大きな犠牲を払って、オレ達エクソシストと船員の生き残りの三人は日本に上陸した。 正直言って冗談じゃねぇぞと思った。日本がアクマの巣窟になってるってだけでも冗談じゃねぇのに、そこにノアとあの千年伯爵までいやがる。 江戸は日本中のアクマが集結してる地獄絵図で、おまけにノアが四人に、製造者である千年伯爵なんて顔ぶれの揃った景色に一度だけ眩暈を覚えて、すぐに忘れた。 身体中がいてぇし正直降参したい。なんつーかもう寝たい。教団本部に帰って気がすむまで眠りたい。寝て食って身体を休ませて、それでの元気な姿を見て、笑顔を見て、安心して眠りたい。 少しのわだかまりを抱えながら、彼女のそばにいる日常を。風景を取り戻したい。そこへと戻りたい。 だけど、それはまだお預けだ。 このノアだけは。ティムのメモリーに映っていた、アレンを殺したこの天パのノアだけは、オレの手で殺るんだ。 「もうおしまいかい眼帯少年」 「くっそ…」 弾き飛ばされ、瓦屋根をブチ破って廃墟同然の家に突っ込んで、ずきずきと痛む身体でどうにか起き上がる。いってぇ。 ノアの後ろの景色にはアクマの集合体のデカブツ。さっきから言いように攻撃してきやがってこの野郎! 「コンボ判っ」 振り被った槌の周囲に出現した判を選択、火と天を叩きつけて炎と雷の二属性攻撃、剛雷天を放つ。緑に光る竜が大口を開けてノアを呑み込んだ。その後ろのアクマ集合体に届く前に竜が弾け飛ぶ。ティキの奴はオレの攻撃なんかどこ吹く風ってくらい飄々とした顔で受け流してみせる。ムカつく野郎だ。 「どうしたーこの程度か?」 「うるせぇまだまだっ」 伸で廃墟の家を飛び出し、空中で方向転換、伸を解除して槌を構える。余裕のある笑みでオレが攻撃するまで待ってるティキがムカつく。 視界の端で、デカブツが変なポーズで構えたのが見えた。まずい、またあの光線攻撃がくる。こっちだけでもどうにかしないと本気でまずい。非戦闘員とリナリーを守るためにミランダが頑張ってるんだ、オレだって。 「判っ、マル火! 劫火灰塵っ!」 ティキに向けて槌を振り下ろす。瓦屋根の上に立っていた相手は沈むように下へと消えた。標的を失った槌は瓦屋根を破壊して燃え上がらせただけで、捉えた感触はない。 どれだけ槌を振り回してもティキは建物をすり抜けてオレの攻撃をかわすばかり。万物の選択ができるノアだっけか。空気を踏めるし屋根も壁も地面だって通過する。便利な能力だなおい。 蝶みたいなもので攻撃をしてくるわ防御もしてくるわで打つ手が。くそ。 「ラビっ!」 「へ」 ありえない声が聞こえた。一瞬あんまりに戦いすぎて耳が馬鹿になったのかと思ったくらいだ。 でも次には現実を認めて目を見開いて固まることになる。 背中に翼を生やして空を突っ切っる一つの影が、間違えるはずのない声でオレを呼んだ。 「クルクス」 微かに光った十字の光。今のラビは避けろという意味だと理解してその場を跳び退る。コンマ数秒後、オレがいた場所を光が焼いて、軽く目を見張ったように見えたティキを呑み込んだ。 その白い光の一閃は間違いなく彼女の攻撃だった。初めての任務の日、オレはミスティーの背中で彼女のこのきれいな光に呑み込まれたのだ。 (、どうしてお前がここにいるんだ) 慣性の法則を無視してオレの隣で急停止した彼女の髪が風に揺れる。 覚悟を決めてるその目と戦いの場にふさわしい表情に思わず見惚れたってのは内緒で。 「…」 じーんとした胸のうちで唇が彼女の名前をこぼしていた。両手で剣を構えた彼女が「ラビ、構えて」と言って静かに剣先を上げる。ぼさっとしていたところから我に返って槌を両手でぐるぐる回して頭上に掲げた。ティキの奴は今の攻撃も防いでいた。ちょっと余裕がないところを見るにそれなりに効いてはいるようだ。 よし、判選択、マル火。 (再会の喜びはあとだ。今はノアの撃退とアクマの破壊を考えろオレ) 「劫火灰塵!」 