「、」 うっすら目を開ける。ぱちぱち瞬きしてから寒いと眩しいの思いでもふりと布団に埋もれる。 (…あれ?) 何かおかしいな。少し考えてみて、目を閉じる前、意識を失う前の温もりや感触がないことに気付いてはっとして起き上がる。きょろきょろ見回せば自分の部屋だった。確か私は、ユウの部屋にいたはずなのに。 ベッドから抜け出して「ミスティ、ミスティー」ソファの方で丸くなって眠っているミスティーを起こした。寝ぼけ眼で私を見て瞬きするミスティーに「ユウは?」と問いかける。ぱちと一つ瞬きしたミスティーが窓の外を見た。 もうすっかり朝だ。本当ならもっと話をするつもりだったのに、私が勝手に泣いて勝手に寝ちゃったから。ユウはわざわざ私を部屋まで運んできてくれたんだろう。それくらい分かる。 「ねぇユウは?」 『早朝任務に発った』 「、」 だから。ああやっぱり感が当たったと思ってぺたと床に座り込む。簡素すぎると顔を顰めたあの人が部屋に敷かせた赤いカーペット。だいぶ踏みつけられてもうぺたぺたのそれが肌に触れている。 「…ユウ、怒ってないかなぁ」 あんなに一方的に喋って泣いてしかも寝て。迷惑だったろう。ずーんと自分にがっかりしていたら、ミスティーがぐっと伸びをして『怒ってなどいないぞあいつは』と言った。だから顔を上げる。自信がなくて「そうかな」と言えば『そうに決まっている』と返ってくる声。手を伸ばして抱き締めたミスティーは、七年前からあまり大きさが変わらない。 「帰ってきたらごめんねとありがとうを言わないとね」 「ぎあ」 ミスティーが普通に鳴いた。だから私は笑う。 寒い寒いと思いながらも朝のシャワーを浴びた。なんだかんだで昨日は浴びずじまいだったし。あったかいお湯の雨に目を細めて、肌に沁みる温度を昨日のユウの体温と重ねる。 (男の人って感じだなぁ。ちょっと前までそんなに変わらないとか思ってたのにな) 彼はもう18で私は17。お年頃ってやつだ。あ、ラビも18か。リナリーが16。私の方がお姉さんなのに色々負けてるのは悔しいけど、リナリーはかわいいし教団内のアイドルみたいなものだから。私はリナリーが笑ってくれてるならそれでいいし。 ただもうちょっと。スタイルよくなりたかったなぁ。 「うーさぶい」 ばったんと脱衣所を出てカーディガンに袖を通す。髪が濡れたままなのはいかがなものかと思いはしたけど放置した。乾かすのも大変だし。それでミスティーを抱いてぬくぬくしながら食堂に向かう途中、ゴーレムが飛んできた。『、リナリーが帰ったよ』と嬉しそうなコムイさんの声。ゴーレムにぱっと笑顔を向けて「ほんとですか? 怪我は?」『ないなーい、ボクのリナリーは強ーいからねぇ』とコムイさんが笑う。嬉しそうなコムイさんの声に私も笑って「じゃあよかった」と返す。 (今日はラビとユウの植木鉢の世話もしないと) たったか階段を下りる私。ぱたぱたそばを飛ぶゴーレムにががとノイズが入る音がして、『ただいま』というリナリーの声に「おかえり」と私は笑う。顔は見えないけど教団内にいる、そして声からしても元気なんだろうリナリーにほっと息を吐いた。 みんな任務で忙しい。でも大丈夫だ。みんな生きてるしみんな元気。ユウは無茶して怪我してきたりするけど、ラビはブックマンとコンビが多いから無茶はしないし。私はアクマの一掃って任務が多いから怪我はちょっとするけど、でもミスティーがいる。だから大怪我はしない。 「今日も全部にするの?」 「ぎゃう」 「飽きない? って、量が足りないんならしょうがないか」 「ぎう」 「私は今日何にしようかなぁー」 たったかと階段を下りる。ぱたぱたそばを飛ぶゴーレムから『これから食堂?』というリナリーの声。「うん、今向かってる」と返せば『じゃあ私も行くね。