「アレン達が中国入りですか?」
『ああ。クロス元帥の痕跡を追ってね』
「中国かぁ…随分東へ行ったんですね」
『そうだね』
 私とミスティーががティエドール元帥達と合流し、三日くらい移動を続けて、少し大きな町に辿り着いた。そこから無事合流できたことを伝えると、コムイさんはアレン達のことを教えてくれた。隣で興味ないって顔で腕を組んでるユウが「へぇ」と言うだけの反応。相変わらずだなぁもう。
 受話器に耳を当て直して「みんな無事ですか? 新しい適合者のクロウリーって人は?」『即戦力になりそうなエクソシストだったから、クロス部隊とそのまま一緒に行動してもらうことにしたよ。心配ない』「よかった…」ほっとして胸を撫で下ろす。この土壇場だけど、仲間が増えたのは嬉しいことだ。アレン達が無事にクロス元帥を発見できるといい。そして本部で、みんなに会えるといい。
 町の役所で電話を借りていたから、そろそろ切らないといけない。「コムイさん、また連絡しますね」『ああ。十分気をつけてね。無理をしないように、特に神田くん!』「ちっ」名指しされたユウが舌打ちして壁から背中を離した。ちんと通話を切って、ゴーレムのコードをくるくる巻いて収納する。役所の人に何度もお礼を言ってから建物を出た。マリとティエドール元帥は宿を探してるはず。
「ティエドール元帥は、帰還命令が出てるのに、どうして帰らないのかな」
「適合者探しだそうだ。訴えてるイノセンスでも持ってるんじゃないのか」
「そっか。元帥の仕事、だもんね」
 新しい団服を着た私達は結構目立っていた。歩いていると、ざわざわしている人混みが自然と割れていく。ユウが周囲に睨みを利かせてるせいがあるかもしれないけど、それにしたってあからさまな。
 なんだかんだで、私達はクロス部隊と近いところにいる。ティエドール元帥の気の向くままなところがあるから、いくら近くてもアレン達と合流するっていうのはありえないだろうけど。
 アレン。ラビ。リナリー。みんなと別れてから、そろそろ半月にはなる。
(怪我してないかな…心配だなぁ)
 青い空を見上げているとぱしと手を取られた。「上見て歩くな、転ぶぞ」と声がして口元が緩む。にっこり笑顔を向けて「ユウがそばにいてよかった」と言ったら機嫌悪そうに睨まれた。そんな顔しないでよ。
「んだよ急に」
「ううん。何でもない。ユウがいてよかったなぁってしみじみしただけ」
「…はぁ」
 しまいには溜息を吐かれた。むぅと眉根を寄せる。そんなに呆れなくても。
 ぎゅっと私の手を握ったユウが「うるせぇな、そんなこと俺だって思ってる」ぼそぼそした声でそう言った。きょとんとしてる私の手を引いて「行くぞ。二人が待ってる」とずかずか歩き出す彼についていきながら私は笑った。「うん」と。
 戦争の最中でも、どんな絶望の最中でも、笑顔を忘れてはいけない。私の笑顔で誰かを励ますことができるのだとしたら、私は笑おう。ユウが笑ってくれるなら、私だって笑おう。
 この戦争を生き抜く。元帥狩りのこの戦争を。
 食事中、びしと鼻先にパンが突きつけられた。「んぐ?」視線を上げればユウがこっちを睨むように見ている。その手にパンを持って。
「もっと食え」
「それならミスティーに…」
「お前が食えっつってんだ」
「で、でも」
 食事時、必要以上の経費は削減、お金も節約で食事は必要な量だけ食べていた。ミスティーが足りないだろうと思ってぼちぼちパンを三分の二にして残りをあげたりおかずを分けたりしていたら、ユウがぷっちんしたらしい。びっくりして瞬きする私に「食え」と三度目の言葉。
 おずおずパンを受け取って食べる。マリと元帥の視線が。
 ふんとそっぽを向いた彼ががしゃがしゃ麻婆豆腐をかきこんだ。そういえば、蕎麦以外のもの食べてる姿って久しぶりに見たかも。
「そうだねぇ、くんは細いから、もっと食べた方がいいね」
「いえ、お腹いっぱいです。大丈夫です」
 あははと笑ってもふもふパンを食べる。半分ちぎってミスティーにあげようとしたらぎらりとユウに睨まれて首を竦めた。だって、しょうがないじゃないか。ミスティーは量がいるんだもん。

 食事が終わったら、宿のあるところなら四人プラス一匹一部屋で泊まることもある。今回はそれなりに大きな町だったから宿にもありつけた。今日は少しマシなところで寝れそうだ。お湯を被るだけでもしたいかも。
