南イタリアへの任務で汽車に飛び乗り乗車して、黒の教団の名前でコンパートメントを一つ借り、その中で今回の任務の詳細を読み進めながら、少し眩暈を感じて目頭に手をやった。思い返せばここまでかなり全力疾走したのと眠ってないのが手伝って、少し疲れが。

 ごめんね、あの人がどうしてたか私全然知らなくて

 ぼんやりした頭にぼんやりと響く彼女の声。
「…で、さっきの質問なんですけど」
「あ?」
「なんでこの怪奇伝説とイノセンスが関係あるんですか?」
 首を振ってばしんと一つ掌で顔を叩いた。向かい側にいる神田は相変わらず仏頂面で、おまけに舌打ちまでしてきた。かちんとくるところだけどここは自分を抑えることに専念。ここで僕が怒ったら話が進まない。「イノセンスってのはだな…」渋々というか仕方なくというか、そんな感じで話し始めた神田と資料に落とした視線。食堂で彼女が神田を止めたときとか、というか彼女と接する神田は普通に見えたんだけどな。僕の見間違いなんだろうか。
(いけない。今はエクソシストとしての初任務の最中なんだから、集中しないと)
「…おいモヤシ」
「アレンです。なんですか」
「お前、アイツと徹夜してたらしいな」
「あいつ? ってのことですか?」
「他に誰がいる」
 ぴりっとした空気を纏ってこっちを睨んでくる神田に同じくぴりっとした空気を纏って睨み返してやる。「ただ話をしてただけです。変な思い込みはよしてください」「何も言ってねぇだろ俺は」「だけど訊いてきたじゃないですか。気になるんでしょ、のこと」「はっ」短く笑われてむっと眉根を寄せた。こいつ、に接するときとその他大勢で態度が違いすぎないか?
 ばさと資料を隣に放った神田が「アイツに妙なことしてみろ。俺が殺す」それでぎろりとこっちを睨んでくるから「何もしませんよ」と棘のある声を返して睨み合う。それから視線を逸らした。少し前に同じベッドの上で隣り合って話をしていたはずなのに、彼女といたその時間がやけに遠く感じる。
 元帥って。師匠のことをそう呼んで、彼女は表情をころころ変えた。悲しそうにも、嬉しそうにも、おかしそうにも。色んな顔が見れた。師匠の短い言葉とティムの映像記録でしか知ることのできない彼女に触れられた。その実感はとても大きい。
 がたんごとんと列車の揺れる音しかしなくなり、ちらりと向かい側に視線だけ向けてみる。腕を組んで目を閉じている神田に、何か言ったらまた睨まれるんだろうと予想しながら、訊いてみたくなった。
は、神田にとってなんですか?」
「ああ?」
 ぎろりと睨まれても怯まない。苛々してるようにとんとん指で腕を叩く神田が「うるせぇよ、お前には関係ないことだ」と僕の言葉を切って捨てて流した。その指に似つかわしくないシルバーのリングが光っていたのがやけに印象に残る。
 もしかしたら、も同じものをつけているのかもしれないと、僕はどうしてかそう考えた。
☆  ★  ☆  ★  ☆
「目標視認。ウイルスのガスが濃いみたい」
『気をつけろ。この辺りの人間は皆やられたと思った方がいい』
「うん」
 かしゃんと腰の剣に手をやって指先で柄を撫でた。ミスティーの背中から飛び降りて剣を抜き放つ。発動、と口の中だけで唱えると刀身が淡い光を帯びた。
 薄い紫の煙が漂う視界の先で、レベル2と見られる悪魔が二体。ここに来るまでにレベル1の襲撃は撃退してきたから、ここに残っているのはあの二体だけ。
 でもレベル2だ。一体はつぎはぎで作られた人形のような外見で、もう一体は背中や肩から大砲の筒みたいなものを突き出してる獣のような形。あの筒からこの煙が出てるようにも見える。相手がどんな能力か分からない以上、気は抜けない。
 隣でミスティーが身体のサイズを調節して、私と同じくらいになった。どんと地面に爪を立てて『私が一方を引き受ける』大きな翼が広がってミスティーが急加速で飛び立った。私は目だけで頷いて剣の切っ先を下げて走り出す。
『エクソシスト?』
「そう。あなたを破壊する」
 かたりと大きな頭を傾けた人形に向かって跳躍、剣を振りかざして突っ込もうとすれば相手も黙ってはいない。丸い手が身体から不自然に伸びて私の剣をがんと受け止める。やっぱり硬い。もう片方の手で攻撃してくるのかと身構えたけど、アクマの手にはベルのようなものが握られていて、それでこっちを叩いてくるということはなかった。ただリンゴーンと音が鳴った。はっとしてアクマの拳を蹴って距離を取る。これは、攻撃?
 リンゴーンと音がする。鐘のような音。人形顔のアクマがにたりと笑った。『もらいー』と。がしゃと剣を構えて次の事態に備える。防御攻撃のどちらもできるように。
 どどどどと遠くで音がする。もう一体をミスティーが引き受けてくれてる音だ。これは多分、グランス。鱗の弾丸でアクマを翻弄し遠ざけてくれている。
(ここまでの戦闘と移動での疲労が溜まってるはず。ミスティーにあまり無理をさせたくないから早く倒さないと)
 倒すべき目標のアクマがけたけた笑って『変身だー』とか言うから剣を一振りしてシムラクルムを発動、アクマを取り囲むように光の剣が現れるのとそのアクマが光を放つのは同時。
