庇ったのは。多分、反射的に近かった。

「ラビっ!」

 の悲鳴のような声が聞こえたけど身体は反射的に動いていた。だから自分自身でも呆然とした。彼女の前に飛び込んでレベル2のアクマの蔦の攻撃を受け吹っ飛ばされた自分が理解不能だった。
(何してんだよオレ)
 どんと壁を突き破って向こう側まで転がった。廃墟郡で少し建物が古かったのが幸いした。助かったと思いながらげほと咳き込む。それでも痛いもんは痛い。
(いってぇなちくしょう。っていうかさっそくかっこわりぃとこ見せちまったじゃねぇかどうしてくれんだよこの野郎め)
 ジジイの針がアクマを貫いたのが見える。それからミスティーの鱗の攻撃、なんだっけグランスとかいう技。あれがアクマを貫いたのも。

「ラビっ!」

 声が。聞こえる。
(動け…、動けよオレの身体)
 声が呼んでる。彼女の声が。
 つい最近出会ったばかりの黒の教団に属する、オレより一つ下の15の女の子。だけどドラゴンという歴史上初の生き物を従えエクソシストとして戦う子。情報のだいたいは知ってる。ドラゴンを神として崇められていた街に孤児として育った彼女、そしてそこで祀られていたドラゴン。その二人が適合者だった。それをクロス・マリアン元帥が黒の教団本部へと連れて行った。
 経緯は知ってる。何しろオレはブックマンジュニアだ。一通りの情報は網羅してある。特に彼女に関しては。
 ドラゴン。人が空想と決めつけ食物連鎖その他全てのものから排除していた生き物。だけど実在した生き物。そしてその存在にイノセンスが共鳴。ミスティーという名のあのドラゴンは寄生型イノセンスを宿し対アクマ獣となって戦っている。
 そしてそのドラゴンを従える彼女は、まだ15の女の子。
(くそ…っ)
 がらと瓦礫から這いずり出す。アクマの方はミスティーが片したらしい。彼女がこっちに駆け寄ってくるのが見える。それからその背後に、
「くそ」
 毒づいて槌を構える。「満満満」と唱え、渾身の力を込めて彼女の向こう側でまだ蔦を伸ばすレベル2のアクマに巨大化した槌を叩きつける。
(しつこいアクマだ。ミスティーが止めを刺し損ねたのは意外)
 だけどその顔には少し疲労が見える。っていうかそれも当然か。ここまで休まず飛行してきて休まずアクマとの戦闘。ドラゴンの能力がまだ未知数とはいえ普通に考えたら無理な話。
 彼女が弾かれたように振り返る。しぶてぇ奴だったと思いながら視界が急速に狭まるのが分かってまたこっちを見た彼女が手を伸ばして「ラビっ」とオレを呼ぶのが分かって、

 そこでぶっつり。意識が途切れた。
「……、」
 気がつくと天井。それから点滴の管が視界に入る。
(やば…オレ意識飛ばした?)
 だから視線をずらす。左目だけの視界はどうにも不便だけど仕方がない。起き上がろうと腕に力を入れたところでその腕に別の体温があることに気付いた。ぎくと固まって右側の、眼帯で塞がれて見えない方を左の視界でそろそろと見る。ここは多分医療区画。だとしたらここはもう教団本部。
 帰還。したんだ。オレが気を失ってる間に。
「…、
 彼女が眠っていた。オレのいるベッドのふちで蹲るようにして。
 ぎぃとベッドを軋ませてどうにか起き上がる。あーくそ痛ぇと思いながら自分の不甲斐なさにもう感心する。これが初めての戦闘ってわけじゃなかったのに何やってんだよオレ。
「目が覚めたか馬鹿者」
「いきなりそれかよこのくそジジイ」
 入り口の方でいつものように傍観者らしく突っ立ってるジジイに悪態づく。誰が悪いのかなんていうのはもう言うまでもない。
 はぁと息を吐いて「任務達成ってとこ?」「お前が無謀な事をしなければ至極当然にな」それでまたぐさっとくる言葉を言ってくるもんだからさすがにイラっとした。オレだって別に敵の攻撃受けたくて受けたんじゃないっつの。
 それに思い返せば、オレが庇わなくたっては無事だったかもしれない。オレはオレの経験上からあのタイミングじゃミスティーの鱗が彼女をカバーすることは難しいし彼女が攻撃を受けると思った。別にウイルスのこめられた弾丸の攻撃ではなかったし、レベル2の打撃系の普通の攻撃だ。だから別に彼女だってどうにか対応したかもしれないしむしろ余裕で葬ってみせたのかもしれない。
 だけどオレの身体は。勝手に動いてた。
(……なーにしてんだよオレ)
 胸中でぼやいて掌をかざす。瓦礫で切った。おかげで包帯でぐるぐる巻き。背中も打撲とか打ち身とかそんなんでじんじん痛む。

