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『いいかい神田くん。落ち着いて聞いてくれ』 「あ？ んだよ改まって」 全治五ヶ月だとか言われた傷が表面上は塞がり、無理に動かさなければあとは回復するだけ、というところまできた左肩に手をやって受話器から聞こえるコムイの声に動きを止めた。 任務はほぼ完了した。あとはララが止まるまでモヤシの気のすむように歌わせ続ければ、そのうち壊れて止まる。そうしたらイノセンスを回収して本部に持ち帰れば終了だ。あれはもう五百年動き続けた人形ではなくなった。もう動き続ける理由もない。だから止まる。 『君とアレンくんが任務に出た日に、ボクはにも任務を言い渡したね。憶えてるかな？』 「…ああ。いつものアクマ群集地の一掃だろう」 『当たりー。で、がそこから戻ったわけなんだけど』 「……けど、なんだ」 意識せずとも声が低くなった。受話器で繋がるコムイがどんな顔をしてるかは知らないが、頭の中が一瞬であいつで埋まった。あいつがなんだ、戻ってどうなった？ 「コムイ」 『どうやらねー、アクマのウイルスっぽい攻撃を受けちゃったみたいでね…今は要安静で病棟だよ。検査なんかも兼ねてね』 「、」 言葉が出なくなった。 なんだそれ。なんだそれは。聞いてない。あいつとはいつものように別れたきりだ。いつものように再会するはずだった。俺が少し怪我をして治して、あいつがそれを少し怒る。それから笑う。おかえりと言われてただいまを言えずに蕎麦が食いたいと誤魔化す。あいつは笑う。うん、食べようかと。 白いベッドに埋もれるいつかの彼女が頭を過ぎる。 （あれだけいつも俺に怪我をするな怪我をするなとうるさいくせに、てめぇが怪我して、どうすんだ。この馬鹿） 受話器を強く握りすぎてぴしと軋む音がして、どうにか力を緩めて「繋げよ」とこぼす。『はい？』「あいつと繋げ。今すぐ」『や、ボクの話聞いてた神田くん。病室に電話なんてないよ』「今すぐ、誰かが電話担いで病室行って、俺とあいつを繋げ」だんと左手の拳を壁に叩きつけた。びりっとした痛みが腕から肩を貫く。こうでもしないとそのうち受話器を握り潰すことになる。 電話の向こうで物音がした。苛々しながら「おいコムイ、いいからに繋げ」その一点だけを言い続ける。それしか頭に浮かばない。 返答なし。無視かこの野郎帰ったら憶えてろよと舌打ちしたところでけほと咳き込む音が受話器から聞こえた。叩きつけようとしていた拳の動きが止まる。 「？」 『あ、ユウ…任務完了だってね。お疲れさま』 「お前、アクマの攻撃で…要安静なんじゃないのか」 『病室だよ。コムイさん、わざわざここに電話持ってきて、ここからから電話したんだよ。もう逃げちゃったけど』 少し疲れたあいつの声が聞こえた。だけど要安静から考えられる大怪我ということはなさそうだった。安堵の息を吐いたところで『ユウ、すごく怪我したんだってね』と言われてぎくりとする。コムイ帰ったら憶えてろよチクりやがって。 「何でもない。帰るまでには治ってる」 『…うん』 「……なんだよ。なんかあったのか」 『うん……』 けほ、と小さく咳き込んだあとに『ユウにはいつ会えるかな』と言われて口を閉ざした。「分からん。帰れるならすぐ会える」と答えた自分の声は、恐らく白々しかったと思う。『じゃあしばらく会えないね』とあいつは笑った。左の拳を握り締めて「そうだな」と呟いた声は、それなりに力がなかった。 会いたいと言われてるのに会えないとしか言えない、そんな自分がいやだった。 「…コムイは。どうせ外に待機してんだろ」 『うん、多分ね。コムイさーん』 受話器から遠いところでコムイの返事が聞こえた。ここでもう次の任務が確定する。 きっとまたしばらく会えないだろう。何か言っておかないと。でも何を。俺はあいつに何を言えばいい？ 『ユウ』 「なんだ」 『またね』 「…ああ。またな」 彼女との会話はそれで終了した。 とさと左手がベッドに落ちる。びりびりと痺れている肩から先の全て。白いベッドに埋もれる彼女の姿が想像できる。 叶うならそばに飛んでいって、元気になるまで話し相手でも暇潰しの相手でもしてやりたい。叶うならあいつのところへ帰りたい。戻りたい。 自分が女々しい。そんな気がして動かない左手を無理矢理壁に叩きつけてやった。
