江戸崩壊から逃れた橋のたもとに集って、ティエドール元帥を中心に今までのこと、これからのことといった話をまとめた。 ミランダがイノセンスの力でみんなの傷を負った時間を吸い出すという作業をしている間、私はラビに謝っていた。せっかく買ってもらった髪ゴムを二つともなくしてしまったから。 「ごめんねラビ…本当ごめん」 「や、いいってそんなこと。また買ってくればいいだけだろ? そんな小さくなるなよ」 ひらひら手を振るラビに私はしょんぼりする。ぽんぽん頭を叩かれて視線を上げれば、ラビは屈託のない笑顔で笑っている。 ここで、ラビ達とはお別れだ。 私達ティエドール部隊がここへ来た目的は、元帥の言う適合者探索のため。クロス元帥を探すためじゃない。改造アクマが私達のもとに来たことを考えれば、元帥までの道は近いとは思うけど、それは私がすべきことじゃない。そちらは進むと決めたアレン達に任せること。私は、ティエドール元帥を護衛しなくては。江戸の町にアクマはもういないとは思うけど、どこかに潜んでいるとも限らない。 ラビがわしわし髪に手をやって「にしても、戦闘のせいで埃だらけさ。オレちょっとあそこで水浴びてくる」と言って私に背を向けた。いつもの背中。少し久しぶりに見た背中。でも、もうすぐお別れしないといけない背中。 ばいばいと手を振って、私はユウの隣に戻る。トランクの中から見つけた髪紐で、いつものように上の方で髪を纏めてる彼に習って、私も髪を一つに結び直した。何も飾り気のない普通のものだけどしょうがない。 ちょこんと隣に座り込んで、フードから出てきたミスティーを腕に抱き締めた。 「…なんだよその顔」 「アレン達とは、ここでお別れなんだなぁって思って…」 「……ついて行きたきゃコムイの命令無視すればいいだけだ」 「それは、できないよ。コムイさんが困るし、ティエドール元帥も困るもん」 はぁと息を吐いた彼が「じゃあどうしようもないだろ」と言うから「うん」と返してミスティーに頬を寄せた。「ぎう」と気遣わしげな声とぺろりと頬を舐めた舌の感触に口元を緩めて笑いかける。大丈夫大丈夫。大丈夫。 クロス元帥に会いたい。でも私の役目は違う。元帥は江戸にいるんだって思ったけどいなかった。ここから先はアレン達に任せるしかない。 トランクを蹴り開けたユウが「とりあえず食っとけ」と言って私にパンを放った。キャッチしてから瞬きする。無言でパンを口に突っ込むユウはすごく不機嫌そうだった。パンじゃなく蕎麦が食べたいのかもしれない。 ミスティーの分もパンを手渡して、あんまり食欲はなかったけどお腹にパンを入れるだけ入れておいた。いざってときに動けないのは絶対いやだ。 「…おい」 「うん」 「話してもいいか」 「? どうぞ」 もく、とパンをかじる。保存のきくパンは硬くてぱさぱさしていた。 私がパンをかじって水分補給で水を飲んでをしていると、ユウが口を開いて閉じて開いて閉じた。パンをかじりつつ私は首を捻る。なんだろう、ユウが何か躊躇ってる。 「き」 「き?」 「…すをしただろう俺が。お前に」 ぼそぼそぼそとかなり小さな声でぼやかれて眉根を寄せた。聞こえない。顔を寄せて「何、聞こえないよ」と言うとユウがその分距離を取ってきた。だからそれじゃあ聞こえないってば。 「だから、き、」 「き? き、何?」 「キスしたろうが俺がお前にっ」 だんと拳で地面を叩いたユウが放った言葉にぽかんとして、大きく息をしているユウから顔を逸らした。 すっかり忘れてた。しょうがないか、全力で戦ってたから頭から抜け落ちても。「うんしたね」「怒ってるか」「怒って…怒ってはないよ。