へらっとして笑って誰とでも打ち解けて誰とでも仲良くなる。それはブックマンとして必要な社交能力。社交性というよりブックマンとして必要なそれはオレにとっちゃ『能力』だ。
 どんな相手に対しても笑顔を浮かべること。だけどたまに本音もぶっちゃけてみること。裏表のないあっさりした人間なんていないように裏表のある人間らしい人間を演じること。打ち解けやすく浮かべる笑顔は自分でも自覚してるほどの作り笑い。だけどそれを相手に本物だと見せるために作り笑いを自分の笑顔だと思い込む。本当の自分を隠しながらオレはオレを演じる。
 毎日新聞を読む。本を読む。記録することは山ほどある。この世界にはオレの知らないことがまだ山のように転がってる。
 それを記録するためだけに。オレは在る。
 たとえばどんな悲しみを見ても知らないふりをする。たとえばどんな悲しみを憶えてもなかったことにする。ブックマンたる者に感情は不要だからだ。オレは記録だけをすればいい。そのために感情の必要な部分を扱えばいい。
 戦争ばっかり争いばっかりの人間。どんな愛もどんな想いも争いの前では無益なもの。そうやってもうたくさんの記録地を渡り歩いた。
 そうしてここで49番目。オレの今の名前はラビ。黒の教団エクソシストの一員となって、アクマという悪性兵器を葬るべく戦う同じエクソシストとその戦争を記録する。
 ここへは時期ブックマンとして来た。それだけ。ここへは記録をしに来た。歴史の闇に埋もれるであろう戦争の記録をしに。戦いの記録をしに。

 ラビ

 記録をしに。
 それだけだった、はずだった。
「………、」
 りりりりりとやかましい音で目が覚めた。
 一つ瞬いてから焦点を合わせてがばと起き上がる。そうすれば寸分違わずの部屋だった。意識を失う前の憶えのあるまま彼女の部屋だった。
 反射で手を伸ばしてばちんとりりりりうるさい旧式の目覚ましを叩いて止めた。
(れ? オレ何してたんだっけ?)
 窓の外に目を向ければ朝陽。止めた目覚ましを見ればちょうど七時。
 オレはどうして今彼女のベッドにいる? どうして今彼女は目の前で眠ってる? オレは何をしてたっけ?
(落ち着け。何もしてないはずだうん。とりあえず深呼吸)
 息を吸ったら花の香りがした。彼女の部屋にある花の香り、ふんわりした彼女の香り。だから息を吸って深呼吸で気持ちを落ち着けようと思ったのに逆効果で喉が詰まった。
 彼女のにおいがする。
「あー…おはよーさんミスティー」
 とりあえず、じっとりした目でこっちを見てる赤いドラゴンに笑いかけた。内心冷や汗たらたらで。
 そうだ思い出した。今はユウもリナリーも任務で彼女だけここに残ってて、そこにオレが帰ってきて。お帰りラビって出迎えられて正直心が浮き足立った。わざわざ出迎えに来てくれた彼女と変わらない笑顔に戦いを繰り広げて潜り抜けた心があたたかくなった。だけどジジイに悟られるのがいやでいつものようにへらっとした顔でおーただいまさと応じた。彼女の本物の笑顔にオレは偽物の笑顔で応じた。
 特に目立つ怪我はなかった。擦り傷や掠り傷程度だ。入院する必要もなく、報告はジジイの方が行って、だからオレは任務どうだった? と首を傾げる彼女と話をする機会ができて。
 夜だった。食堂は冷える。彼女がオレの手を引っぱって部屋で話してよと言ってきた。正直に言えば嬉しかった。彼女の部屋を拝める、あまつ入室できる。その権利が与えられたことが嬉しかった。

