『ラビ』
 ノイズ混じりの彼女の音声が耳朶を打った。しばらくぶりのその声にじーんと胸が熱くなるような頭が痺れるような何とも言えない余韻を抱いてから「、久しぶり」と受話器の向こうの彼女に笑いかける。も笑ってくれたようだというのは雰囲気というか気配というかで察した。よかった、元気そうだ。
「ダグに聞いたさ。任務で怪我したんだって? だいじょぶか?」
『うん、今はもう全然。ラビの方は調子どう?』
「イノセンス絡みで言うならハズレだったさ。アクマ関連で言うならアタリだった」
『そっか…いつ頃帰る?』
「んー、もうちょいしたら。ってどうした? なんか元気ないじゃん」
 しょんぼりしてるというか、妙にこっちを窺ってるというか。よかった普通に街の電話ボックス使ってと思いながらちゃりんとコインを追加する。途中で通話途切れたらオレ泣く。
『……ほんとはね。帰ってきてから話そうって思ってたんだけどね』
「おう?」
『任務地のアクマがラビに化けたの。私の頭の中からラビを再生したみたいで、ラビが笑顔で、槌を振り上げて、私を攻撃してきた』
 彼女の言葉に、そういう場面を想像した。かなり簡単に想像できたのが自分でも空寒いくらいだ。へらりとした笑顔を浮かべながら満満満と唱え巨大化した槌を振り下ろす、そんな自分が見えてぶんぶん首を振る。それはユウがに六幻を抜刀して斬りかかるのと同じくらいありえないぞオレ。自分を誤魔化すように笑って「や、アクマの能力なんだろそれ。オレは実際こっちで任務中だったわけだし」『うん』「はっ、まさかその怪我ってアクマのオレが負わせた傷とか?」『ううん、違うよ。大丈夫』くすくす笑った彼女にほっと息を吐く。よかった、違ったか。
『斬ったよ。ラビじゃないって自分に言い聞かせて、私、ラビの形をしたアクマを斬った』
 彼女の声から笑いが消えた。くしゃりと髪を握るような音と一緒に『斬ったの。こう言われた。、オレを斬るのか? って』「…や、それアクマでしょ。オレじゃないっしょ」『うん。でもね、ラビの姿で、ラビの声で、そう言ったの』ひどいよね。そうこぼした彼女になんて声をかければいいのか逡巡する。相手からすればそれで彼女の動揺を誘って隙を作りたかったんだろう。彼女はそれに揺るがずアクマを斬った。それでよかったはずだ。
 自分で当てはめてみよう。そうすれば彼女の気持ちが少しでも理解できるはず。
(もし相手のアクマがに化けて…オレに剣を向けてきたとして。満くらいは唱えれる。伸で逃げることも。でもオレは彼女に槌を振り下ろして攻撃、できるのか…? 火判をぶつけることができるのか?)
 はっきり言って自信がなかった。ラビと笑顔で名前を呼ばれて剣を首筋に固定されても反撃できないかもしれない。自信がない。彼女に攻撃する自分が見えない。彼女の口から説明された彼女を攻撃する自分は見えたのに、どうして逆は見えないんだ。オレがそう思ってるせい、か? 頭が客観的になってないってことか。それはブックマンとしてマズいぞオレ。
「…ごめん。オレのこと、すっげぇ気にしてくれてた?」
 そうこぼしたら彼女が笑った。『ラビは悪くないよ』と。ごつとボックスのガラスに頭をぶつけて「や、今ちらっと考えたんだ。もし逆だったらオレはどう思うかなーって。…正直キツいな」『…うん』「…元気か? ホントに無理してないな?」『うん。アレンがいるしリナリーもいるから、平気だよ』「? アレンって?」『あ、そっか。ラビはまだ会ったことないね。新しく入団したエクソシストの子。クロス元帥の弟子だったんだって』「ほお。それは興味あるかも。帰ったらの楽しみが増えたさ」『うん』
 彼女の声が聞こえる。もう数分したらこの通話を切らないといけないと分かってるのに、口元が緩んで仕方ない。次期ブックマンが何をしてるとジジイに責められても仕方のないことをオレはやってる。ほんと、何してんだろうオレ。
 でも、しょうがないじゃんかよ。ダグからが怪我をしたらしいって聞いたとき、ほんと心臓が止まるかと。ジジイのいる前だったから平面的なリアクションしかしなかったけど、ほんと、オレがどんだけびっくりしたと。
 オレが怪我したら、はどれくらいオレを心配してくれるだろう。いつかのようにベッドのそばでオレの目が覚めるまで隣にいてくれるんかな。だったらすごく嬉しい。
「なぁ。お土産何がいい?」
『え?』
