淡い緑に結晶化したリナリーのイノセンス。を連れてそこへ行ったとき、結晶に駆け寄る彼女の腕を離した。適合者ならあれに近づいてもイノセンスの気には当てられない。 泣きそうな顔で「リナリーっ」と声を上げて結晶を叩くから視線を外す。 何かがおかしい。 「イノセンスが自らの意志で、リナリーの命を守っただと?」 「ああ」 「装備型のイノセンスがか。ありえん」 「ありえるさ。それが特別なイノセンスなら」 ぼやいたラビの声にがこっちを振り返る。「まさか。これが?」信じられないって顔で結晶を見つめて撫でる手を掴んで一歩引き離した。「触るな」と言えばきっとこっちを睨んで「なんでよ」と反対の手を伸ばす。そっちの手も握り込んで「何があるか分からない」と言えば、は頬を膨らませて無言でこっちを睨んできた。 そんな顔したって離さねぇぞ。結晶化したイノセンスとはいえ、何も起こらないとは限らない。これ以上戦力が欠けるような事態は避けたい。 何より、お前に何かあったら、俺が耐えられない。 俺を睨んでいたがふっと寂しそうな顔をして結晶を見上げた。「リナリー」とこぼす声は特別なイノセンスを気遣っているものというよりは、リナリー自身を心配している声だった。 (…お前は甘いな。本当に) 彼女の手を掴んでいる自分の手は、一体何を思っているだろう。 俺は心の狭い、融通の利かない奴だから。お前のことを守ろうと思うだけで、お前のことを考えるだけで、いつも手一杯だ。 「危険だぞ神田っ!」 「、」 響いたマリの声に反射で六幻を抜刀して彼女を抱き込んだ。天パのノアが放ってきた一撃を凌ぎながら勢いを相殺できず吹っ飛ぶ。いやがったのかよこの野郎。 「もらうよ。彼女」 笑みを浮かべた相手に「させない」と剣を抜いたがノアに向かって切っ先を突き出す。喉を突くのに十分な一撃を紙一重で避けたノアが距離を取ってから両手に光を纏って突進してくる。 ざざざと靴の底でブレーキをかけ六幻を構えて跳んだ。彼女の背中に鋼の翼が咲き、俺と同じくノアに向かって突っ込む。 加減なしで放った六幻の一撃との攻撃を防いだノアはにやりとく笑って口笛を吹く。「やるねぇ」と。 「六幻。二幻刀」 「ドラグヴァンデル第二開放」 左手にもう一本刀を握る。の剣が七色に光る。 こっち二人に対し相手は一人。時間はかけたくない。ノアは間違いなくリナリーを狙っている。 ぎらりとしたノアの目がを見た。反射で剣気を振るう。リナリーのときもそうだったが、女のエクソシストってのはこいつにとって珍しいものらしい。俺の剣気を全て防いだ相手が笑う。その目は俺ではなくのことを捉えている。 「かわいいねぇお嬢さん。おまけに強い」 「、」 「いいねぇそういうの。殺したくなっちゃうよ」 彼女が剣を振るう。遠距離攻撃のシムラクルムが発動した。六方にしか出現しなかった第一開放と比べて、第二開放は光の剣が無数から対象を取り囲み貫く。光の剣を防ぐノアに突っ込みながら六幻を構えた。決めてやる。 攻め防ぎ攻め防ぎ防いで攻めて跳び退る。舌打ちした俺が退いたところへ飛び込んだが剣を振り被る。両手に纏った光で彼女を攻撃を受け止めた相手が暗い笑みで笑う。 光が溢れて、の方が飛ばされた。重い一撃で吹っ飛んだ彼女が追いすがる相手に剣を向ける。俺も跳んだが間に割って入るには間に合わない。 の翼が炎を上げて勢いに逆らって上に飛んだ。その腕をノアが放った光が掠って赤い色が散った、瞬間、頭が沸騰した。 「死ねっ!」 天パの頭に六幻を振り下ろす。脳天を貫くはずの一撃は光を纏った両手で受け止められた。こっちを見た視線が笑いを含んで「なんだ、怒ってんの? 