泣かせた。言葉が足りなかったと思った。さっきのあれじゃただ足手纏いだから先に行けって言ってるようなもんじゃねぇか俺。
(ち。こういうのは苦手なんだよ)
 目の前で雷を纏うノアに六幻を構える。「災厄招来。二幻刀」左手にも刀を握って一つ振るった。剣気を纏わせながら片足を引く。いつでも動けるように。

 そんなに、わたし、あしでまとい?

 浮かぶのは、あいつの泣きそうな顔。
 違う。足手纏いだなんて言いたかったんじゃない。お前がいたら俺が満足に戦えないなんて言ったのは、俺が人間外の戦い方をするのを見てほしくなかったからだ。死んでも死なないのを見てほしくなかったからだ。傷を負っても再生するところを見てほしくなかったからなんだ。
 怪我をする度に心配されて死ぬ度に思ってた。ここにお前がいなくてよかった、なんて。
 もしこの場にお前がいたらきっと、いや、絶対に泣いてるから。だから、お前がここにいなくてよかった。泣かせなくてよかった。ぼんやりそんなことを思ってたんだよ俺は。
 思考を引き裂くように、雷が空を貫く音がする。
「ライ。ライ、雷!」
「………」
 轟音を立てて雷が放たれる。塊だ。六幻を構えて地面を蹴る。上半身を金色に変えた相手は見た目から想像できる雷を操ってきた。天パのノアよりは幾分やりやすそうな相手ではあるがめんどくさいことに変わりはない。
 おまけにここは方舟ってものの中。ぐずぐずしてるとこの部屋は崩壊し、次元の狭間とやらに消える。
 そうなればまず戻ってこられる確立はゼロ。
 雷の二撃を避けでかい三撃目だけ避けるのは無理だと判断、六幻で撃ち払った。瞬間、ぱりと手を走った静電気のようなものに視線だけやる。特に異常はない。二幻刀を八度振るい相手を斬りつける八花螳蜋を見舞ったが大して効いた様子がない。見た目どおり頑丈な奴だ。
 ノアに斬りつける度に柄に走る静電気のようなものが思考に引っかかる。
「…戦えるんだなお前」
 ぱち、と痺れる手で柄を握り締めてぼやくとノアが首を捻った。何言ってるんだこいつとでも言いたげだ。
 は気付いてなかったみたいだが、俺達が元帥について旅をしてる間こいつを何度か見ていた。アクマの群れに混ざって見ているだけで攻撃してこず、気付けば消えていたから、戦えない奴なのかと思っていた。
「何度かアクマ共に紛れて来てたのは知ってたが、いつもただ俺達を見てるだけだったから、戦えないのかと思ったぜ」
「ああ、ああだって、お前ら四人いただろ」
「ハァ? …それがどうした?」
 指を立てたノアが「一番目、二番目、三番目、四番目。一対一で殺る順番をずっと考えてたんだ」…斜め上にズレた返答が返ってきた。つーかそんな理由で見てただけだったのかよ。阿呆だなこいつ。「で、決まったのか」と訊いてみるとびしっとこっちを指差して「お前が一番だ! お前と今一対一ができそうだからな!」「…成り行きかよ」本物の馬鹿がいると呆れた。ノアにもこんな馬鹿がいるんだな。呆れたぜ。
「お前を殺ったら、次はあの女だなぁ」
「、」
 にたりと笑った金色の顔にぴくと片眉が跳ねる。
 あの女で示されているのはだ。リナリーはクロス部隊。俺と行動を同じくしていたのは彼女だ。耳障りな声で笑って「お前と一対一が終わったら次の一対一ができるからなぁ。次はあの女ぁ。その次はどうしようかなぁ」と阿呆をほざく相手に六幻を構える。があんと雷が音を立てて岩を破壊していく。
(そんなことさせるかよ。お前はここで俺が斬る)
 思い浮かぶ、さっきの泣き顔。
 あいつを先へ行かせる。この出口のない場所から外へ出す道へ近づける。そのために突き放したんだ。
 じゃなきゃ、なんのために、あいつを泣かせたんだ。行かせたんだ。生かすためだ。あとでまた会うためだ。ここから出て本部へ帰るためだ。
 だから、ノア、お前はここで俺が斬る。
 雷の直撃を避け続けて相手の攻撃を見る。ノアの動きはそう早くはないが雷はそれなりのスピードがある。どのみち斬りつけるには懐に入るか背後に回るかどっちかをしないとならない。頑丈なあいつには剣気程度では効果がないだろう。「ライライライ雷雷」とうるさい相手の雷を避けながら岩を蹴ってコンマ数秒で接近、懐から背後に回って六幻を振るった。がら空きの背中に八花螳蜋を見舞って吹っ飛ばす。
 吹っ飛ばしはした。背中に傷は見える。が、相手は難なく立ち上がってきた。
(ち。全然立てるか…直撃だったんだがな)
「ふぃー…速いな。己より速い……」
 こき、と首を鳴らして余裕のノアに構える。効いてないわけじゃないようだが二幻の破壊力では奴は倒れない。
 アクマより頑丈、それがノアか。天パもなかなかやる奴だった。製造者の手先ともなれば力が増すのは当たり前ってか。
 そこでごっと地面が揺れた。さっきよりでかい地震。
 ここもそう長くはもたない。二幻でこの程度しかダメージがないなら三幻式に昇華するしかないだろう。
 命を削ること自体に躊躇いはない。昔はそうだった。今もそのつもりだった。どうせ死に物狂いの戦いをしないとならないなら、俺は命を切り分けて都合よく効率よく使う。出し惜しみして死んでたら意味がない。ずっとそう思ってた。
 あいつが、こんな俺を見たら、どんな顔をするか。
「禁忌。三幻式」
