「リナリー!」

 ばたばたと司令室に駆け込めば、今日もリナリーはいた。まだちょっとやつれてる感じはするけど私に笑いかけて「お早う。今日も早いね」と言ってくれるリナリーと、私は友達になった。
「もう食べちゃった? 食事」
「うん。兄さんと一緒に」
「そっかー残念。じゃあ私食堂行ってくるね」
 だからリナリーのさらさらしてる長い髪をなでなでして、その手をぎゅっと握ってから離した。手を振って「またねー!」と声を上げれば「またね」と躊躇いがちに、だけど手が振り返される。だから私は上機嫌に食堂へと向かおうと司令室を出た。
 出たところでどんと誰かにぶつかって「あ、すいませ」ん、と言いかけて顔を上げたらコムイさんがいた。一つ瞬きしてそうだこの人が室長なんだと思って頭を下げて「お早うございますコムイ室長」と言ったら笑いが返ってきて「そんなに硬くしないでよー、リナリーの友達ならボクだって大歓迎だよ。お早う」と頭を撫でられた。だからそろそろと顔を上げる。
 白いコート。白いローズクロス。室長の印。
 その人はリナリーのお兄さんで、室長に就いたら就いたでさっそく色々と行動した人だ。たとえば共用のお風呂の大改造。たとえば厨房の大改装。それに少し、色んな待遇がよくなった。
 シスコンだ、なんてユウは断言してみせたけど。まぁ確かにちょっとそうかもしれないけど。でもそれって愛の形だ。それに二人は兄妹。私だって、いたらきっと大事にする。
 もそとフードから顔を出したミスティーが『室長』とコムイさんのことを呼んだ。そんなに驚いた顔をしないコムイさんが「やぁミスティー」と普通に笑って挨拶する。ミスティーはどこかげっそりした顔で、
『あの身体検査はやめてくれませんか。私にも我慢の限界があります』
「あれ、気に入らなかったかな? 特別仕様にしてみたんだけど」
『困ります…』
 ちょっと疲れた顔をしてるミスティーは、物語の中だけの存在であったドラゴンという種族だということで科学班みんなの注目を集めていた。特にコムイさんが就任してからはその視線もひた浴びだった。何度となくちょっと生態系を調べてみたいだけなんだよと言われて渋々本当にしょうがなくミスティーを差し出したことか。
 そう、だからコムイさんがリナリーを大事にするのはすごく当たり前だ。私だってミスティーを大事にする。
 だからフードからミスティーを持ち上げて腕に抱いて「私もミスティーが辛いのはいやですよ」と頬を膨らませたら、あははと笑ったコムイさんが「すまないね。科学班から追及の声が絶えなくて。これ以上はやめるようボクからも言っておくよ」と言われて「お願いします」と頭を下げた。そうじゃないと私だって辛い。
 ミスティーがふうと息を吐く。それから「ぎゃう」と鳴くので私は「それじゃあ失礼します」と言い残して司令室をあとにした。「リナリー」と語尾にハートマークをつけて司令室に入っていくコムイさんの声が背中越しに聞こえる。
 悪い人じゃない。それは、何度か会ううちに分かった。
 ただやっぱりその、シスコンって表現はいかがなものかと思うけど過剰なくらいリナリーの話題には敏感だ。それもこれも教団のせいなのだろうと思う私だけど、それにしたって。
(リナリーが結婚しちゃいますよ、でしか起きないのは…なんていうか……)
 だけど私もミスティーのことになれば同じくらい敏感なのかもしれない。ミスティーがそうなように。
 だからあれは愛の形の一つだと思って、私は「ぎう」と鳴くミスティーのために食堂に急いだ。寄生型のミスティーはご飯をいっぱい食べないといけないのだ。それに新しく料理長に就任したジェリーさんって人は料理が上手だしミスティーのことも怖がらない。
