「お帰りユウ」 葬儀なんてものに参加する義理はなかった。俺の部隊についてた探索班の奴らも死人が大勢出たってことは知ってたが別段関係なかった。 医務室でべりと点滴の管を引き剥がしたとき、声はした。だから顔を上げる。長い髪が頬にかかる。 彼女が救護室の扉をぎいと押し開けたところだった。困ったような笑い顔。泣いていいのか笑っていいのか分からない、そういう顔をしてる。 「デイシャは?」 「寝てる。直撃食らったからな、骨がイってるかもしれん。しばらく要安静ってやつだ」 「マリは?」 「聖堂だろ」 「だよね」 困ったような顔のままの彼女が俺のいるベッドのとこまで来た。それで伸ばされた手を仕方なく取る。体温が触れ合う。 左手。左手同士にはめた指輪。深い意味を持って贈ったわけじゃなかった。ただクロス・マリアンに対抗するという意識から贈っただけの指輪。 彼女は肌身離さずつけてくれている。その首からさげたロザリオと同じように。 「ラビってのと任務だったって聞いた」 「うん。大丈夫、ラビはちょっと怪我したけどあとは平気」 「…全員駄目だったか」 「うん。ごめんね」 「…俺に謝ってもしょうがねぇだろ」 申し訳なさそうにする彼女の頭をぐりぐりと撫でる。 これも対抗心だ。分かってる。俺は今ここにはいないクロス・マリアンに対抗しようとしてる。今ここにいない、二年もろくに連絡を寄越さないクソ元帥。それにも関わらず彼女を泣かせる存在。俺はあの元帥がうちの元帥と同等かそれよりももっと嫌いだと思った。 彼女を泣かせる存在。彼女にいつでも触れているようなかの存在。まるですぐそこにいるみたいに彼女の思考に入り込む存在。 探索部隊の奴らなんてアクマの一撃で死ぬ。普通の人間なんだ。情を割いてる暇や余裕なんてない。 だけど彼女はそれでも困った顔で笑っている。俺が帰ってきたことを無事だってことを笑えばいいのか、殉職者に対して涙を見せればいいのか。その間で揺れている顔。 「リナリーもすごく怪我して帰ってきたんだ。私、無理言ってでもついてけばよかったかも」 「…馬鹿言うなよ」 顔を俯けてぼすと俺に抱きついたに、一瞬のタイムラグのあと、俺は片腕だけでその背中を緩く抱いた。 慣れない。こういうのは、いつまでたっても。そのくせ何よりこの体温を望んでるのに。 「……なんだよ」 「怪我は。治る?」 「…一日あれば治る」 「そっか」 彼女がまた黙った。包帯越しの体温が生々しく彼女の存在を訴えてくる。片腕だけで抱き止めているのが両腕になろうとする。だから拳を握ってその手を自分の頭にやって、誤魔化すように視界を塞いでる長い髪を払う。 「百人は死んじゃったって」 「そうか」 「変だね。負け戦みたい」 「……言うなよ。それ」 「だって」 「お前らしくない。お前は死んだ奴らに戦ってくれてありがとうって笑う奴だったじゃねぇか」 「、」 顔を上げた彼女。その目に浮かぶ涙。だからもう片手でその涙を払う。「馬鹿ウサギになんかされたのか」「まさか。ラビは私を庇って怪我しちゃったんだよ」彼女が相好を崩して笑って、涙をこぼす。 自分の顔が歪むのが分かる。彼女が泣く。そのことに対してどうしようもなく自分が苦しくなるのが分かる。 いつかに言った言葉。俺はお前の笑った顔の方が好きだって言葉。本心だった。今でもそうだ。あの頃から心が変わらない。今もまだずっと。彼女との関わりは月日を過ごすほどに深く濃くなって俺の心に刺さってくる。それこそ鋭い刃を持つ何かかのように、俺の心を引き裂いていく。 「ユウが帰ってきて嬉しいのに。リナリーやみんなが帰ってきて嬉しいのに。私頑張ってるつもりだけど、全然駄目だね」 「なんでだよ。アクマを一掃してきたんだろ。頑張ってんじゃねぇか」 「でもたくさん死んじゃった」 ぽつりとこぼれた言葉が詰まる。 事実は事実。それは確かにそうだ。だけどそんなもの、お前まで気にする必要はない。そう割り切ってないとしんどいだけだ。辛いだけだ。 そんなのこいつも分かってるはずなのに。 (割り切れよ。そうしないとお前が辛いだけだろ) だから彼女の頭をぐいと引き寄せてまた自分の胸に押しつけた。梵字は今は包帯の下。彼女には見えない。熱く痛む。だけど彼女には分からない。 伝えようと思わない限り、心は誰にも届かない。 「……泣けよ」 「、なんで」 「誰もいないだろここは。俺しかいない。なら泣けよ」 「…何それ」 彼女が小さく笑う気配。