剣を抜いて白い家を斬り刻む。ごばと音を立てて崩れた家の中には何もなくて、肩で息をしながらアレン達を振り返る。ラビが槌で家の壁を崩して、アレンの左手が同じように建物の壁を壊したけれど、アレンが言うような他の道は見つからなかった。
「どこかに外に通じる家があるはずなんです。僕そこから来たんですからっ」
「って、さっきからもう何十軒壊してんさっ」
 剣先を下げながら自然と顔が曇ってしまう。
 さっき伯爵の形をした風船が言ってた。ここは次元の狭間に吸収されて消滅するとかなんとか。タイムリミットはあと三時間とかなんとか。
 どうしよう。フードにいつもの重みがないだけで、ミスティーがいないだけで、独り言が簡単に言えなくて胸に不安がたまっていく。頭と感情を整理してるけど不安が募っていく。こんなんじゃ駄目だしっかりしろ私。こんなんじゃ。
『この舟は停止したレロ。もう他空間へは通じてないレロって。マジで出口なんて』
 言いかけたかぼちゃ傘をばきと殴ったユウが舌打ちして視線を走らせる。向こうの方でまた白い建物が崩れ落ちた。
 どおんと遠い場所で爆発のような崩壊の音が続いている。真ん中の塔、あの辺りはまだ静かだから、上へ行くとこの崩壊から少し遠ざかることができるのかもしれない。
 でも、どうしよう。上に行ったとして、出口がないのなら、どのみち。
「っ、」
 ごば、と音を立てて今立ってる場所がぐらついて浮き上がった。瓦礫に足を引っかけてあわあわする。こ、転ぶ転ぶ!
 ぶんぶんさせた私の手をユウが取ってくれた。「しっかりしろ」「ご、めん」しっかり地面を踏んでだんと蹴り飛ばす。それまで立っていた場所がゆっくりと何もない空間に向かって落ちていく。どこかしおれた顔をしたかぼちゃ傘が『ないレロ…ほんとに』と言う。『この舟からは出られない。お前らはここで死ぬんだレロ』と。
 ミランダが傷を吸い出してくれた腕をさすって拳を握り締めて、掌に爪を食い込ませる。
 どうしよう。このままじゃあ本当に。

「あるよ。出口、だけならね」
「、」

 そこで聞いたことのある声がして顔を上げた。アレンの前に誰かが立っている。白いシャツに黒いズボン、眼鏡をかけた黒髪の人。どこかで憶えがある気がして首を捻った。どうしてこんなところに。っていうか、あの人は、ええと、
「「「ビン底!!」」」
「え、そんな名前?」
 アレンとラビとクロウリーが憶えがあるって声で三人して眼鏡の人をびしっと指差した。こそりと歩いていってユウの隣に行く。「ねぇあの人どこかで」耳打ちしたら彼が視線だけで頷いた。ユウも憶えがあって私も憶えがあって、ここにいることを総合するなら、多分あの人は。
「おい」
 ユウが刀の柄に手を添えて「そいつ、殺気出しまくってるぜ」と指摘する。私も剣の柄に手をやった。ぴりぴりした空気。ラビと戦ってたところを私が割って入って、リナリーを狙ってきたところを戦った、多分あのノアだ。にっと笑顔を浮かべた眼鏡の人がぽんとアレンの頭を叩いて「少年」と言葉を発する。それから「どうして生きてた」の、でごっとアレンに頭突きした。あ、痛そう。
「千年公やチビ共に散々言われたじゃねぇかよ〜」
「な、にを言って、」
 痛そうに額を押さえたアレンが絶句する。眼鏡をしていたその人の肌が白から褐色色へと変わったのだ。かけていた眼鏡がその身体をすり抜けて地面に落ちた。
 その顔を見て確信する。間違いない、あのときのノア。
「出口欲しいんだろ? やってもいいぜ」
 その手に鍵を一つ握って、その人はそんなことを言う。
 剣を構えて斬りかかるべきかどうか判断に迷ったそのとき、ぱちっとノアと目が合う。ひらひら手を振られて「やぁお嬢さん、キミもここに来たのか。奇遇だねぇ」と言われてむっとした。何が奇遇か。どうせ仕組んだことのくせに。
「この舟にもう出口はねぇんだけど、ロードの力なら作れちゃうんだよなぁ出口」
「…?」
 ぱちんとウインクされてさっとユウの影に隠れた。こそりと覗けばごごごと音を立てて地面から扉が現れたところ。あれは。
