ティムが示す師匠への道を辿って、道中でクロウリーが仲間になった。ロードに潰された左目はどうしてか再生した。むしろ、アクマが進化するように、左目は前より便利になった。
 少し左手の様子がおかしいことに気付いていた。酷使しすぎてるのかもしれない。そう思ったけどアクマの数は減らないし、奇襲も減らない。戦っていくしか道はなかった。
 中国に入って、ようやく師匠の足取りを掴んだ。
 師匠は日本へ向かった。僕らはそのあとを追おうとした。そこにアクマの大群が現れた。僕らの足止めかと思いきや、その目的は違っていた。エクソシストである僕らを見つけると攻撃はしてきたけど、通りすがりに攻撃しただけであり、アクマの大軍勢は目的としている場所があった。
 どさくさでアクマに捕まり、僕が見たもの。咎落ちとなったエクソシスト、スーマン・ダークの記憶とその顛末。
 生きたいと願った彼を救いたかった。
 壊れかけている左手を、壊してでも、救いたいと思った。アクマではなく人を。人間を。彼に生きてほしかった。仲間の情報を売ってでも死にたくないと願ったスーマンの強い思いを叶えたかった。救いたかった。
 でも僕は救えなかった。
 スーマンは死に、僕のイノセンスは遭遇したノアによって破壊された。そして、僕自身も破壊された。
 死んだ。そう思った。
 白くて大きな月と、現実味のない世界を漂い、いくつかの夢を見た。
 師匠の話を楽しそうに、嬉しそうに、笑顔の花を咲かせて聞いている子がいる。
 きっとすごく師匠のことが好きなんだ、この子は。そう思いながら憶えてる限りのことを話して聞かせれば、彼女は笑うのだ。僕が望んでいる笑顔で、花を咲かせて笑うのだ。
 が笑う。アレンと僕のことを呼ぶ。話して聞かせて、元帥のこと。期待に満ちた目でこっちを見つめる彼女に僕は笑い返す。はいと。
 師匠はちゃんと生きている。それを知ったときの彼女の安堵した顔といったら。
 ああ、師匠のことが好きなんだな。本当に心から心配していているんだな。僕に言わせればあんな師匠なんて言葉が出てくるくらいなのだけど、は、師匠のことが。きっとずっと前から。
 頭に過ぎる仲間の存在。神田やラビ、リナリー、コムイさん達の顔。の一番は誰だろうか。やっぱり師匠かな。僕は何番目くらいかな。まだ出逢って日が浅いけど、僕はずっと君のことを知っていた。
 会いたい。
 目の前にいる彼女は夢であり、手を伸ばしても届かず、触れられず、体温も届かない。
 どうして会いたいんだろう。どうして彼女の笑顔が心に痛いと感じるんだろう。師匠のことを話すときの彼女の笑顔があまりに眩しいから? 神田を呼ぶ声が、ラビを呼ぶ声が、僕を呼ぶ声と違うから?
 どうして消えないんだろう。
 こんなところに来たのに。あの笑顔が。
 アレンはどうしてエクソシストになったの?
 え。僕ですか
 うん
 えっと、じゃあ先にがエクソシストになった理由が聞きたいです
 私は、元帥に見つけてもらって、教団に来ただけ。それからずっとここの暮らしだから。外のことは逆によく分からないの
 …僕は。えっと、この顔の傷。死んでしまった父さんを呼び戻したときにつけられた傷なんです
 お父さん…? 呼び戻すって、アクマに…?
 はい。どうしても父の死を受け入れることができなかった僕に、伯爵がつけこんできたんです。生き返らせることができると。どんな形でもいいから、僕は父さんに会いたかった。してはいけないことをしてでも
 …それで?