どうせ報告書があるから、おやつでも食べながら片付けることにする』と言われてぱっと自分の顔が輝くのが分かる。 そういう日が重なって重なって重なって、もう七年。 その半分以上の期間は、クロス元帥は行方不明のまま。生存確認も死亡確認も取れないまま。 「え? 監視室? みんな集まってるんだ、珍しいね」 「うん。ここに来るまでに、あの切り立った崖を登ってきた部外者の子がいるんだって」 「うわ、今までにないパターン。アクマかな?」 「どうかしら。もう兄さんも来てると思うんだけど」 ユウが任務に出てから数日。かつんこつんと廊下を歩いてリナリーと一緒にあまり行かない監視室に向かった。科学班のみんなやコムイさん達のいる暗いその部屋をひょこと覗き込んで、リナリーが「兄さんどう?」とコムイさんに声をかけに行き。 私は。監視のために空を飛んでいるゴーレムが送ってきたんだろう映像を視界に入れて、さぁと身体中の血が流れ落ちるような感触を味わった。 金。金のゴーレムが見える。 「ティム…キャンピー」 それは間違えるはずもない、あの人のそばにいつもいたあのティムだった。羽も尻尾も全部一緒。顔のクロス模様も一緒。見間違えるはずもない。 だからカーディガンの裾を翻しエレベータへと走った。「あっ、!」私を呼ぶリナリーの声が背中越しに聞こえたけど全力疾走した。跳び乗ったエレベータの操作盤に掌を叩きつけて作動させ正門まで上昇。フードからすり抜けたミスティーが『』と私を止める声をかけてきたけど今はそれさえもどかしかった。 だってあのゴーレムは。クロス元帥の。ならあの子は、それを連れているあの白い髪の子は少なくとも関係者。きっとあの人のことを知ってる。元帥が不在だったこの四年の間のどんな些細なことでもいい、きっと何かを知ってるはず。話がしたい。元帥の話を聞かせてほしい。どんなことでもいいから。 (早く) ヴンと音を立てて止まったエレベータからばっと跳び下りて正門を守る兵の間をすり抜けてだんと跳んだ。開門されてないのなんて分かってる。だから正門より上の窓をがんと蹴り開けて外に飛び出した。冷たい風を切ってずだんと外の地面に着地、『おぅっ?』と驚いたような声を上げる門番の前からもう一度全力疾走を開始。 息が上がる。熱い。暑い。でも。 「ティムっ、ティムキャンピーっ!」 叫ぶようにそう呼べば、白い髪の子の周りを飛んでいたティムがきーんと音を立ててこっちに飛んできた。どすとお腹にアタックされたのを受け止め損ねてどったんと背中から地面に倒れ込む。 アタックしてきたティムを両手で掲げた。 ティムだ。金色。間違えるはずもないあの人のゴーレム。 「ティム。ティム久しぶり。元帥、クロス元帥は?」 私の指でくるくる回るティム。だけどそう訊いたらしょぼんとするように両方の羽を下げてみせた。だから私までしょぼんとする。そんな反応をされると答えは、聞くまでもないってやつか。 「あのー」 それで声をかけられてはっとしてがばと起き上がる。白い髪の子が「ここがエクソシスト総本部黒の教団、ですか?」と首を傾げるから、慌てて立ち上がってばたばたとカーディガンについた土埃なんかを払った。しまった、初めましての子になんだか情けないぞ私。 「そう。えーと、」 「アレン・ウォーカーです。クロス元帥の紹介でここに来たんですけど…」 「元帥っ?」 クロス元帥の単語にがしとその肩を掴んで「あの人っ、あの人今どこにっ?」と訊く。びっくりした顔をした相手が「え、あ、ええと師匠なら三ヶ月程前まで一緒でした」と一言。 (ちゃんと生きてた…よかった) 信じていたけど、やっぱり不安だったのは事実。よかった、あの人生きてるんだ。生きてる。よかった。よかった。 心底安心してへろへろとその場に座り込んだ。