 それはブックマンとしては失格の、一つの想いのせいで。

 たくさん話をした。彼女と言葉を交わすのが嬉しかった。どこかで記録するに値する言葉が見つかれば拾い上げて記録する。ブックマンとしての役目を果たしながらもオレはオレとして彼女に接していた。
 ほれジョニーにお揃いの頼んだんだと彼女に渡したバンダナ。彼女はバンダナなんてしないけどマフラー代わりに首につけてくれていた。その左手の中指にはユウとお揃いのシルバーリング。そしてその胸で揺れるのは一つのロザリオ。
 これでお揃い。そうやって笑って彼女の肩を抱き寄せたオレは、ブックマンではなく。ただの人で、男で、ありふれたどこにでもいる奴だった。
 たくさん話をした。そのうち任務の疲れで少し瞼が落ちてきた。だけどリナリーもユウも任務に行って任務待ちで待機の彼女はきっとさみしかったんだろう。オレと話をしたがった。だからオレだって拒まなかった。ジジイのいない機会なんてそうない。こんなふうに話をできることなんてそうない。だから襲い来る眠気と戦いながら彼女の笑顔を視界に入れながら話をして。
「…あのさ。なんか言ってよ。喋れんでしょミスティーって」
 それで多分、いつの間にか眠ってた。これはそういうことだ。
 金の瞳でじっとりこっちを睨むミスティーの視線が痛いったらない。
 いや何もしてない。誓ってオレはに手は出してない。自分に確認しつつそろりとベッドを下りた。どうしてオレが壁側で彼女が外なんだ。これじゃ下りにくい。
 ぎいとベッドが軋む音がした。そろそろと床に足をつけてすやすや眠る彼女に布団をかけ直す。しまったこれジジイにどう言い訳しよう。っていうかユウちゃんに知られたら殺されそうまじで。
「あー分かった分かりました。オレとは喋らないってのねはいはい」
 じっとりした視線を向けてくるけど無言を貫くミスティーにひらひら手を振る。オレがブックマン後継者って分かってるからかミスティーはオレやジジイには冷たい。いやユウにもか。っていうかあんまり喋らないもんなミスティー。イノセンスの力で喋れるはずなのに。
(…あー。参ったなぁ)
 だから手を伸ばして彼女の肩からずり落ちていたカーディガンをかけ直した。

 彼女のイノセンスは街の宝剣だったのだというドラグヴァンデル。
 その技。彼女が唱えたクルクスという言葉と光の一閃。初めて見た、彼女の力とその戦い方。
 剣という近接戦をイメージするそれからはかけ離れた長距離攻撃。眩しい白の光が全てを昇華するかのようにアクマを一閃した。そのときの彼女の表情と吹いた風と澄み切った空気と、そのときの全てを。オレは詳細に自分の中で感覚として記憶してる。
 『記録』ではなく『記憶』。オレはあのとき恐らく彼女に呑まれた。戦場に立つ兵士としては幼く、そしてきれいすぎる彼女に。オレは。

「心配せんでも何もしないよミスティ。オレはブックマン後継者なんだから」
 自分に言い聞かせるようにそう言葉にする。寒さに身震いしながら部屋の設定温度を上げた。これじゃ彼女が風邪を引く。
「ミスティーは自分とのこと心配してんだろ? オレやジジイと喋んないのもそうだ。警戒してるってんならそれも別にいいんだけどさ、でも一個言わして」
 だから彼女の方を振り返る。あたたかい風が部屋に吹き込み始めて髪が揺れた。
 片方の視界だけで捉える彼女、およそ普通の女の子。戦うにはまだ幼い、だけどオレよりずっと戦場に立ち続けてきた女の子。
「オレは。を傷つけたりしない。傷つけたくないんだ」
『…………』
 ミスティーは相変わらずじっとりした目を向けてくる。だからひらと一つ手を振って「いーよ喋んなくてもそのままで。記録も迷惑にならない程度にするから」と言い置いて部屋の扉に手をかけた。いつまでもここにはいられない。ジジイのところに戻らないとまた何をどやされるか。
『ラビ』
「、」
 だけど呼ばれた。だから振り返る。金の瞳がオレを見ていた。眩しい朝陽と重なって金色が目に染みる。
に何を抱いた?』
「はい?」
『お前は今そこに立っているが、そこにいるお前は一人の人間だ。私の知るブックマンではない』
 言われた言葉にぱちと瞬く。瞬いてから何となく自分を見下ろした。首にある彼女とお揃いのバンダナを。
(オレは)
「…なぁミスティー。ここだけの話にしといてくれる?」
 部屋を出たら二度と口にできないだろうこと。だから扉のノブから手を離してベッドまで歩み寄って彼女の寝顔を覗き込む。すやすや眠ってる一人の女の子。だけどオレよりもずっと戦場に兵士として立ち続けてきた子。ドラゴンを従える子。ユウやリナリーと仲のいい子。クロス・マリアン元帥を慕ってる子。

