その人が僕の師匠になってから膨大な月日が過ぎたように思ったけれど、実際のところは二年ほど。とてもエクソシストには思えないその破天荒な師匠の酒代や借金に追われてマトモな道からは到底外れた場所を歩き始めて、エクソシストを目指し始めてから二年。
 その人はたまに、堅苦しいだの形式ばってるだのとさんざん嫌っている本部の話題を口にすることがある。
 それは一人の女の子と、それからドラゴンの話。
「あのー、師匠」
「あ? 何だ馬鹿弟子」
「ドラゴンてほんとに存在するんですか? 僕は見たことないんですけど」
「世界で最後のドラゴンだろうな。名前はなんつったかなぁあの赤い奴。お前と同じ寄生型だったのは憶えてんだがなぁ」
 たまにそうやってドラゴンの話題に入ると、鬱陶しそうにしながらも師匠は応じてくれた。
 僕はまだこの目で見ていないからドラゴンのエクソシストなんて話現実味がわかなくて信じられなかったけれど、それでも師匠がその話をするときはたいていその次くらいに彼女の名前が出てくる。ドラゴンを従える女の子の名前。
「あいつは今15か。イイ女になってるといいがな」
「あの、師匠。まさかとは思いますけど手を出したりしてないですよね…?」
「失礼だなお前。ドラゴンがついてる女に手なんか出したら殺されるぞ」
 呆れ半分諦め半分。だけどそれ以上に、いつもは出さない人情らしいものを覗かせてその人は彼女の話をしてくれる。本部に置いてきた、ドラゴンと一緒に生きる彼女のこと。破天荒ででたらめな生き方をしている師匠のことを元帥と慕っているのだという彼女のこと。
 話を聞くだけじゃなくてちゃんと映像で彼女のことも見ていた。ティムが記録していたいくつかの映像にはいつも彼女の姿しかなかったけれど、だから僕は彼女のことを知っていた。彼女は僕を知らない。だけど僕は彼女を知っていた。

『元帥!』

 今日も映像の中の彼女は笑っている。僕にではなく師匠に。たまに懐かしそうに師匠がそれを見ている。本当にときどきだから僕もこっそりティムを借りたときとか預けられたときとかそんなときにしか彼女を見る機会はなかったけれど、だから僕は彼女を知っていた。こっちに向かって手を振って『げんすーい! おかえりなさーいっ』と声を上げる彼女を。嬉しそうなその顔を。大きく大きく手を振ってぴょんと飛び跳ねる彼女を。
「…ねぇティム。はいつも嬉しそうに笑ってるね。どうしてかな」
 今日は師匠がどこかへ出かけていていなかった。世話を任せられたというより押しつけられた食人花の世話にも慣れて、その日は一日することがなかった。だから僕は今日も彼女を見ていた。こっちに手を振って嬉しそうに笑っている彼女を。
『元帥!』
 彼女の言葉は決まってそれ。お帰りなさいとかお土産なんて珍しいですねとか、彼女はいつも笑って師匠のことを元帥と呼ぶ。首からさげてるお揃いのロザリオがその胸で揺れていた。
(…なんだろう。もやもやする)
 ヴヴとぶれた映像がぶっつり途切れた。口を閉じたティムがぱたぱた飛び上がって僕の頭の上にちょんと乗っかる。
 赤い色をしてるらしいドラゴンの映像はないけど、彼女の映像だけがある。師匠のことだけを呼ぶ映像。他の誰かを呼ぶ映像はない。全部師匠関係。ティムは師匠と一緒に行動してるんだからティムが記録してる映像がそれだけっていうのはおかしな話じゃないのに、どうしてだろう。どうして僕の頭はこんなにおかしくなってるんだろうか。どうしてこんなにもやもやしてるんだろう。
「ねぇティム」
 手を伸ばして頭の上にティムに触れた。
 こんなにも師匠のことを慕う人がいる。それなのに師匠はここにいて彼女に便りの一つも出さない。何度かさりげなくを装って促してみたけれど師匠はめんどくさいの一言で全て終了させた。
 今日もどこへ行ってるのか知らないけど、他のどこかへ行く時間があるんなら彼女に手紙の一つくらい書いてあげればいいのに。じゃないとあまりにも彼女が、こんなにもあの師匠を慕う彼女がかわいそうだ。
「…あ、そうか」
 ティムにまた映像を見せてもらって、師匠のことを元帥と呼ぶ彼女を見ていたとき。ふと思った。どうして彼女がこんなに嬉しそうに笑ってばかりいるのか。
 あんな師匠だけど、あんな人だけど。借金ばかり女遊びばかり酒に煙草に博打にとでたらめ極まりない日々を送ってそのツケを僕に払わせてる人だけど。だけど彼女がそんな師匠のことを元帥と呼んで慕っているのは、好きだからだ。あんな人をそれでも。
「そうか…なんだ。そっか」
 ティムは喋らないからほとんど独り言。だから一人で納得して一人で頷いて、だけどこっちに向かって手を振ってる彼女の笑顔の理由に気付いて、なぜだかそれにすごく。僕は。
(また頭の中がもやもやする。一度はすっきりしたのに)
 彼女の映像に手を伸ばした。当然触れることなく通り越してすかと空を切る手。映像の中の彼女は相変わらずこっちに向かって手を振っている。ずっとずっと変わらずに。
 こんなにも近いのに、僕は彼女に届かない。僕は彼女を知ってるのに彼女は僕を知らない。
 それがなぜだかもどかしいと思った。この胸のもやもやは多分そのせい。そのせいだ。