私を心配してる感じでティムがぱたぱたそばを飛んでる。アレンが慌てたように膝をついて「あの、大丈夫ですか? それと間違ってたらすいません、あなたが師匠の言っていたでしょうか」そう言われて顔を上げた。アレンがにこりと人のいい笑みを浮かべて「師匠の話で唯一本部関係で出てきた名前です。あなたがそうなんですね」と言われて、あの人が私のことを頭の片隅にでも置いてくれていたという事実にぼろと涙がこぼれた。慌てた顔のアレンが「え、あの、なんかすいません」と謝るから緩く頭を振る。アレンのせいじゃないよ。 よかった。あの人はちゃんと生きてる。 「元帥、今どこに?」 「あ…あの、僕もそこまでは。すいません…」 「? どういうこと?」 「ここへ行けって言われて、あとは金槌で頭をがつんとやられたので…その間に師匠はバックレたみたいで」 困った顔で私の涙を拭うアレン。その左手が。人の手じゃない。それに少し思考が固まる。 「…アレンは、エクソシストなの?」 「あ、はい。この左手がそうです」 それで掲げられた手。赤っぽい色をした、人の肌とはかけ離れた色の手。アレンが困ったように笑って「すみません。気味悪いですよね」とこぼしてその手を後ろにやった。だから首を振って左手に手を伸ばして指先で触れ、しっかりと握る。少しごつごつしてる。でも人の形の手だ。 「人でないものには慣れてるよ。ミスティーもそうだし」 「ミスティー?」 「私のパートナー」 ばさと翼を翻して飛んできたミスティーが不満げな顔ですっぽりとカーディガンのフードにおさまった。勝手に飛び出した私に追いついてくれたらしい。ぱちくり瞬きしたアレンが「ドラゴンですか」と呟く。「そうなの。立派なエクソシストだよ」と笑って私は彼の手を引いた。 元帥の知り合いならちゃんとエクソシストなんだろう。顔の左側にあるペンタクルみたいな痣が気になるけど。 「コムイさーん、クロス元帥の紹介でここへ来たって言ってますよ」 門番に向かってそう声を上げると、近くを飛んでいた蝙蝠型のゴーレムが一匹こっちに飛んできて『それがボク知らないんだよねぇ』返ってきた声に一つ瞬きして彼を振り返った。「あれ、師匠が手紙送るって言ってたんですが」と首を捻る彼に「って言ってますけど」と再び声を上げる私。そして沈黙。 きっと届いた手紙なんて机に放置したまま目を通してないんだろうコムイさんを思って息を吐いた。 『とりあえず門番の検査受けてくれるー?』 「はーい」 恒例のレントゲン検査を命じられて、とんとアレンの背中を押して「ちょっとごめんね。中に入るには人かアクマかって判別する検査受けないといけないから」「はぁ…検査ですか」「うん」ついでなので一緒に検査を受けることにする。普段は壁の一部っぽい門番がにゅうと顔を出していつものようにぴかっと目を光らせる。 どうせ普通にスルーだろうと思った。今までこれに引っかかった人を私はまだ見たことがなかったからだ。 だけど長い間ピコピコしてた門番はその目に×マークを浮かべて『こいつアウトォォオオッ!!』とびりびりした声を張り上げた。それにきーんと耳がやられてアウトって言葉がいまいち頭に追いつかず、『こいつバグだっ、額のペンタクルに呪われてやがる! アウトだアウトォッ!』と続く声にはっとしてがしゃと剣の柄に手をかけた。肝心のアレンは「へっ?」と困惑の声を上げているだけ。アウトってことはアクマってことだけど、でも。 でも。アレンの頭の上に乗ってるティムが違う違うと言いたげに尻尾を振って私に訴えている。 私だってクロス元帥がアクマを送り込んでくるとは思えない。思えないけどでもバグって門番が。でもでもティムが違うって言ってるし、えーと私はどうしたら、 「退けっ!」 