彼女のこと大事?」「うるせぇよ」「あー大事なんだ。なるほどねぇ。もしかして少年のコイビトだったり?」「うるせぇ」ぎぎぎと刀が軋んだ音を立てる。 飄々とした顔をしてるこのノアが気に入らない。 (どいつもこいつもふざけやがって。を傷つけやがって。ぶっ殺してやる) 切れそうな思考へ割り込むようにずどんと大きな音がした。ノアを睨みながら、視界の端で巨大アクマがまたどこからか現れたのを確認した。 無差別攻撃を仕掛けてくるあれに動かれると不利すぎる。どうする。状況の変化に少し冷静さを取り戻した頭でそう思ったとき、うちの師匠のイノセンスが見えた。白い巨体が。楽園ノ彫刻。どうやら自分の身よりリナリーのイノセンスに可能性を見たらしい。 「ユウ退いて!」 の声にその場を蹴って跳ぶ。楽園の彫刻を背にしながら彼女が剣を振り被っている。何度も繰り返される剣劇を防ぐノアはまだ余裕の顔だ。「無理無理。掠ったとこ痛いでしょ?」「っ」血の滲んでいる彼女の腕が視界に入った。 あれがウイルス性の攻撃でなかっただけ救いか。俺なら問題ないが、では侵されて死んでいたはずだから。 死んでいた、と考えて背筋が寒くなった。そんなことは久しぶりの感覚だった。 個人的にも気に入らないが、俺はこの天パのノアをぶった斬らないと気がすまないらしい。 ラビのところには何度か見たでかいノアがいる。マリとラビが奴の相手をして元帥がでかいアクマの相手を、俺とが天パの相手を。リナリーがフリーになっている。 戦いの刹那、瞬間的に交わした視線でにリナリーのところへ行けと伝えた。視線で頷いた彼女とすれ違いながら六幻を振るう。光を撃ち出しながら「こんなにしつこいと嫌われないか?」と笑うノアに「黙れっ」と激昂して六幻で斬り裂く。防がれてばかりで苛々してくる。 がリナリーの結晶に向かって飛ぶより早く、伯爵が降り立ったのが見えた。 (くそっ) バリアを張ってリナリーと自分だけの空間に入った伯爵にが剣を振るう。弾かれて飛び退った彼女にノアが剣呑な視線を向けた。その視線を遮って立ち「お前の相手は俺だ」と剣気を膨らませ、ぶつける。 どうする。このノアなかなか面倒くさい。何よりリナリーのイノセンスが伯爵の手に落ちる。どうする。どうする。 どうすればいいと頭を巡らせた先で、空が割れた。
☆ ★ ☆ ★ ☆
伯爵のシールドに傷をつけられない。リナリーが危ないのに助けられない。力が及ばない。最大出力で剣を構えて突進しても、私の手や腕に響くだけで、バリアには傷一つ入らない。 このままじゃリナリーが。絶望が視界を覆いかけたそのとき、空が割れて、何かが出現した。 「これは…?」 呆然と空を見上げる。何か、よく分からないものがある。黒と紫色の、欠片。 急に現れたこれはなんだろう。何が起きたんだろう。 (いけない、ぼっとしてないでリナリーを助けなきゃ) がしゃと剣を構える。駄目もとで突進しようと翼から炎を噴き出したところでどおんと目の前で大きな爆発。翼で自分を庇いながら腕をかざす。これは伯爵の攻撃だろうか。 「リナリー、リナリーっ」 「、」 耳に届いた声にはっとする。今の声は。 「アレンっ、アレン! 私、だよっ」 土煙が上がる中声を張り上げてから、これが罠だったらどうしようとかそういうことに気付いてはっとしたけど、煙を割って出てきたのはちゃんとアレンだった。リナリーを腕に抱えている。ほっと胸を撫で下ろした私に、アレンは大きく目を開いてぽかんとした顔をした。 「アレン、リナリーも無事ね。よかった…」 へろへろ座り込んだらアレンが慌ててこっちに駆けてきた。