びっくりはしたけど」何となくミスティーを見つめる。金の瞳を細めてミスティーが私を見つめ返している。 「謝ったら怒る」 「…俺にどうしろっつんだ」 「説明」 びしと指を突きつけて「説明してよ。なんでキスなんかしたのか」と睨むとユウがたじろいだ。視線を泳がせて「そりゃあお前」と言いよどむからむーと眉根を寄せる。 だから、どうしてなのか教えてよ。説明に納得できたら私だってすっきりする。 微妙な距離を開けた私達の間をピンク色の花弁がひらひらと舞い落ちていった。私がもくもくとパンを食べてるその間、ユウはこれでもかってくらい眉間に皺を寄せて、無言。 「…いいよ。もう」 ユウが黙ったままだからぷんとそっぽを向いて立ち上がる。「おい待て、話は」「もういいっ」ずかずか歩いていってリナリーが眠っているところに行く。そばで膝をついていたアレンが「どうかしたんですか?」と首を傾げるから私は笑って誤魔化して「ううん何でも。それよりリナリーはどう?」と気を失ったままの彼女を覗き込んだ。少し苦しそうだ。アレンが眉尻を下げて「ラビの話では、結晶化した影響だろうって。そのうち目を覚ますって言われたんですけど」「うん…心配だね」アレンの隣に膝を抱えて座り込んだ。 リナリーなら分かるかな。ユウが私にキスなんかした理由が。 リナリーの手を握って「ここにいるからね。いつでも目を覚ましていいんだよ」と呼びかける。 「…話をしたかったんです。ずっと」 「? リナリーと?」 「リナリーもですけど。、あなたと」 アレンの声に顔を上げる。彼は私を見ていた。なんだか少し苦しそうな顔で。 「私?」 「はい。話したいことがたくさんあるんです。聞いてほしいことも、本当にたくさん。ありすぎて、どれから話していいのか分からないくらい…」 アレンが自分の前髪を握り潰した。辛そうな顔にそっと手を伸ばしてその手に自分の掌を重ねる。 左手は発動していないと人の手の形をしてたけど、肌触りはやっぱり人のそれとは違った。躊躇いは捨ててアレンの手を握り締めて彼に笑いかける。「うん、何でも聞くよ。話して」と。彼がほっとしたように表情を緩めて「ありがとうございます」と言った。 (何でも聴くよ。私もアレンの話が聞きたい)
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苛々していた。モヤシのとこへ行ったにも、時間はあったのに結局肝心の言葉を口にすることのできなかった自分にも。だんと地面に拳を叩きつけて数秒、腹の奥から息を吐き出して自分を落ち着ける。 畜生。 (たった一言。思ってることを言うだけでいい。それで伝わるはずなのに) 視線だけ向ければモヤシと談笑してるがいる。 気に入らない。ラビの野郎ならまだしもモヤシと話す? 最悪だ。何がそんなに気に入らないかと言われればあいつの全てが気に入らない。今すぐ引き離したい。それはあまりに自分勝手すぎるから抑えてるものの苛々は加速するばかりで、ばんとトランクを蹴ってしめた。畜生。 「苛々してるな。神田」 「うるせぇ」 「そんなにアレンと馬が合わないのか?」 「うるせぇ」 マリが話しかけてくるのにうるせぇとしか返せなかった。立ち上がってトランクを適当に荷物が重なってるとこに放る。ああ苛々する。 その辺りで橋の下から歓声が聞こえた。どうやらリナリーの奴が目を覚ましたらしい。「リナリーっ、リナリーよかった!」とはしゃぐの声が聞こえる。心からそう思っている声が。裏表のない声が。 馬鹿だなあいつ。そう思って吐息する。 本当に馬鹿だ。誰にでも優しくしやがって。 「はいい子だな」 「…なんだよマリ。