「…、はっ」
 思わずがばと起き上がる。食堂で寝こけていた。だからあたふたしながら「ミスティ」と呼んでその赤い姿を探せば、そばのカートは料理いっぱいだったにも関わらずすでに空っぽになっていた。げぷと息を吐いたミスティーがぱたぱた飛んできて伸ばして腕におさまる。だから私はほっと息を吐いた。赤い鱗も金の瞳も何も変わりない。
 腰に手をやる。そこには剣の鞘がある。食堂で寝こけるなんて、まるでユウみたいなことをしてしまった。
 それもこれも昨日まで任務で外に出ていたせいだ。
 あれから一年が経った。私が入団して一年。
 私はクロス元帥を主に色んな人の間を渡り歩いて、ようやく自分なりに戦い方を習得するまでに至った。
 ヘブラスカが強い絆で結ばれているとか何とか預言したからだろう、私とミスティーはセットで行動する。だからエクソシストニ名という単純計算で回される仕事は自然と難易度が高いものや元帥同行のもとであったりして、色々大変で。
 大変で。気付いたら、もう一年、過ぎていた。
「うあー…」
 まだ身体中が痛い。だから思わず腰をさすった。背中も全部痛い。ぴきぴきしてる。
 ちょっと吹っ飛ばされて壁に叩きつけられただけなのにこんなの、クロス元帥に知れたら笑われる。絶対。ミスティーが庇えなくてすまないって申し訳なさそうな顔で謝ってきたけれど、悪いのは私だ。攻撃を防ぎきれなかった私が悪い。だからミスティーは悪くない。そう思ってその頭をなでなでする。ミスティーはぐるぐると喉を鳴らしてくれる。
「情けない声出してんじゃねぇよ」
「、」
 それで降ってきた声に顔を上げる。ユウがいた。がたんと向かい側の席について散らし寿司なるものに箸をつけ始める彼に私は一つ瞬きする。
「ねぇ、そういえば室長がどうとかって話。ほんと?」
「あ? コムイか。ほんとだぜ」
「リナリーのお兄さん?」
「ああ。シスコンだ」
 きっぱり言ってのけたユウは黙々とご飯を片付け始める。だから私はミスティーを膝に乗せて「でもリナリー元気になったんだね。よかった」そう漏らしてテーブルに頬杖をついた。ユウは何も言わない。

 リナリーは私と同じ女の子で、同じくエクソシストだった。だけど簡単な事情を聞くに、唯一の肉親のお兄さんと引き離されてこの教団に強制的に入団させられたのだという。そして私が来た頃にはその心は病んでいて監禁状態だった。会える状態じゃなかった。だから私はまだ一度もそのリナリーという子に会ったことはない。会ったことはなかったけれど、同じ女の子だ。だから意識はしていた。
 そしてそのお兄さんが、室長としてこの教団に来たのだという。それに伴って色々班員が変わったり構成が変わったりするようで、ここのところ教団内は騒がしい。
 それで私は昨日帰ってきたばかりだから、そんなことを今日ようやく知ったのだけど。