「せっかくのフランスだぞー、リナリーとにはお土産買ってくさ。ここはお菓子がおいしいって話だし。なんならパリが近いんだから、指定があったら買い物して帰るぜ?」
『…ううん。あのねラビ』
「お? どしたさ」
 しおらしい彼女の声にこっちも声が小さくなる。四方をガラスで囲われているのに耳まで届く喧騒。この街は騒がしい。静かで厳かであろうとする教団と比べると眩暈がしそうなほどだった。
『笑って』
「へ?」
『ううん、無理な笑顔じゃなくていい。きっと何でもいいの。お願い、私に話をして』
? 今話してるじゃんか。どうした?」
『…消えないの。ラビの、断末魔が。斬った感触が手から消えないの』
 消えないの。泣きそうな声でそう漏らした彼女に声が出なくなる。
 それはオレじゃなくて、オレの顔したアクマで、斬ったのはアクマで、手応えもアクマのそれだったはずだ。そうだろ? どうしてそんなに堪えてんだよ、
「ユウはいないのか?」
『任務。多分、だいぶ戻らないと思う』
(あんにゃろ。普段はでかい態度のくせに肝心なときにそばにいやがらねぇ)
 名前で呼ぶとすぐ抜刀してくる相手を思い浮かべて緩く首を振った。任務はオレも同じだし恨む理由にしちゃいかんだろう。だから今は、オレが、彼女を慰めるんだ。
 ちゃりんとも一つコインを入れる。そもそも外の電話が銅貨一枚でどのくらい通話してられるのかっていうのが疑問だ。途切れたら困るからと惜しみなく使ってはいるものの。

「だいじょーぶ。今はそばにいないけど、本部帰ったら思いっきり抱き締めてあげるさ。苦しいってくらい」
『…うん』
「そんでもってお土産はやっぱし買ってく。色々見て吟味してくっから楽しみにな」
『うん』
「で、オレから言わせてもらうなら、が笑って。そんなんじゃ帰るまでオレが心配じゃんかよ」
『うん。ごめんね』
「…いいけどさ」
『ラビ』
「うん?」
『早く、帰ってきてね』
「おう。寂しがりやの姫君のお呼びとあらば、ナイトは迅速に行動する」

 くすくすと彼女が笑う。大げさに茶化してみたものの結構恥ずかしいなこれ。ぽりと頬をかいて「じゃあ帰還の準備すっけど、オレが帰るまで泣くなよ?」『泣かないよ。気をつけて帰ってきてね』「おー」受話器に向かって自然と笑っている自分にはっとして平静の顔を作る。どこかでジジイに見られでもしてたらほんと殺される。
 それでも、無理矢理切ることはできない。彼女が寂しがっている。オレの声が聞きたいと言ってる。そんなかわいい要求をオレが突き放す理由がない。
 だってオレは、のことが、

「じゃあな。またな」
『うん。ばいばい』

 かしゃん、と受話器を置いてしばらく。ごつりと四角い箱に額を押し当ててふうと息を吐く。この電話で抱いた感情情景場面笑顔その他もろもろを心にしまい込まなくてはならない。そうでないとジジイに見抜かれる。
 ユウがいる。あいつはきっとのことを好いてる。表面上そんな顔は全くしないけど、まぁ性格のせいもあるだろうけど、がピンチになったら真っ先に駆けつけるのは多分ユウだ。それくらいの確信がある。
 オレだって彼女のことが好きだけど。今まで見てきた人間の中ですごく好ましいと思ったけど。まっすぐで、程よく汚いものときれいなものを知っていて、涙を流せて、笑ったり怒ったりする彼女が好きだと思ったけど。でもオレは次期ブックマン後継者だから。ユウみたいに何でもかなぐり捨てて彼女を選ぶことは、できないんだ。
「…ジジイがうるさそうだ。もう戻ろ」
 一人ぼやいて電話ボックスを出る。ダグは今回の任務の後始末があるからまだここに残るし、帰りはジジイと二人だ。彼女にはお土産楽しみにしてろと大事を言ったけど、ジジイがいる前で堂々お土産選びなんてできっこない。ってことは、この辺りで何か適当なものを買って帰った方がいいな。
 そう判断してその辺の市場をうろうろして、リナリーもも髪が長いんだしと少しオシャレめの髪留めを買った。リナリーは青、は白。ガラスで薔薇を象った飾りのついてる、女の子なら好きそうな感じのやつ。
 気に入ってくれるといいなぁ。っていうかオレ、自分からお土産買おうとか今更すぎる思いつきだったな。もっと早く気付けばよかった。
ただ、