やけに絡むな」 じろりと睨むとマリが笑う。「いいじゃないかたまには」と。ふんとそっぽを向いて「甘いだけだろあいつは」と返す。いい加減モヤシの隣にいるに我慢ができなくなってきて引き離そうかと靴底で砂利を踏んだとき、リナリーの下に星型の模様が出現したのを視界に止めて目を見開いた。 ペンタクル。それにリナリーが引きずり込まれる。 コンマの判断で駆け出して手を伸ばす。モヤシが引きずり込まれ、が自分から手を伸ばしてペンタクルに引きずり込まれる。そのコートの端を掴んで引っぱり出そうとしたが無理だった。舌打ちしたときには完全に星型のマークに引きずり込まれたあと。 そうして落ちた。どこかからどこかへ。 どんと突き飛ばしただけは引きずられた順に折り重なる人から逃れ、横に転がった。「いたっ」「ぐえっ」「つっ、潰れるうう!」「び、ビックリしたである…」「ちっ」上に乗ってる奴に舌打ちしながら人の山から抜け出した。鬱陶しい! いたたと腕を押さえるのところに行って「大丈夫か」と声を投げれば、苦笑いした彼女が「うん、大丈夫。それより」と漏らして顔を上げた。同じく視線だけやってみれば、白い町が見える。 「ここ、どこだろう」 「あ。ここ、方舟の中ですよ」 「? 方舟?」 モヤシの言葉に首を捻った彼女。間に割って入って「なんでンなところにいんだよ」と睨めばこっちを睨み返したモヤシが「知りませんよ」と言い返してくる。方舟ってのは知ってるくせに役立たずだなこの野郎。 リナリーのところに駆け寄ったが「リナリ、大丈夫?」とその身体を抱き起こすと、その下から妙なかぼちゃのついた傘が出てきた。 「…変なかぼちゃがあるけど」 『はっ。どけレロくそエクソシスト! ぺっぺっ』 動いたかぼちゃに六幻の切っ先を向けてモヤシの左腕とで挟み撃ちにする。「スパンと逝きたくなかったらここから出せオラ」「出口はどこですか」なんでここでこいつと息の合った問いかけをしないとならない。吐きたくなる。 『で、出口はないレロ』 「はぁ? 斬るぞこの野郎」 六幻の刃をかぼちゃに食い込ませた。そこで、ぶるぶる身震いしてたかぼちゃの目のような穴が光ってから違う声が聞こえた。『舟は先ほど長年の役目を終えて停止しましタ』と、イラっとくる声が。 (伯爵か) 左右に視線を走らせる。どこにも奴の姿は見えない。『ご苦労様ですレロ。そして出航ですよエクソシスト諸君』かぼちゃの口から伯爵型のふざけた風船が出てきた。『お前達はこれよりこの舟と共に黄泉へと渡航いたしまぁース』どこまでもふざけた声がふざけたことを言う。それと同時に町の一部がどおんと音を立てて崩れ落ちた。 どうやら本気らしい。伯爵の声を合図にしたようにあちこちで崩壊の音を立てて白い町が土煙のようなものを上げ始める。 「どういうつもりだ」 『この舟はまもなく次元の狭間に吸収されて消滅しまス』 リナリーを抱えてラビが立ち上がる。が駆け寄ってきてばふと俺に抱きついた。どおんと衝撃の続く地面を踏み締めてたたらを踏む。『お前達の科学レベルで分かりやすく言うト』彼女が震えている。そういえば伯爵と対峙したのは今回の戦闘が初めてか。 『あと三時間。それがお前達に与えられたこの世界に存在してられる時間でス』 「三時間…」 「真に受けるな阿呆」 「だ、だって」 何か言おうとした彼女がはっとした顔で左右を見て上を見て後ろを見た。さあと青くなる顔色に「どうした」と眉根を寄せれば、「ミスティーがいない」とからからに乾いた声が返ってくる。 そういえばいない。あの竜こんなときに。 ふざけた風船に界蟲を放って貫いて破裂させた。「ちょっ、神田!」