ぱち、と目を開ける。どうも身体が痛いと思ったら、私は床の上で寝転がっていたようだ。
 目の前に転がってたドラグヴァンデルの柄を握り締めて起き上がって頭を振る。ここは、ええと、
? っ、目が覚めたのね!?」
「、リナリ」
 声のした方向を見れば、サイコロみたいな半透明な箱の中にリナリーとチャオジーが閉じ込められて宙に浮かんでいるのが見えた。それから、断続的な戦闘音。「アレンくんを、ラビを助けてっ」ばん、と壁を叩いたリナリーにそう言われてぱちぱちと瞬く。
 状況がまだ理解できてない私の頭はいつもより反応が遅かった。
 戦闘音が途切れた方へと目を向ければ、リナリーの言葉どおりラビとアレンがいて、ラビがアレンに向けて「火判」と呟いたところ。そこで私の頭はばちっと目を醒ました。はっとして背中に翼を生やして出力最大で飛ぶ。床にマル火の文字が浮かび上がっていた。
 さっきのは夢。ロードの見せていた夢だ。ここが現実。
「ラビっ!」
 叫ぶ。状況は一目見れば分かった。アレンが防戦一方で床に倒れているのだから当然だ。ラビはぱっと見傷はないけど目の下にクマのような模様がある。あれがロードのせいかは分からないけど、私と同じでロードの能力に侵されてたなら十分可能性はある。
 剣先で槌の柄を弾く。かぁんと音が鳴ってラビの手から槌の柄が離れて床に倒れた。マル火の文字に滲んでいた炎が消えていく。間一髪。
 ずざざとブーツで床にブレーキをかけて着地、振り返った。ラビの隻眼には感情が一つも見えない。冷たい色をしてる。…まるで、教団に入団してきたときの、ガラスみたいな瞳をしていた彼みたいだ。
「ラビ、目を覚まして。私は勝ったよ」
「…
 ごほと咳き込んだアレンが片腕をついて身体を起こす。枯れの左腕がないことに驚いたけどそれは胸のうちに押し込んだ。何より左腕だから、彼のイノセンスがまた形を変えたのかもしれない。
 ひゅんと音を立てて槌の柄が伸びてラビの手に収まった。剣を構えようとして、剣先が照準を迷う。
 いつかにラビの形をしたアクマを破壊して、私。みんなに剣は向けないよって私自分に。
「マル火。劫火灰塵」
「ら、」
「火判」
 私の声は届かなかった。アレンと私の足元にマル火の文字が浮かび上がる。背中の翼で出力を最大にしてアレンに手を伸ばして抱きついた。足音で炎が爆ぜる。お願い防御間に合って!
 一回り二回り大きくなった翼が私とアレンを包み込むのと、火判の火柱が上がるのは同時だった。
「ラビやめてーっ!」
 遠くにリナリーの悲鳴が聞こえる。
 手を伸ばして力のないアレンの頬をぺちと叩く。「アレン、アレンしっかりして」「す、みません」「ううん」緩く首を振って、状況をどう打開するか、と考えたところで気付く。熱くない。火判は対象を燃やし尽くすまで炎が消えることがないんだってラビが。その説明を聞いて、ミスティーと同じだなぁって思ったことを憶えてる。
 じゃあこれは。この攻撃には何か意味が?
 翼をほんの少し開くと、やっぱり熱くなかった。確かに炎に呑まれているのに。
 そこでもう一つ立ち上った火柱。さっきの火判とは比べ物にならない熱気と火力を感じる。
 これは、こんなもの自分を巻き込んで放ったらラビが死んでしまう。
「ラビっ!」
 翼を広げて飛び立つ。炎の色だけで熱くはなかった。私達を呑み込んだのとは別の炎の蛇がロードを呑み込んだのが見えたけれど、今はラビに手を伸ばす。
 熱い。いくら教団の防御力ばっちりの団服でも限りがある。
 翼で身体を包んで出力を最大にして、翼から噴き出す炎を纏って火柱に突っ込む。
 炎を切り裂いて、お願い、お願い。願いながら手を伸ばす。イノセンスを意識しながら手を伸ばす。イノセンスの気で炎が肌に触れるのを防ぎながら手を伸ばす。届いて、届いて、ラビ!
