それで、あれからどれくらいたったろうか。

「任務?」
「おー、フランスらしい。ちょっくら行ってくるさ」

 そう言って、ラビとブックマン二人はフランスへの任につくことになった。
 一方私はと言えば、急を要する任務があったときのために教団に滞在するという、昔から今までちっとも変わらない形でここに留まっていた。
 今はユウもリナリーも出ている。ラビと話すことが唯一退屈が紛れることだったのだけど、それもなしか。
 考えが顔に出たのか、へらりと笑ったラビが「すぐ帰ってくっからさ」と私の頭を撫でる。それに片目を瞑りながら「ラビ身長いくつ?」と訊いた。きょとんとした彼が「あー、こないだジョニーが測ったときは179とか何とか…」と言うからむぅと眉根を寄せる。
 結局私は17になっても身長が伸びずじまいで、リナリーにもユウにもラビにもみんなに追い越されてしまった。160センチ止まり。ラビやユウのことなんかは見上げないといけない。それが何となくむっとする。いっつも見下ろされてるなんてなんだか負けてるみたいだ。実際身長は負けてるわけだけど。
 一人眉根を寄せていたらぽんぽん私の頭を叩いたラビが「まーまー。は女の子なんだしさ、別にいいじゃん。逆にダグみたいに男なのに低い方が考えもんだぜ?」と言われて彼の言うダグという人を思い出した。確か私と身長が同じくらいの、探索班の人。
 首を傾げて「今回応援を寄越した人、だっけ」「そーそー」屈むようにした彼が私の前髪をかきあげえて「じゃあジジイが待ってるだろうし行ってくるさ」と言って私の額に唇を押しつけた。ぱちと一つ瞬きする。彼はひらひら手を振って「じゃあまたなー」とエレベータの方へ行ってしまう。
 背中側のフードからもそっと顔を出してぐううと唸ったミスティー。気に入らないって顔してる。
 ぺたと額に手をやって、私は小さく笑った。
 二年。彼がブックマンと一緒にここに来て二年たった。そうするとだいぶ色々違ってきた。まずさっきみたいなスキンシップの方法とか。背中から抱きつく恒例の挨拶とか。任務に出るときに私にそうやって一つの儀式みたいに額にキスしていくところとか。
 リナリーは髪が伸びてすごく美人さんになった。身長もスタイルも私は結局負けっ放しだったけど、体力とか筋力ならちょっと自信がある。あるけどそれって女の子としての自信とはなんていうかやっぱり別。
 ユウは相変わらず。私の花壇を手伝ってくれるし結局ラビにバレちゃったから三人で花壇の手入れをしたり植木鉢で一緒の花を育てたりする。ユウは仏頂面で気に入らないって顔がしょっちゅうだけど、私は嬉しかった。ガラスみたいに透き通って見えていたラビの目は、今はちゃんと私っていう人を見てくれている気がしたからだ。
 左手の中指には相変わらずの指輪。月日がたってきたから少し輝きがなくなってきた気がするけど、それでもまだきれいな指輪。
 ユウの手にもちゃんとある。ラビは目聡くそれに気付いたけど、そこでユウが抜刀したところを見るに二人だけのことにしたいんだろうなぁと思って、指輪のお揃いは私とユウだけ。でもラビがオレともお揃い作ろうぜーとジョニーにバンダナを頼んで、いつも彼がしてるのと同じようなものが私の首にマフラーみたいにある。作ってもらったならもったいないししょうがならいからと、私も気付いたときはこれをするようにしてる。そうするとラビがちょっと嬉しそうな顔をしてる気がしたから。
 あとは、その下にいつもある、首からさげられたロザリオ。
(…もう四年ですよ。元帥)
 最後にあの人を見送ってからもう四年。あの人が死んでいる、あるいは任務を放棄しているという噂が絶えない現在。それでも私はあの人の帰りを誰より願い、祈り、そして待っていた。
 時間が過ぎるのは早い。仲間が増えれば増えるほど、知り合いが増えれば増えるほどに私は黒の教団と繋がりを深く強くしていく。
 私がここに来てもう七年目。変化があったのは、その七年目に入ってからだった。
躊躇わずに
君を抱き締められる日が
来るとしたら
「お帰りユウ!」
 いつもみたいに正面の門で帰ってきたユウを出迎える。それでいつもみたいに呆れた顔をした彼が「ああ」と言ってレントゲン検査を受けて入城する。私はたったかそれについていく。
「イノセンスはどうだった?」
「外れだ。アクマが関連してただけでな。全部片してきた」
