「…、」
 始終、ぽかんとしていることしかできなかった。その人は大砲を持つ球状の何かに対して銃一つで応戦した。強かった。とても。
 私はぜぃと息をするミスティーに目をやって、消耗してるんだと思って、だから何かしてあげなくちゃと思うも私は今食べ物も何も持っていないし、それに、手には剣が。
 剣が。さっきから光ってる。
(何これ。さっきから…錆も取れちゃって、なんか光ってるし)
「ドラグヴァンデル…どうなってるの?」
 ぼやいたとき、どんと音がして。顔を跳ね上げて。球状の何かはどうやら撃たれたらしい。それで空から落ちてどぉんと地面に音を立てて動かなくなった。恐る恐る私は赤い髪の人を見やった。銃を構えていたその人は「終いか」とぼやいてがしゃんと銃を下ろしたところ。
 赤い髪のその人の頭の上にいる金色の何かが、さっきからこっちを見てる。生き物…みたいな。
 ぎゅうとミスティーを抱き締めてがらんという音に反射で振り返った。人の姿をしてるのにありえない場所、頭から銃を突き出してこっちに向けてるその誰か知らない人に、私は反射的に駆け出す。手には剣。腕に抱えているのは守るべき、
「あああっ!」
 だから躊躇うことなくどんと相手を斬った。さっきまで確かに錆びれてて使い物にならないって思ってたはずの剣が、今は刀身を光らせて相手を斬れた。崩れ落ちるそれはもう人でない。
 は、は、と肩で息をして。急激に身体が重たくなるのを感じてずしゃと膝をつく。は、と肩で息をする。なんだか苦しい。
「やめとけ。装備型のイノセンスだ。加工しないことにはお前に負担がかかるだけだ」
「…、」
 振り返る。そうするとじゃかと銃を構えたその人がどんと撃った。弾は私ではなくその向こうの、まだいたらしい球状のものを貫いたらしい。どぉんと爆発の音がする。
「いの、せんす?」
「そうだ」
「…、あなたは誰ですか?」
「オレか? オレは」
 どんとその銃から弾が発せられる。それは銃っていう真っ直ぐしかものを貫けない法則を無視して軌道を逸らせ、逃げるようにした球状のものを追い貫く。どぉんと爆発の音。ぱらぱらと何かの欠片が降ってくる。
 その人がホルスターに銃を突っ込んだ。それから私に手を差し伸べて言う。
「クロス・マリアンだ」
「いいか? 食いながら聞け。お前らにはこれからオレと一緒に来てもらう」
「ほ?」
 廃墟郡となったあの街から連れ出された私は、その人と一緒に入ったレストランでパンの方を頬張りながら一つ瞬きした。隣ではがつがつとミスティーが元気よく食べ物を胃に押し込んでいる。さっきからお皿が空になって空になって仕方がないのだけどその人はあまり気にしていないようだ。ふーと煙草の煙を吐き出して「さっきの見たろう。化け物みたいなもんを」そう言われてこくと頷く。むぐむぐとパンを租借して飲み込んでコンソメスープをすすった。目立っているのは言うまでもなかったけれど、その人は人の視線は気にしていない。
 赤い髪が、ミスティーの赤い鱗と重なる。
「お前の持ってるその剣はイノセンスだ。それからそこのドラゴンも寄生型のイノセンスを持ってる」
「…イノセンス、って何ですか?」
「あーそうか。イノセンスってのはだな、オレが使ってたあの銃もそうだが。化け物を倒すためにカミサマってもんがオレ達に与えた武器だよ」
「…武器」
「ついでに言えば選ばれた奴しか使えん。で、オレはそれを捜して回ってる。それでドラゴンを祀る街があると聞いてはるばる足を伸ばしたわけだ」
 ちらりと視線を落とす。椅子に立てかけてある剣。鞘のない剣。今はその刀身は危ないから布でぐるぐる巻きにしてある。
 これが武器。カミサマの。
 確かにきれいに輝いていたし、そう言われればそんな気もした。だけど私は首を捻ってしまう。いきなりそんな話をされても全然実感が。
 その人が昼間っからお酒の方を飲みながら「化け物は神の武器でしか倒せん。事実、お前のいた街は駄目になったろう」それでそう言われて、初めて少し実感がわいた。確かに私の街はあの化け物に襲われたのだ。それでみんなみんな。
 だから私はミスティーを見た。がつがつがつと休むことなくパンやら鳥の丸焼きやら豚の丸焼きやらをどんどん胃に押し込んでいくミスティーを。まるで今まで時間が止まっていた分を取り戻すようにすごい食欲だ。