 大きな剣で炎を引き裂いて火柱に割って入ってきたアレンが私と同じく「ラビーっ!」と彼に手を伸ばす。
「「ラビーっ!」」
 二人で叫んだ。炎に呑まれかかっている彼に手を伸ばす。槌の柄を握る彼の手をぎゅっと握って抱き寄せた。背中の翼でできる限り彼を抱き込む。アレンの腕が私とラビの二人を引き寄せて、ばさりと白いマントが視界を覆った。
 そして。
「ぶはっ」
「げほゲホゲホッ、おえっ!」
「ごほ、けほっ、げほ!」
「ぐあああ息吸うのいでぇーっ」
 三人してどさっと転がって喉を押さえる。
 火判が、木判で石化したんだろう。炎が急に石になったからびっくりした。っていうか息するの辛い。なんかすごく喉が痛い。肌もひりひりする。火判で少し火傷したのかも。
 火判の残骸がぱらぱらと粉を落とす。ぼんやりそれを見ていると「は、はは。生ぎでら」とラビの声がしてそっちを見れば、ラビもあちこち火傷だらけだった。「なんが文句あるんでずが!」とダミ声でアレンが睨むとははと笑ったラビが「ムヂャずんなぁ二人ども」とこぼして私に視線を向けた。ぱちりと目が合う。
 よかった。ラビもアレンも無事でよかった。笑いかけたら彼が目を細めた。さっきと違って感情の見える瞳だった。ラビが伸ばした手が私の頭をぽむと叩く。
「声。聞ごえだ」
「、」
「助がっだ。サンキュ」
 へらっと笑った彼にほっとして笑い返す。べしとラビの顔に掌を押しつけたアレンが「無茶するなぁって、そのセリフのし付けて返してやるバカラビっ」「バカラ…」ははと苦笑いしてラビが目を閉じた。私はいくつか咳き込んでから手をついて起き上がる。周囲がすっかりひどいことになっている。ラビの火判はなかなか侮れないなぁと実感。
「よぐわがんねーよ。気づいたら火ぃつけてた…じじいにゃおごられるだろうけど、今はすこし、気分がいい」
「ラビ…」
 手を伸ばして、少し焦げてる彼の赤毛を払った。薄目を開けて私を見たラビが笑う。「いがったさ。ほんと。が無事で」とこぼして伸ばされた手が頬を撫でた。ゆっくりと、何度も何度も、確かめるように。
 ラビを睨んだアレンが「なんでずがそれ。僕らのごどはどうでもいいっでことでずか」と棘のある声を出して起き上がる。ラビも手をついて身体を起こした。「いやいやそんなこと言っでねぇよ。ってか何、この手は」「べづに」私の頬を撫でていたラビの手を掴んでぎりぎりしているアレンの手。私はそんな二人に困ったなと思って笑う。
 ああ、この風景を、守れてよかった。
 そこへチャオジーがリナリーを連れてきた。リナリーの愛の鉄拳がばきっと一つラビを殴る。「バカっ!」と言ったリナリーの瞳には涙が滲んでいた。私は吐息して「リナリー」と彼女に声をかける。涙目でこっちを見る彼女を抱き締めてぽんぽん背中を叩いた。
「心配だったね。ありがとう。私達みんな大丈夫だよ」
「心配したんだから…っ、ほんとに」
「うん」
 よしよしとリナリーの頭を撫でる。いててと起き上がったラビが口元を緩めて笑う。アレンも笑う。チャオジーもほっとしたように笑う。
 ああ、この景色を、守れてよかった。

 ……だけどここにはあなたがいない。

 そのときぴしっと小さな音がして、反射で剣の柄を握ったとき、石化した火判の中からロードが落下した。少し向こうの方で。なぜか笑っている。全身黒焦げで原型を失いながら。
「キャハハハハハハハハハ」
「ロード…っ」
 笑ってる。
 あんな状態でもまさか戦えるんじゃ。そう思って剣を抜いたら、「アァ、レン」とアレンの名前を呼んでロードは砂のように崩れて消えた。『ロートたまー!』とかぼちゃ傘が慌てる姿に一つ二つと瞬いてからアレンを振り返る。アレンにぼそぼそ耳打ちするラビが見える。
「ねぇちょっと、今ボソっとアレンて聞こえたんですけど? どんだけ好きなん。つかアレンお前マジあの子に何し」