 そろりとユウを仰ぐ。ぴりぴりした空気を出してる彼はノアを睨んでいた。
「うちのロードはノアで唯一方舟を使わず空間移動できる能力者でね。ど? あの汽車の続き、こっちは出口、お前らは命を賭けて勝負しね?」
 交戦したあのときの顔で「今度はイカサマなしだ少年」とアレンに向かって言ってみせるノア。
 話が話だけに飛び出していけない。でもユウが黙っているなら私も黙ってた方がいいのかもしれないと思ってアレンの動向を見守ってみる。かぼちゃ傘が『ど、どういうつもりレロティッキー、伯爵様はこんなこと』と言うのを聞くに、ノアの独断だろうか。今回初めてノアに遭遇した私には情報が足りない。
 鍵を弄んでいたノアがぴんとそれを弾いた。こっちに向かって飛んできたから反射でぱしんとキャッチする。なんの変哲もない鍵、に見えるけど。
「ロードの扉と、それに通じる三つ扉の鍵だ。やるよ」
「、」
「よく考えて…つっても」
 ごば、と音を立ててまた建物が崩落した。揺れに剣先がブレる。一応照準してたのに。鍵を握り締めてバランスを取りながら足元へ一度下げた視線を上げる。崩れ落ちた塔の先端がどおんと音を立ててノアの上に落下した。「建物に下敷きになったであるっ」「死んだかっ?」「………」ラビの声に私はもう一度剣を構えた。死んでない。ぴりぴりした空気は消えてない。
「四の五の言ってる場合じゃないと思うけどねぇ」
 あくまで飄々とした声が、崩れ落ちた建物の向こうから聞こえた。
 ラビに聞いた話では、あのノアは建物とかを通り越してしまうと言ってた気がする。そういう能力なんだとかって。さっき眼鏡がすり抜けたりしたし、江戸での戦闘でも屋根とかをすり抜けていたし、便利な力だ。こちらにとってはそれだけ厄介な能力でもあるけど。
 そうやってそのノア、ティキ・ミックは去っていった。
 残されたのは外へと通じるロードの扉へ続くという鍵が一つ。
「…開けるしか、ないよね。鍵だもんね」
「そう、ですね」
 アレンが頷いたので私も一つ頷いた。
 鍵を持ってそろそろ適当な扉に近づく。中に何もないことは確認ずみだから、あとはこれを差してかちっと回してみるだけだ。
 アレンが心配そうにこっちを見てるけど、鍵を受け取った私は何となくドアを開ける係りを受けてかちんと鍵を差し込んだ。一つ息を吐いてからかちんと回してみる。一秒あとにぼんと音を立てて扉が絵本にありそうなファンシーなものに変身してびっくりした。
「え? あれ、」
「行くしかねぇだろ」
「う、うん」
 ユウの声に頷きつつ扉に手をかけようとすると、アレンに止められた。くるりとみんなを振り返ったアレンが「絶対脱出です」と言って私の手を握って掲げる。リナリー、クロウリー、ラビ、チャオジーがそれに続いて、ユウだけそっぽを向いていた。しょうがないからアレンから離れてユウのところに行く。
「手」
「やるか」
「……ユウ」
 じっとり睨む。十秒くらいして彼が折れた。「ちっ」と舌打ちして私の手を取って無理矢理みんなに重ねてすぐに離す。一致団結、よし。
 気持ちを改めて扉をそろりと開けてみた。
 今までの白い町とは違った、砂漠みたいな岩と砂ばかりの空間に足を踏み入れる。
 空は扉と似た絵本みたいな感じだった。ラビが空を見上げて「方舟の外、じゃねぇな」とぼやく声に一つ頷く。うん、外じゃない。ティキは確かロードの扉とそれに続く三つの扉の、って言ってたから、ここはその続く扉の一つ目ってことだろう。
 ユウが顔を上げた。ある一点を見つめる彼にひょこと背伸びして同じ方向を見てみる。
 視線の先で大きな岩がどんと音を立てて弾け飛んだ。土煙の向こうから現れたのは、ノアに共通する浅黒い肌をした大柄な人が一人。
 つまり、足止めか。
 剣の柄に手をかけたとき、「お前ら先行ってろ」とユウの声がして顔を上げた。彼は誰を振り返ることもなくノアを睨んでいる。
 待って。ユウ、それってどういう。