 私の疑問に答えるように「寄生型のイノセンスはエネルギーを大量に消費するらしいからそのせいだろう」と、そう言う。だから寄生型と首を傾げれば、その人が煙草を口にしてまた息を吐き出した。めんどくさいって顔をしている。見る限り。
「イノセンスには装備型と寄生型がある。そのドラゴンは寄生型。お前のはその剣で装備型だ」
「……あの、」
「ん?」
「クロス・マリアンさんのことは、どう呼べばいいですか」
「オレは一応元帥って職だ。クロス元帥とでも呼べばいいんじゃないか?」
 どうでもよさそうにひらと手を振ったその人が「おぃそこのお前! こんなしけた酒飲めるか! 一番古いやつ持って来いっ!」と声を張り上げた。一喝されたウエイターさんが「はいぃっ」と返事をして慌てて駆けていった。ミスティーがようやく一息吐いてげぷと息を吐き出す。私はフルーツに手を伸ばしてりんごを丸かじりした。
(クロス元帥)
「あの、じゃあその金色のは」
 さっきからその頭に乗ってじぃとこっちを見ている金色の子を指せば、「オレのゴーレムでティムキャンピーだ」と説明された。目はないのだけどさっきからその子はじっとこっちを見ている。金色が、ミスティーの瞳の色に重なる。
『クロス・マリアン元帥』
「、」
 それで声がして。私は思わずミスティーに視線をやった。なるべく姿を隠すようにと上から被せた上着の下で、ミスティーの金の目がクロス元帥を見ている。
『私と彼女をどこへ連れて行くつもりです?』
「いい質問だな」
 煙草の方を灰皿でもみ潰した元帥が「ヨーロッパ北部だ。そこにお前達と同じくイノセンスを持つエクソシストが集まる場所がある。そこへ行く」と説明されて。だからぱちと瞬きした。
「エクソシスト、って何ですか?」
「イノセンスを操る奴のことをそう総称するんだ。無論お前達もこれからそう名乗ることになる」
「……………」
 しゃく、とりんごをかじって。私はそれに拒否権がないことを悟った。でもそれでも別にいいかとも思った。どうせ私のいた街はみんな死んでしまった。住めるような場所ではなくなってる。それならせめて住めるような場所へ連れて行ってもらった方がいいと、そう考えた。
 あの化け物を簡単に倒してみせたこの人は多分、元帥って言葉からしてもきっとすごく強い人なのだ。
 だから半分仮面みたいなもので覆われたその顔を見つめて「クロス元帥」と呼んだ。「なんだ」と返事が来る。その頭からぱたたと飛び立ったティムキャンピーが私のところに来た。だから手を伸ばせば、そこにちょんとその子が乗る。
「あの、化け物って。名前とかは」
「アクマだ」
「悪魔…?」
「そっちの悪魔じゃない。抽象や象徴の悪魔ではなく、殺人兵器としてのアクマだ。片仮名呼びしろ」
「はい。アクマ、ですね」
 あの化け物はアクマというらしい。ということは頭に記憶して、私はじぃとその人を見つめた。「なんだ」と言われてふるふると首を振る。

 父親や母親、そういうものが気付いたときからなくて身近に大人のいなかった私にとっては、所謂孤児だった私にとっては、その人は多分初めて身近に感じた大人の人だった。
 煙草を吸う仕種とか、ウエイターの人が戻ってきて持ってきたお酒をグラスに注ぐ姿とか、色々全部含めて大人の人だった。初めての、私の面倒を見てくれる、大人の人だった。
「…めんどくさい」
「? どうかしたんですか?」
「任務だ。くそめんどくさいがな」
 それで、私のいた街から点々と街や町へと移動してヨーロッパ北部にあるのだというその本部へ向かう途中。列車の中で電話の呼び出しを受けた元帥はめんどくさそうにそう言ってどかと私の向かい側に腰かけた。
 ぱちと一つ瞬きする。任務。任務ということは、またあのアクマと対峙するということだろうか。
 私の膝にはミスティーがいる。よく食べてよく眠る。それが寄生型イノセンスの特徴なのだという。一方私のイノセンスは剣で、鞘がないのも困ったものでとりあえずぐるぐると布でまいて刃を隠してある。本部に行って使いやすいように開発してもらわないと、身体への負荷がかかるとかで。だから私はまだあれから一度もあの剣を使っていない。
 がしがしと頭をかいてめんどくさそうな顔をしたその人がふーと煙草の煙を吐き出す。「仕方ないから少し寄り道だ。いいな」と言われてこくと頷いた。異存なんてなかった。むしろここでぽいと放り出されたら私はどこへ行ったらいいのか分からない。