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「ボクが思ってたよりも元気がないね。任務地で何かあったのかい？」「え」 ちん、と電話を終えたコムイさんがそんなことを言うから、私はぱちぱち瞬きして曖昧に笑った。「そんなことないですよ。ユウと電話できたし、全然だいじょぶです」「うーんそうかなぁ。隠し事はよくないよ？」わざとふざけた感じにベッドの周りをくるくるするコムイさん。曖昧な笑顔のまま私は少し顔を伏せた。 ユウと話せたから大丈夫。また任務だから、余計な心配かけたくない。ラビが戻ってきたらちゃんとできる。ラビはいつ戻るだろう。時間かかるかな。 こほ、と咳き込んだら控えていた看護婦さんに「さぁマスクを」と言われて肩を竦めた。大人しく酸素マスクのようなものをつけてベッドに埋もれながら「コムイさん」とくぐもった声で呼ぶと、「はいはいなんだい」と枕元までやってきてくれた。「あとで、リナリーのコーヒーが、飲みたいです」「分かった、伝えておくよ」やんわり笑ったコムイさんが頭を撫でてくれる。 「しっかり療養するようにね」 「…はい」 そんなに大したことはないだろうとみんな言ってるけど、一応検査入院という形で私は少しの間白いベッドの上の生活だ。 そういえば昔、クロス元帥がまだここにいてくれた頃、結構大きな怪我をして入院したことがあったっけ。 あのときはユウがそばにいてくれた。なんだかんだで図書室から本を借りたりしてきてくれて、優しかった。今が優しくないってわけじゃないけど。ユウは人付き合いを嫌うし、好き嫌いも多いし、合う合わないで人と衝突することも多いけど。ユウはいい人だよ。うん。他の誰が言わなくたって私が言う。ユウはいい人だよ。 コムイさんが司令室に戻って、看護婦さんがいなくなって、あとはベッドの横の機械が出すピ、ピ、という電子音だけが病室に響く音だった。 ぼんやり目を開けて病室の天井を見つめていると、ばさと耳に慣れた羽音が聞こえた。『調子はどうだ』と声をかけられて唇の端を持ち上げて笑う。「少し、咳が出るくらいだよ」と伝えたところ、枕元に飛んできたミスティーが『ダークマターの影響だろうか』としょんぼり小さくなるから、私はまた笑った。「大丈夫」と。 何日かしたあと、アレンが本部に帰還したという連絡を受けた。その頃には私もすっかり退院間近で、あと一日大人しく検査を受けて異常がなければ部屋に戻ってオーケーとのことだった。すっかり咳も出ないし、リナリーは毎日コーヒーの淹れ立てを持ってきてくれるし、ようやく元気になれそうだ。鍛錬とかしっかり重ねないと、身体がすっかりなまってしまってる。 「アレンが？ そっか、私出迎えに、」 蝙蝠型のゴーレムにそう言いかけてぱしと口を押さえる。病室の扉の向こうでぎらりと婦長の目が光った気がしたのだ。そろそろ手を離したところで『あとでアレンくんからお見舞いに行くって言ってたよ』とリナリーのくすくす笑う声がする。私の現状なんてさっぱりお見通しなのだ。困ったなと笑って「うん、ありがとう」と伝えたところでゴーレムを通して何やら変な音が聞こえた。最初は何かみんなが騒いでる感じの声だったけれど、次第に何かおかしくなっていく。 「？ リナリー？」 ぺしとゴーレムを叩いてみた。どこかおかしくなったのかなと思ったから。でも理由はこのゴーレムにはないようで、がががががとノイズの大きな音が入ったきり、通話は途切れてしまった。 はてと首を捻る。