「あれはうちの元帥を狙ってて、何度か会っている」
「ユウ」
 呼んでも、彼は私を見ない。「神田一人を置いていけないよ!」とリナリーが訴えてもいつも通りだった。「勘違いするな。別にお前らのためじゃない。うちの元帥を狙ってる奴だと言っただろ」とぼやいて六幻を抜いた彼。左手の指で刀身をなぞって六幻を発動する。戦闘のときの目でノアを睨んで「任務で斬るだけだ」と言い切る彼がいっそ清々しい。
 じゃなくて。
「ま、待ってユウ、なら私だって一緒に」
「先に行け」
「でもっ」
 いつも彼の言葉には従ってきた。ちょっと冷たく突き放した言い方だけど、的を得ている言葉が多いし、彼は私より戦える。私と彼がアクマに囲まれたら私が四割、ユウが六割くらいで片付ける。分かってる。ユウは強いし腕が立つ。私よりずっと。
 でも置いてなんていけない。ユウが行けって言っても無理だ。
(ううん、いやだ。行きたくない。私が行きたくない)
 がっしり彼の左腕に腕を絡めて「いやだ、私も残るっ」と訴える。ユウが無表情に私を見て「俺がやるっつってる」と言うからぶんぶん首を振った。
 駄目、ユウ一人残すなんて絶対駄目。しないさせないできない。
 ご、と地面が揺れても腕を離したりしなかった。「地震…っ」「やっぱりここはまだ方舟の中なんさっ」『そうレロ。ここはまだダウンロードの完了してないだけの部屋レロ。ダウンロードされ次第消滅するレロ』後ろの会話を聞いて腕の力を強める。
 やっぱりそうだ。もう残り三時間を切って、二時間くらいしか残ってない。なるべく早くノアを片付けて、残り時間以内で脱出しなければ。立ち塞がるノアがいるなら倒すしかない。一人よりは二人の方が勝敗は上がるはず。
「ユウ私も残るから。みんな、先に」
「お前も行け」
「いや!」
「子供じゃねぇんだから聞き分けろ」
「い・や・だ!」
 呆れた息を吐いたユウにしがみついたまま剣を抜こうと柄に手をかける。その手をユウの手が押さえ込んだ。こっちに顔を寄せたユウが「お前がいたら満足に戦えない」と言うからじわりと視界が滲む。そ、そんなに足手纏いだって言わなくたって。
 心配なのに。心配で心配でしょうがないだけなのに。
 はぁと息を吐いた彼がごちと額をぶつけてきた。「いいか」とぼやく声は地震の音に掻き消されそうで、意識してその声をよく拾う。
「お前が怪我したら俺が庇って戦うんだ。俺とお前、戦って怪我をする確率はどっちが多い?」
「わ、私」
「そうだ。後ろからサポートするだけって言ってもお前はどうせ前線まで出てくるだろ。戦いで弱点はなるだけなくしたい」
「…そんなに、わたし、あしでまとい?」
 涙が落ちた。ぼろぼろと。言葉に詰まった彼が「違う」と言ってから視線を空に逃がす。もう一回私を見て「一回しか言わない」と言うから一つ瞬く。一回しかって、何を?
「キスした理由。俺がお前を好きだから」
「え?」
「…もう行け」
 肩を押されて、不意打ちすぎた言葉にたたらを踏んでどさりと尻餅をついた。慌てて駆け寄ってきたアレンが「大丈夫ですか、神田がひどいこと言ったんですかっ」とあわあわする。
 ぱちくり瞬くとまた涙が落ちた。もうこっちを見ていない彼はノアを見ている。私の、一緒に残りたいは、却下されたままだ。
 駄目ってことだ。行けって。ユウは私に残ってほしくないんだ。本当に。
 あんなに一緒に戦ったけど、私、ユウにとっては足手纏いのままだった。
「…っ」
 がばと立ち上がる。ざくざく歩いていくと「」とリナリーが呼んでくれた。だけどそれにも顔を上げられなかった。「待つさ、大将置いてくのかーっ?」「待って、待ってください!」ラビやアレンの声が追いかけてくる。だけどそのままざくざくと歩き続ける。ユウには背中を向けたまま、向こうの方に見えるもう一つの建物に向かってただひたすらざくざくと歩み続ける。
 キスした理由。俺がお前を好きだから
 手袋越しの手の甲で唇を隠す。
 そんな理由だったなんて。私、言われるまで全然、気付けなかったよ。
(ユウの、馬鹿)