 結果的に、そのとき僕の左手がイノセンスとして発動して、父さんを壊しました。…この傷はそのときに受けたものなんです。奇怪な左目って、みんな言います
 …ごめんね。辛いこと言わせちゃったかな、私
 いいえ。大丈夫ですよ。僕は大丈夫ですから、どうかそんな顔しないでください。ね
 ありがとう、アレン。話してくれて嬉しかった
 …僕も、聞いてもらえて嬉しかったです。
 彼女が笑う。照れくさくなって僕も笑う。
 君はこんな僕でも受け入れてくれるだろうか。最愛の父をアクマとしてこの世に呼び戻すという愚かな行いをして、呪いの傷を受け、それでもエクソシストとして立とうと思った僕を。マナのようなアクマの魂を救済すべく立ち上がった僕を。
 君のことが頭から離れないんだ。どうしても。どうしても。師匠から君の話を聞いて、ティムで君の姿を見た、そのときから、君のことが頭から離れないんだ。
「…………」
 生きている。そう気付いたのは、夢から醒めただいぶあとだった。
 左手の感触はない。右手も包帯でぐるぐるの状態。どこか知らない場所で目覚めて、そばに誰か知らない子が眠っているのが見えた。確かにノアに殺されたはずの自分が生きているという実感が持てず、ぼんやりと意識が彷徨う。
 アレンと。呼んでくれる声はない。
 もうだいぶ会ってない。半月か、一ヶ月か。それとももっとか。
(どうして生きてるんだろう…)
 あのとき。僕は確かに死んだ。ノアに殺された。心臓から血が流れて、死に満たされていく感覚を味わった。逃れたくても抗うことのできない感覚を。
 僕は確かに死んだんだ。あれは死だった。どうしようもなく、死だった。
 今更になって身体が震えてくる。涙が出てくる。
 膝を抱えて恐怖に怯えた。頭に思い浮かぶのは救うことのできなかったスーマンの存在と、なくしてしまった左腕のことと。夢で見た彼女のこと。
 ただ震えが止まらない。
…っ」
 縋っても、彼女はここにはいない。答える声はない。あの体温も、声も、笑顔も、今はただ全てが遠い。
れた
あなた
との距離

 アレン・ウォーカーがクロス部隊から外れた。ティムのメモリーで見たアレンはノアに左腕を破壊され、戦闘不能状態に陥った。イノセンスを失ったアレンは、エクソシストとして戦場に立つことはもうできない。だからオレ達はアレン抜きで日本へ向けて出帆した。
 つい感情に身を任せてリナリーを怒鳴ってしまってジジイにえらく叱られた。
 がいないならわりと平静でいられてた心も、仲間が、エクソシストとして共に歩みべき人が増えれば、同じ道を歩けば歩くほど、やっぱりぐらつく。自分が未熟なのは分かってたけど改めて思い知らされた感じだ。
 戦争の中にいるだけ。味方じゃない。たまたま教団側にいるだけだ。記録のために紛れ込んでるだけ。
 ブックマンに心はいらない。
 でも捨てられない。他の全てが切り捨てられても。彼女のことが。仲間という仮初めだけの言葉が現実味を帯びてオレの胸に刃を突き立ててくる。
 胸が痛い。
 ぐっと自分の胸倉を掴んで一つ呼吸したとき、海面を見るともなしに見ていた視線を跳ね上げる。振り返ろうとした矢先衝撃を受けて甲板に叩きつけられた。
「が…っ」
 完璧に油断していた。アクマだ。
『題名。エクソシストの屍』
 指で作ったフレームをかざして、何を言うかと思えばそんなこと。とっさに抜いて発動できてなかったイノセンスを発動、いっきに第二解放してアクマに劫火灰塵の直火判を叩きつける。キュンキュンと音を立てて怪我をした部分が治っていくのを感じながら飛び起きて「クソ、無駄な怪我した」とぼやく。槌に手応えは感じた。やれたか。
『題名…』
「!」
『なぜ回復する?』
