「…あのー」
「ん?」
「ラビは何で私にべったりなの?」
「そりゃあれさぁ感付いて」
 ばっちこんとウインクされて、私ははぁと溜息を吐いた。隣ではさっきから苛々オーラを醸し出してるユウが湯飲みでお茶をすすってる。
 普段なら向かい側なのにどうして今隣なのかって言ったら、新しく入ったラビが私の隣に陣取るから。だからユウがそれを許さず私の隣に来て、だから代わりにラビが向かい側。
 結局何も変わってないんじゃってツッコミは、しない方がいいかな。
 困ったなぁと笑いながら「ミスティーについて知りたいなら科学班の人のところに少し資料があると思うけど」と言えば、ぱっちんと指を鳴らしたラビが「まじ? じゃあオレちょっくら行ってくるさ!」と言い残してマッハで食堂をあとにした。それに息を吐く。なんていうか、分かりやすい。
「ごめんねミスティー。ああいう人もちょっと苦手だよね」
『…しつこいタイプは特にな』
 科学班で生態研究と称されて結構色々されたことはミスティーを疲れさせた出来事の一つだ。今じゃもうそれもなくなったけど。
 やっとラビがいなくなったからとばかりにカートに積み上げられた料理の方へと飛んでいってがつがつがつと上から平らげ始めるミスティーから視線を外し、私はユウを見た。テーブルに頬杖をついて「で? ユウはどうしたの」と言えば彼が「ああ? 俺はあの馬鹿ウサギが気に入らねぇんだよ」と苛々した感じで返されて。
 馬鹿ウサギ。さっそくラビに別名がついた。
 だから苦笑いしながら「嫉妬みたいだよユウ」と指摘したら彼が目を見開いて「誰がだっ!」と声を荒げてばんとテーブルを叩いた。もうだいぶ慣れたその反応に私は苦笑する。だからそれが嫉妬みたいなんだよユウ。
「任務は? ないの?」
「今のところな。お前こそどうなんだ」
「まだないかなぁ。あ、そうだ」
 だからぽんと手を叩いて「もう春なんだもん、花壇の準備しなくちゃ」と言えば彼が顔を顰めた。「またか」とぼやかれて私は笑って「まただよ」と返す。
 なんだかんだで付き合ってくれる彼。もう花壇も五年目になる。色んな花を育てて世話してきた。冬になればやっぱり枯れちゃうけど、ヨーロッパの気候でもどうにかやっていけそうな花の種をまた植えよう。コムイさんに話して取り寄せてもらってまた二人で。
 それが彼と私の共通した、昔からの行事の一つ。
 それから左手。私と同じところに私と同じようなシルバーリングが一つ光ってる。
 私が贈ったものだ。彼の誕生日に、去年。シルバーにシルバーを返したら彼はなんだか苦い顔をしてたけど、でもちゃんとつけてくれてる。だから私はにこにこしながら彼の左手に自分の左手を重ねた。ぴくと反応した彼が視線だけで私を見て「なんだよ」と言うから、「ううん別に」と返してこつと指輪同士をぶつける。
 しゃり、とロザリオが揺れた。だから視線を落とす。私の膝でロザリオが揺れている。

「……もう二年もたっちゃった」
「…そうだな」
「あの人、生きてるよね」
「…それを俺に訊くか」
「リナリーに言ったら心配されるんだもん」
「俺なら心配しないって?」
「そうじゃないけど。ユウはこう、受け止めてくれる」
「…過剰期待しすぎだ。俺はそんなことしない」
「嘘。してるよ」
「してない」
「してる」

 向き合って言い合ってしばし。最後にはどちらからともなく相好を崩して口元を緩めて笑う。
「おー、見せつけてくれるなぁ大将」
「、」
 それでいつの間にか向かい側にラビが戻ってきていた。私もぎょっとして「ラビ、いつからそこに」とこぼせばへらりと笑ったラビが「ついさっきだけど。指輪ごちって辺りから」それを聞いたユウが無言で立ち上がって抜刀。それにラビが「うぉわ暴力反対たいさーんっ!」と逃げていった。それもあっという間だった。ラビは逃げ足が速いというか行動が速いというか。
「…ユウ?」
 抜刀したままの彼をちらりと見上げる。赤い顔で我に返ったらしい彼がちんと六幻を収めて蕎麦やら湯飲みやらの載ったお盆を返しにつかつかと歩いていく。だから私は瞬いてそれを見送った。