 痛い。痛いってこういうことか。

「…あれ、ミスティーは?」
 ふと気になって、彼女の周辺に赤い色が見えなかったからジジイの方に振ってみたら「食堂だ。寄生型はエネルギーを必要とするからな、そのためだろう」と言われてふうんと返す。手を伸ばして彼女の髪を撫でた。ユウよりは短いけど線が細くて女の子らしい髪。
 思ってからはっとして手を離す。何してんだよオレ。ジジイのいるとこで。
「…で、ジジイはなんでまだここにいんの」
「馬鹿がこれ以上馬鹿をせんようにと思ってな」
「馬鹿馬鹿うっさいぞこのパンダ」
 相変わらず小言がうるせぇと思いながら背中をさする。やっぱ痛い。当たり前か、建物ぶっ壊して打ちつけられたら痛いに決まってる。
 だから、この痛みが彼女にいかなくてよかったなぁと思った自分がいることにふと気付く。
 さっきから何を考えてるんだオレは。ここには記録をしに来たんだ、次期ブックマン後継者として。どんなことにも傍観者でなくてはならない。そしてオレは多分それを破った。
「…わりぃジジイ」
 ブックマン後継者としてそれはご法度。だからオレは頭を下げた。ふんと息を吐いて「分かればよいわ」と言い残し部屋を出て行くジジイの背中を片方の視界だけで捉える。
 もう何年もあの背中と一緒に色んな場所を生きてきた。色んな戦争を見てきた。ここは49番目の場所。名前も49番目のラビ。まだそう呼ばれることに慣れない。自分の中で少しのタイムラグが生じることも自覚してる。
 だけど彼女が手を伸ばしてオレを呼んだとき、オレは自分がラビでよかったと思った。
(…ばーか)
 片膝を立ててごつと額をぶつけた。
 オレはここへ何をしにきた。
(人類の歴史から抹消されるであろう出来事、千年伯爵と黒の教団の戦いを記録するために)
 オレは何者か。
(ブックマン後継者。歴史の傍観者であり記録者。世界の裏歴史を書き留め後世へと繋いでいく者)
 ならばそのブックマンとはどうあるべきか。
(情を移さず情に流されず、けれど様々な人と言葉を交わし去っていく。記録者に感情は不要。ただあるがままにあるがままを記す者)
 オレは。何者か。
(ブックマン後継者。現在の名は、)
「ラビ…?」
「、」
 顔を上げる。彼女が眠い目を擦るようにしていた。それからがばと起き上がってオレの身体のあちこちをぺたぺた触って「痛い? ごめんね私のせいで」としどろもどろに言うからオレは小さく笑った。
 ラビ。49番目の名前。いずれ50番目の名前を名乗る日が来るっていうのに、ここは一時の寝屋であってずっといられる場所じゃないっていうのに。何考えてんだよオレ。
「へーきへーき。こそ怪我ないさ? オレってばふつーに吹っ飛ばされて気まで失って、かっこわりぃ」
「ううん。ありがとう」
 彼女が笑う。その笑顔が心に食い込む。
 ラビ。49番目の名前。48番目の名前はディック。本当の名前はもう随分昔に捨てた。記録地ごとに捨てて行く自分の名前。
 捨てて行く。全てを捨てて流れていく。それがブックマンたる者。
(オレは)
「…あのさ
「うん?」
「一つ聞かして」
「何を?」
 首を傾げる彼女。握られたままの腕。その温もり。
 歴史の登場人物はただのインク。この温もりもいずれただのインクになる。インクになる。インクになる。分かってる。分かってるんだ。それなのに。
「あの手紙。無視すんの?」
 だからへらりといつもの笑顔で問う。彼女がぱちと瞬きして呆れたような顔をして「だから行かないよ。っていうかもう時間過ぎちゃったし。それよりも動けるなら聖堂に来て。今回は殉職者がたくさん出ちゃったみたい」と言って立ち上がる。だから手を引かれるままにいつつと顔を顰めながら彼女について歩いた。ジジイの方はどうやら先に聖堂とやらへ向かったらしい。
「ミスティーは? いいんか?」
「来てくれるから大丈夫。ラビは平気?」
「オレは全然ダイジョーブ」
「そう?」
 振り返った彼女の心配そうな顔。それが胸に食い込む。
(何を思ってるオレ。もいずれ歴史の闇に埋もれる。その存在を書き留めるためにオレはここにいるんだ。記録するために。それだけだ)
 オレの身体を気遣ってエレベータを使って階下まで行く、その彼女の横顔を窺う。
 あの街で回収できた遺体は少ない。だとすれば他のどこかでそれだけの殉職者が出る戦が起こったってこと。聖堂に行くってことはそういうことだ。
 オレの視線に気付いて顔を上げた彼女は困ったような笑みを浮かべる。この戦火でも、千年伯爵が製造する無限とも言えるアクマの敵を知っていながら、それでも笑う。
「大丈夫だよラビ」
 それは、何に対しての大丈夫なのか。そう思いながらかつとエレベータを下りて聖堂に赴き、棺ばかりのそこに立ち尽くす。
 彼女がオレの手を離して「リナリーっ!」と棺の前で座り込んでいるリナリーのところへ走っていく。そこにはすでに赤い鱗のドラゴンがいた。彼女に追いつき飛び上がりながらオレを見た視線。諌めるような視線。
 幾度となく見てきた光景。負け戦。見れば分かる。任務地のアクマは一掃した。だけどこれは。リナリーが帰還してるなら他の場所の戦闘もまとめてってことで聖堂に。ざっと見百はイってる。完全にこれは負け戦。
「ラビ」
 呼ばれて振り返った。ジジイがいる。いつもの顔だ。誰にも情を移さず情に流されず、ブックマンとしてあるべき姿でそこに立っている。

 オレもあんなふうになくてはならない。だから彼女のところへ踏み出そうとしていた足を引く。
 傍観者。オレはそうあらなくてはならない。そうあらなくては。
 ブックマン後継者として、オレは。