下で、何かあったのかな？ （…抜け出したら婦長が怖いしなぁ） コムリン�兇覆襪發里�暴走していることを知らず、ぼすとベッドに埋もれて目を閉じる。時間はもう真夜中だ。多分寝たら検査も終わってるだろう。そしたら退院できる。 まどろみの中で聞こえる音の全てが変換される。あのときに。 、オレを斬るのか？ 信じられないって顔で私を見つめるラビが頭から消えてくれない。 （違うよラビ…私は何があっても、みんなに剣を向けたりしないよ。絶対に） だからラビ、そんな顔しないで。唇だけ動かしてそう口にした。ラビは、まだ帰ってこない。無事だということは定期連絡から知ってる。リナリーにもそう聞いた。だから私はラビが帰ってくるまで待ってればいい。ちゃんと元気になってお帰りラビって言えればそれでいい。 あんなアクマの能力、珍しくもないはずだ。それなのに私はどうしてこんなにぐらぐらしてるんだろう。 「？」 「、」 呼ばれて、ぱちと目を開ける。それまでぼんやり浮かべていたラビの残像がなくなった。ぱちぱち瞬きするとこっちを覗き込んでいる白髪の子と目が合う。ぱちと瞬いて「アレン？」と呟くとにっこり笑ったアレンが「はい、遅くなりました。具合いはどうですか」と言うから慌てて起き上がった。いつの間にか寝てた。 「おかえりアレン」 「はい。ただいま」 にっこり笑いかけてもらって、私もにっこり笑い返した。「あ、これお土産です。イタリアのカプチーノの有名なところがあって」コートのポケットからスティックコーヒーのパックを取り出すアレン。「どうぞ」と手渡されて「ありがとう」とおずおず受け取った。わざわざお土産なんて、いいのに。でもせっかく買ってきてくれたなら大事に飲もう。 ふうと息を吐いたアレンが病室をぐるりと見て「ここには被害がないみたいですね。よかった」と漏らすから私は首を傾げた。 かくかくしかじかの事情でコムリン�兇遼汁�の顛末を聞けば、苦笑いするしかなくなる私である。コムイさんはまた妙なもの作って、リナリーもアレンも大変だったろう。よかった、そんなに大事にならなくて。 部屋が壊れてないといいなぁとだけは思った。クロス元帥が買ってくれたものや用意してくれたものが、あの部屋には残っているから。 「あの、すごく気になってるんで訊いてもいいですか？」 「？ どうぞ」 「神田との、関係は…？」 すごく真面目な顔をしたアレンは私にそう訊いた。きょとんとする。私とユウの関係？ ってなんのことだろう。アレンがすごく真面目な顔をしてるから笑って流すことはできない。えーと私とユウの関係、は。関係は？ 「えっと、それってどういう意味？ 友達とか親友ってことなら、私とユウは多分幼馴染とかその辺りだと思うんだけど」 「あ、ええとそうじゃなくて、もっとこう男女的なものなのかなって思って…あ、そうか幼馴染か…そっか。そうですよね」 あははと誤魔化すように笑うアレンに首を捻ってしまう私である。アレンは一体何が言いたいんだろうか。 それから私はその日のうちに退院した。検査も異常はなしで、もう咳も出ないから。 着替えとミスティーを抱いて部屋まで戻るのにアレンが送ってくれた。鍛錬に付き合ってほしいと言ったら喜んでと了承してもらえた。嬉しいことだ。よし、明日からは徐々に体力を戻していこう。 「ねぇ、どうしてお土産？ リナリーにもあげたの？」 「え。いえ、の分だけです」 「？ どうして？」 首を傾げた私にアレンが困った顔で「どうして…って。えっと、リナリーはコーヒー淹れるの上手だから、コーヒーのお土産は喜ばないかなって思って…？」自分でも納得してないのか最後には首を捻ってしまうから、私はなんだか笑ってしまう。変なのアレン。お土産って言ったらリナリーだって喜んでもらってくれたと思うけどな。これが外のコーヒーかぁってさ。 でも嬉しいな。アレンがお土産を買っていこうって考えたとき、その思考に私がいたってことだ。それはなんだか嬉しいことだ。 