(…最近よくするなぁ)
 彼の赤い顔を思ってちらと視線を上向ける。
 どういう意味だろう。まさかあのユウに限って照れてるなんてことありえないだろう。唯我独尊の一匹狼は彼の別名だ。まぁ確かにまさしくその通りなのかもしれないなぁとは思うのだけど。
「…ユーウ。花壇」
 つかつかと前を通り過ぎる彼に声をかけた。ぴたと足を止めた彼がぼそりと「行く」とぼやいてまたつかつか歩いていく。だから私はそれに満足して、自分の朝食の方に手をつけ始めながらその背中にひらひら手を振った。
 行くという一言、それがあとで部屋に迎えに行くという意味であると、私はもう長い付き合いで分かっていたから。
 そんなある日。朝食のあと部屋に戻ったらドアの隙間に手紙が一通挟まっていた。宛名は私。差出人名は、
「…知らない人」
「ぎゃう」
「どうしよう」
 だから困ったなぁと思った。手紙。普通に仕事関係での呼び出しならゴーレムが来る。だからこれは個人的な理由の個人的なお手紙。
 ユウはつい昨日任務に出てしまった。一番相談しやすい相手がいない。だから誰にこれのことを話したらいいのかと思ったとき、
「おー、ってばラブレター? ここって案外フツーなのなぁ」
「、」
 その声に振り返ればラビがいた。さっぱり気配が分からなかったからぱちと瞬きする。ミスティーはむすっとした顔をしていたからもしかしたら気付いていたのかもしれない。
 っていうか今。何か聞き逃してはいけない単語を聞いたような。
「…ラブレター?」
「じゃねぇの? だってほらシール」
 言われて封をしている箇所を見やれば白黒だけどハート型のシールだった。だから眉根を寄せる。眉根を寄せながらぺりと開封した。中には手紙が一通。フードから顔を出したミスティーが文面を覗き込んで、興味津々とばかりにラビまで顔を出してくる。
「…えーと」
「ほらやっぱりラブレターじゃん! やるなぁってば」
 ばしばしと背中を叩かれて私は困惑した。確かに文面はそれっぽいけど。でも私はこの人を知らない。
 なんだかにんまり笑ったラビが「で? どうすんのそれ。一応今日の夜お呼び出しみたいだけど?」とからかうみたいに言うから。だから眉根を寄せて私はふうと息を吐いた。
 考えるまでもない。ここでは好意は意味をなさない。むしろ好意は、悲劇という最悪の形を取ることになる。
 だからここでは恋なんてできやしないのだ。死なないと約束できる者同士でない限り。
「…行かない」
「へっ? なんでなんで? もったいないじゃん、せめて相手の顔だけでも見てから決めればいいのに」
 きょとんとした顔のラビに私は息を吐いた。「戦争の最中だもん。私は兵士。ラビ、あなたも」だから眼帯の彼に目を向けてつんと額をつついた。「ここには甘いものなんてないんだよ」と。
 つついた額を押さえたラビが首を傾げて「そう? そうかぁ」と一人納得したようなしてないような顔をして腕を組む。と、そこへぱたぱたゴーレムが飛んできた。『、ラビ、司令室まで急いでくれ』とこれはコムイさんの声。だから顔を見合わせて「初任務で一緒か。頼むぜ相棒」と肩を組まれて抱き寄せられた。ユウと同じくらいの身長。高い。私よりだいぶ。
 だからそんなラビを見上げて、気に入らないって顔で彼を睨みつけてるミスティーを見て。私は息を吐いた。
「近場なんですか?」
「いや遠い。そして急ぎだ。すまないがミスティーで行ってもらえるかい。アクマが大量発生してる地域が発覚した」
 またか。そう思って私は息を吐く。そういえばラビが来てからなんだか溜息の回数が多くなった気がする。
 ミスティーも「ぎあー」と抗議気味の声を上げた。コムイさんが困った顔をして「すまない二人とも。二人を同時に向かわせないとならないっていうのが難点でこういう仕事ばかりで」と言われて私は緩く頭を振った。今はリナリーだって任務。私だけここに残ってたのはさみしいくらいだからちょうどいいけど。