「何もしてません。変なこと言わないでください」
 どすとラビの鳩尾に肘を入れたアレンが容赦ない。私はそんな二人に苦笑いしながらロードが消滅した辺りを眺めた。柱にもたれかかるようにしてるティキが見えて、彼が浅黒い肌をしておらず、聖痕が見えないという現実を少し考えて見る。…アレンがやったんだ。勝ったんだ。多分、そういうことだ。
 二人がお互いの頬をぐいぐい引っぱり合って「お前っ、火傷でムチャクチャ身体いてぇのにこのっ」「ひぶんれやったんれひょ!」「なんだこのっ」「なんだこのっ」「…二人とも」仲がいいのはいいことだけど、今はそんなことしてる場合じゃ。
 リナリーが思案顔で「ねぇ」と言うから「うん」と返事をして首を捻る。「ロード消えたけど…この塔の上にある出口の扉はロードの能力なのよね?」「…あ」言われて気付いた。それはアレンもラビも同じようで「「ああーっ!」」と二人揃って声を上げる。
(そうだった、ここまで来たのは一応ロードの力を借りてたからなんだ。出口だってそう…急いで確認しないと)
 ドラグヴァンデルを発動して背中に翼を生やす。「みんな待ってて、私がすぐ見てくるから」「え、オレが伸で見てくるって」「私の方が早い」ラビに笑いかけてどんと炎を噴き出して飛ぶ。
 天井の穴から塔の最上階へ向かっているとき、ごっと景色が揺れた。地震だ。つまりここももう時間がないってことだ。
 ぐっと唇を噛む。地震が起きてから完全に崩落するまで、多分、三十分もない。
(ユウとクロウリーを、探さないと)
 他の空間は崩壊し消滅した。ティキはそう言ってた。
 でも私は、諦めることなんてできなかった。諦めたくなかった。二人を連れ戻す。私のこの開放状態なら空を飛べるし移動も楽だから、二人を探すのも効率よくいけるはず。
 ばさりと羽ばたいて最上階に下り立つと、扉はまだあった。ほぅと息を吐く。よかった。
 床の裂け目から下のみんなに向かって手でメガホンを作って「扉はあるよー! ラビ、伸でみんなを運んできてっ!」「あいあいさー!」返事の声は聞こえた。ふうと一息吐いて扉を振り返る。扉はあるけど、中はちゃんと繋がってるだろうか。少し不安になった。でもここはもう信じるしか道がない。
 ラビの伸でみんなが上がってきた。リナリーとチャオジーの手を取って満足に動けない二人が下り立つ手伝いをする。「大丈夫?」「うん」リナリーがしっかり立ったのを確認してから振り返る。裂け目の前にアレンが立っている。彼はイノセンスを発動して白い衣を纏ったところだった。
「ティキ・ミックとレロを連れてきます」
「え」
「おいおいアレン、マジで言ってんのか?」
 アレンを止めるラビ。その言葉に私は瞬いてアレンに並んだ。「アレン何言ってるの」と彼の頬を軽く叩く。そんな私に彼は言う。「ティキ・ミックはもうノアを失ったただの人間です。それに僕やラビは見てるんです。彼には人間の仲間がいる。あの人達は何も知らずティキ・ミックの帰りを待ってるかもしれないっ」「だからって、」私は賛成できなかった。相手はノア、だったと過去形にしたとしても助けるべき人達じゃない。アクマと手を組み人を殺すことを自覚していた伯爵側の人間なのだ。それにもし助けたとして、そんなことをしたら教団がなんて言うか。アレンがどんな罰を受けることになるのか。
 ぎゅっと彼の左手を握る。剣の形から人の手の形に戻った彼の手を。
「オレは、別に構わない」
「ラビ、」
 ラビが唇を噛んで「けどな、ノアを助けたことが教団がバレたらお前が」とこぼして隻眼でアレンを見つめる。私も彼を見つめた。できたらそんなことしてほしくない。伯爵側の誰かに手を貸して教団が黙っているはずがないんだからと。だけどアレンは譲る気はないようだった。そんなの、強い意志を秘めた瞳を見たら分かった。…分かってしまった。
