クロス元帥が戻ってこない。
 だから私はたったかとユウについていって、来たばかりの本部の説明をしてもらうことにした。満足というようにカートの料理全部を平らげたミスティーはげぷと息を吐いて私の腕に抱かれている。
 かつんこつんと歩きながら「なんで俺がこんなことを」とぼやくから、そんな彼の気を逸らすためにも「ねぇユウあれは?」と壁にかけられている大きな布とそこにある十字架を示す私。
 言ってから気付いたのだけど、彼のコートの左肩の部分にもその十字架がある。そういえば元帥のコートにも。
「ローズクロス。エクソシストの団服には必ずあれがある」
「目印?」
「ああ。これを着てるとあらゆる場所へ入場可能だそうだ」
「ふぅん?」
 だからじぃと同じ背丈くらいのユウを見つめる。じろりとこっちを見て「なんだよ」と言うからふるふると首を振る。
「ユウはエクソシストなんだよね」
「それがどうした」
「もう実践してるの?」
「当たり前だ」
「そっか。すごいなぁ」
 だから私はミスティーを持ち上げた。けぷと息を吐いたミスティーが「ぎあ」と鳴くから私は笑いかける。
 あの街から抜け出せて。それが戦いへの道でも。多分私は、それでよかったんだと思う。
「私の武器はね、剣なんだって。今元帥が装備用に改良させるって言って持っていっちゃった」
「ふぅん」
 かつんこつんと二人と一匹で大きな廊下を歩く。どことなく周りの大人からは距離を取られている。だからこそっと「ねぇあの人達は?」「下っぱだろ」きっぱりした物言いに思わずぱちと瞬きした。こっちを見る彼の目は同い年の子供にしてはすごく鋭い。
「エクソシスト以外は戦えん奴ばかりだ。アクマの攻撃を受ければ死ぬ。そういう奴ばっかりなんだよ」
「…じゃあユウは死なないんだね」
 そう言ったら彼はふんとそっぽを向いた。「当たり前だ」と返されて「そっか」と笑う。それならよかった。

 あの街で。人はどんどん死んでいった。人が人でないものになったりした。ここにいる人は人間だろうか。ユウの持つ刀はイノセンスで、それに選ばれた人は人間だという証。じゃあそれ以外は? それ以外ここで人とそうでないものを見分けるものは?

「ねぇユウ、ここにいる人達ってほんとに人間?」
 だから。今武器を持たないせいもあって私は少し不安になって訊ねた。ちらりと私を見た彼が「入るときにレントゲン検査受けたろ。あれで判別してある」と言われてそういえばそうだったと思い出した。そうだ。何かぴかっと光ったんだった。
 じゃあここにいる人は本当に人間なんだ。
 私はほっと息を吐いてミスティーを抱き締めた。頭にはティムが乗っかっている。
「一番上の階からここまで団員の個室になってる。お前もそのうち部屋が割り当てられるだろ」
「ふーん」
 ユウの案内で、一番上の階から下へ下へと階段を下りていくことにした。
 次の階は医療関係のフロアで、戦闘を繰り広げるエクソシストには確かに必要なんだろうなぁと思いながらもう一つ下に下りた。下りた途端に男女で分かれるようになっている二つの入り口にぱちと瞬きする。
「何?」
「風呂だ。共用らしい」
「…ユウは入ってないの?」
「個人の部屋にもシャワーくらいある」
「そっか」
 確かに彼は共有なんてもの好まなそうだ。だから共用のお風呂ってことは広いのかなぁと思いながらそこをあとにする。
 次は三階層に分かれているのだという修練場に行き当たった。巨大な空間で確かに組み手なんかをしてる人がいる。
「ユウはここで何するの?」
「あ? あー…座禅とか」
「ザゼン?」
 首を傾げると、「瞑想の一種だ。集中力を高めるもんだよ」と説明されて、ふうんと思いながらこつんと三階層に分かれているそこを階段で下りた。かつんこつんと靴音。元帥が買ってくれたブーツもここに来るまででだいぶ汚れた。
 私はユウの背中をちらりと見やる。長い髪を一つにして束ねている彼の身を包んでいるコート。ここでは色んなものが支給されると話を受けたけど、私もあれを着ることになるんだろうか。
 次の階はさっき来た食堂だった。それから談話室なんてものもあるらしい。つまり憩いの場、ってやつだ。
 さっさと階段に向かって「ここはさっき見たろ」と言う彼に慌ててついていく。視線がちらほら背中に刺さったけれどこの際無視。
「ねぇねぇユウ」
「…なんだよ」
「ここには大人の人しかいないの?」
 私の問いかけに彼が思い出すように視線を上に向けて「いや、一人いる」「ほんと?」その言葉にぱっと顔が輝く。やっぱり大人の人ばっかりなのは気が引ける。
 だけど彼は私に言った。「やめとけ」と。だから私はきょとんとして「どうして?」と返す。彼はかつんと階段を下りながら「病んでるんだよ」と一言。
 だから瞬きした。病んでる。病んでるって言い方をするってことは。
「…会えない?」
「ああ」
「そっか…」
 だからしゅんとしてミスティーの頭を撫でた。「ぎゅう」と鳴かれて笑う。その頭を撫でて「ユウがいるから平気」と言えばじろりと一瞥された。だけどふいと視線を逸らされたので首を傾げる。
「…エクソシストに限っての話だ」