 ずいと顔を寄せたラビが「で? どこが目的地?」と広げられた地図の方を示す。コムイさんが「ああ、今回はオーストラリアまで行ってもらう。遠いがすまない」だから私はがっくり肩を落としながら「了解です」と返しミスティーを撫でた。ちょっと遠距離飛行になるけど仕方ない。
「頑張ろうかミスティー」
「ぎゃう」
「あ、オレは? っていうかジジイはどこ行ったんさコムイ」
「もうすぐ来るよ。二人は今回が正式な初任務だから、リーダーを頼むよ
「はーい」
 だから水路へは向かわず屋上まで向かう。司令室を出たラビが私を覗き込んで「なぁオレは?」と言うからふうと息を吐いて「はいはい、ラビも頑張ろうね」と手を掲げる。ぱんと掌を打ち合わせ「オッケ」と笑う彼。だけどその笑顔はまだ透明すぎて、私はどうにも彼を真っ直ぐ見られない。
 そうして屋上でブックマンと合流した。「今回はよろしくお願いします」と頭を下げれば「いやこちらこそ。そこの馬鹿がだいぶ迷惑かけとるようじゃな」と言われてあははと笑った。ラビが怒りマークを浮かべながら「うるせぇよこのパンダジジイ」と言えばどごと遠慮ない蹴りがブックマンからお見舞いされる始末。この師弟、仲がいいのやら悪いのやら。
 するりとフードからミスティーが飛び上がった。ぱたぱたと私を通り過ぎるときに小さな声で『気をつけろ。記録することを役割とする者だ、下手はしない方がいい』と言われてちらと背後を振り返る。「なっにすんだよこのパンダ!」「口を慎め馬鹿もんが。初任務にそんな体裁でどうする」と言い合う二人を視界に捉える。
 ぱたぱた浮かび上がるミスティーに視線を向けてから浅く頷いた。悪い人には見えないけど警戒は必要だ。何より今回は私がこの人達と一緒に行ってアクマを一掃しないといけないのだし。
 単純計算で私とミスティーでエクソシストが二名に新人エクソシストが二名。合計四人ものエクソシストを割くことにコムイさんが決めた任務なのなら、目的地はきっとアクマだらけだ。気を引き締めていかなくては。
 巨大化したミスティーがずんと屋上の石畳に爪をついてばさりと両の翼を広げた。「おおぅすげぇ!」とラビから歓声の声が上がり、「ほぅこれは」とブックマンも感嘆とした声を上げる。私は先にミスティーの背中に乗って二人に手を差し伸べた。
「さぁ、行きましょう」
 それでオーストラリアまで飛行中の間に一応基礎のアクマについての情報確認などをした。感染のことやレベルについて、それから最近出没し始めたレベル3のアクマについても。
「私も一度だけ戦ったことがあります。強いです。固有能力も2に比べて格段にアップしてますし、正直相手にしたくないです」
「でもやっつけたんだろ? ってすげぇよなぁ」
 暴れる髪を押さえながらラビが声を張り上げてそう言った。耳元で風切り音がひどいせいだろう。私は緩く頭を振って「ミスティーが庇ってくれたから。ミスティーがいなかったら多分駄目だった」とこぼして今は巨大化しているその背中を撫でる。まだ大陸は見えない。
「今回そのレベル3とやらはいるのかの?」
「分かりません。探索部隊から連絡は受けましたが、それ以降の通信は全て通じてないんです。あるいは…」
 あるいは。そう言ったものの、恐らくは。
 だから口を閉じる。ブックマンが「そうか」と言って前を見据えた。風切り音が耳を通り過ぎていく。

「うん?」
『あちらからも来たようだ』
 その声にかしゃんと剣の柄に手をかけた。ばさりと翼を翻しその場で飛翔したミスティーが『来るぞ』と低く言いぼっと炎を吐き出す。確かに遠くにきらりと光る何かが見える。私の目では捉えきれないけどミスティーが捉えたなら確かだろう。
 だから私は「行きますよ二人とも」と声をかけた。あまりしたくはない空中戦。それでもやるしかない。
「おーしここはオレの出番さ! 着地点頼むなミスティー!」
 声を上げて小さな槌を弾いたラビに「え、ちょっと待ってラビ」と声を上げるも彼が「大槌小槌、伸っ」と言ってぱしと握った槌の柄が伸びて空へと舞い上がってしまう。