それで降ってきた声に顔を上げた。この声は。 任務に出て行ったきりまだ会っていなかったユウが刀の柄に手をかけ門の上に立っている。殺気がばりばりだった。その矛先はアレンに向けられている。 「ユウ、ちょっと待って、あの人のゴーレム連れてるの! 何かの間違いだよっ」 だから慌ててアレンの手を引っぱって引き寄せた。「あの、僕人間ですよ! ちょっと呪われてるけど立派に人間ですってばっ」と声を上げる彼にはティムがついている。だから私もそうだと思いたい。だけど六幻を抜刀したユウは跳んだ。こっちの言うことを聞いてくれてない。しょうがない私が止めるしかと思って剣を抜こうとしたとき、アレンの左腕が変化した。 どんとユウの攻撃を受け止めたアレン。私はその変化した腕を見て「寄生型?」と漏らす。ミスティーと同じだ。 「お前…その腕はなんだ」 「…対アクマ武器ですよ。僕はエクソシストです」 「ほらだから待ってっ! コムイさんっ」 ちりちりした空気を出してるユウの前に立って腕を広げてアレンを庇う体勢に入る。そんな私に舌打ちしてユウは視線を逸らした。ぴりぴりした空気が少しだけマシになる。 そこで、どうやら手紙とやらを見つけたらしいコムイさんの声がゴーレムから聞こえて『あ、あった。ごめーん神田くん』と語尾に☆マークでもつけてそうなおどけた声。それにはぁと肩を落として息を吐いた。舌打ちした彼がちんと六幻を鞘に収めて、視界の端で十字模様の大きな扉がごごごごと音を立てて上がっていく。 「…ごめんね、こっちのミスみたい」 「いえ…事実呪われてはいるので」 苦笑いしたアレンに顔を寄せて手を伸ばして、そのペンタクルに似た模様を指でなぞってみる。「これ?」「はい」「どうして?」「…話せば長くなるんですが」苦笑いした彼。それでぐいと後ろから手を引っぱられてたたらを踏んでぼすと背中から誰かにぶつかった。肩越しに振り返ればユウがいて、気に入らないって顔でアレンを睨んでるところ。ミスティーはサンドイッチにはならずに空中に飛び上がったようだ。同じく気に入らないって顔でユウを睨んでる。 「行くぞ」 「え、あ、ちょっと」 引っぱられるままに歩き出す。リナリーが門のところにいて「はいバトンタッチ」と手を挙げるから、私は苦笑いしてぱんと手を合わせた。「よろしくね」「うん」と言葉を交わしリナリーがアレンの方に行くのを視界の端で見送る。 「ユウお帰り」 それからどさくさで忘れそうになってた言葉をかけた。彼が私を一瞥してから視線を逸らす。そこで私は今更ユウのコートの下が包帯なのに気付いて慌てた。「怪我っ? ユウってば怪我したの?」「何でもねぇよ。すぐ治る」「胸? 出血多かったの? 貧血は大丈夫?」「治るっつってんだろ」「でも」心配事が尽きずに言い募る私にはぁと息を吐いた彼が「いいから気にするなよ」と私の手を強く握った。 そういえばあの夜に会ってそれから以来なんだってことに気付いて、言わなきゃいけないことがたくさんあるのにと頭の中がぐるぐるする。 「ごめんねユウ。…それからありがとう」 「あ? 何が」 「色々」 笑ったら、彼はふんとそっぽを向いた。「蕎麦が食いたい」とぼやく彼に「じゃあ食堂だ!」と返してその腕に腕を絡める。 体温。多分私がここで一番馴染んでいる人の。 フードからミスティーが顔を覗かせてなんだかむすっとした顔をしてるけど、今日はユウが帰ってきたから彼と話がしたい。それからあのアレンって子とも話をしたい。きっと元帥について知ってる。三ヶ月前まで一緒にいたって言ってた。それに師匠って言ってた。ならきっとあの人の色んなことを知ってるに違いない。 だからその日は、新たなエクソシスト入団の日でもあり、そして私が元帥の動向を知ることのできた、宝物みたいな日になった。 |