 どさと荷物のトランクを置いて、クッションがぺったんこになってるソファに座り込む。さすがに疲れた。
「じゃあ私から湯船に浸かるかねぇ。外よろしくねー」
「はい」
 着替えを持ってひらひら手を振って隣の部屋に入った元帥。フードから出てきたミスティーが「ぎう」と鳴くから私は首を傾ける。やっぱりお腹足りないかな。本部ではもっと食べてたし、大丈夫だろうか。なるべく消費させないように戦闘してるつもりなんだけど。
 ユウが六幻を鞘から抜いて、隣で手入れを始めた。それを見て私も手入れしようと思って腰から鞘を外して剣を膝に置いた。
 戦闘続きで結構なアクマを斬ってるし、本部に戻るまでメンテナンスは受けられないから、自分でできることをしないと。
「…疲れてないか」
 ぼそりとした声に小さく笑う。しゃ、しゃと科学班特製の砥石で剣を研ぎながら「大丈夫。ちょっと足が痛いだけ」と返すと「そうか」と相槌の声。
 しばらく二人で無言で武器の手入れを続けて、そのうち元帥が入浴を終えて出てきた。さっぱりって顔で「次は誰が入るかな」と言うからユウと顔を見合わせてから「マリどうぞ」とベッドに腰かけているマリに声をかける。「先にいいのか?」「うん。手入れ終わってないから」「分かった」剣を示すと、頷いたマリの姿が隣の部屋に消えた。
 剣の手入れをするため手の動きを再開させる。もう少し。
 隣合って座る私達の前にどっこらしょと元帥が腰かけた。元帥、そこはテーブルです。座るところじゃありません。
「それにしても参ったねぇ。行く先行く先アクマばっかりだ」
「…今は神狩りっていうのをしてるみたいですから、しょうがないです」
 しゃ、と剣を研ぐ。布できれいに刀身を拭いながら「元帥お疲れではないですか?」と声をかければ、笑われた。「私は大丈夫だよ」と。元帥の手が頭に伸びてぽんぽんと軽く叩かれる。「くんは優しい子だね」と言われて返答に困った。そう、だろうか。
 じろりと元帥を睨んだユウが「馴れ馴れしいでしょう元帥」と棘のある声で言う。肩を竦めた元帥が「怖いなぁもう」とぼやいてテーブルから腰を上げた。
「…なんで怒ってるの?」
「怒ってねぇよ」
「そうかなぁ」
「そうだ」
 しっかり研いた剣の柄を握って両手で構える。うん、きれいになった。よし。
 かちんと鞘に剣を収めて、柄の部分もきれいにしていたら、ミスティーのお腹がぐううと大きな音を立てた。
「…ミスティ、やっぱり足りない?」
『すまん…』
 しょんぼりしたミスティーに緩く首を振る。下の食堂でもう少し何か食べさせてあげようと思ってソファを立ったら、ユウも立ち上がった。「行くんだろ」とぼやかれて浅く頷く。ベッドに腰かけてスケッチブックをめくっている元帥に「すみません元帥、少し下で食事取ってきます。ミスティーが足りないみたいで」と声をかければひらひら片手を振られた。「行ってらっしゃーい。領収書切ってもらうんだよ」と言われて苦笑いする。はい、しっかりと。
 ミスティーをコートの中に入れて部屋を出る。
 肩越しに振り返ればユウがいる。別に、ついてこなくてもよかったのに。
 ミスティーががつがつ食事してる間、彼は暇そうにウーロン茶を飲んでいた。私はちょっぴり贅沢で杏仁豆腐を頼んだところ。白くて甘いお豆腐だ。「へいお待ちどうお嬢さん」お店の人が持ってきてくれたお皿にぱあと顔が明るくなる。おいしそう。
「…甘いのは相変わらず好きなんだな」
 ぼそりとした声で、向かい側でユウがそう言う。ぱくりとスプーンで杏仁豆腐をすくって食べながら私は笑った。「うん、大好き」と。嘆息した彼がウーロン茶をまた一つすする。
 夜は、ベッド二つとソファ二つ、誰がどこでどう寝るかでちょっと口論になった。って言っても私がソファでいいと言ったのにユウがベッドにしろとうるさいのだ。びしとソファを指差して「こんなとこで寝て疲れが取れるわけねぇだろ」と言われてむっと片眉を吊り上げた私。「しょうがないでしょ、この中で一番小さいの私だもの、私がここで寝た方がいい。マリと元帥はベッド、ユウはソファになっちゃうけど、これが妥当でしょ」「妥当じゃない」「なんでよ」「うるせぇ何でもだ」「何それ」顔を突き合わせてやいのやいの言い合っていたらわしと肩を掴まれて引き離された。「落ち着け二人とも」とマリが声をかけてくる。っていうか、何してるんだ私達。