「いいだろもう。あんなふざけたもんの言葉なんて聞きたくない」「ユウちゃ、貴重な情報源っ」「そこのかぼちゃがいるだろ」びしと刀を突きつけるとぶるりと震えたかぼちゃの傘。鬱陶しいから視線を外す。竜がいないことに気付いた彼女の顔がいっそう青くなっている。 わしと両の掌での頬を挟んでぐいとこっちを向けさせた。普段から竜とワンセットで動いてる彼女にとって、竜と離れている現実がその心に大きく揺さぶりをかけている。どこか泣きそうな瞳で「ゆ、どうしよ、ミスティーが」と狼狽する姿がひどく弱々しくて、俺にはそのとき、彼女はエクソシストなんかじゃなくてただの一般人の女子にしか見えなかった。 歳相応の歳月を普通に過ごしたなら、お前はこんな戦いなんて知らず、仮初めの平穏という現実の中で笑っていただろう。俺の知らない場所で俺の知らない笑顔で、俺の知らないところで、きっと普通のありふれた女の子をしていたに違いない。 だけどお前はエクソシストだった。俺もエクソシストだった。クソ食らえと思っていただけのそれが、俺とお前を繋いだ。 「しっかりしろ。竜がいないと戦えないわけじゃないだろ。江戸で分かれてやってみせたじゃねぇか」 「う、ん」 「やれる。お前ならできる」 「う、うん」 「…よし」 ようやく頷いたからぱっと手を離す。こっちを見てる視線が鬱陶しい。 「神田ー」 「あ?」 「前から思ってたんですけど言ってもいいですか?」 「断る」 「じゃあ言います。には普通ですよね神田って」 「モヤシてめぇ。断るっつったろ斬るぞ」 「いちいち棘出さないでください迷惑です。思ってたこと言っただけですし、事実でしょう」 「ハァ? 斬る」 「待った待った二人とも待ったさ、状況! 状況見てお二人ともっ」 収めた六幻を再度抜刀しようとするとの手に止められた。「ラビの言うとおり、今は状況優先」さっきまで青い顔してたくせに今は普通の顔で俺の手を止めてくる。 ふんとそっぽを向いて柄から手を離して腕を組んだ。 そんなこと俺も分かってる。今のはモヤシがうざい全面的にモヤシが悪い。 どおん、と音を立てて視界の端の建物が崩れ落ちた。ここから見える町の下には何もない。ただ空間が広がっているだけ。次元の狭間に吸収されて消滅とかいう話はどうやら嘘ではないらしい。 視線を走らせて崩壊の届いてない場所を探し「ここを離れる」とぼやいて歩き出した。彼女がすぐ俺についてきて「みんな移動しよう、ここは危ないよ」と後ろの面々に声をかける。 ぐだぐだしてたらこんなことになった。つい三十分前の自分を悔いる。 あのときちゃんと伝えていたら、こんなもやもやした気持ちにはならなかった。 いっそ今伝えようか。たった一言でいい。お前が好きだと一言だけ。 「? ユウ?」 「…何でもない」 ぱちっと目が合ってやっぱり間ができた。唇を噛んで自分の根性なしを呪う。モヤシをモヤシって言えなくなるだろ俺しっかりしろ。 ぴしと亀裂の音がして顔を跳ね上がる。がしと彼女の腕を取って跳んだ。どんと音を立てて煉瓦の地面と白い建物が下へと落下する。崩壊の少ない箇所を目指してこれか。 避けた先で、白い家の壁にどんと背中をぶつけて足が止まった。後ろも見えてないとは、俺もそれなりに疲れてる。 崩壊した箇所を見つめるの顔色が悪い。ぱしと頬を叩いて「大丈夫だ」と言うとかちこちの表情が若干やわらいだ。 帰るんだ。必ず。どんな戦場でも潜り抜けて、ノアもアクマも伯爵もぶっ飛ばして、あそこに。本部に。 もうあそこが帰る場所でいい。お前が笑っていられるならどんな場所だって構わない。だから必ず帰る。そして必ず伝える。お前に好きだと、必ず。 |