直火判の方を叩きつけてみても、ティキは蝶みたいなものでオレの攻撃を防ぐ。欠伸まで漏らして「その技見飽きた」とかムカつくことこの上ない余裕の態度も、彼女が現れたことで少し崩れていた。 エクソシスト二人とノア一人。オレは半分怪我人で本気全開ってわけにはいかんかもしれんが、これなら勝機はある。 「なら私とやろうよ」 鋼の翼をゆっくり動かして彼女が好戦的な口を開いた。翼の力で急加速した彼女が剣を構えてティキに突っ込む。 金属音が響く中で槌を下ろしてがしゃと瓦に片膝をついた。肩で息をしても心臓はどくどく鼓動するだけでちっとも落ち着いてくれない。疲労も溜まってるし怪我に沁みるな畜生め。 「くそ…っ」 の助太刀が嬉しい。会えたことが嬉しい。会いたいとずっと思ってた。本当はずっと望んでいた。求めていた。 ああそうさ、分かってたさ。次期ブックマンのくせにオレはを好きになってしまった。愚かで仕方ないと思っていた人間という生き物に初めて好意を抱いた。のことが好きになった。好きになってしまった。本当はずっと、好きだった。 でも今はその気持ちはしまえ。胸の奥へ。 戦うんだ。今はそれだけを考えろ。ボロボロの身体だけどまだいける。まだいける。 顔を上げて駆け出す。瓦屋根を蹴り上げてだんと跳ぶ。彼女の剣撃を受け止め徐々に後退してる相手に判を選択、マル火、直火判を叩きつける。相手はまた屋根の下へと沈んだけど、微妙に掠った手応えが手のうちに残った。少し離れた屋根から顔を出したティキが「今のは掠った、やるじゃん」口笛まで吹いてまた余裕の表情。それでも目は常にオレよりの動向を見ていて、彼女が剣を振るうより先に蝶のついた腕を振るう。 これは当たったらまずいと思ったら考えるより先に身体がのことを庇っていた。 いつだった? 前にもこんなことがあった気がする。 そうだ、これも、最初の任務のときだ。庇う必要なんかなかった攻撃をそれでも庇ってしまって怪我をした。 今改めて考えてみても、理由は一つだ。オレはが傷つく姿を、血を流す姿を見たくなかっただけ。 彼女を庇ったオレの背中を何かが覆った。彼女の背中の翼が防御するようにオレと彼女を包み込んだのだ。微妙に明滅する翼に包み込まれ、くぐもったどおんと爆発の音が耳に届く。 鋼の翼に守られた視界の真ん中にの顔がある。吐息さえ触れる距離。ち、ちか。い。 「こんな修羅場だけど、会えてよかった。ラビ」 「お、ぅ、それはオレもさ。無事でよかった」 「うん」 にっこり笑った彼女にぽけっとしてしまう。あーあ惚れた弱みってヤツだ本当。こんなときでも笑うんだよな。本当、そういう顔、オレは弱い。 花の蕾が開くように翼が広がった。銀色で機械っぽい見た目なのに、翼はやわらかく音も立てずに彼女の飛行の手助けをしている。 結構吹っ飛ばされて瓦屋根に叩きつけられたみたいだけど、彼女の羽が守ってくれたから怪我はない。 こっちから視線を外したティキが光の柱が細くなっていく方を見て、消えた。まずい。あそこには戦えない面子が集ってる。あの感じだと攻撃を防いでたミランダの限界でイノセンスが停止したんだ。 「くそっ」 「ラビ大丈夫。ユウが向かったよ」 落ち着いた声で彼女がそう言って剣先を下げた。緑の外套の上着を払った姿を見上げて「へ、ユウちゃんもいるのか? っていうかティエドール部隊がいるって思った方がいいのかこれ」「うん」頷いた彼女がアクマの集合体を見上げて目を細めた。背中にある羽が半透明の火を噴いて「私が行くね」とこぼしたの姿が視界から消える。慌てて見上げれば、デカブツへと急加速する影が見えて、あっという間に遠ざかっていった。 届かないだろうと思ったけど手でメガホンを作って「気をつけろっ、そいつめっさ硬ぇ」ぞ、と続けようとして、アクマの頭上で剣を振り被った彼女が難なくその頭部を粉砕した。 ぞぞっとする。あれ、オレらがあんなに苦労した相手をああも簡単に。 鈍い色の翼を翻しては残りのデカブツを破壊しにいった。