 だから食堂も、私はもう大丈夫だ。ここにもう一年以上いる。だからミスティーに見慣れてくれた人もいるし、憶えてくれた人もいる。
 だから私はたったかと階段を駆け上がる。日々筋力や体力の面だけは怠らないよう、これも修行の一つだ。食堂までまだまだあるけど頑張ろう。
「あ、ユウ」
「…遅かったな」
 ぱちんと箸を置いたユウが顔を上げて私を見た。だからちょっと弾んでいる息を整えながら「司令室、リナリーのところまで行ってきたから」と言ったら彼が呆れた顔をした。そのテーブルには蕎麦がある。ジェリーさんが就任してからというもの、彼はいっつも蕎麦だ。どうやらえらく気に入ったらしい。
 ぐうと鳴ったミスティーのおなかに苦笑いして「私ちょっと行ってくる」「ああ」短い返答にちらりと肩越しにユウを振り返る。彼は手にしたお茶をずずとマイペースに飲んでいる。
 なんだかんだで。ユウは優しい。厳しいところには厳しいのかもしれないけど、でも優しいところもあるんじゃないかなと私は思ってる。
「ジェリーさん」
「あらちゃんお早う! 今日も全部でいいのかしら?」
「はい、お願いします」
「ぎゃう」
 ミスティーが鳴いてもジェリーさんは怖がらないで「あらミスティーもお早う」とウインクつきで挨拶してくれる。それでいつもみたいにメニュー全部をお願いして私は席に戻った。ユウはまだいてお茶をすすってる。
「ねぇユウ浴場行った? すごく大きかったよ、泳げるくらい」
「…風呂は泳ぐもんじゃないだろ」
 ぼやいた彼が「共用は好きじゃない」と言ったのではてと首を傾げる。やっぱり団体行動はいやか。思った通り。それはお風呂自体が大改造されても変わらないか。
 がたんと向かい側に腰かけて「もったいない。一回くらい行けばいいのに。朝の五時とかに行けば誰もいないかもよ?」「誰がそんな時間に風呂に行くかよ」と呆れた声で言われて私は笑った。ユウならその時間でも起きてそうだ。
 足をぶらつかせてテーブルにぺったり頬をつける。私の膝ではぐうとおなかを鳴らしてミスティーがご飯ができるのを待ってる。
 と、真横の視界にマリの姿が入った。だからぱっと顔を上げる。マリは大きい大人の人だ。だけどティエドール元帥を師匠としているユウとは面識があって、だから私も少し彼のことを知っている。
「神田」
「、マリか。どうした?」
「邪魔するようですまないが任務だ。うちの部隊に回ってきた」
 それにユウが息を吐いて舌打ちしてがたんと席を立った。「悪いな」と言われて「ううん」と首を振る。仕方のないことだ。それにユウはエクソシストでもやっぱりまだ小さい。誰かと一緒に任務に行く方が私も安心する。
「神田とは仲がいいな」
 それでマリにそう言われて私は一つ瞬きして彼を見上げた。「そう、ですかね」と首を傾げれば「神田が名前呼びを許してるのはくらいだ」と言われてまた一つ瞬きする。名前呼びに確かに最初会った頃抜刀された気がする。なんだかそれも遠い昔のことのようだけど。
 だから首を傾けて笑って「そうだといいです」と返した。戻ってきた彼が団服に着替えるためだろう目の前を素通りしようとして、それから気付いたように私を見やってちょっと動きを止めて。それからふいにその手が伸びてぼすと頭に押しつけられた。おかげでがくと視界が揺れる。
「ユウ何す、」
 るの、と言いかけたときには彼はもう長い髪を翻すようにしてかつかつと歩いて行ってしまっていた。だから頬を膨らませながらそれを見送って、ユウを追っていったマリも見送った。
 そうしてその姿が完全に視界から消える。
(…任務かぁ)
 だからテーブルに頬を預けた。ぱたぱた浮かび上がったミスティーがちょんとテーブルに乗って「ぎう」と気遣わしげな声と瞳を向けてくるから笑う。「大丈夫、ユウは私よりも全然しっかりしてるからまた帰ってくるよ」と、そうこぼす自分の声がどことなく頼りないのは、気のせいだ。