そこへ煙を手で払いながらやってきたラビが「おおうアレン!? お前無事で…っ」と声を上げかけたところに「待ちやがれコラァ!」と六幻を振りかざして突進してきたのはユウ。がきんと左腕でユウの攻撃を受け止めたアレンが青い顔で「か、神田?」と漏らす。 ユウも無事だった。よかった。ほっと息を吐いてリナリーの頭を撫でる。 せっかくのきれいな髪が、こんなに短くばらばらになっちゃった。私よりずっときれいな髪だったのに。「モヤシ?」「アレンです」「どういうことだ」「僕が訊きたいんですけど」「俺は天パのノアを追ってきたんだ」ノア、の言葉で視線を上げて粉塵のなくなった周囲を改めて見回す。あるのは黒く抉れた大地と不自然に浮かび上がるお城、紫色の空に丸い月。そのどこにも敵の姿は見えない。伯爵もいない。 「あれ…なんか撤退した、のかな」 内心ほっとしつつそう漏らすと、ユウがアレンに向かって盛大に舌打ちした。舌打ちされたアレンが笑顔に怒りマークを浮かべる。 「なんですか、その邪魔しやがって的な舌打ちは。だいたいノアに逃げられたのは神田がノロマだからでしょ」 「おい、今なんつった。つかテメェ、あとからノロノロ現れて何言ってんだよこのノロモヤシ」 「アレンですって何回言えばいいんですか。ああそうか、神田は頭もノロマなんですねー」 「いい度胸だ。どっちがノロマか教えてやるよ。抜け。その白髪、根こそぎ刈ってじじい共に売ってやる」 「黒髪の方が高く売れるんじゃないですか」 頭上をぎゃんぎゃん行き交う二人の声に瞬きする。 あれ、おかしいな。ここって一応感動の再会場面とかそういうものになるはずじゃ? せっかくアレンと合流して、みんな欠けてないっていうのに。ユウの六幻とアレンの左腕がぎちぎちせめぎ合って、「脳天に一本だけ残してやるよ」「カッパみたいにしてやりますよ」いがみ合う二人にラビが「お、落ち着くさ二人とも」と声をかけたら逆に睨まれてたじたじになっていた。 くすりと笑ってしまって、二人から視線を受けて「あ」と漏らしてぶんぶん顔の前で手を振る。「ごめん笑ってない、笑ってない、よ、ふふ」「…笑ってるだろ」「ご、ごめ、あはは。はは…っ」涙が滲んできた目をコートの袖で擦る。 だって安心しちゃったんだもん。この光景に。 やっぱり怖かったんだよ。ノアがいっぱいアクマもいっぱい、おまけに伯爵もいる、この戦場は。今までそれなりに戦いをこなしてきたつもりでいるけど、私はノアや伯爵に遭遇したことはなかったんだ。だから、怖かったんだよ。 くすくす笑いながら泣いていたら、膝を折ったアレンが「泣かないでください」と困った顔をする。ぐいぐい袖で目を擦りながら「ごめん、勝手に、涙が、出てきて」どうにか笑いを収めて涙も収めようと思ったけど失敗した。 とすと背中に軽い衝撃を受けて振り返ればミスティーがいて、『守りきった。他の皆も無事だ』と言うから、疲れた顔をしてるミスティーを抱き締めて「ありがとう」とこぼす。 頭を撫でられる感触に視線を上げた。アレンがやわらかい笑顔を浮かべて私を見ている。 「アレン、久しぶり」 「はい。お久しぶりです」 「イノセンス、形が変わってる。白くてきれい」 「えっ、そうですか? でもこの爪ちょっと危なくないですか?」 「そうかな」 左手の指の部分から生えてる爪にぺたりと触れてみた。ぺたぺた触れてみて「大丈夫。そっと触れば」「…はい」なんだか安心した顔でアレンが笑う。その笑顔に私も口元を緩めて笑った。 ユウが気に入らないって顔で腕を組んで舌打ちする。ラビがリナリーを抱えて、こっちに手を振るマリ達に手を振り返した。 こうして、この戦いはひとまず終結を見せたのだ。 |