私は怪我というほどの怪我はしてなかった。ただラビが、昨日の戦闘で少し負傷した。それが気になってたけど、昨日の件で声をかけてきたコムイさんが言った。「疲れているところ悪いが、次の仕事に一緒に行ってもらいたい」と。
「ドイツにある巻き戻しの街だ。正常化したとの連絡を受けてね」
「、リナリーとアレンがやったんですね?」
「ああ。新たな適合者を見つけてくれたよ。ただ傷も負っている」
 眉尻を下げたコムイさん。私も笑顔からしゅんとした。そうか、あっちも大変なんだな。こっちも大変だったけど。
 肩を落とす私の頭をラビがぽんと叩く。片手で背中をさすりつつ「オレならへーきさ。どこでも行ける」と笑う。
 本当は平気じゃないくせに。きっと泣きたいのに。ダグのこと、気にしてないはずないのに。
 ラビは誰とでも仲良くなってみせるけど、それは表面上だけであることも多い。私やユウ、リナリーなんかとは打ち解けているけど、入団から二年。知り合いを作って絆を深めるには十分な時間があったように思う。でもラビはそういう人は特に作らなかった。ダグとは絡んでるところを何度か見てる。彼を失ったことは、ラビにとって傷になっているはずだ。
 アレンと仲良くなれたらいい。巻き戻しの街に向かうならきっと顔を合わせることになるはず。アレンやリナリーの怪我も心配だけど、今はラビのことが心配だった。
 ドイツへ発つ準備をするラビについて回りながら「ラビ気をつけてね。無理はしないでね」と声をかける。ラビはへらっとした笑顔で「おうさ」と片手を挙げる。
 地下水路までラビとブックマンとコムイさんを見送りについて行く。かつんかつんと暗い階段を下りながら「いつ頃帰りますか? コムイさん」「少しかかるかもしれないね。ああそうだ、、君には帰ってきてから色々と説明するから」「はい」「それから、ミランダ・ロットーという女性がきたら、イノセンスやここについて大方説明してあげてくれるかい。すまないね、押しつけてばかりで」「いいえ」頭の中できっとコムイさんは他にも色々なことを考えているに違いない。何せ室長だから。今回直々に出向くのには何か大きな理由があるんだろうと思いながら私は笑う。笑って見送る。今はこれでいい。
「ラビ、ブックマン、コムイさん、気をつけてー!」
「おーぅ、行ってくるさー!」
 ゴンドラに乗り込んだ三人にぶんぶん手を振る。こっちにぶんぶん手を振り返してくれてるのは多分ラビだ。
 灯りの届かない遠くへゴンドラが消えてしまうと、ふうと息を吐いて腕の中のミスティーに視線を落とす。「行っちゃったね」と。ミスティーは「ぎう」と鳴いただけだった。ラビと一緒にいるとミスティーはあまりいい顔をしない。あ、それはブックマンといても同じか。
(…整理してみよう)
 アレンのお土産であるインスタントコーヒーと、ジェリーさん特製の今日のケーキである苺タルトを口に運ぶ。ミスティーは向かい側でケーキをホールでもらって食べている最中。
 ラビに聞いた話と、コムイさんが帰ってきたら話すと言っていたことは多分同じだ。イエーガー元帥が殺されたのだ。そしてイノセンスを奪われた。
(でも、あの元帥がアクマに? 元帥達の中で一番お年寄りだったけど、前線で戦う強い人だった)
「…ミスティーはどう思う? 元帥は、アクマにやられちゃったのかな」
『いや。恐らくノアではないか』
「ノア?」
『千年伯爵側の人間だ。額に聖痕があり、浅黒い肌をしているらしい。それぞれ能力を持っているとも聞いている』
「………」
 ふーとコーヒーに息を吹きかける。熱い。
 ここのところ激化しているアクマ、戦争、戦闘。アクマは無尽蔵なほどに増え、進化し、私達仲間の命を削り取っていくけれど、エクソシストはあまり増えない。最近アレンが入団して、ミランダが来たくらいで、元帥職の人は適合者を探す日々を続けている。