「ねーユウ」
「ユウって言うな」
「ティエドール元帥のところに新しく来た子の話もほんと?」
「…ああ」
 ずず、と湯飲みでお茶をすすった彼が「デイシャとか言うらしい」「ふーん」だから私はまたミスティーの頭を撫でる。教団内は騒がしい。新しく人事異動があったり入団者があったりして忙しない。
 そんな中、私とユウだけが止まっている。
 探索班の人達が行き来する。科学班の人達も行き来する。色んな人が行き来する中で、まだ子供である私と彼は浮いていた。だけど着ているコートはエクソシストのそれ。だからますます浮いた存在になる。元帥達や他のエクソシストの人みたいに大人になれば貫禄とやらがついてくるのかもしれないけど、彼は12で私は11。貫禄なんてものとは程遠い。
「強い人だといいね」
「知るか。一年死ななかったら上等もんだ」
「私一年死ななかったよ?」
「…そうだな」
 ぱちんと箸を置いた彼がまた湯飲みを手にする。私は頬杖をついたまま視線を他にやった。行き来する人はみんな忙しそうだ。だけど私はまだ身体が痛いし眠たいし部屋に戻ってお花の手入れもしたい。
 怪我のことはこっそり黙っている。だって言ったら最後、婦長さんが鬼の形相で私を捕まえに来るだろうなんてことは分かりきっていた。
「今日」
「ん?」
 席を立ちかけて、だけどユウが何か言いかけたから一つ瞬きしてまた座り込んだ。「今日何?」と首を傾げると、ユウは明後日の方向を見ながら「今日は俺も何もない」と言って。だからまた一つ瞬きして、それからぱっと表情が明るくなるのが自分でも分かった。
「ほんと!? じゃあお花の世話一緒にしてくれる?」
「またそれか」
 呆れたような息を吐くユウだけれど、がたんと席を立って「あとで部屋まで行く」と言って食器を片付けに行った。だから私はぶんぶん手を振って「はーい!」と返事して、浮ついた気分で食堂を出た。私の肩にぱたぱたとミスティーが乗って「ぐう」と不満そうな声を出す。
 二人はあんまり仲がよくない。だから私は苦笑いしてエレベータの方に行きながら「久しぶりだもん、二人でまた手入れしたいよ」と言えばミスティーが黙った。でもやっぱり気に入らないって顔をしてる。
 まずは着替えだ。外に出るときの癖でコートを羽織ってきてしまったけど、思えばここは教団内。だったら任務が入るまで脱いでてもいいだろう。クロス元帥がたまに買ってきてくれる服はちょっと趣味が悪いから教団内で支給される服になるけど、土いじりだし別にいいか。
(お花、元気かな)
ロスト・
ロングラブレター
 教団本部のすぐそばには鬱蒼とした森がある。ユウはよくここで一人鍛錬を積むのだそうだ。目隠しして葉っぱを斬ったりするらしい。というのもまだ私が見たことがないからの話なんだけど。
 ただ、二人で森に来るのはこれが初めてじゃない。
「相変わらずだなーここ」
 鬱蒼とした木々を見上げながらぼやくと、隣で「そろそろ花は枯れる時期なんじゃねぇか」と言われて一つ瞬きしてユウを見やった。外は確かにコートを羽織ってこないと寒いくらいの温度になっている。だからユウとお揃いの白色のカーディガンで手を擦り合わせながら息を吐き出す。
 確かに、寒い。もう花は枯れてしまう季節になるのかもしれない。そうしたら、部屋で栽培しようか。森に花壇を作って外に植えるよりも水もやりやすいし。何よりさみしいユウの部屋には花の一つくらいほしいところだ。
「ねーユウ、一緒の花を育てようよ。自家栽培、っていうか部屋栽培?」
「はぁ? なんで俺がそんなこと」
 言いながらもわざわざ教団内で汲んだ水の入ったバケツを持ってくれているのだから、ユウは言うこととやることがいまいちあべこべというか。だから私は苦笑いして「だってユウの部屋さみしいし。私の部屋も何かお花ほしいし」と言うと彼が息を吐いてがしがしと長い髪に手をやる。その仕種が一瞬元帥と重なった。
 あの人は単独で任務に出ている。まだ戻らない。私があったのは一ヶ月くらい前になる。定期連絡も寄越さないからあの人は一体どうしてるのか。
「めんどくせぇ」
「だいじょーぶ、ユウならできるよ」
「だからなんで俺がそんなこと」
「私とお揃い。いや?」
 お揃いのカーディガンの裾をぐいと引っぱった。ぱしゃんとバケツの水を揺らした彼がはぁと息を吐き出す。呆れているのか諦めているのか、舌打ちしてから「嫌じゃねぇよ」と言ってずかずか歩き出す彼。私は瞬きしてミスティーと顔を見合わせた。カーディガンにもつけてもらったフードの方に入っているミスティーは相変わらずユウと仲がよくないから、やっぱり気に入らないって顔しかしないけど。
 だからたったか歩いて「待ってよユウ」と呼びかける。バケツを揺らしながら「早く来い走れ」という彼に、私任務帰りなんだぞすごく全身痛いんだぞと思いながら頑張って走った。ああずきずきする全身ずきずきする。
 そしたらがつとブーツの先を木の根に引っかけた。やばと思った瞬間背中側に影ができて、大きくなったそれが私が地面に激突する前に間に何かを挟んでクッションにしてくれた。爪、だ。ミスティーの。
 だからほっとして顔を上げる。腕だけ巨大化させたミスティーが息を吐いたので「ごめん」と謝りながらよいしょと爪を支えに立ち上がった。まだ全身痛い。
 もとのサイズに戻ったミスティーがまたフードの中におさまる。だから私は走ると転ぶかもって思って速足でユウのいるところまで行く。