 手応えはあった。槌は確かにアクマを直撃した。けどアクマが受け止めたわけじゃなく、当たっているのに効いていなかった。火判の直接攻撃で破壊できないとなると、相手のアクマはレベル3か。
 槌をはね返されてとっさの判断が鈍った。槌のヘッドが吹っ飛べば繋がってる柄を持つオレも当然吹っ飛ぶ。結構な勢いで船のマストに叩きつけられて頭がぐらついた。すぐにキュンと音を立てて傷は塞がるものの、今オレ頭打ったって。いってー。
『題名』
「っ、」
『頭部粉砕』
 とっさに顔だけ上げた視界にアクマの拳が急加速で接近する。
 傷は必ず身体に戻り、致命傷を負えば必ず死にます。自分のイノセンスの能力についてミランダはそう言った。つまりこれを食らえばオレはミランダのイノセンス停止と共に、
(ヤバ…っ)
 どんと重い音がした。オレの頭が弾けた音じゃない。ジジイの黒い針がオレとアクマの間で壁になって攻撃を受け止めた音だった。
 た、すかった。危ねぇ。今のは真面目に危なかった。
 ジジイの針がアクマを攻撃してる間にマストからぼてっと落ちて甲板にどしゃと尻餅をつく。まじビビった。死ぬかと。
「危ね…」
 肩で息をしながら顔を上げる。ジジイの針がアクマの動きを止めている。だけど奴はオレの直火判をものともしなかった。多分ジジイの針も。槌を構えて追撃しようとしたところでジジイの針を弾き飛ばしたアクマがそのままジジイを空に連れ去った。「伸っ!」と叫んであとを追う。くそ、やっぱり!
 追った先で爆音があった。視界の先の空高く、月をバックにジジイが空に。黒い針が力を失ってばらばらと落ちてくる。
『題名。老人と月』
 そのままのタイトルだった。落ちてきたジジイをどうにか受け止めてアクマを睨む。
 こいつ、タイトルタイトルってうるせぇ。楽しんでやがる、この状況を。どうする、オレは空中戦ができない。ここは一回船に引き返して態勢を整えるしか。
 柄を握り締めて唇を噛んだとき、ギャギャギャと音を鳴らして黒い靴で柄を伝ってきたリナリーが見えた。オレとすれ違い様「船に戻ってラビ」と言われて「リナリ」と言いかけたところでずきんと身体中が痛み出したのを感じた。頬を血が流れ落ちる。
(船から離れたせいか。くそっ)
「そいつはレベル3以上だっ、一人で戦うなリナリー!」
 声を張り上げたけど、リナリーぐらいしかあいつとやりあえる奴がいないのも事実だった。空中戦を繰り広げるリナリーにぎりと歯軋りしてとにかく一度船に戻るべく伸を高速で縮める。
 ようやく元帥の行き先が分かって、でもアレンが部隊から外れて、日本行きの船はこの奇襲。
(くそっ)

 リナリーが言ってた。はユウんとこに配属されたんだって。
 こっちに来てくれたらよかったのになぁと思ったけど、来てくれない方がよかったんだとも思った。スーマンの咎落ちの件も、アレン自身の顛末も、が現実にしていたら絶対に泣いてた。多分リナリーより泣いてた。クロス元帥がいないっていう現実を思い出してぼろぼろ泣くような子だから、きっと泣いてた。慰める役はまたオレだ。そうしたらオレはまた、彼女を、心から消せなくなる。
 ここ半月ほど彼女のいない生活を続けてる。特別異常はない。何をしても物足りない現実があるだけで、世界は動いてる。
 このまま彼女のいない現実を受け入れれば、オレは、彼女を忘れることができるだろうか。

「大丈夫だよラビ。私はもう大丈夫。決めたから」
「リナリ、」
「先に船に戻ってて。あとで必ず追いかけるわ」
 海に弾き飛ばしたレベル3を追ってリナリーがオレを追い越した。ジジイを連れて戻る途中で船がさらに攻撃を受ける。「ふ、船に戻れラビ。雲の上に何体かいる」「っ」迷っている暇はなかった。とにかく船へ。
 こんな戦闘の最中なのに。なんでオレ、のこと思い浮かべてるんだろう。
 ホント、どうしようもないな。オレ。