 私の頭の上にティムがいる。ティムキャンピーは短くしてティムと呼べばいいらしい。そのティムは目もないし耳もないしゴーレムというものらしいけど、まるで生き物みたいだ。だから私はミスティーと同じくらいその子も好きになった。小さくてかわいい金色の子。
「元帥」
「あん? なんだ」
「拾ってくださってありがとうございました」
 だからそう言って頭を下げたら、ひらひらと手を振られて「よせよせ。どうせ後悔する」と言われてぱちと瞬きして顔を上げた。煙草を吸ったその人が「お前が正式なエクソシストになったらオレのように戦場に立つ兵士にならなきゃならん。お前はそれをいつか後悔するさ」と言われて。だから瞬きを繰り返してミスティーに視線を落とした。ミスティーも私を見ていた。だからその頭を撫でる。ぐるぐると喉を鳴らされて口元がほころぶ。
「いいえ。私、感謝しています」
「ああ?」
「アクマが街を襲ってこなかったら、私はミスティーとこうやって一緒にいられませんでした。一緒に生きられませんでした。元帥ともティムとも会えませんでしたし、こうして旅もできませんでした。だから、感謝しています」
 そう言って笑ったら、元帥も口元だけで少し笑った。「そうか」と。だから私も「はい」と笑う。
 そうしてその街で。アクマが人の皮を被って普段は人間を装っているという話を踏まえていたから、私はいざとなったら絶対にこの剣でと布で刃を隠しているそれをぎゅっと握った。
 ミスティーはコートのフードの中。大きくてミスティーでも入れそうなフードが膨らんでるのはちょっと変かもしれないけど、堂々と連れて街を歩くこともできなかったから仕方ない。
 元帥は目立つ赤髪で顔半分が仮面に覆われているし、それに上着の左肩には十字架みたいなものがかかげてあって、エクソシストですってコートを着てる。だから私よりも多分元帥の方が目立つ。
 それはその分敵に居場所を知らせているのだと教えられた。敵が人の皮を被っている限りこちらから見分けがつかないから、敵さんからやってきてもらうのだと。そのためのコートだと。
 肩に十字架の紋章。それがエクソシストの証、らしい。
「下がってろ
「、」
 言われて立ち止まる。気付けば人が、たくさんいた。元帥の目の前にたくさん。それが異様な目をしていたから思わず後退る。フードからミスティーが顔を出す。
「ドラゴンの方も下がっとけ。どうせレベル2までだ。オレだけで十分いける」
 ぽーいとティムを放られて慌ててキャッチした。顔を上げる間に「オン」という元帥の声。地面から音もなく棺が現れてその鎖が解かれる。
「アバタ ウラ マサラカト。オン・ガタル」
 ごぉんと開いた棺の蓋。私はぎゅっと剣とティムを抱き締めた。人の皮を被っていたアクマが球状のボールになっていく。どんどんどんどん絶えることなく。その間にがしゃと銃を手にしたその人が「マリア、聖母の加護」と命じたのが聞こえる。それから歌。棺から現れた女の人の。これは、
(賛美歌? マグダラカーテンとか何とか)
「声を出すなよ。そこにいろ。今のお前は敵に見えん」
「、」
 はいと返事をしようとしてむぐと口を塞いだ。いけないさっそく言いつけを破ってしまうところだった。

 元帥一人対アクマの総数は不明。だけどその人は面白いものを見るようにアクマを見ていたし、その隣に立った女の人を数えても二人だけなのに、それでも全然余裕そうで。
 そして実際余裕で、その人は全てを葬った。
 その人の対アクマ武器は装備型の銃である断罪者と、寄生型イノセンスの屍である聖母の棺。その二つだけで、見ている間に全てが終わった。あとには残骸が残るだけだった。

「なんだ」
「、いえ」
 だから私は、戻ってきた元帥にふるふると首を振る。頭の上にティムが乗っかっている。私の手には剣。まだ使えない、だけど将来的にはあんなふうにアクマを葬る武器になる剣。
 だから私は、戻ってきた元帥のコートの裾を握って歩いた。強い人だった。とても。
 だから私は、この人は死なないんだろうなと思った。あのアクマっていうのを相手にしても全然大丈夫な人だから。だからきっとよっぽどのことがないと死なないんだろうなと思った。
 だから、私は。