 はぁ、と吐息して彼の手をするりと離す。
「私もね、ユウとクロウリーを探して助けてくる」
「な、に言ってるのよ! ここはもう崩れかけてるのよっ?」
「うん。でも二人を置いてはいけないよ。それにね、私ならこうやって飛べるから大丈夫。ね」
 背中にある翼を指すと、リナリーが悲痛な表情をする。私を止めたいのだ。だけど私はやんわり笑って彼女に首を振る。これはね、もう決めたんだ。譲れない。それにね、リナリーだって動けたらそうしたと思うんだ。ね。
 にこりと笑いかけると彼女は唇を噛んで俯いた。ラビががしがし髪を掻いて「あーもー二人とも勝手さ! こっちの身にもなれよ」と言うから「ごめんね」とこぼす。頭を振ったアレンが「それなら彼らも僕が探してきますから、はみんなと一緒に」「駄目。アレンも結構怪我してるし、飛べるわけじゃないでしょう? 私がパパっと行ってパパっと二人を連れてくるから」にこりと笑いかけるとアレンが唇を噛んで、こくりと頷いてくれた。

 アレンがノアのティキを助けたいっていう、それって多分、私がユウとクロウリーのこと探しに行こうと思ってるのと同じ気持ちなんだよね。きっと。
 アレンがエクソシストになった理由。
 大切な人をアクマにして受けた左目の呪い。
 アクマに内蔵されている魂を救う、そのために戦う彼。
 反対は、できない。彼が全部覚悟の上でそれでもティキ・ミックを助けるって言うんなら、私には何も。崩れかけているこの方舟からユウとクロウリーを探し出そうと思ってる私が言ったって、全然説得力もないし。

「助ける…? あの男を殺したんじゃなかったんスか?」
「、」
 チャオジーの声に振り返る。扉付近に佇む彼は無表情だった。アレンが「まだ生きてます」と返すと「どうして」と感情の起伏に富む声が返ってくる。「あいつらはアクマとグルになってアニタ様やマホジャ様、オレの仲間をいっぱい殺したんスけど?」アレンが唇を噛む。多分そのとおりだからだ。私は何か言おうと思ったけど言葉が出てこなかった。
 ノアはアクマとグルになって人間を殺している。そのとおりだ。私達もイノセンスと手を組んでアクマを破壊している。どっちもどっち。でも殺されたという事実を持つ人達からすれば、私達は正義で、アクマは悪。チャオジーの中でもそういう方式が出来上がっている。
「なのにどうして? 助ける? 助けるって…オレらの想いを裏切るんスか?」
「チャオジ、」
「助けるんならあんたは敵だ。敵ッス」
「チャオジーっ」
「奴らと同じ悪魔だっ!」
 感情に任せた声がそう叫んだのと同時に下から何かの気配を感じた。ぞくりとした背筋に寒いものを。私が動くよりも早くアレンが床を蹴ってチャオジーを突き飛ばす。
 瞬間、アレンと扉を巻き込んだ何かが床を突き破って現れた。
「アレンっ!」
「ち、かづかない、で…ガっ!」
 飛び立とうとする私にかけられる制止の声。がしとラビに腕を取られて止められた。「なんかやべぇぞこれ」と漏らした彼がホルスターから槌を抜く。蔦のようなものがアレンを絡め取って、そのまま階下へ轟音と共に消えていく。
「何…? 何が、起こったの?」
 もう敵はいないはずだ。ティキもロードも倒した。ティキはアレンが、ロードはラビが。そのはずじゃないか。なのにどうして?
 床の亀裂を覗き込んだラビが「くそ、引きずり降ろされたっ」と言って槌をぴんと放ってイノセンスを発動した。遅れて我に返って背中の翼を意識する。大丈夫だ飛べる。どんと出力最大で床の割れ目に突っ込んで右手の剣に目を向けた。階下に向かって飛びながら、私は唇を噛む。
 ユウとクロウリーを探すつもりだった。そのつもりだった。でも、アレンが何かに捕らわれた。もちろん助ける。でも、もう、あんまり時間は残されてないのに。二人のことだって探しに行きたいのに、どうしてこう、上手くいかないんだろう。