 そこへ神狩りという名の元帥殺し。
 狙いはイノセンスの核、心臓だ。それがなくなってしまうとイノセンス全てが無力化してしまう、らしい。私も話に聞いたことがあるだけで詳しくないけど、教団側も伯爵側もハートがすでに見つかっているのか、あるいはもう適合者がいるのかなんてこと分からない。だから向こうが先手を打って元帥を殺した。力の強い人ならハートを持っている可能性があると思ったんだろう。
 アクマが増え、ノアの一族が出現して、事態はさらに悪化する。
 ふーとコーヒーに息をかけて一口。まだ熱い。フォークで切り分けたケーキを口に運んでゆっくり味わって、私も出ることになるんだろうと考えた。
 長いこと教団に縛り続けの日々を送ってきたけれど、状況は悪化している。元帥が狙われるのなら護衛のエクソシストをつけなくては、ノアとアクマ相手ではいくら元帥でも不利になる。
(クロス元帥のところへは…誰が向かうんだろう)
 ぼんやり赤い髪のあの人を思い浮かべる。もうだいぶ、あの人の声を忘れてしまっている。あの人のいない四年っていうのは短いようで長くて、長いようで短かった。
 アレンかな。ティムなら元帥の居場所が何となく分かったりしないだろうか。分かんないけど。
 さく、とケーキにフォークを入れる。おいしいや。
 コムイさんが帰ってきたら。多分、それで、私も任務につくことになる。
 手を伸ばしてミスティーの頭を撫でた。口いっぱいにケーキを頬張っている姿に満足して姿勢を崩してべたーとテーブルに突っ伏す。「ケーキおいしいね」「ぎゃう」「でも毎日食べてたら太っちゃうね」「ぎう」「…ミスティーは太らないかなぁ。いいなぁ」目の前に持ってきたコーヒーカップ。ちょっと身体を起こしてずずと中身をすすった。インスタントだけど、香ばしい感じ。コーヒーには詳しくないけど、これはこれでおいしいと思う。
 数日したらコムイさんは戻ってきた。ちょうど科学班のみんなにコーヒーを手渡したところだった。
「お帰りなさいコムイさん」
「ただいまー。ボクにもコーヒーちょうだいー」
「はい」
 うさぎの絵のついたコムイさんのカップにコーヒーを注ぐ。冷えピタを貼ったり栄養剤を飲んで不眠不休で頑張る人達ばかりの部屋で、普通に寝て普通に起きてる私はなんだかいたたまれない。でもリナリーの頼みだから、コーヒーを入れてクッキーの差し入れに回ることくらいしてあげたい。アレンと一緒にこのまま次の任務、元帥探しに行っちゃうみたいだし。
 自分用にコーヒーを入れて、ずずとすする。アレンがくれたインスタントの方がおいしいかもしれない。もうカップを空にしたコムイさんが疲れた顔で「それで、に話だった。えーとラビから大筋は聞いてるかもしれないけど、実はね…」
 内容は予想通り、イエーガー元帥殺害の件と、ノアの一族の件。これから世界各地に散らばるエクソシストは元帥のもとへ向かい護衛を担当、本部まで一緒に帰還してもらうということ。
「あの、クロス元帥は見つかったんですか…?」
 アレン達が担当するのはクロス元帥だという説明に、気になっていたことを訊いてみた。コムイさんは苦い顔で「いや、相変わらず発見はできてない。ただ痕跡のようなものは各地にあってね、アレンくん達にはそれを追ってもらうんだ。他のみんなも同じような状況だけどね」「そう、ですか」今頃ユウ達もティエドール元帥を探してるんだろう。カップのコーヒーを揺らして口に含む。砂糖入れたけど苦い。ミルクも用意しないと。
「私はどこへ配属ですか? クロス元帥の部隊は十分そうですし、ユウ達がティエドール元帥を探してますし、ソカロ元帥かクラウド元帥のところですか?」