 剣気が膨らむ。二幻のときよりも身体が軽くなる。どことなく痺れの残る手から視線を上げてノアを睨んだ。イノセンスに当てられて傷を作りながら「おいおい早いぞ、もう決めにかかる気か」と喚くのが鬱陶しい。はっと短く笑って「もともとお前と勝負を楽しむ気なんざねぇよ。やりてぇならあの世でゆっくりやってこい」と言い放って構える。
 三幻式を長く続ける気はない。この部屋もそう長くはもたないだろう。力ずくでもねじ伏せてやる。
 どさくさで突き放すために、こんな場所で言いたくなかった好きだを伝えた。
 あいつは俺のことをなんて思っただろうか。もう一回ぐらいちゃんと伝えないとあやふやにされそうでそれもいやだ。
 これが終わったら追いつく。ここから出たら言う。もう一回好きだと伝える。今度はちゃんと、こんな土壇場じゃなく、もうちょっと雰囲気とか作ってもうちょっとらしく、できるか。そんな器用なことできねぇだろうな俺は。
 でも努力はする。それは誓う。だから。
(だから泣くな。泣いて進むな、
 たとえ、ここで、俺が尽きても。お前は行け。お前は生きろ。俺の希望を持って。俺の命を継いで。
 ……そんなこと言ったら泣いて怒るな、お前は。
☆  ★  ☆  ★  ☆
待って、待ってくださいっ!」
 ざくざくと早足で一人歩いていってしまうの手をようやく掴んで止めた。俯いて見える彼女に「神田を置いてっていいんですか」と声をかける。俯いたままの彼女が「しょうがないよ」と言う。感情の入っていない平坦な声に彼女の前に回り込む。顔を逸らして俯いたままのは表情を見せようとしない。
「神田にひどいこと言われたなら、今からぶっとばしに行きましょう」
「…大丈夫。ひどいことなんて言われてない」
「じゃあどうして泣いてるんですか」
「、」
 覗き込めば、ぽろぽろ涙をこぼしているがいる。
 向こうの方で雷鳴があった。神田が戦っている。本人の希望で一人で。
 でもが追い縋っていた。一緒にいると。残ると。神田が顔を寄せて何か言ったら力尽きたみたいにへたり込んで、それからここまで制止の声も聞かずに一人歩いてきてしまった。ようやく追いついたけどは泣いている。きっと、本当は神田を置いていきたくないんだ。
 もしかしたらは神田のことが。
 胸が痛むのを無視してにこりと笑顔を浮かべる。「気になるなら戻りましょう」と言えば、彼女は首を振った。「いい。いいの。ユウに任せる」と漏らして空を貫く雷に視線を投げる。目を閉じて、彼女は涙を完全に消し去った。ぱっと笑顔を浮かべるとポケットから鍵を取り出して建物の方に向き直る。僕の手をやんわり外した彼女が笑う。「アレン大丈夫」と。そんな彼女が僕には無理に笑っているようにしか見えない。
「本当に大丈夫なんですか」
 彼女はこくんと頷いて扉に鍵を差し込んだ。かちんと音がしてから扉が文字を浮かべて次の空間とこの空間を繋げる。
 そこへみんなが追いついてきた。「、大丈夫なの? 神田一人で」「大丈夫リナリー。私はユウを信じる」にこっと笑ったが手を差し伸べた。その手を取ったリナリーの心配そうな表情に「行こう」と頷く
 さっきまでの涙はなかったことになっている。
 それでいいのだろうか。逡巡したけれど迷っているような時間はなかった。リナリーとの背を押して「行きましょう」と頷き返す。ラビ、クロウリー、チャオジーが僕らに続いた。
 扉をくぐった先は長い廊下。一本道のその廊下を進みながらちらりと彼女を窺う。
 もう大丈夫そうに見える。神田一人を置いてきて本当によかったんだろうか。
「アレンアレン」
「なんですか? ラビ」
「いや、ちょい気になって…さっき泣いてなかったさ?」
「…泣いてましたけど」
 ひそひそ声で話しかけてくるラビにまた彼女の顔を窺う。まっすぐ前を見て歩いている。見習いたいぐらいまっすぐな瞳で前を見ている。ラビの方も彼女の顔色を窺いながら「いや、ユウちゃん置いてきちまったのも気になるけど、その前にになんつってたのかも気になって」「…まぁ、それは僕もですけどね」ぼやいて返してもう前を向いた。本人が振り切ったものをいつまでも僕らが引きずってるわけにはいかない。
 神田はノアを撃破して僕らに追いついてくる。がそう信じたのなら、僕も神田を信じることにする。
 ご、と床が揺れた。壁に手をついて後ろを振り返る。また地震。
「急ごう」
 背後を振り返ったまま凍えた表情をしていたの手をリナリーが引いた。顔色が悪い。「、大丈夫か?」ラビがおずおず声をかけると彼女が口元を緩めて無理矢理笑う。くるりと前に向き直って「大丈夫。行こう」リナリーの手をしっかり握り返して、それから先はもう後ろを振り返ることはなかった。
 びしびしと音を立てて床に亀裂が入ったときも、しっかりイノセンスを発動してみせた。「ドラグヴァンデル第二開放」そう呟いた彼女の背中に翼が生える。鋼の翼。リナリーを抱きかかえた彼女が崩れ始めた廊下を突っ切る。クロウリーに掴まって僕らも崩れる廊下を突き抜けた。
 突き抜けた先は書庫のような部屋。ここもダウンロードされてない方舟の内部らしい。
 視線を感じて部屋の中央を見ればノアが二人。
 さっき通ってきた廊下は崩れ落ちてしまった。
 僕らは進む以外、もう道はない。