 高速で突っ込む光の剣。
 やれたと思った。だけどがきんと硬質な音と一緒に剣が受け止められた。とっさにもう一撃放とうと構えた剣が止まる。
 私の攻撃を受け止めたのは槌。槌を持つのは、赤毛で長身の、片方の目を眼帯で覆った、
「…ラビ……?」
 さっきまでアクマがいた場所にラビが立っていた。槌で受け止めた光の剣にやっていた視線をこっちに向けてへらりとしたいつもの笑みを浮かべる。いつもの笑みを浮かべながら「満」とラビの声が槌の巨大化を促し、黒い槌がさっきより一回り大きくなる。
 剣の切っ先がラビの喉を照準している。下げないようにと腕に力を込めているけど、気を抜けば剣先が下がってしまいそう。
 これはアクマの能力だ。そうに決まってる。ラビは今ブックマンと一緒にフランスへ、本部に応援を求めたダグって探索部隊の人と一緒にいるはず。そうだよ。そうだ。だからこんなところにラビがいるはずない。
 いるはずないのに。
(ラビ)
「満。満、満、満」
 どんどん大きくなる小槌で頭上に影ができた。だんと地面を蹴って開けた距離を「満」の一言で埋められる。私を叩き潰すには十分の大きさになった槌が無言で振り下ろされてとっさに刀身を上に向けて「グラウィス」と唱える。十字架の刻まれた光の壁がどんと重い音を立てて槌の攻撃を受け止めてくれたけど、ぴしと亀裂の入る音も聞こえた。
「オレの能力ってばさー、相手の頭ん中にある一人の情報限定でしか読み込めないんだよね。しかもランダムだし? これで読み込んだ相手が全くの非戦闘員でしたとかだったらマジ終わってたよ。よかったぜーエクソシストで」
「、」
「その顔見るに、けっこー知り合いっぽいね。ラビってオレのことだもんね」
 にっこり笑ったラビが槌を振り上げる。私は光の壁の下で次の攻撃に迷う。
 あれはアクマだ。破壊するしかない。あれはラビの顔をしたアクマだ。大丈夫、本物じゃない。剣を向けていい相手だしそうすべき相手だ。迷うな。ユウなら迷わない。ラビでもきっと迷わない。リナリーもやってみせる。みんなに続くんだ私。
 どんと防御のグラヴィスに振り下ろされた槌の二撃目。だんと地面を強く蹴って私は防御を捨て相手に肉薄した。
 破壊する。そのために剣を振り被る。
 ラビの顔に浮かんでいた笑みが消える。信じられないって顔をするラビがそこにいる。「、オレを斬るのか?」とラビが言う。振り上げた剣を振り下ろす。力を緩めるな、気を緩めるな、このまま斬れ。
 ど、とラビを脳天から真っ二つにする。ぎゃああと悲鳴が上がってその手から槌が消えた。血しぶきもなくその場を蹴る。血がない代わりに数瞬遅れてどおんと爆発があった。ラビだったアクマは瓦礫と化して、からから転がったベルが土煙にまみれて地面に落ちている。
 は、と肩で息をしながらベルを一瞥して視線を空に向けた。ミスティーがアクマを追いかけて加速してるのが見える。
 多分、あのベルの音のせいだ。いやに頭に響いて聞こえたから。でもよかった、相手が油断してくれて。
「ミスティー」
 ぴっと剣を振って再び構える。もう一体のアクマの相手をしていたミスティーがばさりと翼を翻して私の隣に下り立った。『大丈夫か』と訊かれて浅く頷いて返す。
 ラビを斬ってしまった。剣を握る手のどこかがそんなことを思っている。アクマという機械を壊しただけだっていうのに。
『オレさまを舐めるなよぅ? アイツ簡単に壊されやがって、情けね〜』
 私達の前にひらりと下り立った獣が笑う。私は剣を構えた。ミスティーがぐるると唸って体勢を低くする。相手の身体中にある大砲の筒から薄い紫の煙が噴き出す。
 完全に決着がついたときには、夜が終わりまた朝が始まろうとしていた。
「ミスティー」
『大丈夫だ。帰還までは問題なく飛べる』
「うん…」
 一応誰か生き残っている人がいないか周辺を調べて、誰もいないと判断した。あとは本部に戻ってアクマ一掃完了の報告をすればいい。
 アクマの残骸ばかりの場所はまだ薄い紫の煙が漂っている。
 とんと地面を一歩踏んだら、ぐらりと頭が激しく揺れた。すでに巨大化して帰還の準備万端のミスティーにどんとぶつかってどうにか転ばずにすむ。
 頭が。
「う…っ」
? どうした。怪我か』
「違う…けど、頭が、いたい」
 押さえた頭がじくじくする。ミスティーが体勢を低くしてとにかく乗れと示すから、私はどうにかミスティーによじ登ってその背中で倒れた。頭がじくじくする。『掴まれ、本部に急ごう。あの煙のせいかもしれない』と言われて薄目を開けた。ぐらぐら揺れて見える地面と、周囲に漂う薄紫の煙。
 あの煙、害はないのかと踏んでたけど、じわじわと効いてくるタイプか。アクマは即効性のある攻撃を望むから予想外だった。やられた。マスクの一つぐらいするべきだった。
(ラビ…)
 手に、耳にこびりついている。悲鳴が。斬った感触が。
 ミスティーがわざわざ鱗を変形させて作ってくれた持ち手を握って、私は目を閉じた。もう片手を這わせて首のバンダナをぎゅうと握り締める。

 、オレを斬るのか?

 ラビのその声が、頭の中に響いている。