「そっかぁ」
 だから眉尻を下げる。遠出だったのに外れとは、つくづく報われない。エクソシストっていうのは。
 ここのところ激化しているアクマとの戦闘の最中での任務。教団内のエクソシストの人員は少ないし世界中を飛ぶようにみんなが頑張ってるのに、私だけここにいることへの小さな罪悪感が胸を突く。戦ってこそのエクソシスト。アクマと渡り合えるのはエクソシストだけなのに。私は。
 私の頭に手をやってぐりぐりと撫でつけたユウが「しょげた顔すんな。お前にはお前の役割があんだろ」と言われて「そうだけど」と漏らす。
 それでもやっぱり、みんなが頑張ってるのに私だけここに残って留守を任されるのはなんだか納得いかないというか。もうそんなの日常なんだけど、出て行くみんなに行ってらっしゃいと言って帰ってきたみんなをお帰りなさいと出迎える。私がここにいてできることってそれくらい。
 多くて週に一度、少なくて月に一度は入るアクマ一掃の任務。たまに本部に寄越された応援に応えるために出て行くこともある。ミスティーに乗って私はそこまで飛んでいく。文字通り。そうして飛んで帰ってくる。そのためにここにいる。急を要する、もしもの場合。そのときのために。
「ユウ怪我は?」
「雑魚ばっかだったからない。報告してくるから先行ってろ」
 びしと食堂を指差されて、そういえばもう夕方だったと私は外の空の色を思い出した。「はーい」と返事してたったか食堂に向かう。
 ひそひそと、探索部隊の人が言葉を交わしてるのが聞こえる。それにももう慣れた。
 ばさとフードの方から飛び立ったミスティーが『皆疲れているな』と漏らした。だから私は一つ瞬いて困ったなと笑う。
「私のところにも任務回ってくればいいんだけど」
『回ってきたらきたで大変だ。私はない方がいい』
「まぁ、そうだね」
 飛んで現場まで連れていってくれるのはミスティーだ。なければいいっていうのも正論。たったかカウンターに寄っていって「ジェリーさーん、いつものお願いしまーす」と声をかける。厨房にいたジェリーさんが「オッケーよん! ちゃんは何にするの?」と訊かれてちらりとメニューに視線を落としてちょっと考えて、「今日のランチでいいですよ」と声を上げた。オッケーサインを返され手を振り返して席を探す。夕暮れどきで人は結構いる。その中でもなるべく誰もいないテーブルを探す。
 誰かのいる席は、その誰かがエクソシストでない人だと分かっているから。
 だから誰もいないテーブルの方を見つけてそっちに行った。かたんと腰かけてふうと息を吐く。相変わらず背中にちくちく視線が刺さる刺さる。
 エクソシストでありながら急務以外は教団内にいることが多い私に猜疑や疑惑の目が向けられるのは、今に始まったことじゃない。それに理解を示してくれる人もいればそうでない人もいる。こういう視線はそうでない人のものだ。
 ミスティーが気遣わしげに「ぎう」と鳴く。だから私は笑う。
 いくらここが長いとはいっても、やっぱりこういうのは痛いのに変わりない。
「だいじょーぶだよ」
 赤い鱗を撫でる。その赤があの人を思い出させる。もうあの煙草の煙でさえ私は憶えていないけれど、それでもあの人にもらったものはたくさんある。だから私はあの人を思う。いつまでもどこまでも。
「うぜぇなあいつら」
「、ユウ」
 いつの間にか向かい側に来ていたユウが私の後ろ、主に私に視線をやっている誰かのことを差してそう言う。だから私は笑って「いいよ気にしないで。ユウだって同じようなものでしょ」「俺はいいがお前のはよくない」「何それ」だからまた笑えば、息を吐いた彼が「注文してくる」と言ってつかつか歩いていった。だから私はそれを見送る。
 コートじゃなくてカーディガンを羽織った彼。だけどさっきまで団服を着てたその背中を見つめる。
 私は彼と同じようなデザインのコートにフードをつけてもらった。リナリーは女の子らしい団服だけど、私はラインの出る服は好きじゃなかった。だからこう、ぶかっとした方が好きだった。スタイルには自信がない。ぺったんこってわけじゃないけどリナリーと比べると。
(…うううやめよう。虚しくなってきた)
 はぁと溜息を吐いてテーブルに突っ伏す。私もリナリーみたいな美人さんになりたかった。ついでに身長ももうちょっとほしかった。すごく。