 ぼそぼそとそう言われたので一つ瞬きした。かつんと下り立った階下はエントラスと正門のある場所。並んで各々武器やら旗やらを持ってる大人の人がいる場所。そこも素通りして彼はまた階段を下りる。だから私もそれに倣う。
「エクソシスト以外は、ええと」
「サポートの奴は腐るほどいる。子供も、いるかもしれない」
「そっか」
 だけど彼の話からするに、あまり期待とかそういうのは持てない。ここにいる人は確かに人間なんだろうけど、アクマの攻撃を受けたら死んでしまう人ばかりなのだ。そんな人と仲良くなっても胸が痛むことくらい、私にだって分かる。
 だから。仲良くしようって思うのはおのずとエクソシストの人に限られるというか。だって死なない、ううん、戦っていける人達だから。
 ちらりとユウを見る。彼は私と同い年くらいだろうけど、一人でも立っていけそうな強さと鋭さを持ってる。
「ユウはいくつ?」
「あ? 何が」
「歳」
「…11」
「あ、私10! やっぱり近い」
 にこにこしたら彼はふんとそっぽを向いた。愛想の欠片もない人だ。だけどそれはどことなくクロス元帥と似ているなぁと思って、だから別に不快とかではなかった。むしろどことなく似ているところに安心しているくらいだ。
 ここに来るまで私を守りながら連れてきてくれた人。どこが似ているのだろうと言われるとこう、他人に我関せずなところが似てるっていうか。
 だから私はたったかと彼について階段を下りていくのだ。
 かつんと階段を下り切る。そうすると大きな空間に出た。さっきの階が正門だったからここからは地下になるんだろう。大きな塔だから上から順に来ているとだんだん感覚がぼやけてくる。
「…、聖堂?」
「ああ」
 大きなその空間をほぉと見上げる。私の隣に立ったユウが「殉職者が出た場合ここに一時的に安置される」なんて言うから思わずがくっときた。すごいなぁって思ってたのに、そんなこと言われると一気に辛気臭い場所になってしまう。
 彼は私に構わず「次で最後でいいだろ」と言うから顔を上げた。また階段を下りながら「今度はどこ?」と言えば「図書室がある。会議室もあるが俺達には無縁だ」と返された。
 図書室。私のいた街にもあった。外から見るだけで実際入ったことはなかったけど、本のいっぱいある場所だ。
 だから図書室を想像しながら階段を下りる。と、ぐいと髪を引っぱられる感触がして慌ててつんのめるようにして立ち止まった。見上げればティムーが短い手の片方で私の髪を引っぱり、もう片方で上を指差してぱたぱた浮いている。
「? ティム何?」
 それでたしたしと頭を叩かれてまた上を指差された。はてと首を傾げたら「置いてくぞ」とユウの声がしたから慌てて「待って待って」と階段を下り切る。広がる廊下と少し厳格さを感じられる空間。
「この下の階は何があるの?」
「……あー」
 視線を彷徨わせたユウが「よくは知らん。サポート派が出入りする場所だからな」と言い切られてぱちと瞬きする。興味ないって顔をしてる彼。
 サポート派。戦えない人達のことをそう言うらしい。彼はその人達とあまり仲良くはない、みたいだ。
 それでまたぐいと髪をティムに引っぱられて「痛いティム何、」と頭の上のティムを見やれば、そのティムに手を伸ばすすっかり見慣れた手袋越しの黒い手。
「どこにいるかと思えば。こんなとこで何してる」
「クロス元帥っ」
 ぱっと表情を輝かせた私とは対象にげっと呻いたのはユウ。そのユウに視線をやった元帥が「なんだ、さっそくボーイフレンドか」「誰がです」すかさずツッコミが入った。気に入らないって顔をしてみせるユウがかつと一歩踏み出して「じゃあな。案内はしたからもういいだろ」と言って階段を上がっていってしまう。
「あ、ユウ!」
「…んだよ」
 立ち止まった彼が私を振り返る。「あの、私の名前」まだ言ってないよねって言おうとしたら「だろ」と返ってきた。ぱちと瞬きする。彼が呆れたような顔をして「うちの師匠にそう名乗ったろうが。名前くらい憶えてる」と言われて。だからなんだと笑って手を振って「またねユウ」と言ったらふんとそっぽを向かれた。最後に小さくひらと手を振り返されたのが少し嬉しい。
 元帥が息を吐いて「で、ちょうどいいから今から行くぞ」「はい?」脈絡のないちょうどいいからの言葉に元帥を見上げれば、ぱたぱた飛び立ったティムがちょんと元帥の肩に乗っかった。
「ヘブラスカの間だ」
「ヘブ…?」
「お前らのイノセンスの検査みたいなもんだ。一応やらないことには団員として認められんからな」
「はぁ」
 それで元帥が歩き出すから慌ててついていった。そのヘブラスカとやらの検査を受けないとここにはいられないらしい。なら私はそれを受けないといけない。
 ミスティーに視線を落とす。目が合った。金の瞳が何を言いたいのかはまだ分からない。この子が言葉を喋るときはイノセンスの能力を使っているときだというのが分かったから、できるだけ使わないようにとも言われている。元帥に。だから食堂でちょっとごたごたがあったけど、それ以外は今のところ。
 だから何を言いたいのかは分からなかったけど、大丈夫大丈夫とその身体をぎゅっと抱き締めた。ドラゴンは目立つから色んな人にじろじろ見られてるけど別に大丈夫。
 それに今は、元帥がいる。ここにいるのはちゃんと人間。だから私は大丈夫だ。