だけど言葉とは裏腹に背中に回る腕に縋るように力が込められ、だから俺も隠すことなく彼女を両腕で抱き止めた。 あのとき感じた花の香りと微かな煙草のにおい。彼女の髪からはもう花の香りしかしない。それがあの頃との唯一の違い、だ。 翌日にはもう傷は治った。だからばさとカーディガンを羽織って巻いていた包帯の方も看護婦に押しつけ「世話になった」と言い残し病室を出る。 つかつかと自室に向かう。そうするとばったりラビの野郎と出くわした。「おー大将」と片手を挙げて挨拶されたのを素通りすれば「えーちょっと待って待って何か反応ちょうだいよ!」と追いかけられる。舌打ちして振り返ればそれなりに怪我人な格好をしてるラビがいる。 「なんだよ」 「えーいや、結構大怪我って聞いてたんだけど? なんかもういいの?」 「治った」 かつと階段を下りる。「そういやがなんか森行ってたぞー」と言われて思わず顔を上げて振り返った。へらりとした笑顔で「オレまだ病人だから病室いないといけないんだけど、行ってやれよユウ」「ユウって言うな」睨みつければ肩を竦めた相手が「へいへーい。じゃあ」と片手を振って階段を上がっていく。 だからかつとまた一段、俺は階段を下りて自室へと向かった。 ばんと扉を開ければいつもの殺風景な部屋がある。 ベッドと蓮の花。あとは彼女のせいで置くことになった植木鉢やらジョウロやらその他もろもろの花の世話のための道具が転がっている、それでもさみしい部屋。 ユウの部屋はなんだかさみしいねぇと彼女が困ったように笑ったのを憶えている。 「…何してんだ」 ざくと土を踏み締めてその場所に立つ。 …もうこの花壇ができてそろそろ五年になる。 しゃがみ込んでいた彼女がぱっと顔を上げて「あれ、もういいのユウ」「治った」「婦長さんに言った?」「…治ったもんは治ったんだよ」そういや忘れたと言われて気付いた。が、治ったもんは治ったんだからもうあそこに用はない。 ざくざくと土を踏み締め彼女の隣に立つ。手を伸ばしてぱしとその手を取った。土をいじっていた手はかじかんで赤くなってきている。 「何してんだよ」 二度目になる言葉を言う。彼女が笑って「供養とか」いかにも適当なことを言った。そのフードから竜の方がごそと顔を覗かせてこっちを見ている。どことなくいつもと違う目だ。お互い気に入らないって顔で相手を見やるのが常だったが、今日は止めてくれと言われているような気がする。気がするだけでどうだか知らないが。 ぐいと彼女の手を引っぱって立たせた。「あ、まだ種っ」と地面に転がるスコップやらジョウロやらに手を伸ばす。 俺の身体は治るからいい。だけど彼女は違う。疲労は蓄積される。それが普通の人間だ。 「お前も疲れてるはずだろ。今度にしろ」 「でも」 「逃げねぇよ何も。だから」 「でも、みんな逝っちゃったよ」 「……切り捨てろって。言ったろ」 「無理って。言ったよね」 困ったように笑う彼女。きつくその手を握り締めて「帰るぞ」とその手を引く。 「あっ、ユウ道具!」 「こんなとこ誰もきやしない。放置したって大丈夫だ」 「でもっ」 手を伸ばす彼女。土で汚れた指に光る銀の指輪。 「俺とお前は繋がってる」 「、」 「証だろ、これ。…それも」 揺れるロザリオに視線をやる。憎たらしいことにそうでも言ってやらないと彼女は納得しそうにない。まるで取り残されたみたいな顔をしてる彼女には、ちゃんと繋がってるってものを示さないと納得してくれない。めんどくさいことに。 こんなにも心は囚われているのに、表に出せるのはほんの一部だけ。 がぎゅっと俺の手を握り返して「泣きたいよぅユウ」と言うからはぁと息を吐く。彼女の中では色んなことがごちゃまぜになってるに違いない。仕方がなく、ぐいとその手を引いて昨日のように緩く抱き締めてやった。竜が気に入らないって顔をしてフードから顔を覗かせてるのが俺だって気に入らないがこの際それは無視する。 「好きにしろ」 「…うー」 彼女が俺の背中に腕を回す。ひっくとしゃくり上げる彼女は俺より一つ下の15。まだ子供だ。俺だってそう違いはないかもしれないが、エクソシストとしてやってきた。人としては多分だいぶ色々捨ててきた。 だから、こんなふうに泣くことは恐らくもう俺は。 (…馬鹿か) ゴーレムが森の上を飛んでるがここまでは気付かないし映像としても送らないだろう。だからそれだけは安堵して、俺は彼女の髪を撫でた。 |