鋼の翼がきれいな軌跡を描いて夜空を舞う。その姿をぼけっと眺めた。 (いつの間にあんなに強くなったんだ。つかあんな翼持ってたっけ。知らん間に成長してたんだな…) ちょっとリナリーみたいだ、とぼんやり思った。空を舞って戦う姿が。 「ってぼんやりしてちゃいかんてオレ。伸っ」 自分にツッコミを入れたところでまた一つデカブツが崩れ落ちる。それを横目に槌の柄を伸ばしてミランダ達のいる方へ行く。 伸で行った先でティキとやりあってたのはユウちゃんだった。の言うとおりだ。クロス部隊以外にここにはティエドール部隊がいる。やっぱ戦力が増えるってのは気持ち的に少し楽になる。 相変わらずの速さと切れ味を誇る六幻でティキを追い詰めていくユウ。そのティキの腕にリナリーがいるのに気付いて伸を解除、空中で槌を振り被る。 「大将助太刀!」 「、」 空中で一回転させて振るった槌でティキに直火判をお見舞いした。当たり前のようにスカるのがもう空しいったら。 がしゃんと瓦屋根に着地して構える。ユウは不機嫌な顔で「邪魔するなよ」とか言ってくれた。邪魔ってひどいさ。 「は」 「デカいの斬りにいった」 「そうか」 ぼやいたユウちゃんが強く屋根を踏みつけてティキに斬りつけていく。リナリーを捕まえてるティキは片腕で攻撃を防ぐだけで手いっぱいらしく、次第に後退していく。 助太刀と言ったもののオレの槌はユウみたいに細い武器じゃない。どこでどう手伝おうかと逡巡したところでティキがリナリーを手離した。「悪いねお嬢さん」と。ユウの手が塞がるのを計算して「満」と唱えて槌を振り被って駆ける。防御間に合え。 光が暴発するような攻撃をどうにか槌のハンマー部分で凌ぎ切った。瞬間、ティキが消える。ざっと気配を探ったけどもう近くには感じられなかった。 どんと屋根に槌を下ろして「ぶは」と息を吐く。辺りに視線を走らせたユウが「消えた」とぼやくから「どこへ行こうが絶対ぶっ倒すさ」と返して肩で息をする。つ、疲れたぞさすがに。 「何やってんだお前ら。こんなとこで」 「いや、なんかウチの元帥が江戸で仕事あるとかで。そっちは?」 「似たようなもんだ」 ユウが視線を上に跳ね上げる。まだ残ってたデカブツが一体こっちに顔を突っ込んでくるところだった。「げ」と呻いて槌を構える。まだいたのかこれ、うざい。 そこへ風を切って飛んできたが「任せて」とオレらの横を通過、まっすぐデカブツに突っ込んでいった。遅れて破壊音。アクマの身体がばらばらになってずどんずどんと地面に落ちていく。 「はー…見事さ。ってばすげぇ」 「ふん」 当たり前だろって顔をしたユウ。こっちに戻ってきたが「そ、こにいるのってリナリー? リナリーっ」と青い顔をして屋根に着地、駆け寄ってくる。持つ気はないってユウちゃんの代わりにリナリーを抱いてたオレは指で頬をかいた。 これ以上ない衝撃を受けたって顔をしてるは、やっぱり女の子だった。さっきまでエクソシストの顔しかしてなかったのに。短くなったリナリーの髪に触れて「髪、髪が…リナリーのきれいな髪が。どうして…」と涙さえ滲ませる声に、なんでかオレが参ってくる。ああ、うん、やっぱし好きな子には泣いてほしくないから、か。 「あー、アクマと戦って負傷したっていうか。そんな感じ」 「負傷? そういえば足…リナリー平気なの?」 ずいと顔を寄せられてかなり戸惑う。近いってば。涙で潤んだ目で見ないでくださいお願いだから、オレが厳しいからほんと。 そんなの襟首をがしと掴んで引き戻したのはやっぱりというかユウちゃんだった。「気を失ってるだけだ、そのうち目を覚ますだろ」と苛々した声の矛先は明らかにオレに向いてる。そういう心の狭いとこは変わってないなユウ。 辺りに視線を投げたユウが「なんでノアが退いたと思う」多分に意見を聞いてた。リナリーから視線を外して空を見上げたが「なんでだろう」と漏らす。 あれ、そういやミスティーはと視線をきょろきょろさせるとジジイ達のところにいた。そうか、いつでものそばってわけでもないんだな。こんな戦場だし戦力は分散、当たり前か。 「…何か来る」 低い声でそう漏らしたユウちゃん。が警戒の目で中央を睨んだ。同じく視線をやってみる。城を中心に何か、黒いものが迫ってくる。 ユウが舌打ちして跳び退った。彼女もそれに習う。リナリーを抱えてオレも跳んだ。黒い円が地面に触れた部分から衝撃波となって襲いかかってくる。 円の中心、あの位置にいたのは確か、伯爵。 (くそ…っ!)
