そして、悲劇は起こった。

「……え?」
『デイシャが殺られた』
「嘘」
『…そんな嘘吐いてどうする』

 珍しくユウから連絡があったと思ったら。内容は、最悪だった。
 ティエドール元帥と合流できたってところまではよかった。だけどデイシャがやられたと、ユウはそう言った。「嘘じゃないの」と震える声で訊ねる。さっきから聖堂へ慌しく人が出入りしてる。安置されている棺桶の数が、増えたのかもしれない。
 普段からこうじゃない。何年か前も百人くらい死んでしまった戦闘があったけど、今回はそれよりも多い。
 たったの数日で。こんなに。ノアが出現したって聞いてからそんなに時間はたってないはずなのに。
「マリは…ユウは大丈夫なの?」
『ああ』
「元帥も、大丈夫?」
『ああ』
「そっか…」
 デイシャはわりと歳が近かったし、そんなに一緒にいることはなかったけど、みんなでチェスに混じることくらいしてた。
 遺体はもう本部に向けて輸送されてる。黒い棺が聖堂に並んだら、泣く、かもしれない。
「イノセンスは」
『奪われてた』
「…そっか」
『…大丈夫かよ』
「あんまり。ユウや、マリや、元帥の方が、悲しいのにね」
 ユウやマリは、デイシャとよく任務で一緒だった。仲間の死に慣れてる私達だって泣かないわけじゃない。すんと鼻をすすったらミスティーがぴとりとくっついてきた。少し口元を緩めて笑って赤い鱗を撫でて頬を寄せる。すっかり慣れ親しんだ鱗の感触が、ぽっかり空いた胸の穴に光を灯してくれる。
 そこへ「くん」と声をかけられて振り返れば、コムイさんが立っていた。いつになく険しい苦い顔をしている。
「さっき決定した。君には神田くん達と行動を共にしてもらう」
「え、でも他の部隊が、」
「クラウド元帥、ソカロ元帥には共に連絡がついた。残るはクロス元帥とティエドール元帥の帰還だ」
「…、」
 受話器を握り締めて「聞こえたユウ」と呟くと『ああ』とぼやく声が聞こえた。『来れるか』という短い言葉に唾を飲み込む。それからぎゅっと目を閉じて覚悟を決めた。
 次に任務につくときは今までよりもずっと強い覚悟がいると分かってた。
 大丈夫、行けるよ。どんなアクマの中へでも。どんな場所へでも。
 瞼を押し上げて確保した視界でミスティーに笑いかけて立ち上がる。ソファに座り込んでる場合じゃない。荷物はもう作ってあるんだから、この電話が終わったらすぐに出発の準備を。
「大丈夫。行けるよ」
『お前が来るまでは待つよう元帥を説得する。飛んでこい』
「うん」
『…コムイに代われ』
「うん」
 受話器を差し出すと、控えていたコムイさんがすれ違いざま私の頭を撫でた。コムイさんも辛そうな笑顔だった。だから私はなるべくやわらかく笑う。
(私なら大丈夫。ユウ達のところへ行きます)
 ミスティーを抱いて司令室から飛び出す。階段を駆け上がって聖堂に行くと、棺の数はやっぱり増えていた。黒い棺がすでに四つ。白い棺は数え切れないほど。黒いのがエクソシスト、白いのが探索部隊のもので、色ですぐ分かるようになっている。
 みんな死んでしまった。
「…私、頑張るよ。戦争なんかに負けない」
『ああ』
「みんなの分も、デイシャの分も、頑張る」
『ああ』
「…ミスティーはどうして頑張るの?」
『頑張るお前のために頑張る。私の全てはのためにあるから』
 ぐううと小さく唸ったミスティーを掲げて頬をすり寄せる。「ありがとう」と。それから棺に向かって頭を下げた。一分くらい黙祷したあとにカーディガンを翻して走り出す。ここから先はエレベータで部屋に戻ってソファに置いたままのトランクを持って、屋上へ。