「で? 何をそんなにへこんでる」
「別に何も…っていうかユウは野菜をもうちょっと摂って」
 だからいっつも蕎麦の彼にずいと野菜ジュースのコップを押し出す。顔を顰めながらも彼はいらないとは言わなくなった。ちょっとくらいは健康にも気を遣ってくれてるようだ。最も私がうるさく言ったからなんだろうけど。
 今日のランチメニューである中華の炒め物を箸でつつきながら「みんないないんだもん。私鍛錬くらいしかすることがないよ」と漏らす。と、彼はやっぱり嘆息して「阿呆」と言う。言われるだろうなぁと思っていたからもう溜息しか吐けない。分かってて言ってるっていうのに。
「お前にはリナリーも感謝してるって言ってたろ。兄さんを手伝ってくれてありがとうとか」
「うう…そうだけどぉ」
「…そこらのサポートの奴らに言われるよりはお前にお帰りって言われた方が俺だって嬉しいさ」
 ぼそぼそとしたその声に炒め物のお肉をつまんだ箸が滑った。一つ瞬きして顔を上げればユウは黙って蕎麦の方を食べている。だから私は掴み損ねたお肉をつまんで口に運んだ。中華は油っぽいけどたまにならおいしい。
 それから今更気付いたらしく「ラビはどうした」と言われて「任務だって。ブックマンとフランス」と返した。「ふーん」と興味なさそうに言う彼だけど、私がラビといると結構うるさい。色々と。それもこの二年でなんだか馴染んだ光景になりつつあるけれど、もしもそれが失われたらなんてことを彼らを待っている私はつい想像してしまったりする。
 ここで彼らの帰りを待つ私にできることは科学班のみんなの手伝いとかリナリーの代わりにコムイさんにコーヒーを淹れたりすること。そうしてみんなが無事に帰るのを聖堂にある大きなローズクロスに祈ることくらいだ。
 信じて待つこと。それをしてきてもう四年も帰ってこない人がいるけど。
(…何してるのかなぁ)
 つると箸で掴んだ丸い形の長芋が滑った。箸は難しいと思いながらもう一回。今度はちゃんとはさんで口に運ぶ。うーん、中華はどうにも好きになれないなぁ私。
 向かい側でぱちんと箸を置いた彼が「ここのところアクマが急増してる。俺もどうせすぐまた任務だろう」とぼやくから、私は眉尻を下げた。ごくんと長芋を飲み込んであったかいお茶に手をつけながら「ユウも行っちゃうのかぁ」としみじみ言えば、「まだ決まったわけじゃねぇよ馬鹿」と言われてむぅと眉根を寄せる。馬鹿っていう方が馬鹿なんだぞユウ。
 野菜ジュースの方を飲み干した彼がとんとコップをテーブルに置いて「今日くらいは大丈夫だろ。一緒にいてやれる」と言うから私は笑った。ほんとはそれが後々辛くなってくるのだとは、言わないでおく。
 誰かと一緒にいられる時間は嬉しい。だけど同時に誰もいない時間はすごくさみしくなる。
 ミスティーとはいつも一緒だ。だけど言葉を交わすにはイノセンスの力を使うから、しょっちゅうは話せない。だから図書室で時間を潰したり科学班のお手伝いをしたりコムイさんのお手伝いをしたりしてさみしさを紛らわすけど、やっぱり最後にはさみしくなる。みんなと笑い合える時間が徐々に少なくなっている、そんな気がして。
「じゃあ今日は一日一緒がいいな」
「、は?」
「ユウも疲れてるだろうし、一緒にいられればいいや」
 いつもなら花壇の世話とか色々一緒にしたいことがあったらそれを言うのだけど、今日はそれであっという間に時間を過ごすよりも、なるべく過ぎる時間を感じて誰かと一緒にいたかった。だからそう言ってみたのだけど、ユウがぽかんとした顔をしてるから駄目かなと首を傾げる。テーブルの横のカートでは積み上げられた料理をがつがつといつものように平らげていくミスティーの姿。
「駄目?」
「あ、いや、構わん」
「じゃあ決定だ」
 私が笑ったら彼はそっぽを向いた。いつものことだ。その左手の中指にはまだ私とお揃いの指輪がある。
 ちゃり、と膝でロザリオが音を立てた。だから視線を落とす。これをつけているのももうどれくらいになるのか。
 だから私は目を閉じた。瞼の裏に浮かぶあの人は、遠くなっていく背中でそれでもひらりと最後に手を振ってみせた。それが最後。それから私はあの人をまだ見ていない。
 あの人が言うイイ女になれたかどうかはひじょーに微妙なところだけど、それでも私は、叶うのなら今すぐにでもあの人に会いたい。
(クロス、元帥)