部屋の前まできて、アレンにばいばいと手を振った。「またね」「はい、また。何かあればいつでも言ってくださいね」笑ったアレンと別れてぱたんと部屋に入る。電気をつけると多少ものが散乱してはいたけど、コムリン�兇遼汁�の直撃は受けなかったらしく部屋に穴は開いたりしていなかった。ほっとしつつ自分のベッドに腰かける。ミスティーを膝に下ろして「ちょっと長くかかっちゃったけど、ただいま」と言った。「ぎゅう」とミスティーが鳴く。それから思い立って部屋の植木鉢を見に行った。多少放置しても大丈夫な種類を選んだとはいえ、そろそろ水やりしないと枯れてしまう。 「大変。ユウとラビのところにも水あげに行かないと」 「ぎあ」 「だいじょぶ、動ける」 植木鉢にじょうろから水をあげながら、白い花をつけている茎をそっと指で撫でる。 ユーフォルビア。意味は、君にまた会いたい。 私達エクソシストにはぴったりかと思って選んだ花。何度も戦場に赴き、生きて帰れるか分からない戦闘を繰り返す私達。帰ってこない人もいる。帰ってくる人もいる。できればまたみんなで食堂で笑い合いたい。たわいないことやくだらないことでいいから、一緒の時間を過ごしていたい。そんな願いを込めた花。 だから、これが枯れないように。水をやりにいこう。 がちゃんと部屋を出ると、朝陽の射し込む廊下は改めて見れば結構荒れていた。コムリン�兇遼汁�のあとだ。それに苦笑いしながら廊下を歩いてユウの部屋に行く。鍵のかかってない部屋の扉を開けて思わず瞬いた。 床に窓ガラスが散乱してる。どうやらコムリン�兇糧鏗欧鮗�けてしまったらしい。 「これは…ちょっと片付けよう」 自己満足でとりあえず近場から箒とちりとりを借りてきて、床に散らばってるガラス片を片付けた。『、あまり無理をするな』「うん、ゆっくりやれば大丈夫だよ」フードからミスティーが気遣わしげな視線を向けてくるから口元を緩めて笑う。気持ち丁寧に床を掃いてきれいにして、部屋の隅にあった植木鉢は無事だったことにほぉと息を吐いた。置いてある小さなじょうろで水をやる。少し元気がない。たっぷり水を吸って元気になあれ。 次はラビの部屋に行った。ラビはブックマンと共同生活で、部屋はいつも新聞や色んなところの本や資料が散乱している風景。こっちには被害がないようだ。積んであったものが崩れたのかと思う散らかりようだけど、ここはいつもこうだ。 あんまり踏みたくないけど、踏まないと足場がない部屋だからがさりと新聞を踏んで歩く。机の片隅に置かれている植木鉢を覗き込むと、こっちも少し元気がない感じ。持ってきたじょうろに水を入れてたっぷりかけてあげた。元気になあれ。枯れないように。 「おしまい」 『帰ろう』 「うん」 じょうろを持って自分の部屋に戻る。 階段を上ったり下りたりを少ししただけのつもりなのに、結構疲れていた。これは、体力を取り戻すのは時間がかかりそうだ。 アレンがくれたインスタントコーヒーは、あとで食堂に持っていって飲んでみよう。 気分を変えるために病院で着ていたものから着替えて、少し大きいワイシャツが指に当たってそれを手に取った。タンクトップの上に羽織ってボタンをしめる。 いつかにユウが一枚貸してくれたのを返し忘れて私物化している。返せって言わないから持ってていいってことなんだろうって私は勝手に思ってるけど、やっぱりちょっと大きいな。一つ二つと袖を折ってからさらに上にカーディガンを羽織った。保温ばっちり。 「花壇に行こうミスティー。ちゃんとゆっくり歩くから大丈夫」 「ぎあ」 どことなく不満そうな、というか心配そうな顔をしてるミスティーに笑いかける。大丈夫、今日は少し身体を慣らしておくだけ。歩くだけしかしないよ。筋トレとかは明日からやる。 花壇の手入れのために階段を下りながら、頭では別のことを考えている。 ラビ早く帰ってこないかなぁなんて、今のうちから考えててもしょうがないのに。ね。 |