 花。花壇と植木鉢。水をやっていきたいけど、その時間がない。
 枯れないように枯れないように、愛情込めて時間をかけて世話してきたけど。本部の人はみんな忙しいし、多分私もしばらく帰ってこられない。やっぱり花は、枯れてしまうだろうか。
「急がせて悪いな! こいつも持ってってくれ」
「? これは?」
 飛び立つ直前に、見送りにきたリーバー班長にトランクを一つ手渡された。「新しい団服だよ。さっき完成したんだ。の分も入ってるから、現地行ったら神田達にも渡してくれな」「はい」「…十分気をつけろよ。いいな」「はい」真剣な顔のリーバーさんに私は笑顔を返す。最後に忘れ物がないか頭で思い浮かべた。クロス元帥にもらったロザリオは首に、ラビとおそろいのバンダナもつけたし指輪もしてる。もらった髪留めで髪を結んで止めた。忘れ物なし。
「行ってきます」
「ああ。絶対無事に帰ってくるんだぞ」
「はい」
 にっこり笑う。ミスティーの背中に飛び乗ってトランク二つを紐で縛りつけて身体に巻きつけ、見送るリーバーさんに手を振りながら、私達は出発した。
 ティエドール元帥と合流したユウとマリのもとへ。それまでにアクマがどれだけ道すじを邪魔しようとも、撃破してみせる。
☆  ★  ☆  ★  ☆
 半日かけて、あいつは文字通り飛んできた。夜の闇に大きな影が躍り、アクマのノイズでないというマリの声からあいつだってことはすぐに分かった。
 視認できなくてもその存在を感じる。この目に映る華が散るのだから。
 どおんと重い音を立てて下り立った赤い竜の背中から「ユウっ!」と声が聞こえたときには足が勝手に動いていた。竜から跳び下りて全速力でこっちに駆けてきた彼女を抱き止める。自然と腕が出ていた。
「ユウーユウぅ」
「…怪我はねぇかよ」
「ないよ、ないよぅ」
「泣くな阿呆」
「だって」
 はぁと息を吐いてわしゃわしゃ髪を撫でてやる。「疲れたろ、少し休め」「でもすぐ出発、」「背負ってく。寝ろ」「わ、私重いよっ」「冗談。重くねぇよ」問答無用で疲れて震えてる身体を背中に背負った。やっぱり重くない。もう少し太れお前。
 こっちに歩いてきたマリが「、久しいな。元気そうでよかった」と彼女に声をかける。背中で弱く笑った彼女が「マリ、久しぶり。あっちのトランクに本部から預かってきた新しい団服が入ってるの」小さくなった竜のそばに落ちてるトランクを示す彼女。マリはそっちへ行った。二つあるから、片方はこいつの荷物だろう。
「ティエドール元帥」
くん久しぶりだねぇ。だいぶ髪が伸びたね。大人っぽくなったよ」
「あ、ええと。そうでしょうか」
 寄ってきたうちの元帥がどことなく生々しい視線を向けてくるから思い切り逸らしてやった。
 クロスを除いたあと二人の元帥は大人しく帰還するっていうのにうちの元帥は狙われてるこの状況下で適合者探しを続けるという。どうせそんなこと言うだろうと予想はしてたが、それに彼女を巻き込むことになろうとは。今は教団に残ってる場合じゃないだろうが、全面戦争だ。なるべく中にいてほしかった。あそこなら最悪戦火は避けられる。
 ぱたぱた飛んできた竜がすっぽり定位置、彼女のコートのフードに収まった。周りを警戒する金の目から視線を逸らしてざくと乾いた土を一歩踏み締める。
「朝が来る前に立ちましょう元帥」
「そうだね。痕跡が分かるとめんどくさいし。マリー行くよー」
「はい元帥」
 トランクを持って戻ってきたマリと並んで元帥の後ろを歩き出す。静かだと思って肩越しに視線をやると、彼女は眠っていた。
(…やっぱり疲れてたんじゃねぇか)
 亜麻色の髪が土埃で汚れて見える。ここに辿り着くまでアクマとの抗争は避けられなかったはずだ。前に向き直って「おい竜」と言えば『ミスティーだ』と声が返ってきた。こっちはいつも通りか。彼女を背負い直して「どれくらい殺った」と訊けば『数える暇はなかった。分からん』と小さな返答。吐息して「そうか」と返す。それで怪我をしてこなかったなら奇跡的だ。
 本部には今頃デイシャの棺が届いてるのかもしれない。
 は、他の棺を前にして、あの聖堂で泣いたろうか。
 頬に触れる髪がいやにくすぐったいと感じる。そういえば、一ヶ月か二ヶ月か、かなり日を空けていた。電話で声は何度か聞いたが姿は見ていなかった。最後に別れたのは確か、イノセンス回収でモヤシを連れてイタリアに向かったあのときか。そう考えると、足音に掻き消される寝息を拾っているだけで口元が緩んだ。そうか、そんなに久しぶりだったか。どおりでくすぐったいはずだ。
「嬉しそうだな神田」
「あ? どこが」
「雰囲気だよ。こんな形だが、と再会できたんだ。喜んでもいいんじゃないか」
「…ちっ」
 舌打ちしてマリから顔を逸らす。こいつ、目は見えないくせにその分鋭い。そこへすかさず元帥のツッコミが入る。「えー何々、ユーくんってばついに恋を」「黙ってください元帥が起きるでしょう。それからその呼び方やめてください」苛々しながら元帥の言葉を切って捨てた。死んでもこの親父には恋だとか言われたくない。勝手に三割り増しぐらいの想像を働かせるに違いないから。
 ざくざく歩いて元帥を追い越す。両手が塞がってる今アクマが現れて奇襲されたらまずいとは考えたものの、仕方ない。今二人に見せて歩ける顔じゃねぇんだよ俺は。