(柄が伸びた。これもラビのイノセンスの能力なのかな)
「安心なされ。あやつもそれなりに戦場をくぐり抜けておる故」
「、ブックマン」
「私もまた参る。レベル1の破壊なら問題ない」
 そう言ってブックマンも跳んだ。私はそれを見送り「ミスティ、着場になってあげて」とその背中を一つ叩いた。ばさりと一つ翼を閃かせたミスティーがごぅと前方のアクマを炎で焼き尽くしながら『了解した』と言って高度を上げる。
 二人は確かに息が合っていた。ラビの槌とブックマンの針。針は敵を貫く武器にもなれば足場を形成する独自の塊にもなる。それを見上げて目を細め、私は柄にかけていた手を引いた。
 ここはあの二人に任せよう。その力を見るためにも。この先には恐らくレベル2は必須だ。そして運が悪ければ3もいるかもしれない。
 だからぎゅっと目を閉じる。
(元帥)

 もう二年。死亡説まで流れ始めているあの人。定期連絡なんて寄越さない。分かってた。便りだって寄越さない。分かってた。
 分かってる。それでも生きているって、私は信じる。そう決めているのだから。
 だから今も戦い抜いて生き抜いて、未来へ行こうと、未来でまたみんなであの場所で笑うためにって決めてるのだから。

 だから私は目を開ける。しゃんと剣を抜き放ちがしゃんと正面へ刀身を向けて構え「グラウィス」と唱える。十字架が刻まれた半透明の巨大な壁が出現、レベル2であろうアクマの雷のような攻撃をどどどどと音を立てながら全て防ぎ切った。
 ミスティーが飛翔する。レベル1を倒し終えたんだろうラビとブックマンが着地する音がして「今度は何さ」とラビが息を吐く。ブックマンが目を細めて先を見つめ「レベル2か」と言う。その呟きに私は浅く頷いた。だから立ち上がって剣を構える。
「ミスティー、誘導お願いね。私がやる」
『分かった』
「ん? やるって何を?」
 ラビに見上げられて私は口元だけで笑った。「二人とも伏せててください。衝撃が来ますから」そう言ってからしゃんと壁を解く。それからミスティーがどどどと自らの鱗を引き剥がし弾丸の速度でグランスを放ち、その口からアクマをも焼き尽くす炎をたぎらせ火の球として相手に放つ。相手のアクマはここからでは少し遠すぎて私の目じゃ見えない。だけどミスティーが動きを絞ってくれる。
 だから私は自分の攻撃に意識を集中させて剣を構えて十字に切る。
 思い浮かぶのは遠ざかるあの人の後姿。イメージするのは全てを照らす白の光。
(行きます)
「クルクス」
 ごっ、と光の一閃が光の速度で放たれ動きを絞られたアクマを直線状に捉えその光でどんと消し飛ばした。だけど目を閉じた先に感じた剣の手応えは、アクマを破壊できていないと。私にそう訴える。
「ミスティー」
『ああ』
 ごおと炎を大きく目の前で爆ぜさせるミスティーに「おおう」とラビが一歩引いた。ブックマンが目を細める中業火灰塵が球状でいくつも放たれる。負傷したアクマは小さな点となって煙を上げて落ちていくばかり。
 そうして海上でどんと炎がぶつかり大量の水蒸気が上がった。
「…どう?」
 しゃがみ込んでミスティーの背中を撫でる。『息の気配はない。大丈夫だ』と言ったミスティーが再びばさりと翼を広げオーストラリアへと向けて速度を上げる。だから私はちんと剣を収めてふうと座り込んだ。
 ラビがさっきから穴が開くくらいこっちを見つめてるから「何?」と首を捻る。「ああいや」ぶんぶん首を振ったラビがぽりと頬をかいて「いやその、すげぇな。光の一閃、すげぇ眩しかった」とこぼすから思わず笑う。
 元帥の真似事だ。私のしていることは全部。あの人が銃なら私は剣。剣で剣なりにでもできることを見つけた、それだけ。
「本番はこれからだよ」
「おっす!」
 声を上げて手を掲げるラビに一つ瞬きして、しょうがないなぁと私は彼と掌を打ち合わせた。
 なんだか色々間違ってる気がするけど、まぁいいか。今の彼は少し、ほんとに笑ってる感じがするから。透明すぎるわけでもなく鏡のようなわけでもなく、ラビなりの笑顔で。