 ちん、と受話器を置いたときには、アレンはもう司令室の入り口にいた。電話を借りたことをコムイさんにお礼を言ってからぱたぱた入り口に戻って「ごめんアレン、お待たせ」と声をかけた。にっこり笑ったアレンが「いいえ。神田と電話ですか?」と首を捻るから私は苦笑いして「ううん、ラビって人。今任務に出ててね、アレンはまだ会ったことないかな。もうすぐ会えるよ」話しながら歩き出す。今日からリナリーが任務に出てるから、私とアレン二人で鍛錬だ。
 だいぶ感覚が戻ってきたことに、正直安心していた。剣を抜いて素振りは基本中の基本。腹筋背筋スクワットなんかのトレーニングも欠かせない。ジョギングは体力維持の基本だ。アレンはどれも付き合ってくれるから本当に嬉しい。僕も体力作らないとって色々手を貸してくれる。
 アレンは優しい。おかげで私は救われている。
 いつもの三十分ジョギングコースを走りながら、「アレンさ」「はい?」「すごく、紳士的だよね。すごいね」「そう、ですかね。普通かなぁって思ってた」「全然、すごく紳士的、だよ」息を吸ったり吐いたりしながらたったったと一定リズムで修錬場の周囲を走る。探索部隊や他の面々が筋トレやストレッチをしてるのを横目にしながら、隣に並んだアレンが「少し止まって」と言うから首を捻って速度を緩めた。足踏みしながら「どうかした?」と言うとすっと伸びた手が私の髪に触れて「解けます。結びますね」「あ、ありがとう。気付かなかった」肩のところで髪を一つにまとめてアレンが「はいできました」と笑うから私も笑う。じゃあ、ジョギング再開。
 たったったと走りながら、会話して頭を巡らせるのに慣れることも大事なことの一つだ。走って頭に酸素を取り込むことだけでいっぱいいっぱいになってたら、戦闘で頭を巡らせて戦うことは難しくなる。
「質問してもいいですか?」
「どうぞー」
「ラビって人とは、どういう関係で、」
「え?」
 隣を走るアレンがはっとした顔でぶんぶん首を振って「すいません。興味本意です」と困った顔で笑った。私は視線を上に向けて天井辺りを見ながら「ラビは、そうだねぇ。仲間っていうか友達っていうか」言いながらさっきの電話を思い出す。もう任務は終わったようだし、これから帰還するって言ってたし、もうすぐラビに会える。
 話ができてよかった。アクマのあの断末魔はもう薄れつつある。
 あとは、ラビをぎゅってして、きちんといるってことを自分の身体に言い聞かせて。そしたらもうラビの形をしたアクマのことなんて忘れてしまえるはずだ。
「アレンさ、ここ慣れた?」
「はい、だいぶ。食堂のメニューも全制覇しましたし」
 その言葉に思わず笑う。「やっぱり寄生型ってよく食べるんだね。ミスティーもそうだけど、お腹壊したりしない?」と訊いてみれば困った笑顔が返ってきて「それが全然大丈夫で。さすがに僕、食べすぎですよね」とちょっと肩を落とすから「そんなことないよ」と眉尻を下げる私。朝から甘いケーキのホールを制覇しても細いアレンには憧れさえ抱くほどだ。いいなぁ、私も一回でいいからカロリー気にせずホールのケーキを一人で食べてみたい。
 ジョギングを終えて、休憩を挟んでから筋トレに入る。よっと掛け声をかけて逆さまになってみせたアレンに思わず瞬きする。すごい、身体軽い。
「すごいアレン」
「え、そうですか?」
 片腕だけで全体重を支えてかなりハードな腕立てを始めた彼に対して、私は普通の腕立て伏せを開始。今日はー、五十回を目標に始めよう。
 筋トレに励む女の子なんて、女の子らしくないだろう。そう分かってたけど、身体がなまって戦闘に不安が出ることを思えばしょうがない。私はリナリーみたいに速度や移動面をカバーしてくれるイノセンスではないから、あくまで身体は自分で鍛えないといけない。剣を操るのは私の腕、私の肉体だ。イノセンスに遅れを取るようではいけない。
 でもちょっとだけ残念になる。女の子ならきっと、腕に筋肉ついてたりしないんだろう、なぁ。
(元帥がっかりしそう…はぁ)
 50、と口の中で数えてばたりと床に伏せる。「大丈夫ですか?」「うーん、大丈夫」ごろりと仰向けになって天井を仰いだ。隣ではアレンが七十回を数えたところだ。何回やるんだろう。百回とかかな。
「アレン、一通り終わったら食堂行って、おやつにしない? 一緒にケーキ食べようよ」
「いいですね! 喜んでお供します」
「うん」
 私が笑うと、アレンも笑顔を返してくれた。
 さあ、今日の自分へのご褒美は決めた。あとは集中して鍛錬を頑張って、おやつにして、花壇の手入れも行かなくちゃ。