 そのうちにがらがらとカートを押してきたジェリーさんが「おまちどーん」と語尾に星マークをつけて料理を持ってきてくれた。その声に顔を上げる。ミスティーがさっそく料理の上の方から飛びついてがつがつと食いつき始めた。だから私は苦笑いしながらジェリーさんがわざわざ用意してくれた今日の朝食のAセットを受け取る。
「すみません」
「いいのよー、手のかかる子ほどかわいいって言うじゃない」
 ばっちんとウインクしてみせるジェリーさんに私は頭を下げて「ありがとうございます」と言った。ばしばし私の肩を叩いて「他人行儀ねぇ、ちゃんかわいいんだからもっと笑いなさい!」と言われて一つ瞬く。かわいいなんて言葉、初めて言われた。かわいいなら私じゃなくてリナリーの方だろうに。
 だからるんるんと上機嫌に厨房の方に戻っていくジェリーさんに首を傾げつつありがたく手を合わせてAセットをいただいた。今日はハンバーグにポテトのソテーとベーグルサンド。中身は多分サーモンとチーズにオニオンだろう。
 朝から重いなぁと思いながらもありがたく平らげた。時間をかければ全部入る。その間にミスティーもがつがつとどんどん食べ物を胃に押し込んでいく。
 だから元帥の帰還の知らせは私にとってものすごく、飛び上がるに喜ばしいものだった。
「クロス元帥っ!」
 単独で行動する元帥は相変わらず誰もお供を連れることなく一人ざくざくと坂を上がってきて、帽子の角を持ち上げて私を見ると「おーか。まだ生きてるな」と再会早々嬉しくもない言葉をくれた。ばふんと元帥にアタックして抱きつきながら「生きてますよぅしぶとく。元帥お怪我は?」「んなものないに決まってるだろう」と返されて私は笑う。そうだと思った。
 その帽子の影からひょこりと現れたティムがぱたぱたと飛んできた。だから手を伸ばして「ティムもおかえり」と言えば照れたように尻尾で頭をかいてみせるこの子は蝙蝠型のゴーレムと同列の存在とは思えないくらい、なんていうかそう、個を持ってる。
 私を引っぺがした元帥が「ほれ」とその手から何かを落とした。だから慌てて手を伸ばしてキャッチすれば、じゃらという音がする。一つ瞬きして掌に視線を落とせば簡単な包装紙に包まれた少し重たい何かがある。
「何ですか?」
「帰ってからのお楽しみだ。とりあえず帰還するぞ。オレは疲れた。酒を飲んで寝たい」
 ずかずか歩き出す元帥についていきながら包装紙に包まれたそれをポケットに入れた。あとはレントゲン検査を受けていつもの入城。
 それで、適当な感じで報告して部屋に戻ってさっそく酒瓶を開け始めた元帥の横でいそいそとポケットからさっきの包みを取り出す。なんだろうお土産かな、元帥ったら珍しいとわくわくしながらそれを開封した。
 ら、じゃらと音を立てたのはロザリオだった。だからぱぁと自分の表情が輝くのが分かる。それは普段コートの下に隠れていてあまり見ることのない、だけど今元帥もしてるのと同じような感じのタイプのロザリオ。
「買ってきてくださったんですか?」
 だから私はきゅぽんと音を立ててワインの栓を抜いた元帥を見る。元帥がこぽこぽとワイングラスに紫色の液体を注ぎながら「他にどうやって手に入れる」と返されてますます自分の表情が輝くのが分かる。
 わくわくしながら自分の首からさげてみた。やっぱりそれなりに重い。だけど嬉しかった。ミスティーがかちんと爪の先で十字架を弾いて「ぎあ」と微妙な顔をしてみせる。それにはっはと笑った元帥が「残念だがお前の分はないぞ」と言って盛大にグラスを呷った。そんなこと分かってるって顔をしたミスティーがじろりと元帥を見やる。
