んだ元帥に手を伸ばす。だけど抱擁されるようにユウに止められた。強く回された腕が剥がせない。 どんなに美人さんの顔をしててもユウはやっぱり男の子で、元帥と同じく男の人の力がある。剥がせない。剥がれない。 それが元帥から私を引き止めるだけのための力でないことを私は知らないまま、「元帥っ!」と船に乗り込んだ赤い髪の人に手を伸ばす。 届かない。どうやっても。 「じゃあな」 いつものようにひらりと手を振ったあの人はいつも通りだった。いつも通りの背中だった。コムイさんが「定期連絡頼みますよ元帥」と棘を利かせた声を出し、あの人はいつもみたいに豪快に笑った。「気が向いたらな」と。 そうして船は。ゆっくりと遠くなっていって。「元帥っ!」と張り上げた声が暗い水路内に乱反射して。 遠くなっていく暗がりの方で、最後にあの人がひらりともう一つ手を振ってくれたような、気がした。 |