「…見事に枯れそうだな」
「あー」
 それで。水をやって余分な雑草なんかを取り除こうって思ってやってきた花壇のある場所は、季節のせいなのだろう、花は元気がなかった。
 ここにいる間に暇だからと思ってユウを誘って思いついたことだ。教団内は結局大人の人が多いし子供のいられる場所って限られてるし、ユウはそういうの気にしないみたいだけど私は気にするから。だから森の方へ自然と足が向いた。ユウもよくここで鍛錬をするという。だから二人でここに簡単な花壇を作った。なんで俺がこんなこととか言いながらなんだかんだで彼も手伝ってくれたものだ。
 その花壇の花が、枯れそうにしぼんでいる。バケツをごんと下ろした彼が紙袋からジョウロの方を取り出して「どうする」と言うから、「やる」と言ってそれを受け取った。
 枯れそうでも何でも。最後まで面倒みたい。私から言い出したことだし、季節が冬になれば外にある花が枯れてしまうのはしょうがないことだ。だから最後まで面倒見る。
 なんだかんだでユウは面倒見がいいというか、私と一緒にこうしていてくれる。私にとってそれはすごくありがたい。だってここはすぐに人が死んだり新しい人が入ったりと人事異動が忙しない。今回の室長騒ぎもそうだけど、私はそういうのはあんまり好きじゃない。
 静かに。そう、こうしてユウと一緒に静かに過ごす時間とかが好きだ。それが変わらないもののように思えるから。騒がしいのは結局いつか終わってしまう。それはなんだかさみしい。
 だけどユウとの時間はまだ終わらないから。
「もう最後かな」
「外では無理だろうな」
 表情なしに言ってみせるユウが雑草も大して生えてない花壇を見やってそうこぼす。だから私は息を吐いた。せっかく二人でここまで立派にしたのに。わざわざ煉瓦もこっそり調達してきてこう、花壇っぽくしたのにな。
(また春かぁ)
 ジョウロで水をやりながら思う。それまで私は生きているだろうか。それまでユウは生きているだろうか。ちゃんと。
 保証は、ない。
「…部屋栽培!」
「あ? なんだよ」
「しようね」
 だから振り切るように顔を上げる。さああとジョウロからは水が花や葉を濡らしている。ユウは私を見ると瞬きして呆れた息を吐いてくしゃと頭を撫でてきた。「何泣きそうな顔してんだ」と言われて「だって」と返す。
 私がここで頼れる人はクロス元帥とユウくらいだ。面識のある人は何人かいる。でもどの人もエクソシストだ。ユウに言われた。それ以外はいつ死んだっておかしくない奴ばかりだと。だから私もそういう人とはそんなに仲良くなれなかった。実質向こうも私達を避けていた。
 だから、私がここで頼れるのは。元帥とユウと、いつも一緒でいつも戦い守ってくれるミスティーくらい。
「…やればいいんだろ。部屋栽培」
 だからぼそっと言われたその一言に顔を上げた。そっぽを向いているユウは「やってやるよそれくらい。俺が任務の間はお前世話しろよ」と言われて数回瞬きしてからぱっと表情を輝かせてがばとユウに抱きついた。この一年で同じくらいだった背丈に少し差ができて、ユウは男の子っぽくなった。私は別段変わらない。
「ありがとうユウ!」
 だから私はぎゅっと彼を抱き締める。彼はかちんと固まったように動かない。だからその顔を見上げて怒ってるんだろうかと思ったら違った。その顔は赤かった。まるで照れてるみたいだ。
「ユウ?」
「、別に礼を言われるようなことじゃないっ」
 それでべりっと私を引き剥がした彼が怒ったような口調でそう言ってそっぽを向いて、紙袋からもう一つジョウロを取り出して「何してるさっさと水やれよ」と言われて、だから私は一つ瞬きして笑った。ミスティーが「ぐうぅ」と気に入らない気に入らないって二回くらい言った気がするけどそれもなんだか笑えてくる。
 私は確かに戦場に立つ兵士の一人としてここにいた。そのためのコートを羽織って外に行く。そのための剣を取って戦う。アクマという悪性兵器を破壊できる唯一の兵士として。
 だけどここに帰ってきたら私はただの人に戻る。クロス元帥がいたら真っ先に帰りましたと報告に行く。いつもみたいに煙草をふかしている元帥がおおそうかと返して飛び乗る私の頭をがしがしと撫でてくれる。
 ここに帰ってきたら、私はミスティーと一緒にたくさんご飯を食べる。お風呂に入る。ベッドで眠る。唯一気が抜けて安心できる場所で、ユウがいたら一緒にこうしてお花の手入れをしたりして。そうでなかったら鍛錬で一緒に座禅をやったり、目隠ししてどこに何があるかとか気配を察知できるようにとやっぱり鍛錬して。
 ここに、帰ってくること。それが私が戦場を生き抜いた証。

「リナリーにはいつ会えるかな」
「さぁな。正式に室長就任の発表があってからじゃないか。すぐに対面できる状態だとも思えん」
「かなぁ。デイシャって子はどんな子かな。マリみたいに大きい人?」
「知らん。男だとは聞いた」
「そっかぁ男の子か。やっぱり女の子って少ないんだね」
「…そうだな」

 二人で水をやって最後に花にばいばいした。ユウは見てるだけだったけど私は花壇に手を振った。二人で作った花壇、二人で世話したお花。季節だから枯れるのは仕方ない。分かってる。
 だから、次は自分の部屋で育てる。ユウの部屋でも育てる。同じ花を。
 何の花にするのかは、今から一緒に図書室に行って考えよう。少し放置しても大丈夫なお花。それで少し丈夫なくらいのものがいい。そうすれば任務から帰って知らない間に元気がなくなってるなんてことないし、留守にしてる間大丈夫かなとそわそわすることもない。
 ユウがバケツを持って、私は紙袋の方を持った。土いじりようにスコップとかも持ってきたんだけどもう必要なさそうだ。これからは自分の部屋に置いておけばいいんだから。

「ね、花何にしよう」
「これから決めんだろ」
「そうだけど。ユウの希望は?」
「…別にない」

 だからうーんと空を見上げる。曇り空。蝙蝠型のゴーレムが飛ぶ空。だいぶ慣れたけどやっぱりさみしい場所だ。
 だけどこのさみしい場所が、私のいる場所だ。これまでも、そしてきっとこれからも。