 ミスティーは色々教団の人のことは警戒しているようだ。最も、それは私を思ってのことだと私自身分かっているのだけど。

 だけどやっぱり嬉しかった。以前からほしかったのだ。元帥と同じような、繋ぐ何かが。
 そうでないとこの人は神出鬼没すぎて。私の面倒を見てくれたと思ったら任務でどことなりへ消えてしまって、ろくに定期連絡もよこさず帰らない。はらはらしながら待ってる私と違って何ヶ月かあとにひょっこり戻ってきた元帥が休憩しにやってくる。私をそれを歓迎する。はらはらは元帥が帰ってきた瞬間に吹き飛んで喜びに変わる。
 また会えた、それはここではとても大きな事実だ。実際、私は一度顔を見たのにもう二度と見ることのできない人を幾人も見てきた。だからユウとまた会えて一緒の植物を部屋で育てることにしたりしてさっそく無理言ってコムイさんに頼んだりして、そういうのも嬉しくて。
 でも一番嬉しいのはやっぱり、この人とこうしている時間だろうか。

「元帥、次はいつ発つ予定ですか?」
「さてなぁ。三日くらいはいたいところだが、コムイの野郎がうるさいだろうからなぁ」
 ゆらゆらとグラスの中身を回しながらどかと私の隣に腰かけた元帥。それで私の頭をがしがしと撫でてくれる。だから私はそれが嬉しい。
「また見送ります」
「お前はいつもそれだな。痒ぃからやめろっつうのに」
「いーえ見送ります。網膜に元帥の姿を焼きつけます。次に元帥を見るときまでずっと憶えてます」
「あーそうかそうか」
 がしがしと頭を撫でられる。おかげで髪はくしゃくしゃだ。ミスティーは気に入らないって顔で私の膝に乗っかって拗ねたようにそっぽを向いている。
「あと何年かしたら。お前もイイ女になるんだろうな」
「?」
 その呟くような声に顔を上げた。しゅぼと煙草に火をつけた元帥が「どうせオレはすぐに発たにゃならん」と言うから、私は眉尻を下げる。
 分かってはいる。元帥のお仕事はアクマの破壊だけじゃない。イノセンスを回収しまたその適合者を見つけ出すこと。イノセンスとシンクロ率が百を超えた人だからこその任だ。他の、私やユウみたいなエクソシストじゃまだ務まらない。分かってる。だから他の元帥の人も出て行くことが多いのだから。
 ここ最近で悪化した戦争。千年伯爵とエクソシストのイノセンス争奪戦。だからこれからもっと忙しくなる。分かってる。
 だからこそ。今ここで、私は元帥に甘えておきたい。私を拾ってくれたこの人に。私が初めて接した身近な大人の人に。
 仮面の横顔を見上げて私は笑う。「見送りますからね」と。元帥が少し口元を緩めて笑ってグラスに口をつけた。「好きにしろ」と。
 そうして眠る暇なんてなく、元帥はまたコムイさんに呼び出された。私はそれを部屋で待っていた。コートがある。だから元帥はまたここに戻ってくる。ティムも頭の上に乗っかっている。だから元帥はまたここに戻ってくる。
 だけどまたすぐに行ってしまう。
「……、」
 ぎゅうと首からさげたロザリオの十字架を握り締める。
 大丈夫だ。私はまた笑って元帥を見送れる。そうして生き残る。またその姿を見るその日まで。
 だから笑って、コートを着て帽子を被ってまた一人出て行く元帥を見送る。「帰りを待ってますから」と。行き違いになる可能性だって多いにあるし私が帰ってこない可能性も元帥が帰ってこない可能性もある。だけど私は全部を振り切ってそのときだけは笑う。
 元帥はぼすと私の頭を撫でて「じゃあな」と言ってひらりと手を振り、いつものように出て行く。
 だから私はその姿が見えなくなるまで手を振って元帥を見送る。ティムが尻尾を振り返してくれる。だからますます大きく手を振る。その姿が見えなくなるまで。視界から消えるまで。
 あの人は私にとって、とても大切な人だ。とても、とても。