 そして。オレの好きな子。

「もしもオレがただのエクソシストだったら。ただの適合者としてここに来てて、何にも誓約なんてなくてと一緒にいられるんなら。こうしてそばにいれるんなら。…オレは多分そっちを選んでたよ」
 そうこぼして彼女の髪を撫でて立ち上がった。視線が追いかけてくるのを背中に感じながらひらと手を振る。
「でもまー残念なことにオレはブックマン次期後継者でさ。ただのエクソシストじゃないんだ。そいじゃねミスティー」
 だから今度こそ部屋を出た。ばたんと扉を閉めて、朝の静けさで静まり返ってる廊下で一人薄く笑う。
(なーに宣言してんだよオレ。ばっかじゃねぇの。言ったところでどうこうなるもんじゃないのに)
 ジジイへの言い訳が厳しいしがユウに喋ったら絶対六幻抜刀される。そんなことを考えながら歩き出し、だけどそれも悪くないと一人口元を緩めてる自分に気付いて彼女の部屋を振り返った。朝陽が目に沁みる。
 まだ眠ってるんだろう。目覚ましオレが止めちゃったけどよかったかな。
 彼女の寝顔を思い出して軽く頭を振った。いかんこれからジジイに言い訳しに行くんだぞ、しっかりしろオレ。
 だけど頭を過ぎるのはこれからの言い訳よりも昨日の彼女の笑顔。
 どうしようもなく心を思考を全てを支配する。これが。
(…恋。か)
 それからたっぷりジジイに説教を食らった。だけどそれなりに彼女から聞いた情報や書類や文面からじゃ分からなかったことを伝えたところちょっと説教が短くなった。
 ただ、その情報に自分の感情を一切入れないようにするのが少し難しかった。彼女が話してくれたことを話す度にそのときの彼女の笑顔や困った顔や怒った顔や様々な表情が見えた。ついつい緩みそうになる口元をいつものようにへらっとした感じに、どうでもよく切り捨てられる感じにするのに随分気を遣った。
 ブックマンとは誰にも情を移さず情に流されない者。
 だけどオレは彼女に情を抱いてしまった。
 戦争ばっかりする馬鹿な人間になんて特別寄せる思いもなかった。オレは違う、そうじゃない。そうやって割り切って人間と自分の間に一本の線を引いた。
 だけどその線の向こうに彼女が立っている。
 彼女は向こう側。オレはこっち側。ここにいるのはジジイとオレくらい。同じ種族を客観的に見つめ常に第三者の視点で見る、ここにいるのはジジイとオレくらい。
 だけど彼女が笑ってラビとオレを呼んで手を差し伸べてくれるなら。たとえ交わることが許されないのだとしても、オレはその境界線を踏みつけて、できる限り手を伸ばして彼女のその手を取ろうとするのだろう。
 もしかしたらそのときには足元の境界線を越えてしまうのかもしれない。ブックマンとして在るべき姿を忘れて彼女に手を伸ばしてしまうのかもしれない。それはブックマンとしては失格の行為だ。オレはジジイのように第三者でいなくてはならない。傍観者でいなくてはならない。

 ならない、なんて。いつからオレは自ら望んだブックマンというものに強制力を感じるようになったんだろう。