 困ったって顔で息を吐いた元帥が「そうだねぇ、どうしようか。くん、疲れてるなら正直に言ってごらん。君は女の子なんだから無理したらいけないよ」と言うから慌ててぶんぶん首を振る。「大丈夫です、平気です」と。野宿に比べればクッションのないソファで寝る方がどれくらい眠れるか。
くんが大丈夫だと言ってるんだ。聞き入れなさいユーくん」
「その呼び方やめてください。…ちっ」
 舌打ちしたユウが私から思いっきり顔を逸らす。頬を膨らませて私もぷんと顔を逸らした。何よ、ユウのばーか。
 膨れてぼすとソファに座って窓の外を見ていたら、机を持ち上げたユウが部屋の隅にそれを片付けた。それからもう一つのソファをこっちに押してくるから慌てて足を上げる。危ない、挟まる。
「何?」
「…これなら落ちないだろ」
 拗ねた声を出したら、ぼそぼそした声でそう返された。
 確かにソファとソファがくっついて、ベッドみたいになった。これなら落ちないけど。
「ユウはどこで寝るの?」
「壁にもたれて寝る」
「それ駄目、絶対駄目。朝起きたら絶対背中もお尻も痛くなってる」
「しょうがないだろうが。ここで二人寝れるか?」
 くっついたソファを顎でしゃくって示されて、むむむと眉根を寄せた。わしとユウの服を掴んで「ちょっと座って」と言うとはぁと溜息を吐いた彼がソファに上がる。二人で座ると、結構狭い。
 たとえばこっち側が私でそっち側がユウならどうだろう。それともこう、交互になるように寝れば。試しにごろんちょと横になってみて、こっちを見てるユウを手招きして「ねぇ転がってみて、無理かな」「…お前なぁ」結んでない髪をがしがしと掻いたユウがごろりと転がった。おお、顔が近い。というか、どうやらぎりぎり、膝頭がぶつかるけど寝れるかも。
「これならいけないかな。ね」
「…寝れるか? これで」
「壁にもたれて寝るよりはいいと思う」
 手を伸ばすとすぐユウの手に触れた。視線を逸らした彼が反動つけて起き上がって「分かった」と言ってくれたからほっとする。さっきみたいな言い合いはちょっと子供っぽかったかな。少し反省。
 布団はコートしかないけどしょうがないよね。
「仲がいいねぇ」
「誰がです」
「君達二人だよ。青春だねぇ」
「あはは…」
 元帥の言葉に苦笑いする。青春て、ユウはガラにもないって思ってるに違いない。
 ミスティーはトランクの上で丸くなっている。ついでに言えば寝ずの番は今日はミスティーだ。ここは狭いからそこでもしょうがないか。
 ぱちんと部屋の電気が消える。元帥とマリはベッド、私とユウはソファで横になった。
 すぐに目を閉じてしまったユウの髪に手を伸ばす。ぴんと引っぱるとじろりと睨まれた。えへと笑う。
 なんだかさ、こんなに近くにいられるのが、嬉しいんだ。アレンやラビ、リナリーとは遠く離れてる。もし私がクロス部隊に組み込まれてたら三人に会えたけど、私はティエドール部隊に組み込まれた。だから三人には会えないけれど、代わりにユウと会えた。こうしてそばにいられる。それが戦争中でも、同じ敵を前に剣と刀を構えて突進するのは嫌いじゃない。背中を合わせて死角を殺して戦うことも嫌いじゃない。
 ユウがいれば大丈夫。そんな漠然とした思いがある。
「…なんだよ。笑って」
「んーん。何でもない」
 お互いに聞き取れるだけの小さな声でやり取りする。左手を顔の高さまで持ってくると月夜にきらりと指輪が光った。ユウが同じように左手を持ってきて「まだ壊れてない」とぼやく。「壊したらやだよ。新しいの買うけど」そう言ったら吐息された。その手を伸ばして私の背中を抱いた彼が身体を寄せるようにするからちょっとびっくりして息が止まった。急に、びっくりした。
 黒のタンクトップと白いシャツの彼の胸に顔を埋める。コートをかけ直した手が私の髪を梳いて「寝ろ」と言う。いつもの声。聞き慣れている声。それが疲れた身体と心に安堵を運んでくる。
 寝たら、この時間は過ぎ去って、明日が来てしまう。また戦いの時間が。
 嫌いじゃないけど、やっぱり好きにはなれない。どれだけ経験を重ねて、血に慣れて、アクマに慣れて、犠牲に慣れても、やっぱり。
 黙った私の頭をユウの手が撫でてくれている。
 なんだか懐かしい。こんなふうにしてもらったのは、いつぶりだろう。
「ねちゃうよ…ゆう」
「寝ろ。俺も寝る」
「うん…」
 ユウの胸に顔を寄せてこてんと力を抜いた。クッションがぺたぺたになってるソファはやっぱり寝心地がいいとは言いにくい。でも、外で眠るよりは十分だ。十分、眠れる。