☆ ★ ☆ ★ ☆
しまった、飛べるんだから私がリナリーを引き受ければよかった。そう気付いたときには黒い円が間近に迫っていて、襲ってくる衝撃波でリナリーを連れたラビとはぐれてしまっていた。衝撃波に負けないよう出力全開で翼を後方に向けて炎を噴き出す。突風に逆らいながらユウの背中を片手で支えてもう片手で剣を構える。 黒い円が全てを破壊しながらこっちを呑み込もうとしている。 あれが攻撃だというのなら、私達がやれることは限られている。 「斬ってみるしかないよね」 「ああ。合わせろ」 彼が六幻を構える。私もドラグヴァンデルを構えた。これが何か知らないけど、攻撃なら凌ぐしかない。 タイミングを合わせて、二人で刃物を振り被って斬る。 黒い円は割れた。剣を地面に突き立てて衝撃に逆らう。 重い。ユウが同じように地面に刀を突き立てて歯を食い縛っている。はぐれないように強くユウの身体を抱けば、彼の片腕が腰に回った。お互いでお互いを支えながら、片方の翼の出力を全開にして、もう片方の翼で私とユウを守ってくれるようにとガードの態勢に入る。 (負け、られない) 暴風に髪が暴れに暴れてゴムが弾けた。はっとして振り返っても、ラビにもらったゴムはもうどこかへ飛ばされてしまっている。 せっかくラビにもらったのに。ごめんねラビ。これ気に入ってたのにな。 「ちっ」 舌打ちした彼の髪ゴムもどこかへいってしまったらしい。ばさばさ暴れる髪を感じながら翼を一段階大きくする。 お願い、私達を守ってと願いながら。 風が収まった頃、翼の出力を保ち続けるのが限界になってがくりと膝が折れた。そんな私を支えた手が「しっかりしろ」と言う。どうにか片膝を立てて起き上がりながら「うん、ちょっと、限界っぽい」と漏らして翼を消した。ずっと出し続けて戦うのは疲れる。 私の腕を取って立ち上がったユウが視線を上げた。ふらつきつつ私も顔を上げて、目を見開いた。 廃墟同然の家々しかなかったとはいえ、ここには確かに江戸の街が広がっていた。それが中央のお城を残して何もなくなっている。ただ一つの建物もない。 江戸が、なくなってる。 「そんな……何これ」 「分からん。伯爵の攻撃、かもしれん」 ユウの肩に顔をぶつける。黒い衝撃波が何かも分からず防ぐことで手いっぱいだったところを脱したら、今更ながら、身体が震えてきていた。 なんで今更震えなんか。あんな攻撃怖くない、伯爵なんて怖くない。アクマ製造者とはいつか戦いそして倒さないとならない運命。 クロス元帥に聞いた話だ。私はそのために戦場に立ち続けている。エクソシストの、黒の教団の目的は世界を終末に導かんとする千年伯爵の打倒。 それなのに。私は今震えてしまっている。 ぽむと頭を叩かれてそろりと視線を上げた。ユウは、仏頂面に少しの気遣いを混ぜた表情で私を見ていて、不器用にくしゃくしゃと頭を撫でてくれた。 「そんな顔するな」 その言葉に、私は無理矢理笑うことしかできない。ごめんね、今は、こんな顔しかできないよ。 一つ吐息を漏らしたユウが私の腕を取ったまま歩き出した。何もなくなった大地に乾いた風が吹いて、ユウの紺色の髪と私の髪を揺らしていく。 こんなときでも手を引いて歩く彼が、とても頼もしくて、誇らしい。 一瞬だけ頭に甦ったキスの場面を今は頭から追い出す。それを考えるのはこの戦いのあとでもいいはずだ。今は、この手を離したくないし、離してほしくもないから。 |