「すまない。まだ上の承認が得られないんだよ。もう少し待ってくれるかい」
 てっきりどこかへ向かえと言われるとばかり思ってた私は、もうトランク一つの荷造りをすませていた。ぱちぱち瞬いて顔を上げると、コムイさんは書類に目を走らせて判子を押すという作業を繰り返しているところ。「ほんとはねぇ非常事態に近いしすぐにでも出発だーって言ってあげたいんだけど、ほら最初にここに来たときヘブくんにミスティーとセットがうんたらかんたらって言われたでしょー? あれがどうもねぇ上が引っかかってるみたいでねぇ、ボクとしては二人は今回分散させようと思っててさぁ。人手はどこも足りないし、君達は貴重な戦力だし」「…はぁ」ぶーぶー唇を尖らせるコムイさん。フードから顔だけ覗かせているミスティーはいい顔をしていない。
 空になってるコムイさんのカップにコーヒーを注ぐ。びしと指を立てたコムイさんが「二日だ」と言うから「え?」と瞬きする。「上から承認を得る。必ず。だから二日で発てるよう準備をしてくれ」と言われてミスティーと顔を見合わせる。
 それは、二人でずっとここまできた私達に、別々に行動せよって、そういうことだろうか。
(……行くしか、ないよね)
 アレンとリナリーとラビを思う。三人はきっと上手くやってくれる。ユウもデイシャとマリと一緒だ。きっとティエドール元帥を見つけて帰ってくる。
 だから、その日はミランダのところへ行ってみた。トランクの用意は万端だし、忘れ物の点検もしてみたけど他にこれといってすることが見つからなかったからだ。あとはコムイさんのゴーサインを待つだけ。
 装備型という点は同じだけど、ミランダのイノセンスは特殊な能力を持つ。だから私は戦い方を教えるとか具体的なことはできなくて、あまり一人では行動しない彼女のために一緒に食堂に行ってご飯を食べたり、基礎体力向上のために一緒に鍛錬をしたりした。
ちゃんは、体力あるのね…私体力ないのよ…」
「ちょっとずつ重ねれば、ミランダも大丈夫だよ。ね」
 ずーんと落ち込みやすいミランダに何とか笑いかけて助走をつける。倉庫整理で出てきたらしい跳び箱に手をついてぽーんと十段を跳んだ。この辺りが私の限界だ。ズボンがちょっとかすってる。これ以上は引っかかって跳べなそう。
 たんと着地してぱんぱんと手を払う。同じく倉庫整理で出てきたらしい竹刀を手に取った。ちょっと古そうだけど、防具もちゃんと出てきてるし、これは使えそうだ。
 疲れた顔で座り込んでいるミランダが私の手の竹刀を見て青い顔をした。「どうするの? わ、私は剣なんて無理よ」ぶんぶん首を振るからあははと笑う。「ミランダは見てればいいよ、私がやるから」と視線をきょろきょろさせる。誰か暇そうな人はっと。
 目が合うとさっと逸らされること何度目か。ようやく一人手を振って捕まえることができた。
「そこの人ー、私とこれで勝負してください」
「え? いや、しかし、私は剣道なんて」
「適当でいいですよ。私も適当にやりますから」
 ぱしと竹刀を手で握る。男の人は躊躇ったあとに竹刀を取ってくれた。一礼して「よろしくお願いします」と言うと「よろしく」と遠慮がちに言われて、二人で竹刀の先端を向け合って構える。ミランダがはらはらした感じでこっちを見てる。
 ユウが帰ってきたらこれで勝負したいかも。多分負けちゃうけど。
 一人目撃破、二人目も撃破、三人目も私の勝ち。四人目辺りと勝負するときには周りに人が集っていた。防具なしでの剣道はほんとはいけないんだけどなぁと思いながら「よろしくお願いします」と一礼して竹刀を構える。今度は大柄で無口な男の人だった。でも負けないよ。剣には自信があるんだから。